EPISODE81:新たなはじまり、何度でも
――役所の朝は早い。10時から仕事が始まるものもいれば、それよりも早めの朝8時には既に到着して仕事を始めているものもいる。
更に言えば、朝日が空へと昇る頃にはもう来ているものだって存在している。そんなに彼らの共通事項は――報告・連絡・相談の3つ。略して『ほうれんそう』だ。
「おはようございまーす」
長い茶髪をくくった活気のある女性が、先に来ていた同僚や上司に朝のあいさつをした。これはできて当たり前のこと。
やや面倒くさいが、これすらできない者に社会で生きていく資格はない。あいさつをすれば友達が増える――という言い伝えがあるように、あいさつをするということはそれだけ大事なことなのだ。
「おはようございます」
「お、おはようござい……ます」
茶髪で元気のいい女性――浅田ちあきに、気品のある金髪碧眼の女性と眼鏡をかけた気弱そうな女性があいさつを交わす。
金髪のほうはジェシーという名で、紺色のショートヘアーで眼鏡をかけたほうは今井という名だ。この三人はプライベートでも交流関係があり、三人で仲良く遊びに行ったり買い物を楽しんだりしている。
「あれ? そういや東條くんは?」
「今日はお休みみたいですよー……」
今井が言ったその言葉に、「えっ」と、浅田が目を丸くして言った。近頃は月曜日と水曜日にしか来ていないとは言えども、東條健はきわめて真面目。
無断で休むことはほとんどしない働き者で、いつも笑顔を絶やさない。更によほどのことがなければ決して休まないタフネスも持ち合わせていた。
ゆえにバイトでありながら同僚の間では将来に期待が持てる有望株であり、正式採用も夢ではないと言われるほどだった。
「……なんでまた? もしかして、また大ケガしたとか?」
「そうじゃないみたいですよ」
心配そうに表情を曇らせる浅田をなだめようとジェシーが言う。このときの浅田の表情は、いつも明るい彼女らしからぬほど辛気くさくて暗いものだった。
この中では姉御肌でひときわ明るい彼女もこう見えて繊細であり、ゆえに健のことが心配で仕方なかった。最近は病院に搬送されていたりもしたからなおさらだ。
「しばらくは実家に帰ってリフレッシュするそうよ♪」
「な、なーんだ。心配して損した……」
ジェシーが笑顔でそう告げた。東條は怪我をしたわけでも何でもなく、ただ単に気持ちを切り替えるために休んだだけだと知り、浅田の表情が明るいものに戻った。
「ところで東條くんの実家ってどこだっけ?」
「滋賀県の大津市らしいわ」
「滋賀かぁ。よく何もないトコだって言われてるけど……あたし、あののどかな雰囲気っちゅーの? あの空気が好きなのよねー!」
「私も好きですよ〜。たまに遊びに行きますけど、ホントに落ち着けるよね〜」
「びわ湖もきれいですよね」
東條健の心配からはじまった話が、気づけばいつの間にか滋賀県に関する話題にシフトしていた。
三人とも実に楽しげで、そこには「気に入らないから貶めてやろう」という陰惨さも、余計な気遣いもなかった。
単に女性職員同士でトークを楽しんでいる――ただそれだけである。余計なものなどひとつもなかった。
「ヘイヘイ! ユーたち、おしゃべりしてないで仕事しなサイ!」
そんな三人の間に英語混じりの口調でしゃべる男――係長のケニー藤野が割って入った。お調子者でノリと勢いをすべてとしている彼だが、仕事に対する姿勢は真剣そのもの。
誰かひとりでもだらしない態度や行動をとっていれば即座に注意しに行く。だからこそ彼も彼なりに、周囲から信頼や尊敬を寄せられているのだ。
「かっ、係長!? すぐに戻ります!」
「す、すみませんでした……」
「申し訳ございませんでした。何をすればいいでしょうか」
「おっぷ! そんな畏まらなくてもイイね。何をしたらいいか? うぇ、ウェイト……」
いっぺんに謝られてケニーも少し困惑していた。
