EPISODE52:たこ焼き屋の事実
「……モヤモヤするのぅ」
――雨。見渡す限り一面の雨。
降り続ける雨と、よどんだねずみ色の雲が星々輝く夜空を遮る。
そしてこの天気は、大切な人が――己の主が帰ってこない不安感を余計に煽る。
心配で心配で仕方がない。
以前拉致された時のように、また眠れぬ夜を過ごせというのか?
それだけは絶対に厭だ。
(なかなか帰ってこないな……まさか、悪いやつらにいじめられているのではないか!?)
街のチンピラやギャングに捕まり、どこかの倉庫で鎖に縛られ天井から吊るされて暴行を受けている――そんな光景を思い浮かべて、アルヴィーが目を丸くし驚嘆した。
発想がまるで、外に出掛けたきり帰ってこない子どもを心配する母親のようだった。
「まさかあやつに限ってそんなことはないだろうが――ああ、もうっ!」
やがてアルヴィーは頭を抱え込んだ。
健がもし死んでいたらどうしよう、後日変わり果てた姿で発見されたらどうしよう――と、不安が膨らんでばかりだ。
そろそろじれったくなってきた、早く帰ってこないものだろうか?
「ただいまぁー……っ」
(この声は!?)
ちょうど不安がピークに達したそのとき、心の底から帰還を待ち望んでいた男が遂に帰ってきた。
「いやぁー、夜になってからこんなに降ってくるなんて聞いてなかった。おかげでびしょ濡れだよ」
相も変わらず、元気に且つ気楽に声を出してそう言っていた。
この瞬間を待ちわびていたのだ、声を聴いたからには待ってはいられない。
急いで玄関に向かい主を迎える。
「お帰り、健! 外は大雨だっただろう、早く中……に……?」
確かに彼自身は無事には帰ってきていた。だが、体は違った。
何から何までボロボロで傷だらけ、とくに腕は傷跡があって見ていて痛々しいほどだ。
その上服はびしょ濡れで、みっともない格好だった。
それでも彼は、こうやってアルヴィーの前でいつもの屈託のない笑顔を見せていた。
「ど、どうしたんだその傷は?!」
「ちょっと、ね」
「事情はあとで聞く、早く中へ入れ!」
「うおっ!? イテテッ!!」
靴を脱いだ健を引っ張ってでも玄関から上がらせ、部屋へ入れる。
「たぶんお医者さん行った方が……」
「大丈夫だ、エスパーはケガの回復が著しく早い。だから傷もすぐに塞がる。それに医者になど行っていたら金がかかるだろう?」
救急箱を持ってくると中から慌てて消毒液やばんそうこう、包帯と行った怪我した時には欠かせない必需品を取り出した。
「軟膏塗ってその上にガーゼを貼ってから寝れば、腕の傷などはあっという間に治るはずだ」
「だといいんだけど……いてっ!」
心配する健をよそに、アルヴィーが右腕につけられた傷を消毒。
そこに軟膏を優しく塗り、その上からガーゼを貼った。
簡単に剥がれてしまわないよう、テープを2つほど貼り付けた。
「ところで、一体どこへ行っておったのだ?」
「ギャングたちを退治して、それから帰ろうとしたら変なエスパーの人に絡まれて……あいたた」
今度は体に包帯を巻き、顔に入ったかすり傷を消毒してばんそうこうを貼る。
痛いがもう少しの辛抱だ。
「ほう、そうだったのか。そりゃ大変だったのぅ」
「でかい銃持っててさ、すごく強かった。勝てないかと思ったよ。ギャングのリーダーもエスパーだったんだけど、そいつはあまり強くなかったなぁ」
健は気楽そうに語ったが、アルヴィーには分かっていた。
彼は必死で戦っていたのだと。こうやってボロボロになるまで戦い続けていたのだと。
「僕、一人でやっつけたんだよ! 凄いでしょ?」
「確かにスゴいのぅ。だが……」
嬉しそうに笑う健を見て、アルヴィーが口元を歪めた。
いつも通りつり上がってはいるものの、目付きもどこか哀しそうだった。
「もうそんなに強くなったのか? 少しばかり鍛えすぎだ……もっと私を頼ってくれたっていいのに」
「だ、だけど。あんまり頼りすぎたらダメかなって」
