EPISODE350:怪奇!ヤモリ男の強襲
一月二十七日――。一度きりの成人式もスコルピウスとの死闘も、突如現れた『ミスティックス』なる悪しき魔物たちとの戦いも終えて、健は普段通りの生活に戻っていた。
バイト先でパソコンと向き合い、いつものメンツと協力して大きな仕事に取り組み――これでシェイドさえ出なければ、完全に普段通り平和なのだが。今の平和はさしずめシェイドが現れて悪さをするまでのかりそめの『平和』でしかない。
「東條くんさー、この前のモンスター騒ぎのときどうしてた?」
「モンスター? えーっと、確かミスティックスってやつらでしたっけ、浅田さん」
「そう、それ」
「僕、そのときは大津の実家に逃げて家族で隠れてました」
茶髪の長い髪を巻いたOLの浅田から『ミスティックス』が現れたときの話題を振られた健は、実家に逃げ込んだと嘘を言う。
まるで他人事のような言い回しだが、クリスマスのときにヴァニティ・フェアを壊滅させたのも、待桃の一派『ミスティックス』と戦って人々を守ったのは紛れもない彼だ。
勇敢な健も皆の前ではすぐに逃げてしまうような、根性無しの臆病者のフリをしている。その裏で戦いを続けてきたのだ。
「シッかシ世の中世知辛いモノだネ。カイザークロノスとかイウおッかナイのがいツノ間にカ消えて平和ニなッタと思ッたラ、今度はミスティックスとかイウこレまたおッカなイ、モンスター出てキテ。大変だヨ」
「うんうん! でも悪いやつらはいつかは滅ぶもんですよ係長」
「この世に悪が栄えた試しはありませんからね〜」
健と浅田のみならず、金髪碧眼のOL・ジェシーや係長のケニーも加わって、モンスター騒ぎなどに関する雑談は続く。もちろん彼らは、その間に仕事を怠けるようなことはしない。
性格こそバラバラでも根が真面目なのは全員同じだ。これは言ってしまえば信念のようなものか。なにもしない輩が職場に居座る価値はない。
「モしカシたラ、モウ一波乱起こッタリして――」
「「「「えっ」」」」
ケニーの言葉に、彼以外の職員四名の顔がひきつった。四人とも、もしそんなことが現実になればシャレにならないと、そう思ったからだ。
「や、やだなー係長! 縁起でもないこと言わないでくださいよー」
「そウナっタらイヤだヨナー、ってイウだケのハナシだっタンだケドネェ……」
たとえばの話でも心臓に悪いものは悪い。気を取り直して一同は雑談を終えた。
――そんな彼らの様子を、市役所から少し離れたところにあるビルから見ているものがいた。まず視力の良さに驚かされるだろうがそんなものは序の口。
そのものは若い男性で、紫色とライトグリーン、ピンク色を基調としたどぎつい配色のプロテクターのようなものをまとっていた。背部にはヤモリの足のようなパーツがついている。そういえばヘッドギアはヤモリの頭部のような形状だ。左目には緑色の電子スクリーンがついた機械をつけている。
髪は濃い青色で外にハネた髪型。瞳孔は小さい。そこそこ整った顔立ちなので、二枚目半あるいは三枚目といったところか。
なお、ベルトには四つに割れた地球の形をした銅のバックルがあった。とりあえず目立つ格好ではある。
「あそこか? ヴァニティ・フェアを潰したエスパーがいるっていうのは」
どぎつい配色のプロテクターをつけた男は、四つん這いでビルの壁に張り付き、移動。ビルの間を飛び移った。こんな芸当は普通では出来ない。
「そいつの親父はとっくにくたばっちまったらしいが俺たちエスパーの間じゃ有名人……。てことは、その有名人のガキを殺っちまえばこの俺様も一躍デミスの使徒のスターってもんだ!」
ヤモリのようにビルの壁面に張り付いて登ったり降りたりを繰り返しながら、プロテクターの男は独り言を言う。
どうやら出世欲と向上心は強いようだ。
「そいつを倒してこのヤン様の名を上げてやるっ」
ビルを飛び移って移動している最中、ヤモリ男はビルの外壁を掃除している清掃員を発見。相手にも姿を見られ、清掃員は指を指して動揺する。
「ちょ、ちょっとあんた! そこ危ないよ!」
