EPISODE47:細々、ぼちぼち
「やっ、たぁっ!」
今日はバイトは休み。別に家で一日中ゴロゴロしていても罰は当たらない日だ。
健もそれは同じだった、前までは。だが、今は話が違う。
少しでも強くなるために、日々精進を重ねているのだ。だから今、こうやって公園で素振りをしている。
「はっ、でやああああ! うおりゃああああ!!」
「おぅ、上手くやっておるようだの。差し入れ置いとくぞ」
「ふーっ。ありがとう、あとで食べるよ。……っていうか今食べたい! 疲れた!」
なけなしの金をはたいて練習用に買った木刀をポイッとその辺に投げ捨て、
すぐさまアルヴィーがいるベンチへ駆け込む。アルヴィーだけではなく、みゆきも救急箱持参で来ていた。
「なんだ、もうやめたのか。現金なヤツだの」
「こっちは朝からぶっ続けだったんだよ。それと、ほどほどにしとけって言ったのはそっちだろーっ!」
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
健が冗談混じりにアルヴィーに突っかかり、またも乳を揉んでやろうとする。
相手も冗談だというのは分かっていた。それをみゆきが仲裁し、ひとまず落ち着かせる。
「ねえ、ところでさ」
「なんだい?」
「健くんっていつもああいう風にして戦ってるの?」
「うん! まあ、ね」
自慢気に腕を組んで「どうだ!」とでも言いたげに、誇らしく健は笑った。所謂『ドヤ顔』というやつだ。
昔だったら虚勢を張っているようなものだったが、今は違う。しすぎが良くないだけなのであって、自慢してもいいくらいの事なのだ。
「けど、仕事に戦い、それから家事。毎日大変なんだよ……わかる?」
「うーん。そうでもなくない?」
「え?」
「いや、私ってガンガン働きたいタイプなの。健くんと違って戦えないけどね……」
「えらいっ! お主は将来いいお母さんになれるぞ!!」
「マジ? じゃあお父さんがニートでも安心だね!!」
そう調子のいいことをみゆきの前で言っていると、頭を平手打ちで思い切りどつかれた。
それは頭を抱えてうずくまるほど強烈で、健はずっと「痛い、痛い!」と言っていたという。
「どアホが。働かざるもの食うべからず。動かざるものニャンニャンするべからずだ」
「す、すんませんした」
「ニャンニャン……ってなあに?」
「あッ! えーっと、あーっと、うーっと……」
健は意味を言おうとした寸前で思い直して立ち止まっていた。
ここはストレートにどういう意味か言うべきだろうか。そうするとなると「ニャンニャン」という言葉の意味を知ってしまったみゆきの将来が不安になる――。
しかし、仮に意味を伏せたり、ごまかしたところで何になるだろうか。
知らないほうがいいことではある。だが、いずれは知ってしまう。でも、教えるわけには――。
(こうなりゃヤケクソだ――!)
「ねえ、どういう意味なの?」
「あ、ああ。アレはね。その……猫の鳴き声だよ。にゃーん」
「にゃーん……あっ、そっか。普通そうだよね! 変なこと聞いてゴメン」
これでいいんだ。よかったんだ、と、健は胸を撫で下ろした。
「良かったじゃないか」と、アルヴィーが健の肩を叩いた。
「ところで差し入れは食わんのか? あんなに腹を空かせておったのに」
「あっ、忘れてた!」
「む? もしやまだ腹が減っていなかったか? なら、私が食ってしまうぞ」
「ま、待って! 食べないと死んじゃうよ!!」
「フフフ、冗談だ。ほれ、たーんと食われよ」
アルヴィーから手渡された差し入れ。かわいらしいピンク色のランチクロスを解いてみると、
中には――ほどよいサイズの弁当箱。しかも2重構造だ。上も下も中身が気になって仕方がない。
「こ、これは……! みゆきの手作り弁当!」
「驚くのはまだ早いわ。さあ、遠慮せずに開けてみて!」
期待を胸に乗せてふたを開けてみれば、シャケ味の混ぜ込みごはんの上に刻み海苔が『ガンバレ!』という形に散りばめられていた。
二段目の箱には、肉から野菜、魚介類までおかずがありったけ入っていた。朝食を抜いてまでトレーニングに励んだ健にとっては、嬉しいことこの上ないご褒美だ。
目を見張るほど豪華な食事にキラキラと瞳を輝かせ、うっかりヨダレを垂らす。そして、声高々に「いただきます!」と誠意と感謝の気持ちを込めて叫んだ。
