EPISODE306:リベリオン
ときは警視庁から健へ電話がかかる前日にさかのぼる。そこは暗くねじれた異次元空間の果て。どす黒い岩山が並ぶ切り立った崖の上にその城は建てられていた。その城は機械仕掛けでだいぶ古びていた。
「なんたることだ。鷹梨までも辞めてしまうとは……あいつがこの組織で一番まともなヤツだったというのに」
包帯を顔に巻いた異常なまでの厚着をした――辰巳が嘆く。彼の手の中にはどういうわけか『辞表』と書かれた封筒があった。
「もうこの組織はおしまいだ。俺も辞めてしまおう。人間の会社でもいい、こんなところよりずっとイイところを探すんだ……」
包帯の下で苦い顔をして、辰巳は辞表を提出しに向かう。社長である甲斐崎のもとへ向かう途中――その甲斐崎が姿を現した。黒ずくめでメガネをかけた長髪の男性だ。あまりの威圧感に辰巳は震撼した。
「何をしている?」
「ッ!? しゃ、社長……実は大事なお話がありまして……」
「なんのつもりだ?」
「いえ、ここいらで昔流行った自分探しの旅というのに出てみようかと思いまして……」
「フッ。そういうことか。……笑止!!」
「!?」
玉座の間に移動して、辰巳は事情を説明して辞表を提出した。だが甲斐崎は鼻で笑うと辞表を破り捨てた。
「幹部までもが次々と散っているというのに、ひとりだけ抜け駆けしようなど許さんぞ辰巳。お前は最後までこのクロノスに忠誠を尽くせ。俺が地上を支配しシェイドのシェイドによるシェイドのための王国に作り替えるまで歯車として回り続けるのだ」
「フ……フフフ……ハハハハハハッ!! ファハハハハハハッ!!」
甲斐崎――いや、クロノスから冷酷で容赦ない言葉を突きつけられ辰巳は目を丸くする。仲間を失ったことを何とも思っていない甲斐崎への怒りから拳をプルプルと震わせたが、どういうことか笑い出した。甲斐崎は眉をしかめて辰巳を見据える。
「忠誠? シェイドのシェイドによるシェイドのための王国? 甘い言葉で俺たち同胞を誘惑しボロクズになるまで利用した挙句使い捨てる。同胞のためとは名ばかり、あんたの御家芸だな」
それまで下に出ていた辰巳の怒りが爆発した。声色を変えて甲斐崎を批難すると、顔に巻いていた包帯を引きちぎり異常なまでの厚着も脱ぎ捨てた。
厚着の中から現れた辰巳は、髪型は外ハネに加え前髪が一房だけ長く伸びた黄土色で瞳は橙色、水色のスーツで緑のネクタイと濃いピンク色のシャツを着ていた。笑っていた辰巳だが、突然歯を食い縛り激しい怒りを露にする。
「ふざけるな!! そうやって使っては潰して使っては潰して、俺たちはあんたの駒じゃないッ!!」
もはやこいつのもとで働くのもこれまでだ。今までずっと吐き出せずにいた怒りを吐き出して、辰巳は本来の姿である三つ首のウミヘビのような上級シェイド――ヒュドラワインダーへと変身。ゴーグル状の器官ごしに鋭い目で甲斐崎の姿を捉え、顔の横についていたキバを抜いて魔剣へ変えると甲斐崎に斬りかかった。
「シェイドに独裁者はいらないんだよッ!!」
「むんッ……」
しかしヒュドラの放った一撃を甲斐崎は片手で受け止めた。甲斐崎もまた姿を変え――メタリックブルーと黒を基調とした怪人となった。カブトガニ、アノマロカリス、イセエビをかけあわせた甲殻類の上級シェイド――その名もカイザークロノスだ。
「ハァァァァン!!」
「うぉぉぉぉぉっ!?」
カイザークロノスはヒュドラワインダーの腹に強力なパンチをお見舞いして気絶させる。更に首をつかんでそこから床に投げつけた。
