EPISODE55:うしろにご用心
「さっきの絶叫、すごかったですね……大丈夫でしょうか」
村上が上げた、警視庁全体に響くほどの絶叫――。
それは地下にも届いており、やかましいくらいに響き渡っていた。
あまりにも痛々しい感じだったので、宍戸は少し心配していた。
あんなのでも一応上司である、彼の身に何が起こったのかが気がかりで仕方なかったのだ。
「ま、大丈夫だろ。あいつは機転が効くから、うまいこと切り抜けてるんじゃねえか」
不破はそんな宍戸に優しくそう言って励まし、彼女を落ち着かせていた。
その一方、以前村上が入力していた暗号が思い出せず、自身のうろ覚えの記憶を辿りながら四苦八苦していた。
更にほとんど当てずっぽうで入力していたためか、かえって思い出せなくなっていた。
「……宍戸ぉ! パスワードわからん!」
そして、こともあろうか宍戸に泣きついた。
こればっかりはある意味仕方はないのだが、先輩が後輩に見せる姿にしては非常に情けなかった。
宍戸も少し、そんな彼を見て困っていた。
「もう、しょうがないなぁ。しっかり見て、覚えてくださいな」
村上が入力していたときとまったく同じように、すばやく特定のボタンを押す。
ただひたすらに押し続ける。不破も次こそは、と言わんばかりにメモ帳にその順番をしっかりと記録していた。
「――今と同じようにやれば、地下フロアに行けますよ」
「だいたい覚えた。サンキュー宍戸ぉ!」
自分の周りには、こんなにだらしない先輩ばかりだ。
だらしないままでは、足元がぐらついてそのまま転落してしまう。
だから後輩である自分が、しっかり支えてやらねばならない。
その為には、誰からも頼りにされるような人にならないといけない。
そうなるための努力は、絶対に怠らない。
――可憐な宍戸だが、その意志は鉄のように硬くて強く、何事にも動じない。
他人に尽くしつつ、自分のスタンスを保つ。彼女はそういう女だった。
シェイド対策課、その本部。
二人とも会議室の椅子に腰かけると、朝から溜まった疲れをどっと吐き出すように安堵の息をついた。
しばしの間もたれてほっこりと休憩すると、不破が息を吹き返したように起き上がった。
「もしかして、俺たち二人だけか? だったら寂しいよなー」
「一応オペレーターの人とか、待機中の隊員とかはいますけどね」
そういえばモニタールームにオペレーターは何人かいた。
ほとんどが女性で男性も何名か居たものの、その数は少なかった。
対して、戦闘部隊はほとんどが男性で女性はほぼいなかった。
宍戸の話によれば、これは上層部から対策課の課長を任されている村上の意向によるものらしい。
ただ、中には自ら戦闘に参加することを望む女性も少なからずいるそうだ。
「私も混ぜてもらえる?」
「あっ、白峯さん! ご無沙汰してます」
宍戸と話をしている途中、とばりがクリアファイル片手に会議室に入ってきた。
相も変わらずそのアダルトな容貌に不釣り合いなくらい陽気で、見ているとこっちまで元気になってきそうだ。
容姿にしても若干20代後半で博士号を得ていることを踏まえても、彼女は実年齢より若々しかった。いろいろな意味で。
そんなとばりが来てからというもの、一気に話が弾んだ。
仕事に関する話やとばりが今何を研究しているのかという話、何を開発しているのかという話、あれから東條と会っているのかという話――。
彼女一人いれば、話題には当分困らなそうだった。
何気ない世間話の中でさり気無く、不破が昨日必死で読み明かしたマニュアルの話が出てきた。
何でも『マニュアルが読みづらい、そもそも読む気になれない』という風な苦情が殺到したため、あれから用語に関する脚注や補足、読むのが難しい単語にフリガナを振った改訂版を作ったのだという。
あんなに必死になった挙句クールダウンしてまで読んだのに、まるで苦労が水の泡――。このとき不破は、尋常ではないショックを受けていた。
