席替えしましょう
俺の謎の才能は高校に進学してからも遺憾なく発揮された。しかし以前に比べるとだいぶマイルドになったようで、四十人のクラスに三人程度だった。普通の進学校だったからか、それとも俺のセンサーが鈍っただけかもしれない。
その三人のうちの一人は某口の悪い同級生。荒井静洋、名字はともかくとして、なぜこんな名前をつけたのか彼の両親を問いただしたい。名は人を表すのではなかったのか。
残りの二人とはまだ話したことはなかった。番号順で座っていたから、接触する機会がなかった。だからどんな奴か分からない。
どちらも女子で、一人はきつめの美人、もう一人はいわば超絶美少女。後者とはお近づきになってもいいんだが、俺の脳内セキュリティーが猛反対してくるので関わらないようにしている。ちなみに男女問わずファンクラブがあるらしい。まだ入学して一ヶ月程度だけど。
濃いキャラ同士の仲がいいとは限らない。俺は、生きにくい者同士手を組んだ方がいいと思うのだが、合わないものは合わないらしい。
荒井はきつめの美人が気に食わないようだった。荒井は見た目に反してかなりまともな奴だから、性格の悪い奴や人が悪い奴なんかのことは嫌いになる傾向がある。彼とは中二から一緒なのでなんとなく分かるのだ。しかし「変人だ」と脳内信号が叫んではいるが、彼女は悪人ではないだろうに、相性が悪いのだろう。
ゴールデンウィークが明けて席替えをすることになった。先生の作ったくじをひき、その番号と合致する席に座る。俺は廊下側の中央だった。よくも悪くもない、こんなところも平凡だ。
荒井ときつめの美人、確か華谷さんは隣同士だった。互いに一触即発の雰囲気を醸し出しており、そこだけ地獄のようだ。
「なんで俺がこんな女の隣にならなきゃいけないんだよ」
決して小さくはない声で、荒井が舌打ちと共に呟く。先生が聞いてるが、お構いなしだ。彼に怖いものはないんだろう。
「私だって、お前みたいな阿呆の隣は嫌よ。恨むなら自分のくじ運を恨むことね」
華谷さんは底冷えのする笑顔でそう答えていた。目は笑ってなかった。
今ので分かった、彼女は女王様だ。
「俺のくじ運が悪かったわけじゃねえ、てめえのくじ運に問題があんだよ」
確かに互いのくじ運は悪くないと思う。二人とも俺の列の後方にいる。後ろの席にいて「くじ運がない」なんて言う奴には罰が当たる。多分、二人のくじ運の強さが拮抗した結果がこれなんだ。
ずっと見ているのは悪かろうと思いつつ野次馬根性で二人を窺う。二人の冷たい空気は変わらない。背筋が凍る気配を俺はずっと感じている。損をするのはいつも平民だ。
「馬鹿を言わないでちょうだい。私のくじ運が悪い? こ、の、私のくじ運が?」
「ああ? お前何様のつもりだ?」
「あら、同じクラスの人の名前も覚えられないの? もう一ヶ月よ? 随分貧相な頭をしておいでねえ」
間延びした口調で、華谷さんは火に油を注ぐ。
華谷さんは間違いなく校内の半分近い人間を敵に回しただろう。
先生さえも何もできず苦笑を浮かべている。分かっていたなら細工してほしかった。
激情型な荒井は、おそらく「貧相な頭」に腹を立てたのだろう、椅子を鳴らし勢いよく立ち上がった。
「てめえの隣になるくらいなら退学の方がましだ!」
そう言って彼は教室を後にした。
いつもの荒井なら、もっと口汚く相手を罵る。けれど華谷さん相手には手足どころか口も出せない。彼女が巨大な権力の持ち主とかなのではなく、彼女が完璧超人だからだ。
噂に聞く限りだが、入試はトップで運動もできる。その上容姿も整っているときた。人間関係や性格に若干の難があるだろうが、それでもおいそれと罵倒しようものなら、少なくとも三倍になって返ってくるらしい。華谷さんと同じ中学校出身の人が言ってた。
荒井の行動は相変わらず不良のそれなので教室を出て行っても先生は強く止めなかった。どうして高校に入れたのか不思議だ。