「あ゛ァん? 見たなァ〜?」
ヤモリ男こと、ヤンはカギ爪を生やして、ビルの壁を這いながら清掃員が乗っているリフトに接近。ロープに爪を突き立てると、下卑た笑みを浮かべた。
「俺様の姿を見たものは生かしちゃおけねぇなあ、いけねぇよォ!」
「ひい! うわああああああああああ!!」
ヤンがリフトのロープをカギ爪で切断! あわれ清掃員は地上へ落下した。そこにはクッションになるものなどなく硬いコンクリートに激突して死んでしまった。
「へへへへへ……」
汚ならしく笑うヤンは、京都市役所を目指してビルからビルへ渡った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「ごちそうさま〜っ。さて、お仕事お仕事!」
新たなる危機がすぐそこまで迫っていることなど知らない健は、今日の昼食の自分で作った弁当を食べ終えてその場で軽くストレッチをした。
爽やかで心地よい顔をして、午後からの作業にさあ取り組もうとした、その瞬間だった。
「ィイイイイイィヤッハアアアアアアアァァァ!!」
「きゃー!?」
「ウワァァァ!?」
突然、甲高い叫び声と同時にガラスが割れた音が健や係長たちの耳に入ってきた。経理のほうからだ――。
「な、ナんなノ今のハ!?」
「ぼ、僕に聞かれましても……」
突然の出来事に一同、困惑する。冷や汗をかき、あるいは不安から顔をひきつらせながらも、何が起きたのか見に行くことにする。
そこにはガラス片などが散らかって荒れ果てた経理のオフィスと、ケガをしたり怯えたりしている経理の職員たち、そして――ヤモリを彷彿させるプロテクターを身に付けた怪しい何者か。皆、動揺していたがとくに健は顕著で、目を見開いて緊迫していた。
「おい、ここで凄腕のエスパーが働いてるって聞いたんですけどォ!」
「へ、HEY……どこのどなた?」
「俺はデミスの使徒・ブロンズクラス、『害毒のアサッシン』ヤン様よ!」
「で、デミスの使徒ぉ!? ソレっテ、たしカ『光の矢』ト戦っテ潰れたハズじャア……」
「潰れちゃいねー、再生してたのよ! で、あんたここの責任者?」
名乗りを上げて、ヤンはケニーに訊ねる。ひどく怯えながらケニーは、「NO! NOOOOOOOOOO!!」と、悲鳴を上げる。
「じゃあおめーなんかに用はねえ、早くエスパーか一番えらーい人呼んできな!」
「ウウウウウウウゥゥ!!」
ケニーの胸ぐらを掴んでヤンは唾を飛ばしながら脅迫。投げ飛ばしてパーティションごと倒した。ケガをして血を流すケニーに駆け寄って、健や浅田たちは彼を介抱する。
「か、係長っ!」
「気をしっかり〜!」
「こ……怖カッたヨー……」
この期に及んでふぬけたことを言ったためか、健とジェシーは怒りを通り越してむしろ安堵の息を吐く。
「いったい何の騒ぎだね!」
そこに、副事務長から晴れて事務長に昇進した初老の男性――大杉が姿を現す。
苛立っていたヤンもこれにはにやつき、大杉に近寄って顔を近付けた。それも至極憎たらしい表情を浮かべて、だ。
「あんた市長さん?」
「い、いや。私は事務長だが」
「まあいいや。改めて聞きてぇことがあるんだけど……ここにエスパーはいるか?」
「さ、さあ、なんのことかな? おたく、うちの人たちと誰かを間違えてるんじゃないかね?」
大杉は大切な部下たちに危害が及ぶまいと、出来る範囲で彼らをかばっている。ヤンは舌打ちして大杉を殴り、「しらばっくれんなボケオヤジ!」
「ここにいるこたぁハナからわかってんだ。さっさと出せオラ!」
「だから君の人違いなんじゃないですかね、そんな人は見たことも聞いたこともないんだが……」
「けっ! タヌキオヤジが……一番最初に死体になんのは、このタヌキオヤジに決定しましたぁ!!」
ついにしびれを切らしたヤンは職員の前で大杉に殴る・蹴るの暴行を加え出した。
とくに理由の無い暴力が無抵抗の大杉を襲う! 度重なる理不尽な暴力を前に堪忍袋の緒が切れた健は、近くに落ちていたペン立てを拾う。
