EPISODE352:クビか謹慎か
――思えば、彼が自分にも非情さがあれば……などと考えてしまったのは今この瞬間がはじめてかもしれない。
人質にとられたケニーと浅田もまた、彼にとって大切な人だ。手にかけたくない、失いたくない……。健の手はずっと震えている。
「しゃぁお!」
「うぐ!?」
作戦は成功、東條健はすっかりへたれている。ブロンズクラスからシルバークラス、いやゴールドクラスへと上がるまたとないチャンスだ!
憎たらしく笑うヤンはケニーと浅田から手を離した――瞬間に、デビルネイルを紫色に光らせ健に切りかかる!
健は肩から胸にかけて血を吹き出し、苦痛に喘ぎながら喉を押さえる。――出血がひどいだけでなく、息も苦しい。更に肌から生気が抜けているように感じる――。まさか、毒か!?
「と、東條くん!?」
「ギャーッハハハハハハァーッ」
健の身を案じて叫ぶ浅田、ヤンは健を指差して腹を抱えて笑う。
「おめーを猛毒に冒してやった。デビルネイルの毒は速効性だよーん!」
「くっ、やっぱりそうか……!」
毒の影響で息は切れるし、視界がブレる。これでは思うように戦えない。親しい人たちを救えない――。
ヤンは猛毒に苦しむ健をいいようにいたぶり、先ほど人質にとったケニーと浅田まで精神的に苦しめ始めた。
「あと五分もすればてめーは全身に毒が回って死ぬ。俺様はついでに市役所のやつらも皆殺しにして、ブロンズからシルバークラス、いやゴールドクラスにまで上りつめる。ワイルドだろォ〜!?」
「そ、そんなのちっともワイルドじゃないよ……」
「うっせえバーカ!」
健を蹴っ飛ばすと、ヤンは再びケニーと浅田にデビルネイルをあてがった。健は毒に蝕まれながらも立ち上がり、抵抗を続けようとヤンに剣先を向ける。
「おい、待てって。話によってはお前を助けてやらねえこともないぜぇ? 俺は残忍なシェイドと違ってお優しい人間様だからなァ〜」
そう言うと、ヤンは懐から鮮やかな緑色の液体が入った注射器とおぼしきものを取り出す。毒薬か? いや――そうでもないかもしれない。
「ほーれ解毒剤だあ。こいつが欲しいんなら、まず土下座しな」
「ッ……」
以前、上級シェイドの辰巳ことヒュドラワインダーとの初戦でも毒に冒されたことがあるがそのときはアルヴィーから受け取った白い龍の鱗が『お守り』となって九死に一生を得た。
しかし今回はそんなものなど持っていない。他に策がないのならここはヤンの言う通りにするしか――いや、するにしても、健は転んでもただでは起きない男であることを忘れてはならない。
「……」
「ちょっと、東條くん何してるの!?」
――唇を噛みしめ、健はヤンに土下座した。戸惑う浅田とケニーの前でヤンは汚ならしく笑い、「よ〜〜〜〜し、素直でよろしい。だがまだ解毒剤はやれないねェ」
「!?」
「言い忘れてたが俺様はてめーみてえなチキン野郎が大きれぇなんだよォ。チキン野郎はチキン野郎らしく、『僕はチキンだから皆さんを見捨てて逃げまーす!』って言いな。そうすりゃ解毒剤お前にやる」
健をあらん限りになじり、自身が嫌いな『チキン野郎』の演技をしてまでヤンは嘲笑う。
「東條くん、あたしたちのことは構わないから早く逃げて!」
「バイトクビにサレるノト毒でイッちャッて二度とバイトにもドコにも行けナくナルのとドッチがイヤなノ!? 毒でショ!」
健に逃げるように促す浅田とケニー。しかしそうすれば二人は助からない。ジェシーや大杉たちもだ。
「今逃げなくていつ逃げるん? 今でしょ!」
「……くっ」
「早くあいつら見捨てて逃げてくだせえっつってんだろぉ!!」
口汚く健を煽って逃亡を強要する、ヤン。健は左の拳を握りしめてぷるぷると震わせる。
「でないと解毒剤割っちゃうぜぇ!」
更に煽ってヤンは健を焦燥させんとする。健はヤンの言うことに従う――
と見せかけ、ヤンの顔に容赦なく左フックをぶちこんだ!
