【1】
新連載です。結局タイトルを変えることにしました。
ええ。ちょっとふざけています。
「殿下ぁぁああああっ!」
男が叫びながら宮廷の廊下を駆け抜けていく。目的の部屋の前までたどり着くと、勢いよくノックして返事を待たずに扉を開いた。中にいた人物たちがびくっとして扉の方を見た。
「なんだディエゴ。私は今忙しい」
最奥の大きな執務机で書類と格闘している人物から声が飛んだ。書類で埋もれていて顔がほとんど見えていない。顔を上げる気すらないようだ。いつものことなので、ディエゴはそのまま叫ぶように報告した。
「大変です! クリストバル殿下が!」
その名を出した途端、執務机の人物はばっと顔をあげた。その秀麗な顔が怒りの形相に歪む。
「今度は何しやがった、あの男!」
本日も、そんな絶叫が響き渡った。
△
フェランディス王国王都ナバスクエス。その中央に位置するのがティヘリナ宮殿である。この国の第二王子ベレンガリウスは父であり国王イバンのあとを速足でついて回りながら訴えた。
「ですから、兄上の軍を一時後退させましょう! 報告を聞く限り、現状から軍を再編成、再攻撃を仕掛ける余裕はありません!」
「何を言うかベレンガリウス! 我が息子が一度負けたくらいで撤退に転じることなど、フェランディスの恥よ!」
国王イバンは吐き捨てるようにベレンガリウスに言い返した。ベレンガリウスは舌打ちしそうになったが、耐えた。本当なら「てめえは脳筋かこの老害が!」とでもののしってやりたいが、さすがにこらえる。
ベレンガリウスは所詮、王の子の一人にすぎない。国王の言うことは絶対だ。たとえベレンガリウスの言葉の方が正しいのだとしても。
初めからクリストバルが負けることはわかっていた。もしも彼ではなくベレンガリウスが出兵していればこんなことにはならなかったのに。これはうぬぼれではなく、事実だ。ベレンガリウスなら負けるにしてももう少し損害が少なかっただろう。
兄であり第一王子クリストバルはあまり頭が良くないのだ。脳筋なのである。第二王子ベレンガリウスが優秀で剣術も乗馬も座学も問題なくこなしていると聞き、彼は変わった。
さまざまな分野でベレンガリウスと比べられ、クリストバルは唯一自分が勝てる武術に心血を注ぐようになった。その結果、並外れた戦士となったが、その代わり頭脳は微妙だ。
そんな彼が一軍を率いればどうなるか。彼は自分の武勇はあっても、他人に武功を立てさせると言うことができないのだ。指揮が取れないから。自分が良ければそれでいい、という自分本位な考え方をしているのだ。
結果、ベレンガリウスの読み通り兄は大敗した。読みと言うか、見ていればわかる。
「恥だとか負けだとかどうでもいいんです! 今撤退しなければ被害がどれだけ増大するとお思いで!? それこそ反撃不可能になるんですが!」
「貴様のような若造に何がわかると言うのだ! 何も知らん愚か者めが!」
許されるなら、ベレンガリウスは「愚か者はてめぇだ!」と叫んでいただろう。さすがに父でもある王に、そんな暴言は吐かなかったが。
「わかったらとっとと失せよ! 役にも立たん書類整理でもしているのだな!」
「……っ」
ベレンガリウスは絶句した。恥じたのではなく、怒りのあまり声が出なかったのだ。王の足音が完全に遠ざかるのを確認してから、ベレンガリウスは腹の底から叫んだ。
「あんのくそ親父ぃぃいいっ!」
「ぎゃっ。聞こえますよ、殿下!」
こそっとディエゴがささやいてくる。青白い顔をしながらもついてきてくれた彼に感謝だ。ベレンガリウスは彼に「戻るぞ」と声をかける。かなり速足のベレンガリウスに、執政官であるディエゴが必死についてくる。
執務室に戻ったベレンガリウスはそばにあったテーブルを蹴りつけた。
「ふざけんじゃねえぞあの脳筋親子が! 無駄に死人を出すつもりか!」
テーブルを蹴り壁を蹴り、殴りつける。隣の本棚の本がバサバサと落ちた。さらに花瓶を床にたたきつける。
「なーにーが役に立たない書類整理だ! テメェがしない事務的処理を片づけてやってるんだろぉがぁぁあああっ!」
砕けた花瓶をさらに踏みつけばらばらにする。国王に代わって執政を行っているベレンガリウスであるが、それを事務的処理と言ってのけるあたりがすごい。
ひとしきり暴れたベレンガリウスは肩で息をしていた。そこに声がかかる。
「落ち着いた? ベガ」
「ああ?」
かなりガラの悪い声が出たが今さらか。見ると二人掛けソファに寝転んでいる男がいた。ベレンガリウスは前髪をかきあげながら言った。
「お前、いつからそこにいたの」
「ベガが執務室に戻ってきたときにはもういたぜ。今日も見事な暴れっぷりだったな」
「放っておけ」
ベレンガリウスは不機嫌を顔に出して言った。ちなみに、ベガ、と言うのはベレンガリウスの愛称である。愛称で呼ぶ人間はあまりいないが、彼はその希少な一人だった。
「つーかお前、何しに来た」
ベレンガリウスの背後で従者と侍女が割れた花瓶を片づけ始める。暴れて落ち着いたベレンガリウスはソファに寝転んでいる男の前にどかりと座った。
「国境に行ってたんじゃなかったのか」
「ああ。ひと段落したんで、戻ってきたんだよ」
「大敗したと聞いたが」
「もう付き合ってはおれん」
「……そんなに?」