膝を突くほどのダメージを受け一気に体力を奪われた。それだけカイザークロノスは強く恐ろしい。殴られた衝撃からヒュドラワインダーは紫の血を吐き出し、手で受ける。――傷がすぐに再生しない。このときヒュドラワインダーは、自分の体に異変が生じたことに気付き始めた。
「く……! この程度のダメージさえ回復できないというのか……!」
「愚かなりヒュドラワインダー……辰巳隆介。本当にこの俺を裏切るつもりか?」
それでもヒュドラは立ち上がり、ウミヘビのキバを模した魔剣――ハイドラサーベルを手にカイザークロノスへ斬りかかる。
その寸前に――床のタイルの隙間から緑と黒を基調としたカマキリのシェイドが姿を現しヒュドラワインダーの攻撃を弾いた。骸骨のような顔をしたその禍々しい外見は――シャドウマンティスだ。
「ギレエエエエ!!」
「うう゛っ! うぉぉぉぉぉっ!! ぐおおおおおおお!!」
奇声を上げてシャドウマンティスは両腕についた鎌でヒュドラワインダーを一閃。ヒュドラワインダーは紫の血しぶきと火花を散らしながら、無念にも膝を突いた。
「フン! 女々しいヘビ野郎め。そらっ!」
「うあッ!」
シャドウマンティスは倒れ込んだヒュドラワインダーの腹を蹴っ飛ばす。更に追い討ちをかけようとした彼を、カイザークロノスは、「待てシャドウマンティス」と肩に手を置いて制止する。
「い゛ーっ」と、シャドウマンティスは苦虫を噛み潰した顔を浮かべた。
「もはやヒュドラワインダーはあてにならん。外へ放り出せ」
「はっ! 仰せのままに……」
ヴァニティ・フェア本部である古城の外部。切り立った崖の下は深い霧に覆われていて何も見えない。
鎖を巻き付けられた辰巳こと――ヒュドラワインダーが今にもそこから突き落とされようとしている。嫌味ったらしくにやつくシャドウマンティスの両脇を固めているのは、白い甲冑をまとったカブトムシのシェイドと黒い鎧を着たクワガタムシのシェイド――ビートロンとスタグロンだ。
「死ぬ前にリクエストは無いかな?」
「……あるよ。口にするのも面倒なくらいにな」
「フヒャヒャヒャヒャ! バカが、相変わらず口の聞き方がなっちゃいないな!」
「ッ!」
シャドウマンティスは皮肉を言った辰巳を殴った。辰巳の眉間から紫の血が流れ落ちる。
「ハンパな覚悟で甲斐崎様に逆らうからこうなるんだ。おとなしく歯車となって組織を支える道を選んでおけば良かったものを、マヌケがぁ!」
「く……クサい息を吐きかけるな……虫ケラ」
「なんだとぉ!? このウスラボゲがっ!!」
カッとなったシャドウマンティスは辰巳の顔をまたしても殴った。辰巳は髪の毛も顔も、服も何もかもボロボロだ。
「ビートロン、スタグロン、このクソ単細胞野郎を突き落とすぞ! はやくしろ!!」
「ですがしかし……」
「本当にやるんですか?」
「何をためらっている。まさか今頃になってこのクソ気持ちわりいガラガラヘビをかばい立てしようっていうのかぁ?」
ビートロンとスタグロンに早急に辰巳を始末するよう持ちかけるも、二人とも躊躇したり確認を取ったりしている。
二人が思い通りに動かないので舌打ちしたシャドウマンティスは、「ノロマが! まあいい、こうなったら僕が直々にブッ殺してやるとしよう」と大鎌を持ち出した。
「ギレギレギレギレェェェ!!」
「うぉわああああッ!!」
