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女王と狼  作者: 狗山黒
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女王が狼を手懐けるまで

 華谷麗香が荒井静洋に初めて会ったのは高校一年生のときだった。粗野でガサツで気が短い激情型。麗香が嫌う人種の一つだった。

 高校一年生の一学期に席が隣になったが、互いに酷く嫌いあってたから結局席替えをした。その後隣になったのは、特に特徴のない生徒だった。

 その後の席替えで麗香は学校一の美少女の隣になった。ところが、この美少女はとんでもなく鈍くさい、愚図だった。麗香は愚図も嫌いだった。

 二学期期末の後、テストにジュースをかけられ、転倒に巻き込まれたとき、麗香は彼女に手を上げた。

 荒井は美少女と席が近かったときに世話を焼いていたから、美少女を庇った、麗香と荒井の間の大きな亀裂はこのとき生まれた。

 高校二年生のときはクラスは違ったが、荒井が部活の主将に会いに教室に来たから、よく鉢合わせた。

 二人があまりによく言い合いするものだから、荒井と麗香は好き合っているのだと噂が流れた。しかし、どれは二人にとっては迷惑以外の何物でもなかった。

 華谷の家は特別金持ちではなかったが、古くから続く家系で、このご時世未だに血に固執していた。それが両親どちらかの実家だけならまだよかったが、どちらの家もそうだった。

 第一子を女で産んだ母は父の実家になじられ、妻を大事にしない父は母の実家で蔑まれた。父母は互いに庇わなかった。証拠はなかったが、どちらも外に愛人がいただろう。浮気は決して許せなかったが、それさえなければ麗香兄弟にとってはごくありふれた両親だった。

 だが父母と各々の実家の板挟みになるのは子供達だった。わりをくうのは、大抵長女の麗香だった。

 麗香の振る舞いはお嬢様然としているし事実近しいのだが、実際は表に出さないだけで、怒りやすい性格をしていた。その上、怒りに達するのは早いのに、怒りが引くのは遅いという厄介な性格だった。

 その日も彼女の機嫌は悪かった。普段ならおくびにも出さないが、その日は一番可愛がってる末の弟がけなされたから常より頭に血が上っていた。末の弟は、二人の兄にも一人の姉にも似ず、よく泣く子だった。

 中間試験が終わったその日、人を殺さんばかりの苛立ちを醸し出す麗香に荒井はつっかかった。いつも通り言い合いになり、最終的に「視界に入るな」と言い放った。

 酷いことを言ってる自覚はあった。少なからず悪いとは思ってる。だが先に言い出すのは大抵あちらで、負けず嫌いの麗香は言い返さないでいられなかった。我慢のできないわけではないが、ストレスを溜めこむとどうなるかはよく分かっていた。

 中学生のとき、同級生に森口という女子がいた。森口も麗香に似て負けず嫌いだったから、麗香は目の上のたんこぶだった。けれど優秀な麗香に勝つことはできなかった。だから森口は麗香の排除に乗り出した。とった手口は、いわゆるいじめだ。

 けれど麗香はそんなものに屈するような子ではなかった。相手にするのも癪だ、と放置したが、体には着々とストレスが堆積され、その年の夏に倒れた。

 特筆するほど体の弱くない麗香がそうも苦しむのは珍しく、親も兄弟も戸惑った。何か原因があると確信した二つ下の弟の尽力により、森口の凶行は知られ、父の力により転校を余儀なくされた。生徒達には、それが曲解して伝わった。

 そんな風に噂されれば、友達はできない。口調や性格に難はあるが、悪人ではないし懐にいれた人間にはそこそこ甘いから、小学校のときは少ないが友達はいた。だが、あれ以来彼女は独りだ。