「うびゃあああああああああああ!?」
奇声を上げて吹っ飛ぶヤン。その弾みで解毒剤がヤンの手元から離れ宙を舞う。毒に苦しみながらも健は解毒剤をすかさずキャッチ。
左腕に射し込み解毒剤の中身を注入――。息を切らす疲労も、激痛も無くなり毒はきれいさっぱり消えた。肌にも生気が戻り、なぜだか健は身も心も軽くなったように感じた。
「あげ……え……え……なんで? なんで!?」
先ほど受けた一撃でヘッドパーツを破壊されたヤンは、自分から解毒剤を奪い取って毒を消し、力強さを感じさせる顔をして佇む健を見てうろたえる。
ケニーと浅田はただ、驚かされるばかりだ。土下座をした挙げ句自分たちを見捨てるのではなく自分たちを救うことを選び、土下座を強要してきたヤンを吹き飛ばした健の姿に。
「そりゃあ僕はお人好しだし、あまちゃんだけど、浅田さんや係長たちを見捨てて逃げ出すほど臆病者じゃない。戦いに巻き込んで迷惑をかけたくないとも思ってた。けど……それが間違いだった」
「は? な、なに? いきなりなんだよ……」
「係長たちにいつもお世話になっていた時点で、僕は既に迷惑をかけていたんだ。なのに僕は戦いに巻き込みたくないだなんて、みんなの思いをまるで足枷みたいに扱っていた……。けど決めた。正体なんか隠さない、みんなの思いや優しさは僕自身の活力にしていくべきなんだってな!」
「東條くん……」
――あんた、現在進行形でオカンとか職場の人らに世話んなってるやろ? その時点であんたは既に迷惑かけとるんよ――
――みんなが危険な目に遭わんようにしたいんやったら、襲ってくる連中しばいたったらええねん。わしなんて正体知られても困る人、だーれもおらんよ? オトンにもオカンにも、あんたぐらいの時にエスパーになりたいんやって何べんもハナシつけたしな――
――前に市村から言われた言葉を思い出しながら、健は雄弁を振るう。世話になっている人々に迷惑をかけたくないという弱い気持ちを振り切って、開き直って――そうまでしてでも人々を守りたいという信念が感じられる。
健の叫びにヤンは著しく動揺し、ケニーと浅田は感銘を受けた。
「ヤンとかいったな! 僕は今気が立ってるんだ、貴様のような卑怯なヤツは倒す!」
「ヘッ! いい気になんなよ! もう解毒剤なんか出さねぇ、二度と俺に生意気なクチ聞けなくしてやらあ!」
虚勢を張るヤンはノキサスプルームを再び繰り出す。健は雷の力を宿した剣を振るい、稲妻を発生させて噴き上がった毒液を蒸発させヤンもしびれさせる。
顔を歪めるヤンに容赦なく一太刀浴びせ、怯んだところにボディーブローをかます。ヤンは巻き返しを狙いすばやい身のこなしで健を攻撃。攻防戦に持ち込まれたが健はヤンの攻撃を簡単に打ち払い、渾身の一撃を繰り出す。
結果、ヤンが悲鳴を上げると同時に左肩についたパーツと背中のヤモリの腕のようなパーツが砕け散った。
「へげぇ! つ、つええ……」
「さっき食らったお前の毒……あんなの辰巳やまりちゃんの猛毒に比べたらなんてことなかった! なにせお前が食らったら一瞬で死んでしまうくらい強力だったしな!」
「このヤロウまだ俺を侮辱するか、ズタズタにしてやる! ハザードスクラッチ!!」
「甘いぜっ!」
健の挑発に乗せられたヤンはデビルネイルを何度も振りかざそうとする。しかし、健は地中から土壁を出現させハザードスクラッチを防いだ。
それどころかヤンのデビルネイルが土壁に突き刺さっており、ヤンの体は振動して動けない。
「な、なんだよコレぇ!?」
「盾に土のオーブをセットして、その力で壁を作り出したのさ!」
「ちっきしょう、いつの間にぃ……」
「危険な猛毒の爪も折れたんじゃ使いものには、なりませんッ!」
一年間戦い続けたことで生まれた余裕から健は動揺しているヤンを煽りながら、土壁ごと叩き斬り派手に粉砕。
ヤンはデビルネイルを振りかざすが健に受け止められた上、デビルネイルを破壊された。
「あひええええっ! や、やっべ……深爪しちゃった……」
「クロスブリッツ!」
「ひぎっ!?」
十字の形に斬撃が飛び、逆手持ちから放たれた電撃波がそれを後押しする。それは怯えるヤンをぶっ飛ばし電柱へ叩きつける!
