EPISODE69:退院祝いとストリートミュージシャン
―それから、三日後……―
「ただいまーっ!」
「おかえりーっ! ずっと待ってたよー!」
「おお、お帰り。入院生活は楽しかったかの?」
「まあ、一応……」
あれから健は、無事に退院することが出来た。
部屋にはアルヴィーだけではなくみゆきもおり、三人は大いに喜びあった。
ようやくあの辛気臭い空気から解き放たれたのだ、彼は嬉しさのあまり年甲斐にもなくはしゃいだりしていた。
立派な大人になったとはいえどもまだ19歳。まだまだ学生時代のヤンチャさと子どもっぽさが抜けきっていないのだろう。
「退院祝いにお料理作ったのよ〜。はいっ!」
みゆきがキッチンからラップに包んで保温していたランチを持ってくる。
目玉焼きを上乗せしたハンバーグにベーコン、コーンとグリンピース、そしてフライポテト。味付け・彩り共に秀逸でボリューム満点な組み合わせだ。何よりデミグラスソースが食欲をそそる。
「お〜っ! 旨そうだな〜っ!」
「名付けてみゆきスペシャル・ファミリーレストラン風よ! ちゃんとチンしてね」
喜色満面で健はそれを電子レンジへせっせと運ぶ。
このままでもいいが、どうせなら温めてから味わいたい。このミックスグリルならびにハンバーグを食べるのなら尚更だ。
1分間温めた退院祝いのランチを取り出し、机へ持っていって早速箸をつける。
とろけるような卵の味とジューシーなハンバーグの肉汁が合わさり、口の中で絶妙に弾けていく。
「お、お味は……?」
「う……うっ!」
拳をぐっと握りしめ、わなわなと体を震わせる。あまりの不味さに悶絶したのか、それとも逆に旨すぎて言葉も出なかったのか? ある程度食べかけたところで、彼が出す答えは――。
「うーまーいーぞー! なんか元気が湧いてきた! まさしく絶品料理だぁ!」
「あっありがとう! そう言ってもらえてすごく嬉しい!」
余計な心配だった。なぜならみゆきは元々料理好きで腕前もプロ顔負けだし、健自身もそんな彼女が作る料理を心の底から旨いと思っている。それに自分のために時間を割いて手間暇かけて作ってくれている以上とても文句など言えない。
「良かったの、健。久々にうまいメシが食えたんだから、そりゃあ嬉しくなるものよな」
アルヴィーが微笑みながら言った。ふと何かに気付くと、キッチンに行って電子ジャーのフタを開ける。そこから手頃なサイズの茶碗にごはんを入れ、健のもとに持っていく。
「これ、そう慌てて食うでない。こういうときぐらいはゆっくりと味わった方がいいものだぞ。ほれ、ライスもついてきた」
「ありがとう! こんなに豪華な料理、母さん以外じゃ初めてだよー!」
わざわざ自分のためにここまでしてくれるなんて――。
みゆき、アルヴィーの両者に健は言っても言い切れないほどの感謝の気持ちを抱いていた。
ここまで尽くしてもらったからには、何か礼をしなくてはならない。だが、何をしたらいいだろう。何をプレゼントしたらいいだろう。顔には出さずとも心の中ではそう考えを巡らせていた。じっくりと退院祝いのスペシャルメニューを味わい、堪能しながら。
「ところで二人はお昼食べたの?」
「ああ。先に食べてしもうたぞ」
「でも焦らなくていいよー」
つい気になって口から飛び出てしまったその言葉にも二人は答えてくれた。
どうやら先に昼食をとっていたらしい。胸のうちのモヤモヤしたものがとれた健は食べることに集中し、そのスピードはゆっくりながらも完食。最後まで食べきってみての感想は、聞くまでもなく――。
「ぷはーっ! おいしかった。最高の味だっ!」
「さ、最高だなんて。でも嬉しいわ」
褒められて気分がよくなったか、照れ臭そうにみゆきが言った。元気の良い健に純情なみゆき――そんな仲睦まじい二人を見守るように、アルヴィーはひっそりと微笑んでいた。
退院した翌日、すっかり元気になった健はさっそく仕事へ復帰する。
相も変わらず通勤電車は混んでおり、吊り革を握って突っ立っているだけでもしんどい。
少し微妙なところだが、辛うじて車窓の向こうに映る景色が見えるのが唯一の救いだろうか。
やがて目的地に着くと、その駅で電車を降りた。バスに乗り、市役所の前で降りる。
