EPISODE68:熱意の迷走
――入院生活5日目――
「あいたたた! う、腕が、ヒザがぁぁぁぁ!!」
「ダメですよ。まだ安静にしていないと!」
ケガが治ったのかそうではないのか、とても微妙な状態だった。
下手に体を動かせば骨が聞くも痛々しい音を上げてきしみ、かといって動かずにジッとしていれば体がそのまま腐っていきそうな嫌な感覚が襲ってくる。
自分に注意を促した担当の女性看護士にただならぬ敬意を払いながら、健は気長に退院を待つことにした。そんな中、ある疑問を抱く。
なぜ一番心配しているであろう母と姉が来ないのか、その理由を考察していたのだ。だが、その疑問は一人で勝手に解決してしまった。
その理由はとても簡単、そもそも入院したことを家族には伝えていないからだ。ただでさえ一家の大黒柱である父――母にとっては夫を失っているのだ、加えてそこに自分が大ケガをして入院したなどと知ればますます気が重くなってしまう。これ以上の辛い思いは、なるべくさせたくはない。だからこのことは家族には言わなかったのだ。
「あっ」
そうして物思いに耽っていると、なにやら浮かない顔をしたみゆきが病室に入ってきた。彼女一人だけではなく、アルヴィーも一緒だ。
彼女も健のことが心配なはずだが、いつものように余裕たっぷりで凛とした笑みを浮かべていた。ぎこちなく重たい腰を上げ、彼女らに向かって振り向く。
「みゆき、それにアルヴィー……」
「よかった、入院してて……やっぱりこないだの奴は偽者だったんだわ」
「ヒドイ言い方しないでよー……って、偽者ってどういうことだい?」
彼女の口から飛び出た『偽者』という単語――その意味が気になったか、詳しく話してもらおうと健はそう訊ねた。
するとみゆきは、この前大津の自宅までやってきた健らしき人物が、陰湿な嫌がらせばかりしてきたということをおもむろに語った。
最後までその話を聞いた健は眉をしかめ、「その日は病室で安静にしていた。そんなこと天地がひっくり返ってもできない」――と説明した。
「じゃあ、やっぱり。こないだの健くんは……」
「真っ赤なニセモノ……、ということになるな」
腕を組んで佇んでいたアルヴィーが、相槌を打った。
手ぐしで髪をかき上げる仕草は、やはりというべきかクールで凛々しい。そのあまりに流麗な一連の動作は、見ていて惚れ惚れするほどだ。
「あわわ。なにか怨まれるようなことしたかな……」
「みゆき殿、そのニセモノとやらは健本人と完全にそっくりだったのだな?」
「はい。でも舌なめずりしたり悪口言われたりしました。他にも、私が見てないところでお花を踏んでたみたいです」
「そうか……まったく、手口が陰湿きわまりない」
姿勢を保ったままアゴに手を添え、アルヴィーは思考を巡らせる。
しばらく経つと、思い当たる節があると彼女は言った。
「舌なめずりに悪口、そして陰湿な嫌がらせ……三谷の仕業かもしれん」
「三谷ってこの前百貨店で襲ってきた……」
「うむ、そいつだ。世界広しと言えども、あそこまで性根の腐った『三谷』は奴しかおらんぞ」
――三谷。あのねずみ色の髪に、蛍光グリーンの瞳をした男。
吐き気を催すほど口が汚く、その性格は陰湿で狡猾。とにかく最悪なヤツで、ヤツに関わるとろくなことがない――と、健は思い出したくもないような表情をして心の中で呟いた。
「あやつはカメレオンの上級シェイドだ、カメレオンといえば――格下の中にもそんなタイプがいたの。覚えておるか?」
「あー、いたいた! 確か透明になって……」
それは、松宮中学校がもうすぐ廃校となろうとしていた時の出来事だった。
夜の町で出くわしたそのカメレオンの怪物は、戦いの最中で逃げ出した。
逃すものかとカメレオンを追っていくと、奴は古びた不気味な校舎に逃げ込んでいた。
必死の捜索の末に何とか打ち破ったが――まさか、それと同じような特徴を持ったシェイドがいたとは。健は少し、驚いていた。
「あやつは色々とアレだが同種の中ではかなり高位に入るのだ。ズル賢い上に、下位の者のいいとこどりに加えて高い実力と変身能力まで持っておるからの……」
「えーっ。今までそんなのと僕は戦っていたのか……人は見た目によらないね」
「正直、私もあんなイボ顔が上級シェイドとは思いたくない」
「なんか触ったらザラザラしてそう……うひぇー」
シェイドの中でも上の上の存在のことを話し合っているのに、三人の間にはまるで緊張感がなかった。
それどころか、どこかで三谷がくしゃみをしそうなくらい辛辣なことを言っていた。
奴がもし、この場にいればきっと怒り狂いながら罵詈雑言という罵詈雑言をありったけ浴びせていただろう。
「……いかん。嬉しくなってついしゃべりすぎた。これでは周りの迷惑になるのぅ」
「あちゃー」と言いたげに、アルヴィーは恥ずかしげに後ろ髪に手を当てた。
クールでミステリアスな彼女にしては、珍しく可愛げのある仕草だ。
これもまた、凛々しく美しい容姿とのギャップがおのずと目を引きつける。これもこれで、思わず惚れてしまいそうだ。