気まずかった空気がさらに重くなった。先生の顔が死に始めた。
「先生、私あんな粗野な人の隣では落ち着いて勉強できませんわ」
すっと挙手した後、華谷さんは立ち上がってそう言い放った。耳につくような高い声でも、通りやすい声でもなかったが、教室全体の空気を変える声だった、悪い方に。
先生は困ったような顔をしていた。新人に毛が生えた程度の先生らしいから、どうすればいいのか困っているのだろう。
「だから先生」
彼女は笑みを深くした。一層冷たくなり、却下を許さないという圧力を感じる。まさに女王様だな、と他人事にように眺める。
「席替えしましょう」
結局本日二度目の席替えをすることになった。終わった後先生は真っ白に燃え尽きていた。「立て、立つんだ先生!」なんて誰も言えない。
俺はなんと華谷さんの後ろの席になった。変人と席が近くなるくらいは経験しているので平気だが、華谷さんの隣の男子はすっかり萎縮していた。女王の隣になるなんて経験はないだろうからな。
プリントを回すとき、彼女は「これからよろしくね」と素敵な笑みと共に言った。やはり悪い人じゃないんだろう。
翌日学校に来た荒井は自分の席の在り処を見て顔をしかめた。窓際の前から二番目。眠くなる席なのに迂闊に眠れない席だ。
荒井は大きな音をたてて座るとこちらを睨んだ。目線の先は俺ではなく華谷さん。彼女が仕組んだと思っているのだろう。あながち間違いではないが。
視線に気付いた華谷さんは荒井を見て首を傾げていた。どんな表情だったのか分からないが、荒井は大きく舌打ちしその他の生徒は固まっていた、恐怖で。
六月の半ばにもう一度席替えがあった。今度は細工があったのか華谷と荒井は離れていた。
それより問題なのは俺の隣が例の美少女なことだ。嫌味なんかは、この席になった者全員に課される洗礼だし、いじめを受けてるわけではないから構わない。だが想像通り、この美少女、一筋縄ではいかなかった。華谷さんの対極のような子だった。
性格には問題がないが、その他、特に言動に問題があった。一言で表現するならドジっ子だった。
別にドジなだけなら無問題だ。だが俺が被害に遭うのが許せない。間違ってお茶を俺のノートにこぼしたり、俺が落としたシャーペンを踏みつけたり、踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂。華谷さんの後ろに戻りたい。
毎回涙目で謝ってくるから故意ではないんだろうが、さすがに酷い。今まで隣だった奴は大丈夫だったのか。心の底から俺のくじ運を恨んだ。
俺も華谷さんのように席替えを提案しようかと思ったが、俺は女王様でも帝王でもなんでもないので止めておいて我慢した。どうせ一ヶ月ちょいの付き合いだ。
夏休み明けに再び席替えをすると、俺は後方の席になり、さらに周りから変人は消えた。心の底から俺のくじ運に感謝した。
美少女は荒井の隣だった。荒井は嫌味などものともせず、むしろ黙らせながら彼女の世話を焼いた。彼の面倒見の良さが発揮されていた。
水筒やペットボトルは必ず蓋をさせ、ペンを落としたなら踏まれる前に拾い、ぶつかりそうなら腕を掴んで避けさせる。罵倒しながらお世話していた。周囲は羨んだりなんだりしてたが、俺には介護されてる老人を彷彿させた。微笑ましいを通りすぎたのは、しっかり被害を被ったことがあるからだと思う。
荒井は美少女の世話を焼く傍ら華谷さんに絡み続けた。
傍目には両手に花に見えるが、ちっとも羨ましくない。負け惜しみではなく、心からそう思う。一人はドジっ子だし、荒井は本当に華谷さんのことを嫌っている。好きだからいじめちゃうのとは違う。それなら顔を見るたびに眉間に皺をよせて余計顔を怖くさせはしないだろう。だったら絡まなければいいだけの話なんだが、荒井の性分では無理なんだろう。
二人の不仲を決定づけたのは二学期後半のことだった。
