EPISODE76:訓練する男
「健、背中の傷はどうだ?」
「もう大丈夫。さあて、特訓しますか!」
――轟く雷の力を宿せし黄色のオーブ。とばりから渡されたその新たなる力は、本来持つ能力ではない為にいきなり使うことは出来ないと注意を受けた。
そしてこの荒れ狂う稲妻の力を使いこなすには――少なくとも今の倍以上の力量が必要だとも言われた。
決してあきらめない体力、何事にもくじけぬ精神力。この2つを身につけた時、大いなる力をこの手に掴み取れるかもしれない。
不安は残っているものの――覚悟はできていた。これから敵は強さを増していくかもしれない。今のままではやがて太刀打ちできなくなるだろう。
だから――ほんの少しだけでもいい。今は鍛錬を重ねて力を身に付けるべきなのだ。その為なら――彼は絶対に努力は怠らない。
「いち、に、さん、し……」
とはいえ、いっぺんにやり出すと体を壊してしまう。これでは意味がない――。まずは家でも出来るようなことから始めようと、健は独自にトレーニングを行っていた。
腹筋と背筋をそれぞれ20回、加えて腕立て伏せ10回。少し休憩を挟んでスクワットも行った。何十回も体を動かしたのが効いたか、体中から汗が吹き出ていた。
よく見れば、こともあろうか湯気まで立ち昇っている。それほどまでに今の彼は、体に熱を帯びていたのである。
「お主、さっきから必死にトレーニングしておるが……たまには休めよ」
その隣ではアルヴィーが机に頬杖を突きながら雑誌を眺めていた。スタイルの良い女性が表紙を飾っているファッション雑誌だ。
彼女はとりわけオシャレに関してはあまり気にしないようなイメージがあったが、意外にそうでもなかったようだ。
もっとも、彼女を見てそのようなイメージが浮かぶのは、基本的にワイシャツとジーンズ、またはスカートですませてしまっているからというのもあったが。
そもそもアルヴィーは初対面の時、こともあろうか全裸で健の前に人としての姿――人間体を現した。もし髪が長くなければすべて丸見えだっただろう。
傍からみれば変質者にしか見えなかった。それでもそういった変態臭さを微塵も感じさせなかったのは――彼女が人知を超えた神秘的な存在だからということに他ならない。
「でもさっ、心と体を鍛えなきゃ『アレ』は使えないんでしょ」
「それはそうだが……」
「だったら鍛えるしかないじゃないか!」
自分がいまさら水を差したところで彼は止まらないだろう。せっかくやる気になっているのだ、ここはあえて止めずにそのまま続けさせよう。
どの道、やっているうちに体が疲れてくる。そうなるまでやらせておけば勝手に彼は休むだろう――そうアルヴィーは思っていた。
――などと思ったそばから、気付けば健は床でぐったりと突っ伏していた。
「ちょ、ちょっとやりすぎた……かも」
「そのようだのぅ」
次の日――。体のほうはもう十分に鍛えた。しかし、問題は精神力の方だ。
どうやって鍛えればいいのだろうか――? とばりさんが冗談で言っただけという事も考えられるが、鍛えておいた方が良さそうだ、と、健はそう考えながらバイト先に向かっていた。
相変わらず電車が混んでいる。ぎゅうぎゅう詰めで今にも押し倒されてこの群衆の中で生き埋めになりそうである。
まるでこんな風に、世間の荒波に揉まれなければ心も体も強くならないということを示唆されているようだった。
いつものようにあくせく働き、ときに茶を飲み、また働き――一応背中を怪我しているというのに、苦しそうな素振りはひとつも見せなかった。
それほど彼の回復力がすごかったのか、はたまた先日診療所で医者に塗ってもらったクスリが効いたのか。恐らくその両方があわさったのだと思われる。
そうしているうちに昼休みが来た。自家製の弁当を早々に食べて一息つくと、メモ帳とペンを持って回る。
職場中の同僚や上司に自分の手が届く範囲で、いいトレーニングの方法はないかを聞いてメモを取ろうというのだ。