同梱されていた割り箸をペキッときれいに割ると早速手を付け、ごはんとおかずを交互にがっつく。
「ね、ねえ。お味は……いかが……?」
「うむッ! ふりかけを一生懸命に混ぜ込んだごはんと、トリの唐揚げのウマさ。さっぱりしたブロッコリーににんじん。小さく切られた塩の効いたシャケ、そしてお約束のたこさんウインナー……絶品だ!!」
「ありがとうっ! そう言ってもらえてすっごく嬉しいわ!」
「よかったの。作った方も食べた方も大満足だ。私も鼻が高いぞ、健!」
噴水が見える正午の公園でのランチタイム。楽しげに盛り上がる3人の男女。そこは笑顔で溢れかえっていた。男の方は今にも歌って踊りだしそうだ。空に輝く喜色満面な太陽も、また一段と地表を明るく照らしていた。
――そんな微笑ましい風景を、路傍からひっそりと見つめているものがいた。その者は移動屋台と思しき車をたずさえて、屋台の前で手配書のようなものを手に持っていた。
「アイツか――」
屋台の前に佇む男は、青髪と水色の瞳にそこそこ整った顔立ちをしていた。
頭にはねじり鉢巻を巻いており、黒いダボダボのシャツを着ていた。まだ若いながら、
たこ焼き屋か何かを営んでいるような雰囲気だ。写真の男と公園で素振りをしていた男が同一人物かどうかを、照らし合わせるように向こうを見ていた。
「なんや、あんまし強そうやないやんけ。こりゃあ、思ったより歯応えなさそうやわァ」
ため息混じりに屋台の青年が呟く。表情もどこか辟易としていてとても残念そうだ。客もなかなか来ないようで、そのうち退屈そうに空を見上げて物思いに耽った。
「あの~……」
空を仰ぐように見上げていると、カジュアルな服装に身を包んだ若い女が声をかけてきた。ひと目で今時の女性だと分かるようなファッションだ。
「へ? か、かんにん! お姉ちゃん、たこ焼き欲しいんやな。今から準備するさかい、ちょーっとだけ待っといてや!」
突然の来客に男は大慌てだ。急いでたこ焼きを焼く準備に取り掛かった。紅しょうがにネギ、たこ焼きの素となるクリーム色の液体――どれもおいしく焼くには欠かせない材料だ。
たこ焼き器のくぼみに豪快に、時に慎重に流し込んでいきしばらく様子を見る。
焼き具合を見て行けそうなら、ひっくり返す。これを繰り返し、焼き上がったらパックに入れてソースやマヨネーズをかけ、ネギやかつおぶしをパラパラとふりかける。これで完成だ。関西における食の定番であるこのたこ焼きだが、なんと大阪では一家に一台たこ焼き器があるそうだ。
「いっちょ上がりぃ~!」
「わーい! ありがとう!」
「お代は200円や。わしのたこ焼き、ほっぺた落ちるぐらいウマいで!」
「ホントだ! おいしー!」
「せやろォ!? 今度来たら家族の分も買うたってや!」
「ありがと。また来るねー!」
「まいどおおきに!」
その後、雪だるま式に客足は増えていった。これで屋台は大繁盛。じゃんじゃんばりばり、銭が受け皿に溜まっていく。たこ焼きは当然バカ売れし、あまりの美味さに誰もが舌鼓を売った。売るほうも売られたほうも大満足、これで良し。
「いやあ、ドえらい儲けさせてもらいましたわ。これで漫画何冊か買えるでぇ」
その晩、屋台を閉めた男が売上げを数えていた。合計で2万円、それなりに売れていた。彼自身は売れっ子かどうかと言われたらそうではなく、まだまだ修行中の身。
とはいえ、これでも頑張っている方ではある。酷いときは5000円を下回っていたのだから。
父から家業を継ぐ形で始めたこのたこ焼き屋だが、これだけでは食っていけないのも事実。
とにもかくにも金が足りない。無駄な買い物はせず、消費を最小限に抑えるなどして資金繰りには気を遣っているつもりだが、それでもついつい金を使ってしまう。
しかしいくら待っていても、今日はもう客は来そうにない。更にものすごい眠気が襲ってきた、寝たいときは寝る主義である彼は睡魔には一切抗わない。故にそのまま就寝するのだ。風呂はまた明日の朝、銭湯にでも行けばいい。最悪シャワーを浴びるだけでも十分だ。
「もうええわ、寝たろ。寝る子は育つんやぁ〜……」
戸締まりを済ませると、運転席で毛布をくるまってそのまま就寝。今日はもう、これにて休業だ。
また明日にでも売りさばこう。明日は明日の風が吹く、その時に売ればいいのだ。すやすやと寝息を立て、いざ、深い眠りへ。何が起きるか分からない夢の世界へ――。