中間試験の後に席替えをすると俺の前には美少女と華谷さんが並んだ。二人はお隣さんになったのだ。華谷さんは悪い人ではないが、他人にも自分にも厳格だろう人だから世話はしないとみた。
予想に違わず、華谷さんは彼女の世話は焼かなかった。むしろ嫌悪感を顔に出し、皮肉を言い続けていた。女王様はわりと短気な人だったようだ。
前に隣だったよしみか、そこまで遠くの席でなかった荒井は頻繁に美少女を庇っていた。俺はどちらかというと美少女に困っていたので心の中でひそかに華谷さんを応援していた。
期末試験が終わり、答案が返ってきた。華谷さんは化学で満点をとったらしい。俺は理科系全般が苦手なので尊敬する。
授業はテストの解説で終わった。昼休みになると美少女はどこに行くのか立ち上がる。その拍子に蓋のしてないペットボトルが倒れ、ジュースがテストを染めた。あげく何もないのに美少女はつまずき華谷さんを掴んだせいで共倒れした。多分今までで一番酷いドジだ。
倒れたとき華谷さんが上だったからか、周りは美少女を心配していた。おいおい、と思っていると華谷さんが先に立ち上がった。
華谷さんの目が笑っていることは少ないが、口元は大体笑みを浮かべている。だが、立ち上がったとき彼女の口角からそれは消えた。美少女死亡か、そう思った。
絶対零度の笑みさえ消え、無表情に等しい華谷さんは、いまだうずくまっている美少女の胸倉を掴み立ち上がらせた。
涙目の美少女が薄ら口を開いた瞬間。
頬を打つ音が教室に響いた。
音だけで相当痛いのが分かる。
今まで殴られた、それも女子相手なんて経験したことないだろう美少女は泣くこともできず、反動で首を横に向けたまま呆然としていた。
「いい加減にしなさいよ、この愚図」
無表情だった顔は怒りで彩られ、その声は冷凍ビームに勝るとも劣らず冷え切っていた。
「お前には学習能力がないの? それともなあに、脳みそがないわけ? この前も人の教科書にお茶こぼしかけたじゃない。よく高校生になれたわね」
激昂して罵って責めたら美少女もまだ楽だろうし、野次馬の俺達もいくらか気分が楽だが、平民のことを考えない女王様はさすがで、淡々と嫌味を吐いている。
「ふざけた真似も大概にしたらいかが? そうやってすぐ涙を浮かべて、泣いたら許されるとでも思ってるのかしら。お前ごときの涙で一体何が変わるの? まるで幼児だわ」
「華谷さん、ちょっとそれはひどいよ。和田さんだって悪気があったわけじゃないんだから」
平民が囚われの姫様を救うために口出しをしたが、相手は三倍返しの女王様である。敵うはずがない。
華谷さんはどうしてか絶対零度の笑みを浮かべ始めた。ストレスメーターが振り切れたのだろう。
「だったらなんだと言うの? 悪気がなければ許されるの? なら私がうっかり彼女を階段から突き落としても許されるのかしら」
「そんなの……」
「まだ何か? いっそお前のテストも引き裂いて窓から捨てましょうか? それとも掲示板にでも貼り付けましょうか、赤点の白井君? テストだけでなく頭も真っ白なようね」
白井は押し黙った。これ以上話しても白井の心の傷が深くなるだけだ。
「ごめんなさい」
囁くように和田さんが言う。小さい声なのに教室全体にいきわたった。
「もしかして許されると思ってるの? だったら私のテスト元通りにして下さる? そしたら考えてあげてもよろしくてよ」
ここでようやく勇者、またの名をお世話係が参戦した。
「テストが濡れてちょっと転んだだけだろ、怪我だってしてねえし。許さねえとか、どんだけ心が狭いんだよ」
「また第三者が口を挟んできたわ。和田さんってずいぶん人気者なのね。観客がわあわあとさながら動物園だわ。で、心が狭い、だったかしら。私が隣にいる程度で教室を去るような人には言われたくない言葉ね。狭いのは自分の心の間違いじゃなくって」
「あ? 誰が見たって心がちいせえのはお前だろ? 和田だって謝ってんだろ、いい加減その手放せよ」
