ヤクザミッション
昴は、開いた口を塞ぐのに時間を要した。
「あの、落とすってその、意識的な意味で?」
「違うわ、言っただろ惚れさせろって。お前の虜でメロメロでア~ン抱いてッ!な状態にすることだよ。」
「いや、あの、ちょっと待って下さい。」
「比佐鷺柚葉は現在、私立天宮学園に在籍。そこの同じクラスにお前をねじ込んだ。明日からそこに通え。学園近くに部屋も用意した。」
「待って」
「こちらの協力者として、うちの組の奴を教師として潜り込ませてある。あとはまぁ、必要に応じて何人かつける。協力して事に当たれ、あと」
「待てやァアアア!!」
昴は叫んで肩を怒らせる。
いくら組の所有物だといっても怒るときは怒る。
天汰は苦笑。
「いやぁ悪い悪い。お前の反応が面白くてつい。」
「全く…タチの悪い冗談を…」
「因みに仕事自体はマジだから。」
「」
再び呆ける昴。
その後しばらくして復帰した昴は、数ある疑問の中で一番の事を聞いた。
「えー、その、何故俺なんでしょうか。もっと適任な、うちの系列の店のホストとかでいいんじゃないですか?」
「まぁ待て、順を追って説明しよう。雲雀、ほれ。」
天汰は秘書の雲雀に指示を飛ばす。
雲雀は数枚の書類を取り出し、デスクに並べた。
「まず、比佐鷺柚葉。こいつはかの大企業、イグレットグループ現代表の比佐鷺暮葉の一人娘だ。」
イグレットグループ。
主に運送業を手掛け、近年急速に成長した大企業である。
個人間から企業、組織間。国家間の輸送も手掛ける節操無し。
現代表の比佐鷺暮葉は、優れた経営手腕を持つ女傑。
その形振り構わぬ手法により、数々の同業他社を買収。
政府筋との関係も密だという噂も囁かれている。
現在の業界シェアは40%にまで迫り、今やイグレットは「日本の血管」とまで呼ばれる程だ。
「そのイグレットだが、最近業界も打ち止め気味でな。新しい市場を開拓したがってる。」
天汰は一枚の書類を手に取る。
そこに書かれるのは、イグレットの目指す新天地、新市場。
「銃器、爆薬、臓器、麻薬、その他禁輸品諸々。そいつの運搬に連中は一枚噛みたがってんだ。」
「…それは、かなりの金が動くでしょうね。」
これまでそういった裏商品の取引は裏でこっそり、が基本だった。
なにせ見つかったら終わりである。慎重にもなろう。
何も知らない運び屋を複数雇ってダミーを混ぜつつ何回にも分けて行う、
といったかなり無駄なコストを払う必要があった。
だが、この作業を一手に引き受け。
見つかった際のリスクも被ってくれるようなシステムがあったなら。
「おう、皆喜び勇んで飛びつくだろう。現在のイグレットは桜田門組ともズブズブ、かなりの無茶も押し通せる。」
「…それは、会社全体の方針ですか?」
「NO。こんな大企業が一枚岩なわきゃあ無い。代表の比佐鷺暮葉は真っ当だが、まぁその他に色々、虫が潜んでるわけだ。」
元々、イグレットは親族経営であったが昨今の急成長に伴い経営陣も増強する必要があった。その過程で、邪な思想の下種が混ざったのだ。
「んで、その虫の方々はそういう商品の扱いのノウハウが知りたい。つまり俺たちみたいな連中とのコネクションが欲しいって訳だ。」
ここまで言えば、昴にも察しが付く。
「俺に、鞍馬とイグレットの橋渡し役をやれと言う事ですか。」
天汰は口角を吊り上げ、指を鳴らす。
「Exactly。察しが良くて助かるぜ。これが成功すれば鞍馬はイグレットにぶっといパイプができる。規模も超巨大化するだろうさ。」
だが、昴には新たな疑問がまた浮かぶ。
「普通、企業の令嬢ともあろうものなら許嫁ぐらい決めてそうなものですが。」