通勤中、とくに目新しい事は起きなかった。シェイドも出現していない。今日一日ぐらいはいつもどおりに働いて帰って平穏に過ごしたいものだ――と、健はそう思っていた。
「係長、これ1000枚ほど印刷してもらえんかね」
「おっぷ。いくら副事務長の頼みでもそんなの無理無理! 退屈すぎるね! サレンダーしマッス!」
「おはようございまーすッ!」
威勢のよい挨拶がオフィスに響き渡った。思わず手に持っていたコーヒーカップや書類が下に落ちてしまうほどの大音量だ。これには人生の酸いも甘いも知り尽くした副事務長も驚いた。
「お、おはよう東條くん。しょ、職場では静かにな」
「はいっ、すみません!」
「頼むよホントに~」
気を取り直して健は仕事に取り掛かる。もう1週間以上は休んでいるため、とにかく仕事が溜まっていた。
これ以上仕事を溜めてしまうとやがて片付けられなくなる。少しずつペースを上げながら、健は仕事を消化していく。
以下しばらく、延々と消化試合が続いた。そしてひとしきりついたところで昼になり、昼食の弁当を食べた。そして大きく伸びをすると昼休み終了の5分前まで昼寝をした。
その後は絶え間なく襲ってくる睡魔と格闘しつつ、時に誘惑されつつ残った仕事と新たに課せられたミッションをこなしていった。
――そして、退勤する時のことだ。浅田やみはる達――いつもの3人が帰ろうとする彼を呼びとめたのだ。
「東條くん、月末に飲み会あるんだけどよかったら来てみない?」
「えっ! でも僕、お酒まだ飲めませんよ……」
「大丈夫だって~。お酒が飲めなくても食べるコトはできるでしょ?」
「んー……」
そうは聞かれても、彼は優柔不断な性格ゆえなかなか答えを出せなかった。
まだ未成年で酒臭いニオイはどちらかというと苦手だが、大人になったらいつかは酒を飲まなければならないときが来る。一度行ってみた方がいいのかもしれない。
だが、本当に行ってしまってもいいのかどうかが心配だ。一応考えたり相談したりしてみた方がよさそうである。
「えっと、必ず参加しなきゃダメなんでしょうかね?」
「嫌になったら一言いってから帰ってくれてもいいよー」
「それに強制じゃないですよ。参加するかどうかはその人の自由です」
「もしなにか予定とかありましたら、そっちを優先してくださってもかまいませんよ~」
この短時間で悩みに悩んだが、ジェシーのその言葉がきっかけでようやく決心がついた。まず一晩寝て考えて、それからアルヴィーに相談する。
予定に関してはとくになかったはずだが、また確認する。これでよし――と、健はそう判断を下した。
「分かりました~。また考えておきます~」
◆◆◆◆◆
その帰りのことである。駅前の階段を下った辺りで一人の男が座りながらギターを弾いて何やら歌っていた。
低音でキレのある声を出している彼はどうやらストリートミュージシャンのようで、彼の歌の歌詞にはある種独特のセンスを感じられた。確かテレビか何かで彼を見たことがあるような――? 少し興味が沸いた健は、そのどこかで見た覚えのあるミュージシャンに近付いてみる。別にファンだったから声をかけたとかではなく、ただ単に気になっただけのことである。それに彼の茶髪の逆立った派手な髪型は嫌でも目を引き印象に残る。
「あ、あの~……」
「ん、お代ならそこの募金箱に……」
そう健が問いかけたところ、ギターを弾いていた男性の手がピタリと止まった。そして瞬きしながら健を見上げる。
このミュージシャン、人相は悪いものの目は澄んでいた。音楽に懸ける情熱やひた向きな姿勢がひしひしと健にも伝わっていく。
「歌お上手ですね」
「おいおい照れるな~。あんた、もしかして俺のファン?」
「いや、そういうわけではないですけど……」
「ハハッ! なんだよそれ」
男が少し苦味を含めた笑いを飛ばした。
「そうだ、お代。別に払ってくれなくてもいいけどさ」
要するに払うも払わないも自由。しかしこの男、金に困っているようにも見える。
とりあえず健は、いい歌を聴けた礼として200円ほど募金箱に突っ込んだ。
ミュージシャンからすれば願ってもいなかったことなのか、少し驚くような感じの笑顔を浮かべて喜んでいた。