普段は注意したり、逆に注意をされてもお互いに軽く受け流したりしていてこういうことはあまりないからだ。
それが今日に限ってこの態度である。動揺してしまうのも無理はない。
「……ああもう! 細かいことを気にすることはナッシング!」
やがて血管がぷっつりと切れたか、ケニー係長はヒステリーを起こして怒鳴った。驚いた三人の肩が上がる。
「とりあえず待機してくらさい!」
返事をした三人は、せっせとそれぞれの持ち場につく。今日からしばらくは東條が不在、自分たちが張り切らなければならない。――そう思いながら。
同時刻、京都の西大路にある白峯の研究所兼自宅にある男が訪ねようとしていた。
愛用のバイクを家の前に停め、少し歩いて門をくぐりインターホンを鳴らす。
「あら、不破くん。こんな朝からどうしたの?」
すぐにドアを開けて家主の白峯が現れた。いつものような白衣姿ではなく、半袖のワイシャツにジーパンと比較的ラフな服装だった。
襟元からは『谷間』が見えている。これには不破も思わず唾を飲み、興奮しても鼻血は出すまいと必死に自分の中に溜まっていた欲望を抑えていた。
「は、話があってお邪魔しました!」
「わかったから胸ばかり見ないでよ。ヤらしいわねー」
クスクスと白峯が笑った。あわてて「ち、違う!」と即座に否定するも、白峯はお見通し。
からかわれたことに憤慨しつつも、不破は家の中に入れてもらう。――相変わらず広くて大きい。
彼が住んでいるマンションの部屋がいくつも入りそうなほどだ。リビングへ案内してもらうと、不破はとばりの眼前でいきなり頭を下げる。
「ちょっ、いきなりどうしたの?」
「東條ばっかりパワーアップしやがってズルい! あいつだけやれ炎だの冷気だの出しちゃって、おまけに今度は雷まで。そんなの不公平だ!」
こともあろうか、不破は気でも狂ったかのように次々と東條に対する不平不満を並べていく。普通なら人の悪口は言わないのが筋というもの。
不破自身も最初は東條を快く思っていなかったものの、今ではかけがえのない仲間同士だ。しかし――心の中では未だに見下したり、不満を抱いたりしていた。
更にいえば、8つも年下のガキに負けるはずがない――などと思いながら自惚れてもいた。
「そこで、オレの武器にもオーブを装填できるようにしてもらえませんかね!」
東條だけズルいから、自分もオーブを使って他の属性の力を操りたい――たったそれだけの理由だった。
実に大人げなく、彼の先輩に当たるエスパーとは思えぬ発言だ。流石の白峯も、これには少しばかり難色を示したか険しい表情を浮かべていた。
「……ちょっといいかしら」
「へ?」
「あなた、東條くんと仲が良かったんじゃないの?」
「は、はい。まあ……一応は」
曖昧に不破が答える。さっきまで見せていた東條への嫉妬を今更隠そうとする不破の態度に、白峯は眉をしかめた。
「ホント? あなた、さっきの様子じゃまだ東條くんのこと見下してるようにしか見えなかったけど」
「くっ……!」
舌打ちした不破が突然、だん! と床を踏みつけ立ち上がる。その瞳は怒りで燃えていた。
「不破くん……?」
「くそっ! 東條! どいつもこいつも東條! あんなクソ野郎のどこがいいっていうんだ? なんであいつが、あいつだけがオーブを使えるんだ!?」
溜まっていた鬱憤を爆発させるかのように、不破が怒鳴り声を上げる。
「落ち着いて!」
「あんたもこっちの身になってくれよ! ……どうしてオレが、8つも年下のガキに負けなきゃいけないんだ? こっちはあんなわけのわからないビー玉に頼らずに頑張ってきたんだ。なのに東條のやつは思い切りあんな道具に頼って戦い続けてきた! あれは全部オーブの力だ! あいつが持ってる力じゃない!!」
――不破としては自分より年下で未熟な健に追い抜かれつつあることにコンプレックスを抱き、同時に『先輩』としてのメンツが保てなくなってしまうのではないかという不安を感じていた。
