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お茶碗の中の七草粥、そこに入っている薺を目に思ったまま呟く。
「そうえいば、薺ってぺんぺん草のことだよね」
「……まだその話するの」
皐月は自分のお茶碗に七草粥を装いながら、じっとりとした目を声を返した。私はそれを無視して、言葉を続ける。
「知ってる? ぺんぺん草の花言葉」
「いいや」
「『あなたに全てを捧げます』」
嘘をついた皐月の目を真っ直ぐ見て、言う。嘘つきの皐月はそれでも私の目を怯むことなく真っ直ぐ見返してから、視線を自分のお茶碗に向けた。その口が笑うように軽口を叩く。
「ふうん。花言葉知ってるなんて、透子ってば乙女ちっく~」
どっちがだ。純情も青春も全部捧げやがって、馬鹿野郎が。声を尖らせて言ってやりたい言葉が胸の中で渦巻く。だけど、それは口にしない。悔しいから。
だから代わりに、自分の中で納得付けたことを口にした。
「ということで、これ全部私のだから」
「はい?」
唐突に宣言する私に、皐月が食べようとしていた手を止めて、ぽかんとこっちを見る。その顔をしっかり見ながら、私は堂々と、はっきり言う。
「この鍋の中の薺は全部、私のもの」
私が花言葉を知っているのは、真帆さんの影響だ。彼女は本当に夢見る少女のような人で、花言葉とか星占いとか、そういうロマンチックなものが好きだった。それを知っている皐月が、想いを込めて彼女に贈った花につけられた言葉を知らないはずがない。
しかし皐月は今、知らないと嘯いた。ばればれながらそれでも嘯いてみせたのは、私への思いが、皐月に素直に事実を言うことを躊躇わせたからだ。今皐月の中にある、今の皐月の私に対する思いが。
ならば、今ここにあるものは私のものだ。全て私に、捧げられているものだ。
皐月は私の表情から、私の思考を読み取ったのだろう。少しの間の後で、ふっと、目元と口元を小さく綻ばせて緩く笑う。
「焼きもちやき。まあ、そんなとこも可愛いけどね」
見慣れたその、皐月の笑い顔。変わらないようで、だけど、やっぱり変わった。そう信じている。だから。
「おだまり、元純情少年」
私は、澄まして笑ってやった。
皐月もまた、それを少し笑って見た後で、今度こそ食べるためにお茶碗に顔を向けて手を動かす。私も同じように、白い湯気を放つそれを、今度こそ口に運んだ。薄い塩味が舌に優しい。皐月の作にしては悪くない出来のそれに、にんまりと舌鼓を打っていると、皐月がはふはふと口を動かしながら、声を寄越した。
「透子、今日、泊まっていくでしょ?」
「んー、どうしようかな。車で来ちゃったし」
「駐車場代、出すよ?」
「んー」
ずるずるとお粥を口に流し込みながら、私は歯切れの悪い返事をした。明日は休みだし、用事もない。だから、泊まっても別にまあ、構わないのだが。ただ。
狭めた目でちらと部屋の隅を見やった私に、皐月がお茶碗から顔を上げて言う。
「帰るの? ええええ。今日の晩飯と明日の朝飯、期待してたのに」
ぬけぬけとそう言い放った皐月に、私は狭めていた目を更に狭めた。
「ご飯だけじゃないでしょ。どうせ、洗濯物も溜まってて、掃除もしなきゃなんでしょ? てか、あんた、去年私が大掃除してから、一回でも掃除機かけた?」
訊きはしたけど、答えは聞かずとも分かっている。部屋の隅の綿埃が無言で語っている。洗濯物だって、きっと山のように溜め込んでいるのだ。何故、洗濯機に入れてボタンを押して終わったら干す、それだけのことが日々出来ないのか、こいつは。たまの休みに恋人の家に来るたびに、掃除をして洗濯をしてご飯を作ってと、動き回らなきゃいけないこっちの身にもなりやがれ。と、心底思いはするものの。
「去年っていうけど、まだ二十日かそこらしか経ってないじゃん」
否定することなく、皐月が軽やかに言ってくれる。よくよく見てみれば目やにがついているその顔を前に、私は小さく溜息を吐いて肩を落とした。こういうのを惚れた弱みというのだろうか。それとも、世話焼き女の性だろうか。
「まあ、いいわよ。七草粥のお礼に家政婦さんしてあげるわよ」