武器を失いもはやこれまでのヤンを前に、健は剣に気合いを溜めてから急接近。轟く稲妻まとう剣をヤンにぶちかました。
「とどめだ……! ライトニングフラッシュ!!」
「あっでぃっだあああああああす!!」
ヤンの全身に電気が流れ衝撃と悶えるような激痛が走る! エンドテクターが完全に破壊される中で断末魔の叫びを上げて、ヤンはぶっ飛び頭から地面に激突。髪は乱れ目を見開き、血ヘドを吐いた。
「ヤッター! 東條サンが勝ッタ! アノ変なヤツやっツケたネ!」
「……ぃよっしゃあああ!」
健は勝利の喜びを噛みしめてガッツポーズをとり、ケニーと浅田も大いに喜んだ。
「ヤンにはエスパーの特殊能力を封じる効果を持つ手錠――アンチアビリティカフスをかけておいた。これであらゆる能力は封じられ、影や隙間からの脱出も出来ない」
「ありがとうございます。しかし不破さん、どうしてまた京都に?」
「しばらく大阪府警出張することになってな、それとお前や白峯さんともコンタクトとるように言われた。あとはわかるだろ」
「……はい♪」
「じゃ、詳しいことはまた後日な」
その後、浅田たちが警察に通報したことによりヤンは逮捕されそのまま連行された。彼にかけられた手錠はただの手錠ではない。
黄土色の髪をした警官――不破ライが言うように、エスパーの特殊能力をすべて封じる手錠だ。不破は事情を説明した後複数来ていたパトカーのうち一台に乗って去った。
「……すみませんでした! 今までずっとエスパーだってこと隠してて!」
その場に居合わせた役所のメンツの前で健は頭を下げて謝罪。腕を組んだり首を傾げたりなどして、ケニーや浅田ら役所のメンツの胸中は複雑だ。健はクビにされる覚悟をしていた。
皆の笑顔や希望、平和のためとはいえそうなって当然のことをしてしまっていたからだ。野に下ってまた新しいバイトを探すことも彼は考えていた。
「本当に! 本当に申し訳ございませんでしたッ!」
「あー、わかったわかった。わかったから落ち着きなさい。さっきはみんなを守るためにあの変な人を遠ざけてくれたそうじゃないか、ありがとう」
健を落ち着かせて大杉は礼を言う。
「けど、エスパーとして戦うためだったとはいえちょいちょいサボってたのはねぇ……。そこで考えたんだがね、東條くん」
「や、やっぱりクビですか!? クビですかね!」
「――君は減給だ」
「ですよねーっハハハ……え?」
大杉は騒ぐ健にはっきり「減給」と告げた。健は目を見張り閉口する。その宣告はケニーや浅田、ジェシーたちの注目を一気に集めた。
「げ、減給。クビじゃなくて?」
「ああそうだ。それと月から金まで来てもらうよ、土日祝日は休んでもいい」
「……ふおおおおおおおお!? ありがとうございます事務長っっ!! そしてこれからもよろしくお願い致します皆様ぁ!!」
感激を受けるあまり健は声を裏返すほどに叫んだ。内心ヒヤヒヤしていたジェシーたちも溜飲が下がり、思わず微笑んだ。たかがバイトひとりに入れ込みすぎている感は否めないが……。
「ナンにシテも東條サンがリストラされナクてヨカッタ」
「東條さん働き者ですしああ見えてしっかりしてますし、いなくなっちゃうと色々と大変ですからね〜」
「さてみんな、こうしちゃおれんよ。さっきの変な人に荒らされたところを片付けよう」
「「「「「よろこんで!」」」」」
【デミスの使徒紳士録 #1】
◆【害毒のアサッシン】 ヤン
◆階級:ブロンズクラス
◆所属:サリヴァン軍団配下
◇東條健抹殺の命を受けたデミスのエスパーで紫色のヤモリ型エンドテクター【ゲッコーギア】の装着者。青い外ハネの髪が特徴。
ひょうきんな言動をとるがその性格は残忍でズル賢く、出世に対して貪欲でありどんな卑劣な手段も厭わない。
軽いフットワークと猛毒を秘めたカギ爪【デビルネイル】を中心とした戦法をとり、壁面や天井などに貼り付くことも可能。
勤務中の健を急襲し、上述のデビルネイルや同僚を人質に取るなどして健を追い詰めたが、その卑劣さが健の逆鱗に触れ惨敗する。
◇技:ハザードスクラッチ、ノキサスプルーム