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シンクロレイニー

作者: 有栖川紗菜




あめふりのひには。




折角、今日一日は仕事が休みになったというのに生憎の天気だった。残業続けの日々が休止し久しぶりにのんびりDVD鑑賞でもしようと近場のレンタルショップへと歩いた帰りで溜息が溢れる。念の為折り畳み傘は用意していたのだが…雨が降り出すとどうも気分が落ちてしまう。


20代の自分はきっと輝かしい未来を生きているだろう。なんて思い描いていた頭の軽い自分を殴ってやりたい。現実はそう甘くなくてこの社会で生きていくことはとても難しいんだぞ、と。甘い恋愛なんて二の次。素敵な恋はそのまた次。楽しいことはいつだって後回しにしなくちゃいけない大人は本当につまらない。


傘を差して雨音へ耳を済ませてみた。地面へ落ちて微かな音を立てる光の粒。木々へ降り注ぎ草花を揺らす光の粒。傘へと落ちてメロディーを奏でる光の粒。全てが合わせってまるで合奏会のよう。20代、サラリーマンの男。頭の中はお花畑ってか…なんて居た堪れない気持ちになりながら空いている手で頭を掻いた。ふいに地面を見ると目の前を歩く真っ赤な靴が目に入った。真っ赤な靴に黒のソックス。目線を上げていくとそれは高校生くらいの女の子だった。部活終わりなのかここら辺の制服を着ていて靴と似た色の赤い傘をくるくるくるくる回している。やけにご機嫌で時折鼻歌交じりでスキップを踏む。水溜まりが跳ねて靴が濡れようがお構いなしとでも言うように楽しそうに歩く彼女。僕の存在に気付いていないのだろうか?コホンッと咳払いをしてみたが彼女の世界にその音は届かないようで鼻歌も大サビにはいったようだ。



(気付いた時に彼女はどんな顔をするのだろう…)


厳密にいえば彼女の顔は見ていない。サラサラと流れる肩まで伸びた黒髪が肩で弾けてる様子やすらりと伸びた手足から彼女の顔を想定しただけだ。きっとメイクは肌を整える程度で、天然もののツヤツヤなさくらんぼみたいな唇で笑って、アーモンドみたいな綺麗な形の瞳に光を灯らせ、鈴の音のような可憐な声で世界を彩るのだろう。なんて想像を膨らませながら端整な顔が恥ずかしげに色付く様子を想像する。それはきっとどの美術品にも敵わない素敵なもので……。


…って、僕は何を考えているんだ…目の前を歩くただの女子高生のことを考えて歩くだなんて気持ち悪いにも程がある。きっと、雨のせいだ。雨が降るから気分が狂うのだ。そうだ、雨が悪いのだ。僕は何度もそう言い聞かせて自分の中の彼女像を振り払う。第一、見ず知らずの女性の顔を想像するだなんていくらなんでも失礼だ。社会人をやっているのに何をしているのだ、僕。はぁ、と何度目かのため息を吐くといつの間にか合奏が終わっていることに気が付いた。傘を傾けて空を眺めると灰色の空が割れ、そこから光が漏れている。全く、迷惑な雨だ。と折り畳み傘の水を切ってしっかりと畳む。雨粒が跳ねると太陽の光を反射してまるで宝石のようだった。といっても、実際の宝石なんてあまり見たことはないけれど。傘を鞄の中へと締まったが目の前の彼女は尚もご機嫌に傘を差してスキップを踏んでいた。ふと、彼女の傘へ目を向けてみると値札が付いている事に気付いた。値札がふやけた様子はないし、もしかしたらこの傘は新しいものなのかもしれない。もしかして彼女は新しい傘を使えたことでこんなにも嬉しそうに歩いているのか…?


(それなら、雨が止んだことなんて知らせずにいよう)


きっと、もうじき太陽の光が虹を作り彼女は顔を上げるはずだ。新しい傘を使う時間が終わってしまったとしても神秘的な虹を見れたことでまた幸せそうに鼻歌を漏らすはずだ。なんて想像をしている自分に気付き、首をブンブンと振る。「この変態」なんていう罵り言葉が聞こえてきた気がして冷静を装いながらまだまだ濡れた道をテンポ良く歩いた。


木々の隙間から溢れる光。彼女の傘がキラキラと輝く。


「ああっ!雨、止んでるっ!」


想像していたより遥かに幼い声。パタパタと慌てたように傘を閉じるから此方へ雨粒が飛んできた。思わず声を漏らすとビクッと肩を震わせてこちらを振り返る。


メイクはやはり肌を整える程度で。

目元は愛らしいアーモンド形で。

唇はピンク色に色付いたツヤツヤなもので。

恥ずかし気に頬が上気していく姿は余りにも無垢で美しい。



「もしかして、ずっと後ろにいたんですか…?」


「ずっと…いました、よ…?」


「は、鼻歌とか、スキップとか…」


「思いっきり聞いてましたし、見てました」


ピタリと立ち止まって再び目を見開き、目を伏せた。もしかして、落ち込んでしまったのか…?あの鼻歌は人に聞かれて困るものだったのか…?あれこれ考えて慰めようと手を伸ばしたらゆっくりと顔を上げた。肩まで伸びた黒髪がサラサラと揺れて肩にこぼれ落ちる。


「雨の日、好き、なんです!」


上気した頬は変わらないのにそんな風に笑ってみせた彼女の表情には偽りと言う言葉があまりにも不似合いだった。僕が首を傾げると顔を崩したように綻んでその場でくるくると回る。


「全ての音がまるで合奏みたいでそれに乗って鼻歌を歌ったりスキップを踏んだりするくらい世界が輝いて見えるから…それに…」


「見てください!」と大空へ指を指す。まるで水性絵の具を水にそっと入れたような淡い色達。七色の色がそれぞれ存在したそれはやはり自然の神秘であると思えた。


「お空で絵の具が溶けてます!」


不思議なくらいにシンクロする考え。

僕が素直になれない分、彼女は………

ああ、この子は本当に幸せそうに笑う子だ。


この子が明日も明後日も素直に笑えたらいい。素敵なものを素敵だと誰の考えにも染められることなく口に出来たらいい。捻くれた大人の世界になんて足を踏み込まなければいい。雨の日も怠い日も辛い日も全てをプラスに変えることができる世界が広がっていればきっとこれから先幸せが続くだろう。



明日からまた仕事が始まる。上司にコキを使われて、部下の失敗を何とか持ち直して、打ち合わせ先の相手に媚を売って、同じ職場の女性に不快に思われないように控え目に生きるような退屈で苦痛な日々。また明日も雨が降るかもしれない。それでも……



「あっ!お兄さんが幸せに笑ってる!ふふふふ…なんだか嬉しいです!」


「君は、初めから笑ってたじゃないか」


「それも、そうですねッ!」



君のその穢れのない笑みを知ったから。

雨の日だけの特別な事を知れたから。

その後にはお空で絵の具が溶けるから。



君が嬉しそうに笑うなら、僕もこの日々を笑ってみようかな。





きみがわらうから。

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