「何故そう思ったんだ?」
「……いつまでも頼ってたら、強くなれないって思った」
「そうか――」
健の言うことは一理ある。
確かにアルヴィーは強く、それも他者を圧倒するほどだ。
彼女ほど頼りがいのあるパートナーはいない。
だが、彼女に頼りすぎてはいつまで経っても強くなれない。
慣れないうちは手伝ってもらっていたが、この頃になって自分が着実に強くなっているのを実感できた。
だから極力、彼女の力を借りることは避けてきた。
最近になってアルヴィーをアパートに置いていきがちになったのはその為だ。
結果としてアルヴィーは家にこもりがちになり、寂しがることも多くなった。
「……実は私も同じような事を考えておったのだ」
「えっ!?」
「まあ、そう驚くな。お主に私への依存心が生まれぬよう、お主に力を貸すのは余程のことがあった時のみにしていたのだ」
「そうだったんだ……」
「だが、無駄な気づかいだったようだのぅ。お主も似たようなことを考えておったからな」
気が付けばそれまでむすっとしていたアルヴィーが笑顔に戻っていた。
普段クールにすましているからか余計にそう映るのかも知れないが、心底嬉しそうな笑顔だ。
逆に言えば、それだけ寂しい思いをさせていたということになる。
――などと熟考していると、アルヴィーがささっと布団を引いてしまった。
「さ、今日はもう遅い。早く寝ないと日が昇ってしまうぞ? 風呂なら明日にでも入ればよい」
「うん、そうする!」
着替えるとさっさと布団に入り、すやすやと寝息を立てた。
疲労が著しく溜まっていた健が就寝するのは時間の問題だった。
健の寝顔を見てクスリと笑うと、アルヴィーも続いて眠りに就いた。
~4日後、日曜日~
「みゆき、アルヴィー! あそこだよ、あそこ!」
「あれが『市村』さん? もしかして食べに行くの?」
「うん、そうだよ!」
「たこ焼きかー! ちょうど腹も減ったことだし、食いにいかんか?」
「もちろんさ」
戦いで受けた傷もすっかり完治し、気分をリフレッシュさせるべく健はみゆきやアルヴィーと一緒に外出することにした。
目的は京都の中をブラブラする――だけではなく、職場でも話題に挙がっていた『市村』のたこ焼きを買って食べることも入っていた。
『市村』のたこ焼きを食べるかどうかについて聞くと、満場一致で食べることとなり、早速アサガオ公園へ向かった。
そこには噂になっていた通り、移動屋台が停まっていた。
これが今話題の『市村』だ、ご丁寧にひらがなで『いちむら』と書かれた旗も見える。先に来ていた客の姿も何人か見られ、その人気ぶりが窺える。
これだけ人気が多い――ということは、味は十分に保証できるだろう。そのくらい美味しいということだ。
「ようこそいらっしゃい! ぎょうさん買ってってやー!」
頭にねじり鉢巻を巻き、水色のはっぴを調理シャツの上に着た若い男性が懸命にたこ焼きを焼いていた。
よく見ると焼いているのはたこ焼きだけではなく、大判焼きと見られるものも売ってあった。
これは今川焼きとも呼ばれる食べ物で、小麦粉を主体として型で焼いた和菓子である。
中に入れるのはあんこが主流だが、カスタードクリームや白あんを入れることも多い。
「今なら大判焼き売ってるでぇ!」
「あ、あたし大判焼き!」
「私も欲しいー!!」
「俺も俺も!」
次から次へと客がやってきては、誰もかもせわしそうに注文をして来る。
その大半は女性で、若い女の子から母親、おばちゃんからおばあさんまで年齢は様々だ。
しかしこの青年は手短に該当するものを焼き上げては、速やかにパックに入れて渡していた。
そして必ず、思わずときめいてしまうようなウィンクをしながら渡していた。
女性はともかく、野郎にとっては不快なことこの上ない屈辱である。
「あ、空いたよ。行ってみよう!」
やがて列が空いた。これでようやく買いに行ける。