ベレンガリウスはソファの背もたれに寄りかかり、思った以上に芳しくない兄の大敗の話を聞くことになった。肘掛けに肘をつき、手で頭を支える。偉そうだが、実際に偉いので仕方がない。
「国境を越えてきよったぞ。最近のロワリエ軍も、それほど強くないはずなんだがなぁ」
「つまり、我が国の軍はその下を行くと言うことだ」
隣国ロワリエ王国は、数年前に国王が変わり多少はましになったかと思ったのだが、そんなこともなかった。父王も馬鹿だったが、息子はもっと馬鹿だった。
「お前が言うと言うことは、確かなのだろうな、フアン」
「や、ベガも同じ判断なら確実だろう」
そう言って笑う彼は、フアニート・オルティス。王弟オルティス公爵の息子だ。一つ年上だが、ベガの学友でもある。
アッシュブロンドの髪に空色の瞳をした美男子で、ベレンガリウスに言わせると「良い筋肉」をしているのだが、これを言うとたいていの人に引かれるので心の中だけでとどめておく。
公爵家の人間であるが、ベレンガリウスが身動きを取れないときに代わりに出動してくれるのが彼だ。影武者……と言うのもちょっと違うけど。ベレンガリウスの二つ年上の兄とも年が近いのでよく行動を共にしているが、彼はベレンガリウスとの方が気が合うらしい。だから、クリストバルには余計に疎まれるのだが。
「王都までは攻めてこられないだろうけど、国境を越えられたとなると、協定を結ぶ時に痛いな……押し返せるといいんだが」
「まだ国境を越えられただけだからな。城塞は落とされていない。それくらいの思慮はクリス殿下にもある、と言うことだ」
「それは重畳……ではないが」
はあ、とベレンガリウスはため息をつき、ソファの背もたれに首を預けて上向き、手の甲で目を隠すようにした。
「くそっ……せめて私が直接指揮をとれればいいんだが……」
「現実はそんなに甘くないな」
「うるさい!」
ベレンガリウスがローテーブルを蹴りつけた。どんな人間も短所はあるものだが、この人の短所は短気であるところだ。いや、本来であればかなり気の長い人物なのであるが、立て続く父王の冷遇と兄との政権争いにいささか疲れてきたのだろう。
それでも人望が集まるのは、この人が実際にこのフェランディスを支えている人物だからである。少なくとも、内政を取り仕切っているのはベレンガリウスである。
それでも、第二王子に過ぎないベレンガリウスには最終決定権がない。いくら有能であっても、最終的な判断が降せなければ意味がない。
だが、基本的に内政関連のことは意見が通る。現在の宰相がベレンガリウスを評価しているからだ。なおかつ王にも信頼されている人物なので、内政面はとりあえずは大丈夫なのである。
問題は外交、つまり軍事力に関することだった。もともと国王イバンは王子のころから武勇で名をはせた人物である。彼が王子のころ、大陸は断続的な戦争状態が続いており、そう言った王が歓迎されたのもある。
ところがだ。十年ほど前、戦争が終結した。そうなると、当然平和な時代がやってくるのである。ベレンガリウスが頭角を現すようになったのはこのころである。
武力で平和を勝ち取る時代は終わり、統治の時代となった。それを、国王も第一王子クリストバルも理解していないのである。この十年でフェランディス自身も大きく変わった。何故理解できないのだろう、とベレンガリウスは逆に思う。
それはともかく、目の前の現実だ。ロワリエ国は先の戦争、『ハインツェル五十年戦争』の敗戦国である。そのため、人質の王女を帝国に差し出している。
とまあ、そんな状態なのに、ロワリエ王国はハインツェル帝国とは逆側に当たる隣国、フェランディス王国に攻め込んできているのである。ベレンガリウスに言わせれば何をしているんだ、と言う感じである。勝ったならともかく、負けているのに数年で兵を起こすとは何事だ。まあ、世の中には負けて国内に何もないからこそ他国から奪おうと言うものもいるというし、ロワリエ国王もその考えだったのかもしれない。
ベレンガリウスに言わせれば、
「あちこち馬鹿ばっかり!」
と言うことになるのだ。短気であるが、この第二王子が苦労性であることは誰にも否定できないだろう。
そんなベレンガリウスにはどうにもならない軍事最高権は父王イバンが持っている。そして、このたびにロワリエ王国の進行に対し、総指揮官を任されたのは第一王子クリストバルであった。この男、ベレンガリウスと同じく父王と仲が良いわけではないが、気性は父親によく似ており、武勇で身を立てている人間だった。
「それが悪いとは言わんがね。もう少し頭を使ってほしいものだ……」
結構言うことが辛辣である。ベレンガリウスとて、その頭脳だけでなく武勇も知られる人間だ。それが悪いとは言わない。必要とは言わないが、あれば文句がない。
だが、クリストバルは猪突猛進型の人間の典型なのだ。頼むからもう少し頭を使ってほしかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
初っぱなから主人公結構いろいろやらかしてます。よく考えると越権行為のような気もする。まあ、気にしませんが。
タイトルは『問題処理係』となっていますが、ある意味『クレーム対応係』でもいいかもしれない。