EPISODE65:謎の影と策謀
「なんだよなんだよ? あのクソガキはよぉ……この俺に恥かかせやがってさぁ」
その頃――。全てにおいて自分に劣るはずの人間に出し抜かれ、逆転されたことが認められず、失意のままに三谷はさまよっていた。
何より強く――屈辱を受けたことへの怒りと憎しみが、彼の中で燻っていた。トンネルに入った彼の独り言が、大きく反響。
「キエエエエエェッ!!」
耳をつんざくほど大きな奇声を上げて、三谷が憤慨した。
爆発する怒りの感情が抑えられず、何度も自分の左腕を手で叩いていた。
そのまま叫びまくって周りのものに当り散らしながら、周りに誰もいないことを確認すると廃工場の中に身を隠した。
人っ子ひとりいないこの廃工場を、もう何年も前から点けっぱなしの古ぼけたオレンジ色の照明だけが寂しく内部を照らしていた。
奥の方まで入ると、座り込んで安堵の息をつく。やる気なさげに伸びをしていると、上の方から別の男が現れて階段を降りてきた。
「ずいぶん派手に暴れてくれたらしいじゃないか。あれだけ流血しておいてよくも呑気でいられるものだな……三谷!」
「か、甲斐崎……い、いや、しゃ、社長自ら来てくださるとはなんと光栄な……ひひぃっ」
その男の名を呼んだ瞬間――否、目にした瞬間から、三谷の背筋には恐怖による悪寒が走っていた。その鋭い緑青色の瞳は、確実に三谷を蔑視していた。取るに足らない、下の下の存在――としか思っていなかった。
「いくら人の姿に擬態しているとはいえ、血液の色ひとつで簡単に区別はついてしまう。それに人間どもは敏感だ――奴らの視点から考えてみろ。紫色の血を流すヤツがどこにいる? そんな奴がいるわけがない。それを見た瞬間、奴らは感付くだろうよ……こいつは同じ人間ではない、とな」
三谷は恐怖に震えて何も言わなかった。何も言えなかった。足腰がすくみ、立ち上がれないほどに狼狽していた。それほどまでに、この――甲斐崎という男は強く、シェイドにとっておぞましい存在なのだ。
「人間は愚かな生き物だが……口先ばかりでろくに頭の回らないお前はそれ以下だな。せめてあの場で逃走していれば良かったものを」
「う、うるせぇ……! いつもいつもエラソーにしやがって。だいたいあんたが最初から俺を手助けしてくれていたら俺が恥かかねーで済んだのによォ! ……ウッ!?」
先の尖った石を拾い上げ、見下したような視線を三谷に送ると、甲斐崎は彼の左腕をつかみ上げた。手に持った石をそのまま、彼が負った傷に突き刺した。
紫色の血が吹き出、甲斐崎が石でえぐる度に、湯水のように血がどくどくと溢れ出す。失言したことへの許しを乞うように、三谷は右手をぷるぷると震わせながら甲斐崎の肩に伸ばした。
苦悶する三谷を見て、甲斐崎は悪魔的で冷酷な笑みを浮かべていた。やがて石を抜いて放り捨て、惨めな姿をしている三谷を見て、
「なんとも味気が無い……お前が人間だったら今頃大笑いしているところなのだが」
「ひ、ひぃぃぃ〜」
「まあいいだろう。だが三谷……」
立って三谷を見下していた甲斐崎が屈んで三谷の顔を覗きこみ、
「次にしくじったとき、お前の命はないと思え!」
壁際でびくびくと震えている三谷を尻目に、甲斐崎は廃工場から去っていった。
自分へ対する理不尽な仕打ちに対しての怒号だけが、そこら中ににむなしく響いた。
「戻ったぞ、お前たち」
どこかの礼拝堂の中。
以前三谷らと会合を開いたその場所に、甲斐崎は戻っていた。
軍服を着た大柄の白人男性と、メガネをかけた牧師風の服を着た壮年の男がそこにいた。
「ああ、あんたか……三谷はどうしたんだ?」
「少しイビってやった。奴はそうでもしないとやる気を出さんからな」
「確かにそういうタイプでしたなぁ、あいつは」
腕を組みながら軍服の男が笑った。
見たところ頑強な肉体の持ち主で、その腕っ節は決して侮れなさそうだ。
その歴戦の武人といった感じの出で立ちが、彼から強者の余裕と底知れぬ威圧感を感じさせる。
「それで、三谷がしくじったあとのことは考えてあるのですか?」
「慌てるな。あんなヤツの代わりなどいくらでもいる。お前たちも例外ではない」
気難しそうな顔をしているメガネの男に対し、余裕と嫌味たっぷりに甲斐崎が言い放った。
用が済めばいつでも捨てられるように、捨てたものの代替も用意しているのだろう。
本意は定かではないにせよ、策士然としたその佇まいからそういった意図が受け取れた。
「つまり同胞でも捨て駒にすると? 社長らしい冷酷な考えですな」
「ありがとうよ」
嫌味ったらしく、甲斐崎がメガネの男性に礼を言った。
もちろんバカにする目的でだ。
「ところで『クイーン』はどうしたんだ? この前から全然姿を見かけないんだが……」
「『クイーン』か? あいつなら今産気づいているらしいが」
「またか……何度招集をかけても来ないと思ったらそういうことだったとはな。よほど俺の言うことを聞きたくないらしい」
甲斐崎が不満そうに名を呟いた『クイーン』なる人物――。
名前からして女性である可能性が高いが、その正体はまったく見当がつかない。
産気づいている――ということは、当然出産もするはず。
シェイドも他の生物と同様、子を成すということになるのだろうか。
「フッ、まあいい」
鼻で笑いながら、懐から懐中時計を取り出して開く。
それを掲げるようにして見つめると、
「焦らずとも、時間はまだたっぷりあるからな」
雷鳴が轟き、一瞬光が外から室内に飛び込んだ。
その時照らされた影は人のものではなく――人とはかけ離れた異形の影だった。
〜翌日〜
上級シェイドの三谷は、なぜ自分に成り済まそうとしていたのか?