ソースたっぷりで大きい、あつあつのたこ焼きを味わえる。
「ほいほい、いらっしゃ……」
そして新しくやって来た客を見て、たこ焼き屋の男は思わず目を見張った。
3人いる客のうち一人は何となく見覚えがあり、会うのも今日がはじめてではない。
一度どこかで、何らかの形で会っている人物が一人いた。
あとの二人は今日が初めてだ。戸惑って思わず手を止めてしまった。
「あのー……どうかなされましたか?」
「えっ? あ……いや。何でもあらへん。3名様やね?」
首を傾げたのはたこ焼き屋だけではなく、健も一緒だった。
目の前の彼と似たような顔や容姿をしていた人物と、どこかで会った事がある。
確か4日前に、ギャングを懲らしめに行ったときだった。
そのときの帰りに彼とそっくりな男に喧嘩を売られて――。
「エエのぉ~。美人の姉ちゃん二人も連れ歩いとって、うらやましいわい。このスケコマシがぁ」
「あ、あの。たこ焼き3パックください……」
「おう、かんにんかんにん! 600円や」
財布から1000円札を出し、たこ焼き屋の青年に手渡す。
太っ腹だとおだてられながら、お釣りの400円とたこ焼き3パックを受け取った。
アツアツでほんのり暖かいが、ずっと持っているとヤケドしそうだ。
こういうものは暖かいうちに食べるのが一番だ。
早速パックを開け、串を刺してたこ焼きを口に運ぶ。
噛んだ瞬間、口の中がとろけ出す。
「う、うまい!」
「確かにおいしいの!!」
「とろけるぅ~!」
3人とも思ったことは同じだった。あとは自然と食指が動いてゆき、
「これはヤバい。やみつきになるぞ!」
「道理で売れるわけだの!」
「ソースとかつおぶしがよく効いているわ。それに青海苔もうまい!」
「せやろォ?」
彼らは口々に『うまい!』と叫んだ。
たこ焼き屋の青年も満更ではないらしく、自慢げに笑っていた。
「おいしかったな~。この頃の京風のカリカリしたやつばっか食べてたからなぁ」
「また来てみよっか!」
「うむ、それがいいと思う」
近くのゴミ箱にパックを捨てると、そのまま3人は去ろうとする。
――だが、そうは問屋が卸さなかった。
「待たんかい」
突如として、屋台からたこ焼き屋の青年が低い声で呼び止めてきたのだ。
何事かと思い振り返ると、屋台から出た青年が凶悪なニヤケ面を浮かべて仁王立ちしていたのだ。
それも青筋を浮かべており、よく見ると笑いながら歯ぎしりもしていた。
「え? ど、どうしましたか?」
「ただでさえ実力あんのに、リア充やったんかい東條はん。こりゃあ『爆発しろ』言われんのも時間の問題やで」
「よ、余計なお世話です。でもなんで僕の名前を?」
「しらばっくれんなや――」
彼とは今日あったばかりの、見ず知らずの他人のはず。
なのに何故、健の名前を知っているのだろうか?
「この前わしのことボコっといてよう言うわ! このボケが!」
「え!?」
「や、やだ。この人……怖い……」
凄まじい剣幕でたこ焼き屋が怒号を浴びせる。
あまりの迫力におびえたみゆきが健の腕に抱きつき、ギュッと掴んでいた。
一方でアルヴィーは飽くまで冷静に腕を組みながら、しかし鋭くたこ焼き屋を睨んでいた。
鋭い彼女のことだ、何かに気付いたのかもしれない。
「で、でも。そんなことした覚えは……!」
「セコいやっちゃ。どこまでもシラを切るっちゅうんか。せやったら、嫌でも思い出させたるわい」
戸惑う健を前に舌打ちし、たこ焼き屋が懐から大型の銃を取り出す。
そしてそれを己の顔の前に添え、これ見よがしに見せ付ける。
「この銃……まさか!」
ようやく気付いた。そうだ、この男は以前に戦った――。
「せや、泣く子も黙る〝浪速の銃狂い〟……」
銃をすばやく回し、その銃口を健の前に突きつける!
「市村正史やぁぁぁぁッ!!」
彼の正体に気付いていた人はたぶん気付いていたと思います。一応それっぽい台詞を吐いていたりしてバレバレでしたし。