 しかし高校三年生も終わりの頃、麗香に声をかける者があった。荒井の彼女、野々宮きいちごである。

 きいちごは、一年の頃の美少女に似たものがあった。正義感のある人見知りで、鈍感かつ天然。美少女ほどではないが、可愛くてドジを踏む。必然、麗香は彼女を嫌う。

 きいちごは麗香を昼食に誘った。

 麗香は学校で昼食をとらない。祖父母と交わした約束のためだ。大学に行きたいのなら、出費を抑えろ。普通の公立進学校しか選択肢がなかったのも、昼食をとらないのも、誰かと遊びに行かないのも、全てそのためだった。

 理由の件はともかく、ほとんどの人が麗香が昼食をとらないことを知っていた。理由だって、聞いてはいけないのだろうと察していた。

 食べられない人の前で食事をするなど拷問に等しい。きいちごは愚かだった。

 考え足らずのきいちごに苛立ち、その苛立ちをぶつける。八つ当たりだと分かっていた。けれど、腹が立つものは立つのだ。

 荒井はやはりきいちごを庇った。傍目にはきいちごは悪くないのだから当然だ。だがそれが余計、麗香の逆鱗に触れた。

 高校一年生のときと同じように、荒井は麗香に平手打ちをくらわせた。

 麗香の祖父はすぐに手を出す人だった。麗香の気の短さのルーツはここだが、彼女は滅多に手を上げなかった。自分の力量を正確に計れたからだ。だから余計、怒りに任せて暴力を振るう祖父が嫌いだった。麗香は荒いを粗暴だとは思っていたが、そこまで酷いとは思っていなかった。しかし二度の平手打ちが、荒井を祖父と同列にした。

 大学は荒井もきいちごも一緒ではなかった。高校三年間同じクラスだった佐藤太郎とは大学でも同じクラスになった。平凡で平和主義な、どこにでもいるような男子だったが、時折人の顔、特に目をじっと見つめる癖があった。自分に嫌悪を示さなかったから、気にいっている方だった。

 麗香は口を閉じていさえすれば「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」を体現するような美人だった。放っておいても、彼氏ができる。

 男が告白してきたのは、入学して間もない頃だった。一目ぼれだと言われた。目当てがこの外見だけだと分かっていたが、麗香は頷いた。どうせ自分は親の決めた人と結婚せざるをえない、人生経験の一つにしよう。その程度の考えだった。

 きいちごと荒井はまだ付き合っていた。荒井は麗香と同じ県内の大学だし、きいちごも隣県の大学にいた。偶然出会ってもおかしくはなかった。

 麗香と男、きいちごと荒井は鉢合う。一瞬立ち止まり互いを見つめたが、お互い知らないふりをして通り過ぎた。だが、男は違った。

 男はきいちごに惚れる。彼女らが知り合いなのを見ぬき、しつこく麗香にきいちごのことを聞いた。麗香はすぐに察し、男と別れた。

 男はどうやってか、きいちごの連絡先を入手した。麗香は男から連絡先を聞きだし、二人と会うことにした。自分の所有物を大嫌いな人間に奪われた。このままでは腹の虫が治まらなかった。

