EPISODE30:東條は英雄なのか?
彼は、たいそう気持ちよく眠っていた。いや、眠っていたかった。ぐっすりと深く眠っているところを、同棲している気の強い女に叩き起こされたのだ。何故だ。何故僕は起きなければならない? 今日はバイトの日ではないのに。昼まで寝ても何も支障はない日なのに。何故だ。何故だ。なぜだ! せめて、あと五分だけ安らぎを……。
「ひとつ訊ねよう。お主、いま何時だと思っとる? 当ててみぃ」
「あ、朝8時……」
一瞬、目の前の銀髪色白で巨乳の女性――アルヴィーは笑った。やけに嬉しそうである。そんなに今の僕がおかしく見えるか。ちょっとひどい気がする。
「正解は昼の1時だ。残念だったのぅ」
「ご、ごはん……おなか、空いた……ぐふっ」
「メシは作っとらんぞ。自分でおかずでも買いに行くがよい。それとも、みゆき殿が働いている『あそこ』へ行ってみるか?」
「……グッドアイディアっ!!」
彼女からの問いに、親指を上に突き立てる。金なら一応、まだあった。無駄遣いはしていない。だから残っている。別段ピンチというわけでもない。
□■□■□■
「何にしようかな〜、うふふ」
アルヴィーに留守番を頼み、自分はトワイライトへ。金は3000円ほどある。お札が三枚だ。あとは小銭。たいていのメニューが買えてしまう額だ、迷うのも無理はない。しかし、交通費のことも考えるとあまり無駄遣いはできない。散々迷った末に、久々にガッツリ食べたい健はカツ丼を注文する。
「おまちどおさま。ごゆっくりお召し上がりくださ〜い」
するとみゆきではなく、以前世話になったお姉さんがカツ丼を持ってきてくれた。待ちに待った甲斐があった! 嬉々とした顔で礼を言うと、健はさっそく割りばしを割る。
「じゅるり……」
巨大などんぶりに入った、こんがりきつね色に揚がったカツレツと、黄金色に輝くつゆだくの卵とじ。その下で光り輝く、大盛りの白ごはん。腹が減ると何でも旨そうに見えるというが、もしそんな状況で目の前にカツ丼が置かれていたらどうなるだろう? 人にもよるが、絶対に食べたくなることうけあいだ。カロリーは高いものの、体力作りにはもってこいのメニュー。それがカツ丼という逸品だ。
「いっただきまーす! うっ、うまいっ! うーまーいーぞー!!」
ハフハフ。うまい。とてもうまい。中までしっかり揚げられた、ジューシーなカツレツ。ふんわり、トロトロの卵。全体的に茶色っぽい中で緑色に光るネギ。そして、それらの下で白く輝くごはん。――最高だ。最高の組み合わせだ。嗚呼、こんなにおいしいカツ丼が食べられるなんて。なんて素晴らしいことなんだろう――。
「ごちそうさまー。ふぅ、おなかいっぱい」
腹ごしらえを終え、健は帰路につく。自転車へ乗ると、ペダルを漕いで漕いで漕ぎまくる。食後の運動にはちょうどよい。
「きゃああああああッ!」
「シェイドか!?」
誰かの悲鳴が聴こえてきた。それに呼応するようにウロコのお守りから音が鳴り響く。健は自宅から一転、悲鳴が聞こえた方角へと猛ダッシュ。
「い、いや……来ないで」
湿った足音と共に、長い金髪の女性に近づくシェイド。毒々しい赤と黒に染まったぬめっとした体、水かきから鋭く伸びたカギ爪――。カエルと半魚人を足して二で割ったようなそのシェイドは、今まさに金髪碧眼の女性を補食しようとしていた。嘲笑うような、金切り声を上げながら。
「すっこめヒキガエル!」
しかし、そこへ筋肉質な金髪の青年が割り込み、ランスでカエルのシェイドを吹き飛ばす。起き上がり、金髪の青年――不破をにらむと、 「オマエハ邪魔ダ」
「誰かは知らないが、あんたは今のうちに逃げな」
恐怖のあまり、女性は返事ができなかった。だが、頷くことはできた。立ち上がり逃げようとするが、不破がシェイドの攻撃を受けよろめく。
