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黄金の夜明け前~畏歴二千年前史~ 上  作者: ノウェル・ウィチタ
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キルヒナ王国

 皇女のうち末子である十二女キルヒナが建国した国である。


 シャンティラ大皇国の皇家には、皇統を守るために作られた、様々な慣例があった。


 その制度の中に、女皇は生涯未婚というものがある。

 夫を持たない代わりに、必ず複数の情夫を持ち、女皇は彼らと情を交わすことで跡継ぎを残していた。


 なぜ、そのような猥褻ともとられかねない不可思議な制度があったのかというと、夫が摂政となり実質的に王権を握ることを恐れてのことだったらしい。

 女皇がなんらかの事情で死亡してしまった時は、跡継ぎの実娘が年少であった場合でも、この制度によって男性が実権を握ることを防ぐことができる。


 そういった様々な慣例のおかげで、皇家は騎士たちの干渉を受けず、長年の皇統を保つことができたのである。


 だが、実際には慣例が完全に守られていたわけではなく、歴代の女皇たちの中には、複数の情夫と関係を結ぶのを嫌う者も多く、実質的な夫を持つ者のほうが多数派であった。

 その場合でも、公的には複数の情夫がいることになっており、夫の政治的権力は抑圧されていた。


 しかし、そういう環境下にあっても、子どもは父親を知りたがった。

 思春期に至った皇太女たちは、やはり自身が片親の子であることに不安を感じるものであったらしい。


 そこで取られていたのが、女皇がこっそりと父親を子に教える。という方法であった。

 これは公式の声明や文書ではないので、王女が後に女皇になっても、ここで指名された父親は肉親としての権利は生じない。


 末子であったキルヒナは、そういった経緯から、シヤルタと姉妹になった。

 母親であるミティラから、同じ男性の名を父親として伝えられたのである。


 この姉妹は純粋にそれを信じ、正真正銘の姉妹として、十二姉妹のうちでは特別に仲の良い関係にあった。


 そのような彼女たちは、皇家遺子会議では、互いに協調して弁舌をふるい、当時辺境であった白狼半島をまるごと手に入れ、二人で分割をした。


 2000年当時には、1952年に行われた第十二次十字軍において、建国以来初めての国境侵犯があった。

 この戦争では、二つの隣国の南のほうである、ティムナ王国が主に攻められた。

 このとき、南部の半島の付け根にあるヴェルダン大要塞が初めて利用され、進撃を拒んだ。


 1978年の第十三次十字軍では、二つの隣国の北のほうにあるダフィデ王国が攻められた。

 この時、ヴェルダン大要塞は迂回されたが、半島内部への進撃ではなかったために、十分な後背地が広がっており、要塞は有効に働かなかった。

 ヴェルダン大要塞は、この二度の戦争でその機能性を発揮した。


 ヴェルダン大要塞の建設は1933年に始まり、それ以前はヴェルダンの大岩とかヴェルダン大採石場などと呼ばれていたらしい。

 その歴史は畏歴紀元前にまで遡り、ヴェルダンの大岩は建材や敷石の切り出し場として有名であった。

 1933年当時、ヴェルダンの大岩はかなりの部分が削られていたが、未だに大きく、長年の切り出しによって周囲はそそり立つ岩壁になっていた。


 十字軍の脅威から、キルヒナ王国はヴェルダンの大岩の要塞化を決定し、要塞設備の建設に入る。

 といっても、石切りをする場所を指示して、形を整えながら、切った石を積んで最上部に簡単な城壁や兵舎を作るだけの作業であった。


 つまり予算のかからない簡単な築城であったのだが、この方法で作られた要塞は堅牢であった。

 単なる城壁と違い、山そのものが壁になっているため、叩けば壊れるというものでもなく、かといって山城とも違い、裾に傾斜がついているわけでも表土があるわけでもなかった。

 長年の石切り作業によって裾は切り立っており、これは人が手を使って登れるものではなかったし、高さもあったために生半な攻城塔では背が届かなかった。


 大要塞が三回目に使われたのは、2008年のことであった。

 当時、フリューシャ王国では三年続いての豊作があり、穀物の物価が下がっていた。

 十字軍の参加諸侯にとっても、ヴェルダン大要塞の厄介さは承知の上のことであったので、その年は特別に対策が取られた。


 その対策とは単純なもので、端的にいえば兵糧攻めであった。

 その年の十字軍は、例年の倍の量の兵糧をフリューシャ王国で買い付けると、野戦でキルヒナ王国軍を破り、要塞に逃げ込ませて包囲した。

 当時はシャン人国家の常識として、クラ人には大陸北部の冬は厳しいため、十字軍は夏に来て冬には撤退する。という先入観があった。

 そのため、ヴェルダン大要塞は夏から冬までの籠城を目的に設計されており、ろくに兵糧の備蓄庫がなかった。

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