いろいろな情報が聞けた。瞑想にヨガ、座禅に筋トレ、断食――。そのうち健は、いつも世話になっている浅田達にも聞いてみることにする。
「すみません、心と体を鍛える方法を探してるんですが……何かいい方法ありませんか?」
「エッ? と、東條くん。いきなりどうしたの……」
「あっ、いえ、何でもないです」
「変なのー。でもイイこと教えてあげる! そうね、坐禅とかいいかもしれないよー」
「なんでですか?」
「それはね、坐禅って姿勢を正して坐るのを保つじゃない。我慢大会みたいなもんなの。あたしに聞くより実際にやってみた方が早いかもしれないヨ」
浅田からは坐禅を薦められた。他にも彼女は、自分もたまに家でやっているということを教えてくれた。人というのはときに、意外な趣味を持っているものだ。
健自身も大の特撮番組好きで、小さい頃は怖がってその手の番組は観てすらいなかったものの、中学3年生になる頃には大好きになっていたという。
しかしその一方、着ぐるみによるキャラクターショーは抵抗があるようだ。それは恐らく、キャラクターの着ぐるみが無表情だから怖い――というのがあったからかもしれない。
次に彼は、コンピューターに関する知識では誰にも引けをとらない今井みはるに聞いてみることにした。
「すみませーん、精神力を鍛えようと思うんですけどどうしたらいいでしょうか?」
「そうですね。わたしの知ってる範囲だと……ネット上の掲示板で煽りあいをするとか」
「えっ! 匿名でですか!? それともコテハンつけてですか!?」
「コテハンはちょっと痛いと思うんで、匿名のほうがいいんじゃないですかねー」
「今井さんはそれ、実際にやった事ありますか?」
「いやいや、してないです! 流石のわたしもそこまで過激には……」
「で、ですよね……アハハ」
今井からは『掲示板での煽りあい』――というのは冗談で、『新聞の記事などの打ち込み』や『1時間は集中して文章を打ち続けること』というトレーニング方法を教えてもらった。
そういえば自宅アパートにノートパソコンを持っていた。もっとも彼の場合、職場には仕事用にPCが置かれているため、ほとんど趣味にしか使っていなかったが。
しかしながら、トレーニング方法としてはいい線を行っていた。今井に感謝を告げると、続いてジェシーに聞きに行く。
彼女にはいつも世話になっている健であったが、今でこそ庶民の暮らしをしているとはいえども彼女は元々お嬢様。
どこに住んでいるか、何を食べているか、家で何を過ごしているか――ほとんど想像できなかった。そもそも彼は平凡な庶民の端くれで、くどいようだがジェシーは大富豪の娘。
だいぶ親切にしてもらったりしているものの、身分がつりあわないというものだ。当然コンプレックスも感じていたし、話しかけるのを遠慮したりすることもあった。
しかしながら、その彼女の方から親身になって日々付き合ってくれたり、相談に乗ってくれたりしているのも事実。
今更何かを聞く事を遠慮する必要などいらないはずである。そう――いつもそうしているように聞いてみればいいだけのことだったのだ。
「すみませーん、精神力を鍛えるにはどうすればいいと思いますか?」
「うーん……そうね。お坊さんみたいに、滝に打たれるとか」
「なるほど、冬場はつらそうですね。ハハハ……」
「それは言えてますね~。うふふ」
相変わらず心が洗われるようなきれいな笑顔だ。見ているだけで心が癒されるというもの――自分が入りたての頃に必死でふりまいていた表面上だけの笑顔とは比べ物にならない。
ようやく彼女や浅田さんのように心の底から喜んで、清々しい笑顔を浮かべられるようにはなったが……まだまだ彼女らの足元にも及ばないだろう。
健はそう物思いに耽りながら、ジェシーを照れ臭そうに見ていた。
「いろいろ聞いたけど……何をしたらいいんだろう」