「じゃ、そろそろ帰るね」
「早く元気な姿を私たちに見せてくれ。リハビリ、頑張るのだぞ」
「うん! おしゃべり出来て楽しかったよ。今日はありがとう!!」
礼を告げると、速やかに二人は病室を去った。健を気遣っての行動なのだろうが――それでもやはり、あの二人がいなくなると寂しくなった。
だが、もう少しの辛抱だ。あともう二日か三日我慢すれば、退院はすぐ目の前なのだから。
「ワン、ツー、スリー」
どこかのライブハウスにて。あるバンドがその一室を借りて練習をしていた。
ドラマーの男の呼びかけに呼応するように、ギター、ベース、キーボードがそれぞれ演奏を始める。最初は揃っていたが、そのうちズレが生じ段々と噛み合わなくなっていった。やがてギターの男が憤りを感じ始め、急に弾き手を止めた。
「おいっ!全然揃ってねえじゃねえか、ヘタクソ!」
凄まじい剣幕だった。彼を除く他のメンバーはその迫力を前に、一瞬だがプルプルと震えて怖じ気づいた。
「な、なあシンジ。そんなに怒ることないんじゃないか?」
「うるせぇぞシュウ!」
怒るギター担当・シンジをなだめたキーボードのシュウを、シンジは罵倒する。
彼は茶髪にサングラス、ベストにジーンズという出で立ちをしていた。また、無精ヒゲを生やしている。
「だいたいお前らはテンポが悪いんだよ。俺たちはノリが重視のバンドじゃなかったのか?」
「ちゃ、ちゃんと家で練習してるよ」
そう答えたベースのタケシに対し、鬼気迫る勢いでシンジが詰め寄った。泣く子も黙るような恐ろしい顔だった。
「……まあいい。もっかいやろうぜ、もっかい!」
「ワンツー、ワンツー!」
イライラがまだ収まらないシンジから促され、他のメンバーは再び練習を開始する。
今度こそ最後までやり通さねば。だが、またしても演奏に失敗してしまう。
今度は他のメンバーは上手く行っていたものの、シンジが誤って音程をずらしてしまった。
「ちょっ、シンジ!」
「悪ィ、手が滑っちまった」
「なんだよお前、人のこと言えねーじゃん!」
ミスをして照れ臭そうに話すシンジを、ドラマーのミツルがなじった。
「なんだと!?ミスしたのはお前らも同じだろ……このおおおおおッ!!」
シンジが唸り声を上げ、怒りに任せてミツルに殴りかかろうとする。そんなシンジを、慌ててシュウとタケシが止めようとするも振りほどかれてしまう。
二人は無残にも床や壁に叩きつけられた。シンジはそのまま、何度もミツルに殴る蹴るの理不尽な暴行を加えていく。
バンド解散の危機だ、このままではミツルがドラムを叩けなくなってしまう。それを何とかして防ごうと、シュウとタケシは足にしがみついてでも止めに入る。
「や、やめろシンジ! やめてくれっ!」
「このままじゃ俺たちは、『アルペジオ』は……」
アルペジオ――とは、このバンドの名前である。ノリが重視をモットーに活動しており、武道館ライブを目標に目指して活動を続けている。
元々それなりに知名度があり、近頃テレビ出演を果たしたことで爆発的に人気と知名度が上昇。まだ目標は達成できていないものの、CDもこれまでに三曲ほど出していた。
「そうだよ! さっきは悪かった。みんなで武道館目指すんだろ? また四人一緒にがんばろうぜ。な?」
「黙れミツル! 今のままで武道館でライブできると思ってんのか?お前らやる気なさすぎ!こんな調子じゃあ、一生かかってもムリだ!」
「そっ、そんなことないって。昔に比べたら売れてるし、力合わせたら……」
この時シンジは、様々な理由から来る苛立ちが募ったあまり疑心暗鬼になっていた。
半端な自分自身の腕前にコンプレックスを感じ精神的にもかなり追い詰められていた彼は、仲間からの慰めや謝罪の言葉を素直に受け取れずにいた。少し落ち着き始めた彼は、呼吸を整えると
「もういい! アルペジオなんかクソ食らえだ。俺は一人でプロを目指すッ!!」
しがみついて自分を止めていたシュウとタケシを振りほどいて引き離すと、ギターをケースに仕舞いこんで部屋の出口へと歩いていく。決意を固めたような少し寂しげな表情が印象的だった。
「じゃあな、お前ら!」
「お、おい、シンジ? シンジーっ!!」
ミツルが呼び止めようとしたが時すでに遅く、シンジはさっさとその場をあとにしてしまった。
これによりシンジは今日限りでアルペジオを離脱、メンバーが一人欠けて戦力と士気は大幅にダウンしてしまった。
彼は不遜な態度でやや直情的ではあるものの実力は確かで、十分に信頼が置けるギタリストだった。同時にボーカルも務めており、その夢にかけるまっすぐな熱意と熱心に練習に打ち込む姿勢もあって、このアルペジオというバンドには欠かせぬ存在だった。
それが今こうして、彼は決別を宣言して去ってしまった。一人でプロを目指すと彼は言ったが――いったいどこへ行こうというのか? そして一人で何をはじめようとしているのだろうか? 残されたメンバーは、ただうなだれるしか今は出来なかった――。