「宍戸さん、どういうタイプが好きなの?」
「うーん……自分に正直な人かなぁ」
「そうなんだ」
「白峯さんはどういう人が好きですか?」
「あたしはね、優しくしてくれる人なら誰でもー!」
落ち込んでうつ伏せになる不破をよそに、とばりと宍戸は二人楽しくガールズトークで盛り上がっていた。
こうなれば完全に、不破は蚊帳の外だ。立ち直るまでに相当な時間がかかるだろう。
「や、やあ皆さん……元気そうで」
やがてそうしていると、村上も遅れて部屋に入って来た。
サラサラしていた髪はくしゃくしゃでスーツはよれよれという、すっかり変わり果てた姿で。――皆が口をそろえてこう言った。
「一体何があった!?」
――と。
「うらやましいだろ不破君……美女二人に囲まれて、濃厚なディープキスを何百回も味わったんだぜ」
見ていて痛々しいほどの虚勢とその姿、首をかしげながらの苦笑い。その目は遠いところを向いていた。
顔中キスマークだらけで、見れば見るほど哀れみを感じる。そうやって謎の哀愁を漂わせながら、村上は椅子に座った。
「いやあ、人気者は辛いねぇ」
それが無様な自分へ対する精一杯の皮肉だった。
見苦しくなんともいえない、疲れたような笑顔が村上の身に起きた出来事を物語っていた。
「……村上君ってああいう人なの?」
「なんスかね、オレにもよくわかりません……」
■□■□
辺りもすっかり暗くなった頃、不破は退勤した。
いろいろあったが、とくに変化はなくいつも通りの一日だった。
対策課に来てからというもの、村上にアゴでこき使われているばかりで不破としてはたまったものではない。
仕事も荷物運びや村上のどうでもいい話を聞く等望んでもいないことばかりで、
自分にあったような仕事はほとんどやらせてもらえていない。
気分はまるで周囲からイジメられている雑用か、報酬も貰えずにタダ働きさせられている何でも屋である。
そんな不破の中には、ストレスが溜まりに溜まっていた。沸騰したなべ物のごとく煮えたぎっており、今にも火山噴火を起こしそうである。
そんな彼にとっての唯一の癒しが、年下の婦警との交流やいつも一緒にいてくれる宍戸小梅とたまにやって来る白峯とばりの存在だ。とくに後者は、二人を見ているだけでじわじわとストレスもなくなっていく。
とはいえ今の彼は、猛烈にイライラしていた。触らぬ神に祟りなし――というように、そっとしてやった方が身の為だろう。
「今日は近道すっか」
地下道を通り、マンションの近くまで近道することにした。
この薄明るい地下道はいろいろなところに通じており、この時間帯は少ないながらも何人か通行人もいる。
とぼとぼと道を歩いてると、後ろから何者かに追われているような、背筋がゾッとする気配を感じた。
しかし振り返ると、そこには誰もいない。気のせいだと自分に言い聞かせ、再び歩き出す。
その後も不破は何度か同じ気配を察知して振り向いたが、やはり誰もいなかった。
「よし、あともうちょいだ!」
いよいよマンションの付近に通じる一歩手前――。またもあの寒気がする気配が背筋を伝ってきた。
冷や汗をかき心拍数を上げていく不破に、背後から凶刃が襲いかかる!
「ふんッ!」
間一髪、それを回避。
自分をつけてきた何者かの腕をつかみ、その手に握られていたナイフを叩き落とした。
「さっきからつけてきやがって――しつけえんだよ!」
その者の姿は見えなかったが、凶器は見えていた。
やがて想定外の事態に困惑した何者かが、その正体を現した。
どぎついピンク色と紫色に染まった、カメレオン的な怪物だった。
不破を小ばかにするように、軽妙に動いて挑発する。
「それがてめえの正体か……」
もちろんその程度の挑発に、不破が乗るわけはなかった。
背中からランスを抜き、バックラーを右腕に装着して戦闘態勢へ入る。
「いいぜ。その長い舌ひっこぬいてやる!」
さあ、戦いだ!
更新速度が上がった?
違う……その分だけクオリティが下がったんだッ