04
何故、一体いつの間に居たんだろうか?
僕は眼前に――寸前で僕を食べようと涎を垂らす狼を見ながら声も出せずに瞑想していた。
走馬灯が見える。
殺される人達、破壊される美しい街、落とされた国旗、掲げられた国旗、死に逝く母の姿、決心した今朝のこと・・・父の姿は全く思い出せないし存在を知らないけれど、僕は本当に死んでしまうのか。まさかの、敵の手でもなく、旅をするまでもなく。
こんなにもあっさり狼の牙で。
―――狼の牙で?
朝の誓いも虚しく食べられて御仕舞いだというのか。
僕は我を取り戻し、思いを巡らした。
未だ、人間でなくなろうと最後まで残ったこの心には希望が未だある。
ヒドラ・アルファルド。こんな所では死ねない。気高き星の誇りは、ロノウェの民の誇りは必ずや取り戻す。だったら狼になんてやられてたまるか。『絶望の里』は程遠い。
「グルァアアっ!!!」
漆黒の狼は僕の肩に牙を突き立てた。薄い貧相な肩に肉などついていないだろうに。
「いてぇ!!」
しかし負けじと狼の頭部を押し、胴体に渾身の力で脚を絡ませ締め付ける。其処に堪らず狼が怒って脚に噛みつこうと肩から顔を離した。
(今だ・・・!)
僕は砂の上を転がって牙から逃れた。肩からは血が流れている。
だが、そんなことには構わず走り出す。走り難い砂を蹴って無我夢中で走った。隠れる場所はないので、無茶苦茶に走り狼との距離をつける他、助かる術はないと考えたからだ。
背後から雄々しいというか、喧ましい鳴き声が聞こえて背筋が凍ったけれど脚だけは止めなかった。棒になろうと、根気だけで無理矢理動かした。夜はなかなか明けず、一体何時間走ったのだろうか?分からないというより、感覚が麻痺し始めた頃。狼の出没の如くそのメシアは現れた。
「お退きなさい。」
柔らかか声と共に放たれた光。
疲労しきった僕の身体をとん、と弾いた刹那だった。
「安心なさい・・・ただの大きな狼です。」
女神の様な慈悲深き視線が僕に向けられたが、横目で確認し、小さく頷くと僕は睡魔に負けて意識を手放してしまった。
僕は何も知らないということを先ずは言っておこう。
幼い時に戦争が起きて未だ未成年だという僕は他の国のことはおろか、自分の国のことすら余り知らない。更には自分の身内のことだって。
自分の母のこと、自分の父のこと。
何も知らない。
それらを知った時僕の運命は大きく変わるだろう。
きっと信念が大きく歪んだりもするだろう。
けれどそれでも僕は僕だし、譬え人格が変わってもそれも僕だ。気づいていなかっただけで僕がヒドラ・アルファルドということが変わることは有り得ない。
この世界が何れだけ醜く汚かろうと、僕は感化され、沢山の人々に溶け込んでいく。
きっと知らぬ間にそうやって世界は在るのだから。