いったい何を企んでいたのか? ――そのような疑問を抱いていた健は一晩中熟考しており、その結果一睡もできずに一夜を過ごした。
お陰で目の下に隈ができ、頭はクラクラだ。朝っぱらから彼は、立ちくらみに悩まされていた。
「はぁーっ。今日バイトじゃなくてホント良かった……」
「健ぅ〜、メシはまだかの?」
「はいよ。ちょっと待ってねー」
アルヴィーが甘えるようにそう言った。今はこんな状態である。本当は文句のひとつでも言いたかった。
だが、自分はそれでいいと思っていても、そんなことをすれば相手は悲しむ。それに女性には優しくしなければ――そんな健が出す答えはたったひとつだけ。
それ以外の回答を彼に求めるのは野暮というものだ。専用のフライパンの上で卵を割って手早くかき混ぜ、こしょうで味付け。
ここからの派生として、ほうれん草やベーコン、カニの身を混ぜることもある。これで卵焼きの完成だ。これをまず、アルヴィーの元へ持っていく。
次に白ごはんを茶碗に入れ、二人分用意してから持っていく。すると『暖かいものがほしい』と言われたので、今度は味噌汁がわりにお湯をカップ麺に注ぐ。3分待つタイプと5分待つタイプがあった。
「お待たせー! ちょっと貧乏臭いけど……どうかお許しを」
「いや、余裕で許そう。それに庶民の味のほうが、私らには似合っておるからの。では……」
二人同時に手を合わせ、食事前の定例である『アレ』を行おうとしていた。
「いただきます!」
そして爽やかでささやかな朝食会がはじまった。
品揃えはどれも庶民的かつ質素なものだが、すべて共通点があった。
それは、人の愛が篭っているということだ。
変な意味での愛ではなく、他者への思いやりという意味で。
料理を作るのに、上手いも下手も関係ない。愛と情熱を持って取り組めば、それでいいのである。
「さあ、リフレッシュしよう」
今日は元々バイトに行く日ではない。
それにアルヴィーも、自分が部屋に置いていきがちなせいで退屈しているはず。
だからこうやって、気分転換の為に外出するのだ。
二人とも日々の鬱憤を晴らすかのように、よそ行きの服を着て行った。
しかし行く宛がなかった。とりあえず、駅前の百貨店に寄る事にする。
ここは広くて多種多様な店があるし、品揃えも豊富。
歩いて見て回るだけでも退屈しない場所だ。
だから、健はこの百貨店を選んだのだ。この前みゆきとショッピングに来たときに彼は確信したのである。ここなら半日、いや、一日中遊べると。
「こういうの似合うんじゃない?」
「ワンピースか。一度着てみたいと思ってはいたが……やめとこう」
「へ? なんでさ。お上品な感じなのに」
「私はそんなに清楚ではないぞ。むしろ武骨なほうだ」
折角だからと二人は服屋に立ち寄り、どの服を買うべきか決めるべく試着をしていた。
紳士服に婦人服、それから洋服――広い服屋には何でもそろっていた。
「じゃあ、このプリント入りTシャツはどうだい」
「胸でかいからのぅ……ちゃんと入るかどうか」
「じゃあ、ノーブラで着てみたら」
「これ。あまり年上をからかうものではないぞ」
照れながら健が謝った。紅潮したことでアルヴィーの色白の肌がほのかに赤く染まっており、思わず見とれるほど綺麗なコントラストを演出していた。
「なら、このボディコンでどうだい」
にやついた健が次に持ってきたのは、胸元が大胆に開いたボディコンスーツだった。
色っぽいこの服をアルヴィーのような乳房の大きい女性が着れば、寄せられた胸の谷間に男たちは瞬く間に引き寄せられていく。
まさにダイ○ンばりに脅威の――いや、胸囲の吸引力だ。
「これを着れば、元から高いお姉様のセクシー度も爆上がりよ! やっほーい!」
「やめんか恥ずかしいっ!」
「ぎょえーーーー!!」
恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして健の顔に怒りの平手打ちを叩き込む。
頬を押さえぷるぷる震えながら、恐怖する眼差しでアルヴィーを見つめていた。これにはいつも陽気な服屋の店主も驚いた。
しかしながら、彼女にもすっかり羞恥心が身についてしまったものだ。
はじめて会ったときの一糸纏わぬ姿で大胆且つ堂々とした佇まいを魅せてくれた彼女は、もういないのだろうか?