「何してんだ、早く逃げろ! あんた、こいつに殺されちまうぞ!」
言われるがまま、全力で走る。だが、つまずいて足をくじいてしまう。
「食らえバケモノ!」
不破が手にしたランス――ボルトランサーをかざし、放電。しかし、カエルのシェイドにはまったく効いていない。それどころか、電撃を吸収されている。
「バカな! どうなってんだ、水棲生物に雷は効果てきめんなのに……」
「ギシャアァ!!」
カエルのシェイドの空中からの叩きつけ攻撃を受け、不破はその衝撃で倒れてしまう。
「もうダメ……私も、あの人も助からない……」
覚悟を決めたかのように、彼女は眉をひそめて目をつぶる。悲嘆に暮れながら。怪物相手に何もできない、抵抗することさえも。もはや私の人生はこれまで。生きることをあきらめ――かけた、その時だ。
「たあああッ!」
「グエェ!?」
右手に大型剣を、左手に盾を持った青年がシェイドの前に立ちはだかった。彼は戦う。誰も死なせやしない、こんなやつらに人々の笑顔を奪わせないために。
「東條……さん?」
「話はあとです。ジェシーさん、離れて!」
大剣と盾を持つ、怪物から人々を守るため戦う青年――。まさに噂になっていたヒーローそのままの姿。図らずも彼女は、ジェシーは知ってしまったのだ。
「絶対に許さない!」
都市伝説の正体を。そして、健がエスパーであることを。
一触即発。切っ先がシェイドに向けられ、緊迫した空気が漂いはじめる。ジェシーは足を引きずって物陰に避難。今の自分に何ができるのだろう。彼が、健が死なないように天に祈ることしかできないのだろうか。生きるために逃げることしか、できないのだろうか。応援以外にできることはないのか。
「次ハ オマエダ。コロス!」
カエルがすばやい動きで健を翻弄。先に戦ってやられた不破と、足をケガしてあまり動けないジェシーが気がかりだ。なかなか戦いに集中できない。
「気をつけろ、東條! そいつにエネルギー系の攻撃は通用しないっ!」
「つまり電気ですか!?」
何度もひっかいてくるカエルの攻撃を防ぎながら、健は不破の話を聞いていた。エネルギー系が通じない――つまり電気やレーザーは一切効かない、ということだ。健がおもに使う炎や氷の属性。これらは、エネルギー系統に含まれるのか。ものは試し、やってみなければ分からない。
「まさかお前、そいつとやる気か!? オレでさえ敵わなかった相手だぞ。お前が勝てるわけ……」
「やってみなくちゃ分からないでしょ! それにシェイドに襲われている人々をみすみす放っておくなんてそんなことできない!」
正直、なめていた。こいつは未熟者だ。仲良くなったところでこいつはまだまだ未熟、自分にかなう相手ではない。そう思っていた。今まで見てきたこいつの姿は、いつもシェイドにやられていた。かと思えば、シェイドを倒していたこともあった。どっちつかず。中途半端だ。気持ち悪くて仕方がなかった。そんなヤツが、赤の他人を襲っていたシェイドと果敢に戦っている。どうしてこいつは、あそこまでして他人のために戦える? 他人より自分の心配が先なのに。解せない。解せない――。
「てりゃ!」
飛び跳ねて健の攻撃をことごとくかわす、カエル。動きがすばやいせいで、相手に攻撃がなかなか当たらない。
「こいつ! いい加減にしろ!」
こちらを小バカにしたような動きに、苛立ちを感じずにはいられなかった。憤った健を、チャンスとばかりに切り裂こうとする。だが、カエルの目前で盾によって攻撃が防がれた。弾かれて一瞬、カエルが怯む。そこへすかさず、切り上げをお見舞いする。少しは効いたようだが、まだまだ相手は倒れそうにない。どうすればいい。どうすれば、この薄気味悪いカエルを倒せる?
