EPISODE378:緑川和人の災難
昼下がりの京都府内、とあるコンビニ――緑色の髪をくくった男性が昼休みをとってくつろいでいた。もちろんその部屋は従業員以外立ち入り禁止の休憩室だ。弁当に箸をつけておいしそうに味わっている。
「ヤッホーイ!」
「!?」
しかし棚の隙間から紫のエンドテクターをまとった青年が勢いよく飛び出し、そのまま――天井に頭をぶつけ、机に落下。机を真っ二つに叩き割った上に弁当は到底食べられない状態となり、このコンビニのバイト――緑川は目を丸めてあんぐりと口を開けた。
「ゲヒャアアア!」
更に奇声が上がり、同時に壁が強酸によって溶かされ穴が開いた。そこから穴を開けた張本人――身長の低いブサイクな男が休憩室に入る。同じタイミングに紫のエンドテクターを着た――褐色の青年も起き上がった。
「ゲヒ、ゲヒ、ゲヒ。緑川和人だな?」
「な、なんだお前ら……?」
「オブシディアン――という方を覚えているか?」
――オブシディアン? まさか! 緑川はその名に聞き覚えがあった。かつてセンチネルズにいたとき、浪岡から聞いたのだ。自分の前任者にしてセンチネルズで最も危ない男。そして、ある条件を持ちかける代わりに自分を釈放した男。
「そうか、その四つに割れた地球のエンブレムは! 忘れもしない、俺より前のセンチネルズ副官にして、あのとき俺をムショから出す代わりにデミスの使徒に入るよう持ちかけてきた――オブシディアンのことは!」
「ゲヒヒヒ、ああそうさ! そのオブシディアン様がお前をお呼びになられているのだ!」
「あれは、俺自身望まない釈放だった! 本当は罪を償いたかったのに! 俺がこの半年間どんな思いで暮らしてきたと――」
「ケッ! 大の男がいつまで甘ったれたことをぬかしやがるッ!」
真顔で訴え抗う緑川を恐喝する、ベルナール。ドブロクは「そうだそうだ!」と便乗している。悪態をつき足りないベルナールは緑川の肩をひっつかんでだ。
「さあ! 四の五の言わずに一緒に来てもらおうかい!」
「うっ! 離せ!」
「そうは問屋が卸さねえ、お前を拉致れなかったらオブシディアン様に殺されちまうからな。ゲヒゲヒゲヒ」
「……ぬおーーっ!」
掴みかかられた上に足にもしがみつかれ、身柄を拘束された緑川であるが、仮にもアルヴィーと一瞬だけ互角の勝負を繰り広げた男。
ただで終わるはずもなく、必死で抵抗した末――エンドテクターをまとった状態の刺客ふたりを振りほどき、逃走した。
「やべっ! おい、ヤツを追うぜブ男!」
「うーるへえ! 言われんでも追うわい!」
予想外の事態に焦るベルナールとドブロクは、逃げ出した緑川の追跡を開始する。片耳に装着された機械――サポーターアイに緑川の位置が表示されているため、特定さえすれば追い付くのは容易だ。
「待ちやがれ!」
「!」
ベルナールは、持ち前の優れた脚力と、影と隙間を通しての瞬間移動を駆使してすぐに追い付いた。
遅れてやってきたドブロクも飲みすぎた酔っぱらいのごとく口から強酸を吐き出し、緑川を足止めする。
「えぇーい!」
「ウゲェ!?」
だが緑川は近くにあった一斗缶を拾ってベルナールに投げつけた。その弾みで缶はドブロクにも命中する。隙を突いて緑川は道脇にずれて姿をくらました。
「く、くそーっどこへ消えた。この『ハイランドステッパー』ベルナールから逃げ切れると思うなよ」
「ゲヒ! 見つけたらただじゃおかねえ!」
悪態をつきながら捜索を開始する、ベルナールとドブロク。その姿は――ビルの上から、メガネにスーツ姿の誠実そうな女にしかと目撃されていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その頃のことだ。東條健は、先日の警視庁で繰り広げられたデミスの使徒との激闘で大ダメージを受け、今は府内の島崎総合病院のベッドでおとなしく療養していた。