「――ふぅ。だが、悪くはないのぅ」
「え?」
ため息をついてクールダウンしたアルヴィーが口元を持ち上げた。
いつもの自信に満ち溢れた、余裕たっぷりの表情だ。
それは健にとって、彼女が信頼に値する唯一無二のパートナー足りえる所以である何よりの証拠でもあった。
「着るのイヤなんじゃなかったっけ……?」
「人前では、な。しかしお主と二人きりの時なら話は別よ。――ふふふ」
ピチピチのボディコンスーツに身をくるんで、悩ましげに腰を振る姿。そしてそんなアルヴィーに見とれ悩殺される自分。余裕で目に浮かんだ。
近い将来ボディコンのみならず、露出の多いベビードールの服やネグリジェ一枚で自分を誘惑しにかかってくるのだろう。
そのメロンやスイカにも例えられる大きな胸をたくし上げて――そんな光景を想像して、健は胸が熱くなった。
それどころか、興奮のあまり自分からは地味と言い張っている整った顔が崩れ、鼻の下を伸ばして目がニヤけているという実に淫らな顔に成り果てていた。
「ふわぁ~っ。あ、今呼び捨てしちゃった」
「ん? 何のことだ」
「いやいや何でもないよ」
それからというものの、二人仲良くこの広大な百貨店を散策していた。
回るだけでもいい運動になる上、立ち並ぶ店はどれも個性的でそれぞれの良さがあり、入らずとも見るだけで楽しくなってくるものだ。
――くどいようだが、この二人はあくまでバディ同士であって恋人の真柄ではないことを伝えておく。
「――あっ」
やがてエスカレーターの付近で、たまたま居合わせたみゆきと目が合った。
白いベストにホットパンツにニーハイソックスと、この年頃の女の子らしいおしゃれで可愛げがある服装をしていた。
「ま、まさかデート!?」
「ち、違う! そんなんじゃない! ねえアルヴィー……」
「何をぬかすか。早く次の店に行かせて~。ねえダーリン、ダーリンってばぁ」
冗談かそれとも本気か? いつものハスキーボイスが凛々しい彼女とは違う、甘えるような上ずった声をアルヴィーは出していた。
しかも、こともあろうか健の腕に抱きつきながらだ。
「どうした? 今時の男は大人しいのが多いものよ。みゆき殿からしかけねば……健は私のものとなってしまうぞぉ~」
「ちょ、ちょっとぉ! まだそんな段階までいってないのに! 酷いですぅ!」
「ハハハ、すまん。冗談だ」
「な、なーんだ。びっくりさせないでくださいよぉ」
「ほ、ホントだよね。あはは……」
思わず目を丸くして驚いた二人だったが、それを聞いて安心した。
アルヴィーがこのような紛らわしい事をしたのには、実は理由があった。
彼女はみゆきが健に惚れていることを見抜いていた。
同様に、健がみゆきに好意を抱いているのにも気が付いていた。
たまたま出くわした彼女は、とっさの思いつきで両者の恋心を煽ったのだ。
二人の恋を進展させねば――そう思ってのことだった。
「……ちょっと健くん借りていいですか?」
「もしやデートかの? 好きにしてもいいぞ」
「ありがとうございますっ! じゃ、ちょっと付き合ってもらうわよ。健くん」
健と強引に手をつないで物陰の方に連れて行く。
不審に思ったアルヴィーは、こっそりと彼女を尾行する。
「あのさ……この前、スーパーで卵5パックも買ってかなかった? 一人1パックだったのに」
「え?」
「しらばっくれないでよ。それとも……『あの人』、健くんじゃなかったのかな」
健が知らないのも無理はない。
先日スーパーでせこい事をしでかした健は、彼に成り済ましたニセモノだったのだから。
果たして、そのことを知らない健はどうにかこの場を切り抜けることができるのだろうか?