「あれ、そう言えばどこかで見たような……」
「俺のこと?」
「はい。えーっと確か……あっ! 思い出した!」
うろ覚えなりの推測が確信へと変わった。左の手のひらで右手の拳を叩くと、確信を得た人物の名を口にしようとする。
「『アルペジオ』の狩谷シンジだ! この前でテレビで見ましたよっ」
嬉しそうに大声を上げてその名を言った。一瞬シンジ――と思しきミュージシャンの肩に悪寒が走り、ピクピクと震えた。彼のみならず突然相手に大声を出されたら誰でも驚くというものだ。
「あっ、えと……すみません」
「い、いや大丈夫だ。だけど、あまりアルペジオの名前は出さないでもらえるかな」
「……どうしてですか?」
「そんなの知ってどうするんだよ。このままじゃ遅くなっちまうぜ、早く帰んな!」
深追いをするなということだろうか? 所属しているバンドの名を出してほしくない理由を聞こうとしたところ、狩谷は急に血相を変えて健を突き放した。
ここまでするということは、何かあったのだろう。だからなるべく『アルペジオ』の話題に触れてほしくなかったのだ。
そう推測をしながら健は、住んでいるアパートにてくてくと帰っていった。
―その頃、警視庁捜査一課―
「はい、もしもし。……はい、はい! 分かりました」
突然かかってきた電話に、村上が応対していた。いつもの嫌味で砕けた雰囲気ではなく、一転して真剣な表情だった。
それほどまでに電話先の相手が重要な事を彼に連絡しているということになる。村上もいつものようにおちゃらけた口調では話せないというわけだ。
受話器を置いて一息吐いたところに紅茶を持って宍戸がやってきた、彼女以外の婦警も一緒だ。
「警部補、さっきの誰からですか?」
「大久保教授だよ。シェイドの細胞とデータ持ってきてくれってさ」
「また大久保さんから……」
少しきょとんとしている宍戸へ対して、ため息混じりに村上がそう言った。
相手をするのに疲れた、またはうんざりした様子だった。
現に眠たそうな目をしている。宍戸が淹れた紅茶を少し飲むと、
「ここんとこ毎日電話来てるよねぇ。そんな得体の知れないモン、一体なにに使うんだか……」
「大学の研究で使うとかじゃないですか?」
「どうせロクな事に使われないよ。それにこっちも、あの頭のネジが外れたジジイにいつまでも構ってられるほど暇じゃない」
電話中の真剣で知的な雰囲気はどこへやら、いつもの飄々として嫌味ったらしい口調で村上が語りかける。大きくあくびをすると、すぐに凛とした表情に戻って宍戸達を見つめる。
紅茶を飲み干し、一息ついてからタバコを咥える。そして重要そうな書類を手に取った。
「それはさておいてだ。……新宿の方でシェイドによる被害が出たそうだ。戦闘班と不破に、武器の準備とチェックを……って、不破は今どうしてる?」
不破が現在何をしているかすっかり忘れていたのか、村上が慌てて宍戸達にそう訊ねた。凛とした表情は崩れ、ややマヌケな顔になっていた。くすりと笑う宍戸達を叱り付け、顔に青筋を立てながら不破の状況を聞き出す。
「す、すみません。えっと……京都の西大路で白峯さんを手伝っているとか」
「なんだって?! あっ……そういえば、この前不破を貸して欲しいって連絡があったような」
「えーっ。そのこと忘れてたんですか!?」
「その辺は完全に僕のミスだ。だが僕は謝らない」
自分のミスを認めたような、認めてなかったような――どちらともとれない曖昧な言い方。だがよくよく聞いてみれば、格好よくは聞こえるが謝るつもりなど毛頭ないことも伺える。
言う側の『自分はこの場の誰より偉いのだから謝る必要など無い』という傲慢さと卑小さが嫌というほど伝わってくる口調だ、無論相手はその理不尽さと身勝手さに苛立ちと何ともいえないもどかしさを覚える。
無論このような輩は咎められて当然――なのだが、どうも現実は厳しく中々そうはいかないのが辛いというもの。
「そんなのダメです。謝ってください!」
「ご、ごめんなさーいっ」
部下が上司を咎め叱咤するのもどこかおかしい気はするが――今回のケースはどう見ても謝罪をしなかった村上のほうに非がある。だから宍戸たちのとった行動は正しい――はずである。