 大っぴらに話せる内容でないことは、二人にも分かっていたらしい。指定された場所は、きいちごの家だった。

 「お久しぶりね」

 実際に会ってないのは三ヶ月程度だが、十年は会ってなかったような気がした。

 「話って……」

 話し始めたのはきいちごだった。早く終わらせたいのだ。

 「うちの彼氏がご迷惑をかけたでしょう」

 麗香はわざと遠回しに言う。荒井が勘違いすればいい、と思ってのことだった。目論見通り、荒井は訝しげにきいちごを見つめる。

 「荒井は知らないの? うちの彼氏――といっても元彼氏だけれど――が野々宮さんに惚れたらしいの」

 「そんな話聞いてないぞ」

 「心配させたくなくて……」

 「あら、おっしゃってないの? あれだけおんぶに抱っこだったのに『心配させたくない』なんて殊勝ね。ようやく一人立ちかしら」

 今までなら荒井は麗香に噛みついた。しかし今はきいちごを疑う方が勝っている。

 「それとも、人のものに手を出すのを楽しんでるのかしら」

 麗香は畳みかける。顔に貼りつくのは笑みだが、声音からは苛立ちを感じられる。

 きいちごは衝撃を受けていた。まさか、そんな考え方をされるとは思っていなかった。

 「そんなことないもん! 全部断ってるよ!」

 荒井に向けているのか、麗香に向けているのか。きいちごは焦って弁明する。

 麗香はその弁明が本心だろうと分かっている。けれど助け舟を出すような女ではない。荒井はその弁明、その焦りを余計怪しく思った。

 「ならどうして言わなかったの? しつこかったでしょう? 荒井ならなんとかしてくれたでしょうに」

 「だって、心配させたくなかったの。私だって、やればできるって」

 「あら、本当かしら。高校のときから思わせぶりな態度ばかりじゃない。だから女の子に嫌われるのよ?」

 痛いところをつかれたのだろう、きいちごは憤慨する。目に涙をため、顔を真っ赤にし、叫ぶように麗香を糾弾する。

 「嫌われてたのは華谷さんだって同じじゃない! そんな言い方ばっかりして、本当は悲しくなんてないのよ! 私をいじめたいだけなんだわ! そんなんだから彼も華谷さんと別れたのよ!」

 麗香は馬鹿じゃない。自分が好かれないのが性格や物言いのためだと分かっているし、彼氏が自分と別れた理由がそれらのせいじゃないと分かっている。確かに悲しいとは少し違う感情を抱いているが、それでも無感情ではない。きいちごに分かったようなことを言われたのが、一番腹が立った。

 「ふざけないで、自分のことを棚に上げて。私が悲しんでない? どうして分かるの? 私には感情がないとでも思ってる? 人のものをとっておいてよくそんなことが言えるわね」

 激昂、というほどではないが麗香も怒りを内包した声で言い放つ。顔を彩るのは冷徹な怒り。口を真一文字に結び、眉間に皺をよせている。

 荒井はきいちごの味方もせず、思案顔で机を見ていた。きいちごは不安そうに彼を見る。

 麗香はこれ以上、きいちごと同じ空間で息を吸っていたくなかった。

 「自分の女の手綱くらいしっかり握っておきなさいよ」

 言葉を発しない荒井に、忌々しげに言葉を投げつけると麗香は部屋を出た。

 「静洋くん……」

 二人きりになった部屋で、きいちごは不安げに彼氏の名を呼ぶ。それでようやく荒井はきいちごの顔を見た。難しい顔をしている。

 「悪い、今日は帰る」

 荒井はそう言い、部屋を出る。きいちごは取り残された。

 荒井は気が短い。それは怒りに達するときも決断するときも、だ。今回はただでさえ、きいちごの態度に心当たりがあった。荒井がきいちごと別れるのに、麗香と会ってから一週間もいらなかった。

 荒井は不思議だった。麗香が激しく怒ったのは自分が平手打ちをくらわせた二回程度で、あとは表に出していないだけだろうが涼しげだった。彼氏をとられた――正確には少し違うが――程度でああも怒りを露わにするとは思わなかった。

