貴方のハートにダブルブル
「はいはーい。朱音さんに任せっきりでは怒られちゃいますからね。お仕事しないと。」
笹塚がにこやかに言い、出席を取り始める。
その間も声は潜めつつ話しかけてくる足利。
「気づいているとは思うが、このクラスは結構特殊な連中が集まってる。」
「ああ、お前とかな。」
「ハハハ、馬鹿言うなよ俺以上にまともな奴なんてそういないぜ?」
「は?」
「え?」
「いや……」
周囲の3人、昴に比佐鷺とその前席の女子が即否定の声を挙げる。
「武志君も……その……普通、ではないかな。」
「うん、むしろ結構あっちサイド。」
「だ、そうだ。」
「ウゴゴゴ……」
呻き声を上げる足利。
「ああ、私は早鷹こころ。剣道部。よろしく。」
斜め前の女生徒が挨拶する。
ウェーブがかった栗色のショート。
ダウナー系といった感じで、どこかやる気なさげ。
「ああ、よろし……」
挨拶を返そうとして、気づく。
眠たげに半分に開いた眼には、しかし確かに不審、警戒の色。
その眼は昴の顔ではなく、胸の辺りを見つめている。
「……何か?」
「いや、別に。」
そう言って、にべもなく視線を外す。
そのまま正面を向いた。話は終わりのようだ。
(なんだ?何かへまをしたか?)
思考を巡らせるが、答えは出ない。
取りあえず気にはしておく。
そうするうちに、足利が復帰した。
「フッ、そう言うならこのクラスのアレさを紹介してやろうか。そうすれば俺など全然普通だと分かるはずだ!」
それは助かる。
色々と聞きたいことが多すぎるので説明があるならばありがたい。
――――――――――
「まずは委員長だろうな、朱音香。由緒正しい華族の家系だ。天宮学園は戦前にできたらしいが、その当初から朱音の家の子供は代々ここに通ってるらしい。」
出席番号一番の朱音は凛と通る声で先生に応える。
その顔の紅仮面が陽光を反射し、光った。
「…それで、あの仮面はなんなんだ。」
「さぁね、本人はファッションだって言ってるが…なんかコンプでもあるのかね。」
「そもそも許されているのか?」
「当前。朱音家は議員官僚警察検事裁判官etc、無茶苦茶権力組織に食い込んでる超エリート貴族よ。そこのご息女に意見できる奴は命知らずってもんだ。」
「……その割には結構フランクだが。」
「本人は結構話の分かる奴だぜ?ノリもいいし。」
「そうだね、香ちゃんは優しい子だよ。ちょっと見た目で勘違いされがちだけど。」
(ふむ、勘違いされてまで仮面を着け続ける理由がある、か。)
「委員長に限らず、この学園では結構なレベルで自由が保障されてる。それもまぁ、言っちまえば下手に生徒を縛ってクレームが付くのを恐れてるわけ。」
「なる程、生徒の保護者の権力規模の巨大さを警戒しているということだな。」
「それにしたってここはちょっと自由すぎるがな。笹塚先生の器のデカさ故か……」
――――――――――
「宇佐十蔵君。」
「はい。」
先生に答え手を挙げる宇佐。
赤の眼が爛と光る。
その髪は雪のように白く、また肌も同様に白がかっている。
しかしそこに病弱さは見られない。
アスリートのような無駄のない引き締まった体をしているせいだろうか。
「宇佐十蔵、アイツは陸上部だ。走る競技じゃ絶対に負けない。自動車も普通に追い越すって噂がある。あと耳も良い。好物は人参だ。」
「……やっぱり兎だよな……」
昴が呟いた瞬間、ぐるりと宇佐の首が急回転した。
「!?」
息が詰まった。
そのままきょろきょろと周囲を見渡し、首を戻す。
「……な?マジで耳良いんだって。特にさっき龍宮が言ってたアレは止めとけ。一瞬で距離詰められて跳び蹴りが来るぞ。」
「あ、ああ。そうだな……」
息を潜めて観察する。
「アルビノは日差しに弱いと聞いたが。」
「大丈夫みたいだよ?夏の日差しでも平気で走ってたから。」
「微塵も日焼けしてないな……」
席に着いた後、ポリポリと人参スティックを頬張る姿は
やはりどう見ても兎だった。
――――――――――
「篠原蓮司君。」
眼鏡を掛けた男子生徒が本を読みながら挙手をした。