尤もこれは、プライドが高く相手を見くびりがちで、好き嫌いも激しく喧嘩っ早い彼の気性にも問題があったのだが。
「なんであいつにばかり肩入れするんです? 一人じゃ何もできやしない青二才に、どうしてあんな強大な力を秘めたものを使わせるんです!? 危険すぎる……あれじゃあ頭のおかしいヤツに刃物を持たせるようなもんだ!!」
「……はいはい。何が言いたいのかだいたいわかったわ」
不破の意図を感じ取ったか、ため息混じりに白峯が呟いた。
子供っぽく自分に正直な性分がそうさせたのか、露骨に嫌そうな顔で不破を見ている。
「要するに健くんばかり強くなっていくのが気に入らないから、自分の武器も強化してくれと?」
「そ、そうだ。それにオレの方がオーブを上手く扱えます」
「根拠は?」
「オレの方があいつより経験を多く積んでいるからです!」
「……あきれた」
その一言だけでハッキリと不破の要求を断り、再度白峯はため息をつく。
紅茶を飲んで一息つくと、狼狽している不破に凄みを効かせるような視線を浴びせる。
「確かに私はあの子の装備について解析したし、あなたの力を借りてオーブを作ったわ。けれど、まだそのすべてを知ったわけじゃない」
いつになく真剣に白峯が語り出す。いつも明るく元気のよい彼女らしくないほどに、緊迫した顔だった。
「あなたが言うように、オーブはひょっとしたら危険なものだったかもしれない。それも、己の命を削るような……」
「だったらそんな得体の知れないもの、どうしてあいつに使わせるんです? あいつはまだ未熟、なのに命に関わるようなものを使わせるなんてなおさら危険だ。やはりオレが……」
「――今更そんなことを言って止められると思う?」
「えっ……?」
あくまで彼女なりに冷静に事を語る白峯と、未だに現実を受け入れられずにわめき散らす不破――どちらも立派な大人だ。しかし、これではどちらが『大人』なのか分からない。
「あの子はいつだって命懸けで戦ってる。みんなを守るためなら、進んで自分を犠牲にできる。仮にオーブが東條くんの生命に関わるものだとしても――」
そこで一度白峯は言葉を区切る。
目の前のワメく男につらく当たってはいたものの、白峯自身は東條にも不破にも信頼を寄せていた。
とくに前者は命の恩人だし、後者とは警察のシェイド対策課の方で世話になっている。
「――それを知ったところで、東條くんの考えは変わらないと思うわよ。あの子の覚悟は浅はかなものじゃないから」
「かっ、覚悟……」
知っているようでよく知らなかった、突きつけられたその事実に心を動かされたか、先程まで激しく憤っていた不破はようやく落ち着きを取り戻す。
顔をそむけた彼の表情は、どことなく浮かないものだった。白峯から改めて知った事実――それは、東條健の覚悟が決して浅はかで薄っぺらなものではなかったということ。
自分を犠牲にしてでも少しでも多くの人々を助け、怪物から守ろうとしていること。 ――犯罪者と怪物が入れ替わっただけで、まるで一人の警察官として正義と使命に燃えていたかつての自分を思い出させる。
思えばあの頃はまだまっすぐで、今のようにこじれてはいなかった。――このとき不破は思った。今一度自分自身の存在を見つめ直すべきではないか、と。
「……ほとぼりは冷めた?」
「えっ……は、はい」
「そう。それにしてもなんか、しんみりしちゃったわね。どっかに食べにいかない?」
「が、外食ですか?」
「うん」と白峯が首を縦に振った。表情は険しいものではなく、いつもの明るい笑顔に戻っていた。
「どこでもいいわよ。ただし! お金はあなたが払ってね」
「そ、そんな。ひどい……」
どうも~。
今回からVol.6です。結構お話が進んできましたね。
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