 悪戯心とでも言おうか。麗香の激昂する顔が見たくなった。

 麗香と同じ大学に行ったのは、何も佐藤だけではない。荒井の知り合いもいた。ちょうどその人に食事に誘われていたから、ついでに麗香の顔を覗いてみようと考えた。

 その知り合い、沼田に案内され彼らのいる大学内を散歩していた。

 もはや彼らが鉢合うのは運命づけられているのだろう。図書館から出てきた麗香と荒井は出会った。麗香は一人だった。

 自分の友人と彼女がひどく仲が悪いのは、沼田も知っていた。こんな往来で喧嘩になっては困る、と人の少ない道に二人を引き摺りこんだ。

 それと同時に、こんな気まずいところにいたくはないと沼田は思った。沼田は臆病な性質である。「飲み物買ってくる」と不思議な言い訳をしてその場を去った。

 麗香も立ち去りたかった。なぜわざわざ嫌いな奴と一緒にいなければならないのか。だが自分から逃げるのは癪だった。

 「いつも隣にくっつけてる子供はどうしたの? 今日はおいてきたのかしら」

 いつも通り嫌味ったらしく荒井に言葉をぶつける。特に怒っていることはないが言ってしまうのだから、挨拶のようなものだった。

 これが挨拶みたいなものだと荒井も分かっている。だが荒井の方が麗香より怒りやすい。この程度でも反応してしまう。

 「子供? てめえ失礼だとか思わねえのか」

 「あら事実、子供じゃないの。お前がいなきゃ何もできないのに、一人でできるようなふりして。反抗期を迎えたばかりの子供らしくなくて」

 「お前の彼氏がきいちごに惚れたのも分かるわ。いくらてめえのことが好きでも、これだけ嫌味言われ続けたら嫌いにもなるわなあ」

 「まるで私がふられたみたいな言い方なさるのね。残念ながらふったのは私よ、彼女がいるのに他の女ばかり見てるような男はいらないもの。お前は違うようだけど。野々宮さんがどれだけ愛想振りまいても平気なんでしょう」

 荒井は自分が馬鹿にされてるのか、元彼女が馬鹿にされてるのか分からなくなった。ただ口は、人を庇うように反論する。

 「てめえと違って、人好きのするやつだからな」

 「あら浮気を肯定なさるの、最低ね」

 その言葉を放つ麗香の声は、大層冷たかった。だが、それも荒井にとってはいつものことで、そこから特別な感情を読み取ることはできなかった。

 「誰にも好かれない華谷さんが、嫉妬かあ?」

 麗香も気が短い人間だ。それだけ沸点が低く、地雷が多い。今の荒井の言葉は、間違いなく彼女の地雷を踏み抜いた。

 麗香の顔は、瞬時に無表情になり、より力の強い右手を振り上げた。

 普段の軽口と変わらないと思っていた荒井は、まさかこれで殴られるとは思っていなかったから、避けられなかった。

 乾いた音が木霊した。荒井の顔に紅葉の跡。

 「次、その話をしたら、その程度では済まさないわよ」

 背筋が凍るほど冷たい声で、麗香は告げる。

 荒井は硬直したままだ。いつもならすぐにやり返すか、言い返すかするから、麗香は不審に思う。

 当の荒井は、自分が地雷を踏んだかどうかなど考えていなかった。やはりここまで怒るのは自分にだけなのだろうか。だとしたら俺に甘えてるんじゃないのか。少なくとも麗香には理解できないであろう、謎の思考が回路を巡っていた。

 荒井は麗香の家族関係を知らない、そもそも麗香は同級生程度の仲の人には身内の話をしない。それでも荒井はこういう考えにたどり着けたのだから、本人達が思っているより相性がいいのかもしれない。

 麗香は早くこの場を去りたかった。あるいは沼田が早く戻ってくるよう願っていた。しかし初めて見る荒井の姿に戸惑ってしまい、なぜだか体が動かなかった。もし気絶していたら、麗香の脳回路にも謎の思考が巡っていた。

 荒井のとった行動は、誰にも、おそらく荒井自身にも想像できないものだった。考えるより先に体が動いていた。

 不気味そうに荒井を見つめていた麗香は、今や荒井の腕の中だった。

 もちろん麗香は抵抗した。「放しなさいよ!」と声を張り上げ、そこかしこを叩いてみるが、荒井は反応を示さなかった。それが余計気味悪く、自分の抵抗が無駄と悟った麗香は諦めた。

 荒井は麗香の小ささに驚いていた。荒井は背の高い方だ。いくら麗香が平均より少し高い身長でも、荒井より小さいのは当然なのだが、尊大な態度が麗香を大きく見せていた。だから、自分が思っているより小さい麗香の体に驚愕した。