私の承諾に皐月が、「やった」と言いながら、また七草粥を食べ始める。
皐月が家事一般が苦手なことは、今に始まったことじゃない。だからこそ、弥生さんと真帆さんが他界した後、残された真生のためにも、私はこうしてしょっちゅうこの家に出入りすることを許されてきたのだ。それは分かっているが。真生がここにいる頃は、まだ良かった。真生も別に綺麗好きというわけではないが、皐月ほど無頓着じゃなかったし、私だって、目やにをつけた中年男より、若くて可愛い男の子のためと思ったほうがまだやる気が出るというものだ。
目の前で遠い目をする恋人にも気づかずに、皐月は暢気に二杯目の七草粥を鍋から装っている。と、お茶碗にうまく入れなかったお粥が一塊、炬燵の上に落ちた。皐月は何食わぬ顔で、それをティッシュで雑に拭い取る。そして、そのティッシュ達を適当に丸めて、ぽいと炬燵の上に放置した。
その一部始終を見守って、私は不機嫌さを隠すことなく声を尖らせた。
「だーから。そうやってすぐゴミを机の上に放置しないの」
言って、皐月が拭き残したお粥の残骸を綺麗に拭い、ティッシュをゴミ箱に捨てる。それから、きっときつい目を皐月に向けた。
「あんた、真生がいなくなってから、だらしなさがどんどん助長してるわよ。今日だって、それ、顔洗ってないでしょう」
皐月は私の小言など慣れた風情で、へらへら笑いながら言ってのける。
「だって寒いし」
「寒いから顔を洗わないってあんた、どこの原始人よ。まさか、お風呂も入ってないんじゃないでしょうね?」
「大丈夫、大丈夫。昨日は入った」
「昨日はって……」
昨日までの間、何日間入っていなかったのか。怖くて訊けない。知りたくもないが。溜息を吐きながら、私は説教モードに移行する。
「あのねえ、皐月。あんた子供じゃないんだから、もう少しちゃんとしなさい。家のことも自分のことも。庭だって、ほったらかしだし。山茶花の花びらが、すごいことになってたわよ」
「ああ、うん。知ってる」
「知ってるなら、掃除しなさいよ」
ぎろりと睨む私に暢気な顔で軽く肩を竦めながらも、皐月が空になっていた私のお茶碗に七草粥を装ってくれる。それを黙って受け取りながら、私はまた溜息を零した。
「だから植えるときに言ったじゃない。山茶花は散らかるからやめなさいって」
「うん。でも、山茶花好きだからさ」
「私はあんまり好きじゃない。綺麗だとは思うけど、掃除が大変だもの。いっそ椿みたいに、ぼたって丸ごと落ちてくれれば楽なのに」
「それが、山茶花の良いところなんじゃないの」
「全然良くない」
すげなく言えば、皐月はちょっと困ったような顔で笑った。そして私を見て、微妙にはにかみながら、教えるようにゆっくり言った。
「一気に散ってなくなっちゃうと寂しがる人がいるから、そういう人のために、一枚一枚、ゆっくり散るんだよ、あの花は」
私を映している皐月の目が、柔らかく細くなる。私はその酷く優しい顔に、ただ目を奪われていた。
「寒いのに頑張って花びらを外に向けて開いてさ、侘しい季節を元気付けるみたいに一生懸命明るい色で飾って。そういう優しくていじらしいところが、誰かさんそっくりだから、だから好きなんだ、山茶花」
ゆっくり、はっきりと言い切って、皐月はまたお茶碗へと顔を向けた。私は皐月が見せた表情とくれた言葉に、年甲斐もなく気持ちがすっかり乙女になってしまって、「誰かさんって誰よ」とは、とてもじゃないが言えなかった。心臓の辺りが、ふんわりとした熱を纏っていくのを感じる。
その熱を噛み締めながら、のろのろとお茶碗に顔を戻した時、皐月が何気ない口調で言った。
「知ってる? 山茶花の花言葉」
「知らない」
嘘を吐いた。皐月は私の嘘を見抜いているのかいないのか、ふっと緩やかな笑みを浮かべる。
「まさに透子っぽいよ」
嫌味か。咄嗟にそんなことを思ったものの、どうしようもなくにやけだす口元との格闘が忙しくて、やっぱり言えなかった。