心や体を鍛える方法――とは一口に言っても、今日は実に様々な方法を聞かせてもらった。
同じ方法をもう何度も聞いた気がするのは否めないが――、少なくとも参考になったことは確かである。
これを取り入れつつ、自分なりの最良の方法で鍛練を積み重ねていきたい。そう健は決心していた。
通勤ラッシュならぬ退勤ラッシュで混んでいる電車や、満席で座ることすら許されないバスを乗り越え、ようやく駅前にある自宅アパートへ辿り着いた。
「ただいまーっ」
「オゥ、お帰り。先に風呂使わせてもらったぞ」
「うん、分かった」
手洗いとうがい、そして着替えをすませリビングでくつろぐ。健はバイトに行く際はほとんど目立たない服装ですませてはいるが、プライベートでは暖色系を中心とした服装で過ごしていることが多い。
また、趣味の一環で何らかの文字がプリントされたTシャツを着ることもある。今日は『たられば』と書かれたシャツを着ていた。
ズボンはベルトを巻かなくてもいいタイプのゆったりとしたものを履いており、何となく着心地が良さそうだ。部屋でくつろぐには最適だったといえるだろう。
しばらく経ち、健はバスタオルと着替えのシャツとパンツを用意して風呂に向かおうとしていた。しかし、寸前でアルヴィーが「待て」と呼び止める。
「先に風呂入るのか?」
「うん。どうして?」
「いや、その……」
頬をほのかに赤く染め、顔をそむけた。
どうも頭の浮かんでいる言葉を口に出すのが恥ずかしいようで、何か気まずいことを言ってしまったのではないか―――と、健も少し戸惑っていた。
お互いにもじもじしていると、やがてアルヴィーの方から口を動かした。
「……私は腹が減ったんだ!」
「そっちかい!」
予想の斜め上をゆく返答に、健が驚きざまにツッコんだ。彼は恐らく、アルヴィーが運命的な告白をしようとして告白するのをためらっているのだと思っていたのだろう。
でなければあのような反応はできないというものだ。「お風呂上がってから作るからもうちょい我慢して」と彼女に言い聞かせ、健は風呂場に入っていった。
体を洗ってさっさと浴槽に入り、さっさと上がった。早めに上がったのは、腹を空かせているアルヴィーをあまり長い間待たせるわけにはいかなかったからだ。体を拭いて寝間着を着ると、すぐさまキッチンへ向かう。
「まだかのー……」
「お待たせしましたっ! 今夜は塩焼きそばだよ〜」
「おお! これはうまそうだ!」
漂う塩胡椒の香り。それを嗅いだ瞬間、空腹となったことで湧き上がった食欲が更に増長した。
焼きそばといえばソースをかき混ぜて召し上がるのが主流だが、塩焼きそばも前述のソースに負けぬほど流行っており、そのあっさりした後味の為たまに食せばおいしいと思えるほどだ。
故に需要は高く、主にこってりした味の食べ物に飽きた頃に作られることが多いのも特徴のひとつ。
「うまいっ! ソースもいいが、塩味も捨てがたいなぁ」
「でしょ、でしょー。母さんもたまーに作ってくれるんだよ」
「つまりこの味は、母上からお主に受け継がれたということか……胸が熱くなるのぅ」
「む、胸が熱く……はっ!」
健の母をまるで自分の母としているような口ぶりでアルヴィーが感心した。
彼女自身には別に悪意はなかったものの、やたらと『胸』を強調して発音したために一瞬健の心臓が『ドキッ』と揺れ動いた。
しかしながら、彼女に胸があるのは紛れもない事実。『谷間』が気になってそこに視線が行ってしまうこともあれば、事ある毎に「胸が揺れているんじゃないか?」と疑問に思うこともあった。
更に言えば、「そんなに大きくて邪魔にならないのだろうか」という疑念を抱いたことも何度かあった。
――自分はいったい何を考えているのだ。煩悩を捨てなければ――とは思いながらも、健は焼きそばを食べ続けた。
そんな彼をアルヴィーは、「お主の場合、まず煩悩を捨てなければならんかもなぁ……」と、少し困ったような目で見て呟いていた。




