EPISODE31:支える人々
「えっと、製版してそのあと試し刷りしただろ。で、98枚刷って……ん? 1枚、多いような……がぁ~ッ! 印刷ミスった!」
今日も彼は一生懸命に働いていた。しかし、そんな彼にもミスはある。コピー機で複製する紙の枚数を間違えてしまったのだ。ある程度仕方はない。誰にだってミスはある。彼とて、例外ではない。
「すみません、係長! 書類を1枚多く印刷してしまいました」
「ハッハッハー、Don't mind.ネー。誰にだってミスありまーす。次からは気をつけて印刷してくらさーい。余った1枚、裏にイラストレーションなりグチ書くなりユーの自由デェース」
しかし、係長ことケニーはそれを許してくれた。彼の大らかな人柄がうかがえる。ややエキセントリックなところはあるが、彼もまたよき上司だ。健は上司に恵まれているといえよう。
「ひゃあ、難しいな。練習モードでこれなのか、ハードルたけぇ~」
昼休み、楽しみながら学ぼうと考えている健はタイピングゲームをやっていた。回転寿司を舞台に、言葉を打ち込んでいくという内容だ。難易度は高めのようで、練習用のモードですら時間制限が1分間とシビアだ。その上、皿が流れていく速度も早い。のんきにやっている暇はないのだ。
「こんなのできないよー」
「そんなことありませんよー、東條さん。慣れれば高得点出せますよ。あなたみたいに打つのが早い人なら。ところであたし、これ得意なんですが……よければお手本、見せましょうか?」
「みはるさん……お願いしますッ! 見せてくださーーーーいッッッ!!」
「じゃあ、よーく見ていてください」
少し席を横にずらすと、みはるはキーボードに手をつけ始める。すると、見る見るうちに目つきが変わってゆき、凄まじい速さでタイピングする。1秒間に何回押したのだろうか? しかも高得点、それでいてミスは一切なし。健もこれには、驚いた。
「た、たまげた……すごい」
「だいたいこんな感じです。ちょっと恥ずかしいんですが……私の特技ってこんなのくらいしかないんですよね」
「いやいやいや! そんなことありません。みはるさん、スゴい! よっ天才! 僕なんかまだまだ青二才ですっ」
「えー、そんなぁ。言ってるうちに、東條さんに先を越されちゃいますよ~。ホラ、あなたって上達早いですし……」
「ともかく、自信がわいてきました。僕も見よう見まねでやってみます。うりゃー!」
謙虚に言葉を投げあう中、健も負けじとリベンジを挑む。見よう見まねで早打ちをやってみせるが、結果は――。残念ながら、ミスだらけの低得点であった。回数にして、数百回。思わず笑いがこぼれてしまう数値だ。
「ぁっ、ぇーと、うーんと、えーっと、なんて言ってあげたらいいのかな……」
「今の醜態見ましたか? これが現実です。みはるさん……」
机に突っ伏す健と、言葉に詰まって慌てふためくみはる。なんというか、この二人は性格は違えど似たもの同士なのかもしれない。ただ、どちらかといえば根暗で人見知りをする方であったみはるは、最近になって明るくなってきている。恐らく、わりかし快活な健の影響を受けたのだと思われる。
そして、定時。いよいよ退勤する時刻だ。荷物をまとめて上着を羽織り、帰る準備をしていた。近頃暖まってきたとはいえ、寒いことに変わりはない。厚着をしておけば、いざというとき困ることもないはず。暑ければ、脱げばいい。たったそれだけの話なのだ。
「東條くん、ちょっといいかな」
そこへなにやら、話をしたげに大杉がやってきた。
「はい、なんでしょうか?」
「話があるんだが……とりあえず来てくれ。ジェシーくんも一緒だ」
大杉に言われるまま、健は彼のうしろについていく。テーブルの席に座ると、先に呼ばれたジェシーがそこで待っていた。そろったので、秘密の談義を開始する。昨日何があったのか説明してほしい、と、大杉は二人に訊ねた。すると健とジェシーは、お互いに洗いざらいすべて話した。少し眉をひそめ、のっぴきならない様子の大杉を前に、健は少しおびえていた。そしてやはりアレは――シェイドの戦いは、深刻で重大なことだったのだと、いま改めて認識した。
「なるほど。二人とも、事情は分かった。健くん、わしは君を無理に止めようとは思わん。ただ、これだけは言わせてもらえんだろうか?」
叱られる。でも仕方がない、それほど危ないことをやらかしたのだから。唾をゴクリと呑み込み、健は覚悟を決めた。
「いや、そう怖がらんでもいいぞ。……おほん! いいか、確かにシェイドと戦うのは立派なことだよ。わしら一般人にゃ真似できんことだ。しかし、だからって自分の命を粗末にしてはいかんよ。人間、死んじまったらそれっきりだからねぇ」
「はい」
「何にせよ、無理はいかん。ジェシーくんから聞いたかもしれんが、君にはわしらやご家族、それに友人の方がついている。もう聞き飽きたかもしれんが、何でもひとりで抱え込むもんじゃないぞ。困ったことがあれば、遠慮せずにわしらに言ってみるといい」
「ありがとうございます! でも、僕がエスパーだって事は他の皆さんにはナイショにしてもらえないでしょうか……。戦いに巻き込んだりして、迷惑かけたくないですから」
「心配いらんよ! そこまで気遣ってくれなくても大丈夫だ。それにわしらも、君には世話になりっぱなしだからなあ。お互い様ということだよ」
やはり暗くなる健を、大杉が激励した。
「ですけど、副所長。今はまだ秘密にしておきたいという要望が出ている以上、うっかり話の弾みで皆さんに話さないでください……ね?」
ジェシーが微笑みながら大杉へ催促する。相変わらず見ていて気持ちが洗われるような、癒される笑顔だった。ジェシーの笑顔で談義は幕を閉じ、健の心に残っていたモヤモヤもすべて晴れた。上着を羽織って荷物をしょい、ジェシーと大杉、そして他の職員に別れのあいさつをして健は退勤した。
◆◆◆◆
「おお、私やみゆき殿以外にも理解者ができたのか。よかったの、健」
「うん。でも、職場の人全員にエスパーだってことを話したわけじゃないよ」
今日起こった出来事を健からすべて聞いたアルヴィーは、大いに感銘を受け喜んでいた。彼のよきパートナーであり保護者的な存在である彼女からすれば、これほどまでに嬉しいことはないからだ。たとえるならなかなか友達が出来なかった子どもに友達ができたことを知って、喜ぶ母親の姿に近い。
「どちらにせよいいことだ。私も鼻が高いぞ」
健に寄り添い、彼の頭をなでる。幼い頃母によく頭をなでてもらった事をふと思い出し、感慨にふけるのだった。
よきパートナーであり、ときに今は離れて暮らしている母や姉の代わりとなってくれるアルヴィー。すぐ近くにも、職場にも遠くにも彼の理解者はいる。彼のみならず、人類はみな決してひとりではないのだ。
「ところで……実は困ったことがあるんだが、聞いてもらえぬだろうか」
「なぁに?」
「実は、お主が帰ってくる前に風呂をわかして浸かっておいたのだが……湯が少なくなってしもうての」
「えぇ~~! もっと早く言ってよぉ!」