「それがな、家訓にあるらしいんだが恋愛は自由だそうだ。確かに珍しいが。」
「…それで、何故俺なんです?もっと適任が…」
「ふむ。教えてやろうか。まず、同年代だという事。年が近けりゃ口説きやすいし、この組に彼女と同年代の男はお前くらいだ。」
「この子が年上趣味だったらどうするんですか。」
「大丈夫だろ、お前なんか達観してるから年上っぽく見えるって。」
「なんか言ってること矛盾してません?」
天汰は無視した。
「次、同じ学園に通える事。送迎は車、外出にも護衛がついてる。口説けるのは学園の中だけという訳だ。」
もっともな理由だ。
頷きかけたがいやいや、と昴は留まる。
「そもそも、別に今口説かなくても。卒業してからでいいのでは…」
「そんな悠長な事してたらすぐ他に掻っ攫われるわ。ただでさえイグレットの跡継ぎってのは垂涎の代物、未成年って枷が取れたらそこかしこから網が飛んでくるぞ。今しかないし、お前しかいないんだ。」
「うッ…」
言葉に詰まる。
理解できる。これは大きなビジネスだ。
昴にとって、鞍馬組は自分の持ち主であると同時に。
あの施設から連れ出してくれた恩人である。
幾人かの構成員とも知り合い、交流もある。
組の為に出来ることがあれば喜んでするし、そうしてきた。
「で、ですがね…女の子を口説いたことなんて一度も…」
「大丈夫だって。女って馬鹿だから押し倒して耳元で愛の言葉でも囁けばすぐに落ちるって。」
「隣に女の人いるのによくそういう事言えますね…」
雲雀は無反応である。
この人の事は良く分からない。
昴がここに来た頃にはもう秘書をやっていた。
それから今までの間、碌な表情の変化を見たことが無い。
年中鉄面皮である。
「ま、お前が駄目でも18になったらうちの抱えのジゴロで何とかするさ。競争率は跳ね上がるだろうがな。」
言いながら、天汰は2本目の葉巻を咥える。
その眼は、真っ直ぐに昴を射抜く。
思わず背筋が伸びる。
「断っても構わんぞ。まぁお前には荷が勝ちすぎるな。所詮殺しだけが取り柄の木偶だって事か。」
「…ッ、」
反論は、できない。
天汰の言う通り、自分は殺しだけしか取り柄が無い。
その事に疑問はあった。なぜ自分はこんな事をしているのか。
だが、その疑問を深く追及することは無かった。
考える間もなく、次の標的を殺し殺し殺し殺す日々。
だが、この仕事なら。
殺す事以外で自分の価値が見つかるかもしれない。
「…やります。やらせて下さい。」
昴は真っ直ぐ天汰を見返した。
その眼を見て、天汰は笑った。ニヤリと。
「ハッ、良いぜその眼。いつもの殺す前の眼とは大違いよ。」
覚悟は決まった。やってやるとも。
俺は殺し屋からジゴロになるのだ。
そう息巻いたところで、昴は最後の疑問をぶつけた。
「ところで、よく学園にねじ込めましたね。俺、戸籍無かったはずですけどどうしたんですか?」
「ククク、ヤクザ舐めんなよ。ほれこの通りよ。」
天汰は一枚の書類を投げてよこす。
それは寸分違わず偽造された戸籍だった。
偽の住所、生まれ、経歴。
名前の欄には「伏見昴」。
「ん?伏見?」
「ああ、お前俺の養子ってことにしたから。」
「は?」
「パパと呼んでくれてもいいぞ。」
「ハァ!?」
かくして。
ヤクザの養子となった少年の苦難はまだ続くのだった。
【伏見昴】
17歳。
ヤクザ組織鞍馬組の専属暗殺者。
孤児であり、少年傭兵教育施設で戦闘技術を学びながら育つ。
5年前に「出荷」され、鞍馬組に買われる。
同施設の少年達が精神を磨耗させて殺人機械になっていく中、唯一人間性を失っていない。
好物は鮭握り。
今回の任務が決まってから、少女漫画を読み始めた。