シャドウマンティスが振るった大鎌に斬られ、辰巳の体は断崖絶壁から谷底へと落下していく。
「エスパーどもにクロノスめぇ……このまま終わってたまるか……、たまるかあああああああああああああああ――――ッ!!」
悔しさと無念に満ちた叫びが谷間にこだまして、辰巳の姿は谷底の深い霧の中へと消えていった。
辰巳が奈落の底へと落ちていく様を見届けたシャドウマンティスはご機嫌そうに笑いながら、「戻るぞ」とビートロンとスタグロンに呼びかけ古城の中へと戻った。
◇◆◇◆◇
「甲斐崎様。たった今辰巳をこの手で突き落として参りました。いやー、しぶとさだけが取り柄の単細胞がいなくなって清々しましたよ」
「フッフッフッ、そうか。これからは忙しくなるなあ」
「「ワッハッハッハッハッハッハッハ!!」」
玉座の間にて。右目に片眼鏡を付けた青年の姿になったシャドウマンティスは、甲斐崎とともに部屋中に響き渡るほどの大笑いを上げた。
「だがそうして笑っていられるのも今のうちだぞ?」
「は?」
唐突にそう言われてきょとんとする斬夜の前に歩み寄っていくと、甲斐崎は杖を斬夜の咽頭にあてがう。斬夜は「はヒィィィ」と情けない顔で怯えながら尻餅を突いた。
「忘れたのか。経歴・出生すべてを偽って警察に潜入しておきながら最高機密である『Y』を入手し損ねた件を。そして俺の側近という立場でありながら俺の顔に泥を塗ったことを!」
「じゅ、重々承知しておりま、へげえええっ!?」
叱責とともに甲斐崎の手から電撃光線が放たれ、斬夜を攻撃。ビリビリと白骨が見えるほどにしびれさせた。
「……斬夜、俺はたいていのことには目を瞑ることにしている。たとえ貴様が多良場やヴォルフガングを陥れたとしてもだ!」
「ま、まさか最初からすべて……!」
「だがお前はここまでだ! お前はやりすぎた! やりすぎたのだッ!」
斬夜がめぐらせていた策など甲斐崎にはすべてお見通しだった。その上で斬夜を泳がせ利用していたのだ。都合の良い駒として。
ただし甲斐崎は部下の無念を晴らすためではなく、組織の利益のために行ったのである。半分くらいは前者の目的でやっていたという可能性もあるが、甲斐崎とはそういう男だ。
結局、器の大きさも策士としての実力も甲斐崎のほうが遥かに上だったのだ。斬夜のように見てくればかりの卑劣で矮小なだけの男では話にならない。
先程は嫌々斬夜に従っていたビートロンとスタグロンも、今度は斬夜に武器を向けて威圧した。元より彼らは命令に背いたものや裏切り者を容赦なく処刑する処刑人。身勝手にも組織の利益より個人の感情を優先し余計なことばかりしてきた斬夜もまた例外ではない。
「か、甲斐崎様! ワタシを捨てるおつもりですか! もっともあなたに忠実でかけがえの無い部下であるワタシを〜!!」
「思い上がるなおべっか使いが! 貴様の代わりなどいくらでもいるわ!! 俺にとってかけがえの無い部下は鷹梨ただひとり!!」
「そんなあぁ〜っ!」
「斬夜! これが最後の命令だ。お前の命に換えてでも『Y』を手に入れろ! でなければ死あるのみだ!!」
「は、はぁ〜〜ッ!!」
自分こそが甲斐崎に最も信頼されている存在だと信じて疑わず他者を切り捨ててきた斬夜にとって、これほど皮肉なことは無いだろう。
甲斐崎から次々に突きつけられた事実は斬夜を心身ともに傷付けプライドをズタズタにするには十分だった。
甲斐崎の凄まじいまでの威圧感と冷酷さに圧倒された斬夜は彼に怯えながら、その場から走り去った。