幸い、彼は戦うために常人をはるかに上回る身体能力を得たエスパーであるためまだ傷の治りは早いほうであるが、それでも下手には動けない。焦ってもなるようにしかならないので、健はすやすやと寝息を立てて体を休めていた。
「健くん、大丈夫?」
「う……うーん……」
聞き慣れた少女の声がする。眠りから覚めた彼の目におぼろ気ながら映ったのは、サイドテールがかわいらしい――風月みゆき、彼の幼なじみだ。すぐに視界はくっきりとしてきた。
「みゆきかー。もしかして僕のお見舞い?」
「うん」
みゆきの手元に目をやれば、そこにはリンゴや梨にメロンが入ったバスケットが。健は思わずよだれを出しそうになったが、こらえる。
「なにか剥いてあげよっか」
「いやそれには及ばない。我慢する」
「ふーん。出されたものはちゃんと食べてるの?」
「まーね。味はちょい……独特だけどさ」
談笑するふたりの男女、と――そこで、病室内のテレビ画面にニュース番組が映る。ニュースキャスターは真面目そうな若い女性だ。
「本日十三時過ぎ、京都府内西大路付近のコンビニが何者かに襲撃され荒らされる事件が発生しました。店長含む店員数名が重傷を負い、犯人は未だ不明とされています。次のニュースです――」
「わっ、ひどいことするなー……」
「ロビーでも見たけど、どうもこのニュースで持ちきりみたいよ」
ニュース番組で映ったコンビニは、健も何度か足を運んでいた場所だ。だが顔馴染みではない。眉をひそめる健に、みゆきはこう伝える。
「――ところで、鷹梨さんに会ったんだけど……」
「鷹梨さんがどったの?」
鷹梨とは――ハヤブサを彷彿させる姿の上級シェイドであり、かつて健たちと敵対していた女性だ。シェイドでありながら規律を重んじ無益な殺生を嫌う、冷静沈着かつストイックな性格で高潔な信念と正義のために生きる女であった。敵対していたのも己が信ずる正義のため。
今は健たちと和解しているものの、己が信じるもののためとはいえカイザークロノスの野望に荷担していた罪悪感からか彼らとは距離を置いている。そのほうが自分と健たちのためにもなると、彼女自身もそう考えていたことだろう。
「それで鷹梨さんから聞いたんだけど、デミスの使徒……出たんだって」
「!?」
みゆきの言葉を耳に挟んだ健の体は正義感に駆られ、本能を呼び覚ます。しかし――動こうとする健の左肩から右脇腹にかけての部位が痛み出した。
「大丈夫!?」
「お……思っていた以上にダメージが大きいみたいだ。で、でもこのくらい……」
苦しげにしながらも健は心配するみゆきに、笑って声をかける。それだけ警視庁舎で戦ったデミスの使徒の女エスパー・榊は手強く油断ならない相手であった。
健が病院のベッドに横たわるハメになったのも、彼女の仕業だ。
「エスパーだからこんな傷くらいすぐ治っちゃうよ。だから心配しないで。ねっ?」
「う……うん、そうする。……そうだ」
「なんだい?」
「鷹梨さんから聞いたんだけど、デミスの使徒が現れたことは不破さんたちに連絡してあるんだって」
「そっか……アルヴィーとまりちゃんは?」
「健くんの代わりに戦いに行ってくれたみたいよ。鷹梨さんが言ってた」
「みんな、僕の代わりに――」
みゆきを安心させて仲間たちが戦いに出たことも知ると、健は後頭部で手を組んで横になる。それからほどなくしてみゆきは家に帰り、健は真顔になり――仲間たちの心配をし出した。
ひょっとしたら今まで以上に手強い未知の相手が現れたのかもしれない。僕がいなくても大丈夫だろうか? ――と、もどかしさを噛みしめながら。