 抱き締められ続けるのに飽きた麗香が荒井の足を踏むと、荒井はようやく我に返ったようで、やっと麗香を放した。

 麗香は言葉もなく、そそくさとそこを離れた。今の荒井になんて言うべきか判断がつかなかった。

 荒井は棒のように突っ立ったままで、白昼夢でも見ているかのように上の空だった。帰ってきた沼田に声を掛けられて、自我を取り戻した。腕に麗香の体の感触が残っているな、他人が聞いたら気色悪がるだろうことを考えながら沼田の相手をした。

 数日後荒井は麗香の連絡先を手に入れていた。いくら人付き合いをしない麗香とはいえ、業務連絡を受けることはあるのだから、ある程度の範囲までは知れていたから、入手は比較的簡単だった。

 だが連絡先を知ったというのに荒井は何もしないでいた。正確にはできないでいた。会いたい気持ちはあるのだが、なんて連絡するべきか分からない。断られるのが怖いわけではないのだが。

 沼田や沼田達と同じ大学の荒井の友人達は、荒井が何を考えているのかおおよそ察していた。応援するつもりはないが、心配はしていた。ちなみに、麗香と荒井に挟まれて高校生活を過ごしたような佐藤はこのことについて何も知らなかった。

 「連絡してみたのか」

 沼田はそう荒井にメールしてみる。元々が筆不精な荒井はメールの返信が遅い。返事が来たのは二日後だった。

 「まだだ」

 たった三文字のメール、件名もない。沼田は麗香と荒井をくっつけようとは思っていなかったが、これでは上手くいくものもいかないだろうと感じた。

 「拒絶は怖いのか」

 そういう旨のメールをしてみる。ちょうどメールを見ていたらしく、返事はすぐきたが、それは否定された。

「ただ、なんて書けばいいのか検討もつかない」

荒井のメールにはそう書かれていた。

そんなことは俺にも分からん。彼女などいたことのない沼田はそう思ったが、友人の願い――というのも妙だ、と沼田は思っている――を無下にするわけにはいかない。他の友人達と策を練った。しかし部活一筋で彼女のかの字も知らないような男ばかりが集まったところで、智恵が出るわけもなく。結局直球勝負になった。