私は結構必死に口元の筋肉と戦っていたのだが、多分全然抑えきれていなかった。にやにやと一人でにやついている私に皐月が気づいて、ぶっと噴き出して可笑しそうに笑う。私は頑張って唇を噛んで、皐月を睨んではみたが、後から後から嬉しさやらくすぐったさやらがやってくるものだから、どんどん顔がにやけてしまって格好がつかない。
「いいから、ほら食べて。透子にはずっと傍で元気に小言言ってて貰わないと困るんだから」
可笑しそうに私を見ながら、皐月が言って、私のお茶碗を顎で指す。それに、しつこくにやけながらも黙って頷いて、私はお茶碗の中の七草粥を掻き込んで頬張った。なんとなくだけど、薺の味を口一杯に感じる、気がする。
それを文字通り噛み締めて飲み込んで、私は手元を見たまま、ぼそぼそと、でも聞こえるように言った。
「私って、あれだよね。どうしようもない駄目男に絆されて情だけでずるずる付き合っちゃう馬鹿な女の典型だよね」
皐月が、それを耳にくつくつと笑う。それを聞きながら私は、やっぱりにやけたまま、皐月が作ってくれた七草粥をゆっくり味わった。
こんなことで頬が痛いほどにやけている私は、本当に馬鹿なのだろう。だけど、そんな馬鹿を思って、皐月があんなふうに優しい顔で笑ってくれるなら。そうすることで、皐月の心の底にある寂しさを少しでも覆うことが出来るなら、私は喜んで馬鹿な女でい続けよう。
あんたが望んでくれるなら、私は今年も元気に始終傍で、説教でも小言でもにやけ顔でもくれてやる。だからあんたも、今年もずっと元気に私の傍で、心置きなく駄目男ぶりを発揮しなさい。
向かいで、子供のように炬燵の上を食べ零しで汚しながら七草粥を食べている皐月を見、そんなことを考える。私達を今包むのは、彼らがいた頃のあの暖かな空気に似た、穏やかな時間。
この部屋は恐らく、この先も変わることはないだろう。皐月は駄目な寂しがりやだから、それが出来てしまうほど強くはない。そして私は、馬鹿で焼きもちやきだから、多分この先も、敵うはずもない初恋の相手に嫉妬したりして、ちくちく皐月をいじめて過ごすのだろう。それでいいのだ。けして変わらないものがあるからこそ、それに見守られながら、私達は少しずつ変わることが出来て、また新たに、変わることのないものを築いていける。
この先私は、図太いおばさんから、元気なおばあちゃんになって、皐月は駄目なおじさんから、もっと駄目なおじいちゃんになるかもしれない。だけど、そうやって変わることなく変わっていく時間を、二人で共有できるのであれば、それはとても幸福なことだし、この部屋には、そんな幸福が何より似合うと強く思う。ここは、彼らがいつも明るく笑っていた、暖かな思い出の場所だから。
だから二人でゆっくり、幸福を増やしていこう。ここで、一緒に。寂しさや悲しみに負けない幸福を。
手始めに、食べ終わったら私は洗い物をして、その間に皐月に洗濯をさせよう。幸福は二人で築くものなのだから、手伝うのは当然だ。それから、私は掃除機をかけて、皐月は庭の掃除。山茶花を私のようだというならば、その花びらを片付けるのは、皐月の役目だ。寒いから嫌だと文句を言ったら、そう言ってやる。
そして夜になったら、皐月の好きなご飯を愛情込めて作ってあげよう。皐月がこの七草粥に込めてくれた愛情に負けないくらい、たっぷり愛情を込めて。
そうしていつか、二人で築いた幸福がひとつひとつ増え重なって、山茶花の花びらみたいにこの部屋を埋め尽くすといい。底にある寂しさや悲しみなんて、覆い隠されて見えなくなるくらいに。
三杯目の七草粥を食べ終わった皐月が、盛大に鼻をかむ。そのティシュを適当に丸めて、また炬燵の上に放置したところで、皐月が私の視線に気づいて止まる。私は黙ってにっこり笑う。
寒風が吹く庭では、きっと今この瞬間も、山茶花がゆっくりとその花弁を散らしていることだろう。
変わらない皐月に変わらない小言を言いながら、いつのまにか山茶花をあまり嫌いではなくなっている自分に、私はこっそり、心の中で微笑んだ。
―――【山茶花】 ひたむきな愛 ―――
精霊奇譚外伝 『山茶花』 <終>
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