「ちょっと、東條さん!? 危ないですよ!」
「止めないでください、うおーっ!」
ジェシーの制止を振り切った健は全力でペン立てを投げつけた。見事ヤンの頭に命中し、理不尽な暴行は途絶えた。
しかしそれがきっかけでヤンの怒りのボルテージは上がり、今度は健に怒りの矛先が向けられんとしていた。
「てめーか!? 俺様に何かぶつけやがったのは!」
「ひっ!」
「あったま来たぜ! 最初の死体役はお前に変更だ!」
「うわああああああああっ! も、もうダメだおしまいだああああ! 殺されるううううっ!!」
これまでの彼の姿からは信じられないことだが、健はひどく怯えて逃走。さっさと外に出てしまった。
「待てゴラァ! これから死体になるやつが逃げてどうしようってんだ、待ちやがれッ」
ヤンは逃走した健を追って市役所の外へ飛び出す。
――この非常事態に勇敢さを見せてくれたと思ったらこれだ! ケニーや浅田、今井は健のとった行動に対し憤る。一方で彼の正体を知っており、行動の真意にも感付いていたジェシーと大杉の胸中は複雑だ。もどかしげな顔をしている。
「アノ、意気地無シ! 東條サンなラこの状況打破してクレるってチョっとハ期待してタノに!」
「でもあのヤンって人に狙われて大丈夫かなぁ……」
怒りをこらえて健の身を案じる浅田。腕を組んで難しい顔をしていたケニーだが、「やッパり心配ダ、様子見に行コウ」と気持ちを切り替えた。
「事務長、ミーと浅田サンとで東條サンの様子見に行きマス。事務長とジェシーと、今井サンはケガ人のコト頼みマす」
「あたしも東條くんのことほっとけません。事務長、行ってきます!」
ケニーと浅田の力強い言葉に大杉たちは頷く。こうして、ケニーと浅田は健を追い残った大杉たちはケガ人の手当てをすることとなった。
外に飛び出した健は情けない叫び声を上げながら走っていた。――が、途中で物陰に隠れた彼の顔は凛としたものに変わる。
上手くヤンとかいう悪党と皆を引き離すことが出来た。臆病者のフリをしてでも、皆を守りたかった。そのためならプライドなんて捨てられる。息を切らしながら周りの様子を伺う、健。彼の背後にゆらりと、ヤンが姿を現し歩み寄る。
「みーつけた!」
「ひええええ!?」
ヤンは舌なめずりすると健を蹴っ飛ばした。ベンチの近くに落とされ、健はヤンにビビる。――無論、それも演技のうち。
「死体になる役がなーにうろちょろしてんだチキン野郎。見つけたからには殺すから覚悟しな!」
「あうううう〜〜〜〜」
情けない声を出して目を瞑って首を横に振り、尻餅を突いた状態で後ずさりする健。ところが、何を思ったか目を伏せて、得物である長剣――エーテルセイバーを取り出すとそれを横に振ってヤンに叩きつけた。
ヤンはプランターの近くに落下し、痛さに頭を掻きながら起き上がり震撼する。健はエーテルセイバーを片手に眉をひそめて佇んでいる。
「……で、誰を呼んでるって?」
「な、なんだあ!? てかお前チキン野郎じゃなかったのかよ?」
「あんなのはお芝居さ。お前を皆から引き離すための」
「なん……だと」
「もっとも、昔の僕だったら芝居どころじゃなかったかも!」
驚いているヤンへ、健は攻撃を加える。しかしヤンは爪で振り払ってすばやく対応し、カウンターを入れる。健はヤンのカウンターを盾で弾いた。
「その剣は……まさかおめーが!?」
「そうだ、僕がお前が探してた東條健だッ!」
「えええええええぇぇッお前みたいなチキン野郎がぁぁぁぁ!?」
健はヤンに自分が東條健であることを教え、計らずも驚かせた。健を狙っていた割には彼の顔を知らなかったようだ。
「う、ウソだぁ……それならさっきまでのあれはアカデミー賞並みの演技だったというのか」
「ウソじゃない!」
「へっ! じゃあ話は早ェ、このヤン様の実力を見せてやる!」
気を取り直したヤンはカギ爪を健に向けて、軽いフットワークで走りながら間合いを詰めて飛びかかる。健は盾を構えて防御体勢をとった。
「『害毒のアサッシン』ヤンのデビルネイルを受けてみな!!」