その本は官能小説であり、それを隠そうともしない。
「蓮司は、まぁ見ての通りだ。公衆の面前でエロ本を堂々と読む尋常じゃないメンタルは正直凄いと思う。」
「お前も堂々と幼女趣味を公言してるじゃないか。似たようなものだろ。」
「おまッ……割と言う奴だな……」
「あはは……篠原君は工作部だよ。機械に凄く強いの。」
よく見れば、篠原の手は黒ずんで汚れている。
油汚れの名残だろうか。
「なんかぶっ壊れたらアイツに持ってくとすぐ直るぞ。金取るけどな。」
「それでも店に比べたら良心的だよ。私もこの間MD直してもらったよ。」
――――――――――
「……次、龍宮竜子さん。」
「はいはいはいはーい!龍宮竜子、元気です!」
出席確認に応え、必要もなく立ち上がる龍宮。
ポニーテールが宙を泳ぎ回る。
隣の宇佐が又うるさいと文句を言い、それでも気にせずキャッキャと笑う。
「龍宮竜子、2年だが空手部の主将だ。ここの空手部は現行の主将を倒せば襲名できる制度になっててな。龍宮は前主将をワンパンKOだったらしい。」
「それはまた……」
「龍宮はこのクラス、いや学園でおそらく物理最強だ。おつむの方はお世辞にもよろしくないが。」
「それは分かる。」
「竜子ちゃんの家も空手道場でね、「一撃必殺流」っていう流派だって。」
「……非常に分かりやすいネーミングだな。」
家全体がそういった馬鹿の家系なのだろうかと、幾らなんでも失礼すぎる想像をした。
――――――――――
「西神井澄さん。」
「はぁーい。」
間延びした声で応答する女。
座った姿勢からでもよく分かる体の起伏。
抜群のスタイルの良さである。
程よく出て、程よく引っ込む。
胸、腰、脚、どこを切り取ってもそれ単体で完成されたバランス。
正直人間離れした、彫刻めいた美のイメージが先行する。
だがそのモデル顔負けのプロポーションも、頭から被った真っ黒のフードで台無しだ。
胡散臭さが丸出しである。
なぜかニヤニヤ笑った表情も気味が悪い。
「ああ、西神か……。アイツはよく分からん。ここらで西神なんて家は聞かないし本人もあんまり自分の事喋らんし。ぶっちゃけちょっと苦手。」
「でもスタイルは凄くいいし顔も綺麗だからかなり人気だよ。告白も何度もされてるみたい。」
比佐鷺は西神を見て溜息をつく。
その眼はどこか熟んでいるように感じた。
「同性も虜にする肢体、というわけか。」
「えっ、」
「冗談だ。」
「あっ、そ、そう……」
ふと、耳に入る異音。
ギリギリ。ギリギリ。
「……どうした早鷹。」
「ッ、なんでも無い。」
そう言いつつも歯ぎしりを辞めない早鷹。
視線は西神に固定されその眼は苛立ちで波立つ。
「……何かあったのか?」
比佐鷺に小声で尋ねる。
「う~ん……まぁその、色々と。」
足利は気にすることなく西神のネガティブキャンペーンを続ける。
「はッ、スタイルが良くても中身が伴ってなきゃな。所詮その告白男子達も体目当ての薄野郎共だろ。そういう奴にはそういう奴が集まってくるのさ。」
「……何かあったのか。」
「単に自分の好みの真逆だからじゃないかな。」
「そこは言い切れるのか……」
――――――――――
その後、足利と比佐鷺によるクラスメイト寸評会が続き。
出席を取り終える頃にはほぼ全員のクラスメイトのプロフィールが昴の脳内にインプットされた。
(多分に主観が入っているから確かなものではないが、十分だ。)
彼らを上手く活用し、比佐鷺柚葉を陥落させる情報を揃える。
男の立場で聞けないならば、女に聞いてもらえば良い。
そう、躊躇いなど無い。使える物なら何でも使う。無手の名の通りに。
(……落ち着け。いつもとは違うんだ。殺す必要は無い。罪悪感など……)
昴は自らの内より湧き出る感情を理解している。
あろう事か、もう既にこのクラスに愛着を覚えてしまったのだ。
確かに変なクラスだ。経験が無くても分かる。
転入生が来てるのにラーメン食べてたり将棋打ってたり官能小説読んでるようなのが普通だったらこの国の教育機関は一から立て直すべきである。