麗香はメールの返事をしなかった。どこからともなく個人情報が洩れ、あまつさえ嫌いな奴からのメールに返信などするはずもない。

麗香がメールを返さないのは荒井を通して沼田にも伝わった。仕方ない、俺が人肌脱ごう。臆病な沼田は奮起し、麗香に話をつけることにした。

「華谷さん」

「何か用? どうせ荒井のことでしょう。手短にしてくださる」

本当に急いでいるのかはともかく、麗香は口早に言った。

「あ、すいません」

臆病なのは直しようもなく、悪いことをしているわけでもないのに、麗香の態度に気圧されて思わず謝ってしまう。

「あの荒井からのメールって」

 「読んだわよ、とりあえず」

 「返事は」

 「するわけないじゃない、人づてに連絡先を手に入れておいて図々しいわ」

 「いや、でも荒井は本気みたいだから」

 「私に会いたいって? 何のために会うのよ、この前の仕返しかしら。だったらなおのこと会わないわよ。話はそれだけ? 悪いけどこの後講義なの、失礼させてもらうわ」

 麗香は沼田の返事も待たず、去っていった。取りつく島もないとはこのことを言うのだ、沼田は痛感した。

 これ以上はどうしようもない。諦めろ。荒井は口々に言われたが、どうしてか踏ん切りがつかなかった。直接会うのが早い、最終的に荒井はそう判断した。

 沼田達の協力を得、荒井は麗香と会った。麗香は思い切り嫌そうな顔をするが、荒井にとってはいつものことだから気にも留めない。

 「どうして返事しねえ」

 沼田達が去ってから、すぐに出た言葉はそれだった。筆不精な自分が言えたことじゃないが、心の中で付け足す。

 「当然でしょう。交換した覚えもない相手から『会いたい』なんてメールがきたって返事しないわ。お前には常識がないの」

 「なら直接言えばいいのか」

 「そういう問題じゃないのよ。大体どうして私がわざわざ会ってやらないといけないのよ。私がお前のこと嫌ってるの知ってるでしょう、頭おかしいの?」

 「てめえの考えてることなんて知るかよ。俺がてめえに会いたいだけだよ」

 そう言うと、麗香は余計顔を歪ませた。頭は荒井の言葉を理解しているが、心はどうも受け付けてくれない。気持ち悪い、不快、というより純粋に疑問に思えた。

 「どうして」

 「どうしてって。てめえ、じゃあ俺のこと嫌いな理由はっきり言えるのかよ」

 荒井の言葉は的を射ていた。粗野、短気、ガサツ、口が悪い。嫌いな点ならいくらでも挙げられる自信があったが、嫌いな理由は明確にはなかった。見た瞬間「嫌いだ」と思ったからとしか言いようがない。

 言葉につまる麗香に

 「それと同じだ」

 と荒井は畳みかけた。

 「だからって会う義理はないわ」

 威勢を取り戻した麗香は言う。

 「ああ。別にいいさ。今度飯を食おう。この大学の正門で待ち合わせだ。俺はてめえがくるまで待ち続けるからな、一日でも三日でも」

 荒井は意地悪く笑う。突っかかるだけだった時は分からなかったが、少し離れてみると、麗香は存外律儀だ。短気なところと物言いに問題があるだけで、他はむしろ親切とすら言える。その麗香のことだ、待ち合わせの三時間くらいに様子だけでも見に来るか、ちゃんと時間を守るだろう。出会って四年目で、ようやく荒井は相手の本性がつかめてきた。

 荒井の考えは当たる。麗香は指定された時間を一時間ほど過ぎてから、様子を見に来た。本当にいるとは思っていなかったらしく、顔は驚愕で満ちていた。

 「やっぱりな」

 荒井の独り言は麗香に聞こえたらしい。思い切り脛を蹴られた。

 奢りなら一緒に行ってやる、という麗香に従い、荒井と麗香は食事に出かけた。といっても未成年の大学生だから近場のファミレスである。

 それ以来、荒井は麗香のその親切心につけこみ、デートらしきもの――およそデートとは言えないが――を幾度と行った。麗香も申し訳ないのだろう、お金は大概折半だ。

 けれど行きたいところや食べたいものは、大抵荒井が麗香に従った。荒井にも麗香を突き合わせている、という罪悪感があった。

 何度も繰り返すうちに、荒井は自分の希望を聞きいれてくれることを麗香は理解した。頭のいい麗香にしては遅いが、麗香は裏があるのでは、と疑心暗鬼していた。

 言うことを聞いてもらえるのに快感を覚えない方がおかしい。麗香もまた然り。ある時から、麗香は下手なりに甘えるようになった。傍目にはまったく分からないが、荒井には分かったらしい。元来の面倒見の良さも手伝って、麗香の我儘を甘受していた。

 沼田達からすれば不思議な関係だった。おそらく彼氏と彼女、という関係なのだろうが、どちらかが告白したという話は聞かない。何より、字面だけなら良好そうな関係になった今も、会えば悪態をつきあう。麗香は嫌味と皮肉のオンパレードだし、荒井も――彼にとってはこれが普通だが――なぜだか喧嘩腰だ。嫌なら会わなければいいのに。誰もがそう思った。彼らの罵り合いが一種の挨拶だとは、周囲には理解されないようだ。

 そもそも麗香も荒井も互いを好きだ、とはっきりとは考えていないし伝えてない。どちらもそんなことを考えないだけで、互いのことを好きなはずだが(でなきゃ麗香は荒井の抱擁を受け入れたりしないし、荒井も麗香に春機を覚えたりしない)、二人は一緒にいると肩肘はらずにいられて楽だ、程度に考えている。それが一番難しいのに、二人は気付いていなかった。

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