「あら、放したらお前達で取り囲んで手を出せないようにするつもりでしょう、嫌よそんなの。そもそも謝って許してもらえるなんて大間違いだわ、ならなんのために警察がいるの? 謝るくらいなら日頃からもっと注意すべきじゃない? でも、まあ仕方ないのかしら、一人じゃ何もできないんですもの。寝たきりの老人の方がよほど役に立つわね」
介護の風景を浮かべていたのが俺だけじゃなくて少し安堵した。
俺に荒井の沸点や地雷は想像つかないが、今の言葉でスイッチが入ってしまったらしく乱暴に二人に近づくと和田さんを力ずくで放した。和田さんはすぐに囲まれた。窺うに泣いているらしい。
荒井は華谷さんの目の前に立ち、不良を相手にするように睨みつけた。華谷さんはまったくひるまず、口角を上げたままだ。
「てめえ、何様のつもりだ。入学してからずっと上から目線でよお、地球は自分を中心に回ってるとでも思ってんのか?」
「何様も何も、私は私だわ。私は自分がやりたいようにやってるだけ。お前と一緒じゃない」
「ああ? てめえと一緒にしてんじゃねえぞ。俺はてめえみたいに自分が上だなんて思っちゃいねえ」
「そりゃそうでしょうよ、お前はせいぜい中の中、私とは違うわ。実際に私はトップなんだもの、上だと思って何が悪いの」
華谷さんは鼻で笑ってそう言った。事実なだけに周りは閉口している。
「てめえは頭がよくて運動ができるだけだろ。何が上だ、てめえにお友達はいんのか?」
「お友達? ああして周りを囲む奴をお友達と言うの? 私はてっきり取り巻きだと思ってたんだけど。ああ、お世話係の方がよかったかしら」
華谷さんが断然有利ってわけでもないのに、彼女は不敵に笑う。荒井は顔をますますしかめた。
「てめえ」
低い声が地を這うようだ。
荒井はきっと女子供には手を出さないタイプの人間だ。けれど華谷さんには我慢がならなかったらしい。荒井は彼女の胸倉を掴んだ。華谷さんの表情は変わらない。
「いい加減にすんのはてめえの方だ。ああやって他人を傷つけて楽しいか」
「勝手に傷ついてるのは向こうだし、私が傷つかないとでも思ってるの? 私だってテストがあんなになったからひっぱたいたのよ」
「だからって言い過ぎだと思わねえのか。まるで冷血人間だな、血も涙もなきゃ心もねえのか」
「言い過ぎ? ばかばかしい。お前みたいなのが助長させるんだわ。一人では何もできなくて迷惑かける彼女は悪くないとでも言うの? そうして庇うからあれは成長しないのよ。今までもああして世話を焼かれてたんでしょうね、だから幼児レベルなのよ。試験だって真面目に受けたかどうか。面接で泣き落としでもしたんじゃなくて」
確かに和田さんの頭はそれを疑うくらいには悲惨だ。それでも、今の華谷さんの言葉は言い過ぎだった。荒井に殴られてもおかしくないくらいに。
女子相手だから手加減したんだろう、荒井は華谷さんがしたように思い切り平手打ちした。
風船がわれるような後、しばらくして華谷さんは荒井を睨みつけた。今まで見たことのない顔、目に怒りを浮かべ唇を噛むように真一文字に結んでいた。
大きな音がしたわけではないが騒ぎを聞きつけた先生が教室に来た。先生の姿を見た荒井は華谷さんを下ろした。
先生がどんな判断をしたのか分からないが荒井は一週間の停学になった。
それ以来和田さんは華谷さんと距離をおくようになった、精神的にも物理的にも。いつも怯えているのが目に見えて分かった。
荒井が絡むのは変わらなかった。けれど以前とは違い、もっと暴力的に、より凄惨な言葉をあびせるようになった。その姿は、狼が獲物に噛みつく様にも似ていた。
華谷さんは荒井を恐れることなく、お返しに罵倒していた。もはや言い過ぎるとか考えていそうになかった。だが華谷さんの顔にあった笑みは薄くなった。いつ切れてもおかしくない、張りつめた糸の雰囲気を感じた