だが、彼らの中には。
異邦人である昴に対する拒絶の感情は無かった。
(……ごく一部にはそうでもないが。)
早鷹を横目でチラと見る。
理由は不明だがなぜか敵視されている。
しかしそれは、敵意ではあっても殺意では無い。
多少虫が好かない程度のかわいいもの。
昴のこれまでは、悪意と殺意と害意の坩堝であった。
ヤクザの専属として時に陰から狙い討ち、時に正面から臓腑を抉る。
そしてそれらは跳ね返る。
全く姿を消すことなど出来ない。
待ち構えられて返り討ち、という事も一度ではない。
現在生きていられるのは単に悪運の強さだ。
昴の存在は、鞍馬のヒットマンとして裏界隈で恐れられている。
その個性的手法はおそらく末端ヤクザでも知っている。
当然彼らは恐れる。いくら味方であっても、両の指で足りないほど殺した奴と仲良くしたくは無いだろう。鞍馬の皆は変人ばかりなのでそうでもなかったが。
つまり、昴は拒絶されないことに慣れていないのだ。
「自分を知らず、なおかつ警戒しないような人間」に出会った事がないのだ。
こんな風に親しげに話してくるような奴に。
笑いながら質問に答えてくれるような奴に。
(あれか。モテない奴が偶然女に話しかけられただけで惚れるようなものか。)
自嘲する。これでは全く逆ではないか。
「はい、それでは連絡事項は以上です。今日も一日頑張りましょうね。」
そう言って笹塚は教壇を降りる。
朝のHRはこれで終わりのようだ。
「伏見君、分からないことがあれば遠慮なく。皆も聞かれたら答えてあげてくださいね?」
その声に真っ先に答え立ち上がるポニーテール。
「はーい!ヘイすばるん!言ってみたまえ!質問があるんだろう!さぁ!早く!カモン!」
「龍宮ァ!」
「なんだ、十蔵も聞きたいことがあるの?仕方ないな~」
「うるせぇっつってんだろうが!耳に響くんだよお前の声!」
「お前もな……」
「そうだな……初心者にはこの逆襲の淫乱メイドシリーズが……」
「誰が官能小説のおすすめを教えろと言った!」
「ふむ。じゃあ振り飛車のコツでも教授してやろうか。」
「じゃあ俺は投球のコツでも。まず砲丸を用意する。」
「止めろォ!それでピッチングできるのはお前だけだ!」
「よし、伏見!近所にいいトレーニングジムが有るぞ!良かったらそこで一緒に鍛えようではないか!」
「ちょッ、マッチョは今の所マイナージャンルだから辞めて!書きづらいし!」
「突っ込み所はそこじゃないでしょ。」
ぎゃあぎゃあとまた騒がしくなる教室内。
それをうるさいと感じながらも笑ってしまう自分を自覚せざるを得ない。
これでは暗殺者どころかヤクザですら無い。
「え、えっと……じゃあ私はフルートの吹き方を……」
「乗らなくていいぞ比佐鷺。」
おずおずと言い出した比佐鷺を抑える。
収集が付かない。
「あ、えっと。比佐鷺って言いづらいでしょ?柚葉でいいよ。」
まただ。そうやって無造作に距離を詰める。
警戒心がまるで無い。
これでは実に簡単に騙されるだろう。
鞍馬の抱えるホストの連中なら、指名順位ビリの奴でも容易に落とせる。
そしてそれは、昴にとって好ましくない。
「……そうか?ではよろしく、柚葉。」
そう、これは仕事だ。
鞍馬とイグレットのパイプを作り、勢力拡大の足掛かりとする。
(これは、俺が受けた仕事だ。受けた以上、誰にも渡さない。)
この気持ちは、恋ではない。仕事に対する義務感だ。
柚葉に対する、この、これまで未経験の感情は、恋ではない。
なぜなら、ジゴロは標的に惚れてはならないのだから。
「うん。よろしく、昴君。」
だから、この笑顔を見せられたところで何の問題もない。
心に凄まじい熱を感じたが、錯覚だ。
昴はそう自分に言い聞かせ、顔の紅潮を抑えるのに必死であった。
【比佐鷺柚葉】
17歳、天宮学園2年生。
吹奏楽部で楽器はフルート。
イグレットグループ代表比佐鷺暮葉の一人娘。
その立場故、幼少より様々な男に言い寄られている。
だがその度にことごとく振っている。
和食党。