戦いは激しさを増すばかりだ。攻防の駆け引きが白熱する中、突如として陽射しが強くなる。それも眩しさのあまり、思わず目を閉じたくなるほどだ。
「ま、まぶしい……うん? あいつ、何故だか分からないけど苦しんでるぞ」
「東條、わかったぞ! そいつは乾燥肌だ。だから強い陽射しが苦手なんだ!」
カエルのシェイドの体に異変が起きていた。乾燥肌ゆえ、強い日光を浴びて体が乾いてきたのだ。ひび割れが生じるほどに。カエルの弱点、それは熱と乾燥だ。変温動物ゆえ、寒さにも弱い。水陸両方で生きられる両生類の代表格であるカエルだが、水分をとらなければ彼らは干からびてしまう。よって夏の時期はほとんど水場にいる。気温が高く、その上陽射しが強い日だとカエルにとっては地獄のような一日である。人間なら『暑い』程度で済むが、カエルはそうはいかない。いきなり焦熱地獄の中へ放り込まれるようなものだ。
「そういうことなら……よし!」
これを好機と見た健は、剣に炎のオーブを装填。燃え上がる炎の剣を手に、カエルへと突撃する。焦りを感じたカエルは、その場から逃走を図るが体が乾いていて上手く動けない。
「終わりだあッ!!」
しかし健は逃さなかった。力を溜めてから空高く跳躍し、剣を地上のカエルめがけて突き立てる。地面へ突き立てられた剣の周りで炎の波が巻き起こり、カエルのシェイド――ギルフロッグは爆発炎上。木っ端微塵に砕け散った。
「名付けてヒートダイビング、……うっ」
どうやら先ほどの技はそういう名前だったらしい。必殺技名を言えたのと、ジェシーや不破を救えたのとでご満悦の健は、必死で戦った所為かその場にうつ伏せで倒れこむ。
「あとから言うんだ……」
「あとから言うのね……」
二人は今の光景を見て、そう感想を述べた。ツッコむところが違う気もするが――。と、冗談を言っていると、健が剣を杖がわりに立ち上がりジェシーのもとへ歩み寄る。
「ありがとうございます。あなたにはなんて言ったらいいのか……感謝の言葉もありません」
「お、お礼なんかいりませんよ。僕も目の前で人が襲われてるのを、黙って見てられなかっただけですから……」
「でも、お陰で助かったわ」
「あっ……はい。ところで、ケガとか大丈夫ですか? 僕はこのくらいなら平気です!」
「ケガなら私も大丈夫ですよ」
ケガを負っていながらも、ジェシーはにっこりと笑っていた。本当は痛かった、苦しかったはず。それでも笑顔でいられるのは、健が助けてくれたから。守ってくれたから。そういった感謝の気持ちの表れだ。
「……ありがとうございます。けど、僕がエスパーだってこと、バレちゃいましたよね。できれば、関係のない人たちは巻き込みたくなかった。それに、みなさんに迷惑かけてしまう。できるだけ秘密にしたかったんです」
「そうだったのね。けど、ひとりで悩むことないわ。私たちと、それにご家族とお友達がいるじゃない。あなたはひとりじゃありません。だから、何でも自分だけで抱え込まないで、気軽に相談してね~」
――そうだ。ジェシーさんが言う通りだ。自分はいつも、悩みをひとりだけで抱えていた。他人に余計な迷惑をかけてしまうのが嫌だった、シェイドとの戦いに周りの人々――家族や友人、職場の人たちを巻き込みたくなかったからだ。しかし、それだと理解者は少ない。支持してくれる人がほしかった。でも危険な目に遭わせたくない。だから悩んでいた。ひとりで解決しようと迷走していた。
「……はいっ! でも、他のみなさんにも教えるわけには……」
「それなら、大丈夫よ。うふふ」
人差し指を鼻に近づけて立てる。『しーっ、聞こえますよ』、もしくは『みんなにはナイショだよ』という合図だ。二人だけの秘密、ということだろうか。恐らく、ジェシーは気遣ってくれたのだろう。だらしない、ハッキリしない、悩みがちな自分に。
「はい! ありがとうございます!」
「でも、隠したままでもダメだから……いつかはみなさんに話しましょう。そう約束……できますか?」
「はいっ!!」
お互い笑顔になった二人は、それぞれの帰路へ歩き出した。健はアパートに、ジェシーは自宅に。どちらも自分が帰るべき場所だ。燃え上がるような夕陽と茜色の空が、二人を天から見守っていた。
「……そうだ。あいつはひとりじゃない。だが、オレは……」
あいつには周りに理解者がにいる。だが、俺はどうだ。天涯孤独、早くに両親を亡くして孤児院に引き取られた。警視庁に行っても一人ぼっちだった。自分が横暴な態度をとっていたせいで孤立してた。頭じゃ、自分が悪いのは分かっていた。だが、頭は認めても心では認められなかった。怖かった。そのうち居場所を失うんじゃないのか――と、内心おびえていた。そんな俺に、あの人は手をさしのべてくれた。だが、あの人も浪岡に――。
「……悩むな、オレ! オレも、誰かに相談しねえとな」
危うく自己嫌悪に陥るところであった。彼は寸前で、ハッと我に返ったのだ。頭が硬い彼もまた、精神的に成長することができた。不破もバイクを駆り、夕陽が沈む方角へと疾走するのであった。