EPISODE301:BREAK OFF
まり子と死闘を繰り広げた翌日、鷹梨は都心に立つビル群――その中でもひときわ高い、ある一流企業の高層ビルの社長室に足を踏み入れていた。社長であり自分たちにとって唯一絶対の存在である――甲斐崎との対話のためだ。
社長室は甲斐崎の背後の壁一面に窓ガラスが張られており、見応えのある景色が広がっている。都心全体を見渡すことも可能だ。ガラスケースの中にはトロフィーや勲章が飾り立てられている。他にはコーヒーメーカーやレコードの音楽を聴くための蓄音機もあった。
「……話とはなんだ?」
「先日、私は糸居まり子との決着を着けようと思い彼女と戦いました。勝負には負けましたが私は気付いてしまったのです。今までだらしなくて、くだらないことで争いを繰り広げてきた人間が持つ『可能性』に」
「なにい!?」
「社長、もうこんなことはやめにしましょう。争いを繰り返してきたのが人間ならば歴史を作り上げてきたのもまた人間なのです。我々シェイドがその人間を隷属させることなどあってはならない!」
鷹梨は毅然とした態度で甲斐崎に訴える。相手は今まで自分が絶対服従を誓っていた恐怖の帝王だ。
主君に何も反感を抱かずにただ命令に従うだけでは忠臣とはいえない。それではただの信者もしくはイエスマンだ。あの女がそう気付かせてくれた。
「人間を隷属させるべきではないだと? 鷹梨、貴様気でも違ったか!」
「人間に代わってこの地上を支配しようとするあなたの考えは間違っております。ですが今ならまだ間に合います。社長、どうかご一考を!」
鷹梨は甲斐崎に己の意見を思いきりぶつけて抗う。好きなように生きるべきだ、と、長らく目の敵にしていた糸居まり子に諭され、彼女のことを認めてしまった以上彼の言いなりになる必要はなくなった。
実のところ鷹梨は自分自身でも薄々感付いていたのだ。今のままでいいのか、本当に同胞たちのためになるのか、と。辰巳が組織に対して疑念を抱きはじめたのと同じように、鷹梨も疑念を抱いていたのだ。それによって心が揺らいでいたのだ。
「なぜだ鷹梨……なぜなのだ。俺に対して絶対の忠誠を誓っていたお前が今になってなぜ、人間などになびいた? 俺はお前しか信用できなかったというのに」
「私はあなたの人形じゃない。イエスマンじゃない!」
「人間がどれほど愚かな生き物であるかはお前もよく知っているはずだ。お前こそ考え直せ!」
「そのつもりはありません!」
考えを訂正させようとした甲斐崎の言葉に対して物怖じせずに鷹梨は反論する。これにはさすがの甲斐崎も憤ったか、拳を震わせた。
「……そこまで言うのなら好きにしろ。ただしお前は今日限りでヴァニティ・フェアから追放だ。今後一切俺に顔を見せるな!!」
「社長……」
目を見開いてからの怒号。指を鳴らして、白い甲冑で体を覆ったカブトムシ型のシェイドと黒い甲冑をまとったクワガタムシ型のシェイドを呼び出した甲斐崎は冷徹にも、「つまみ出せ!」
「社長、私たちのほうこそ間違っていたのです。今からでも間に合います! 社長、社長ぉっ!!」
「ファルコン様、悪く思わないでください」
「ここはどうかお引き取りを!」
「社長ぉぉっ!!」
鷹梨はビートロンとスタグロンによって取り抑えられ、社長室から追い出された。ヴァニティ・フェアからも――。
(あいつが俺に絶大な信頼を寄せていたように俺もあいつを同じように信頼していた。あいつだけは特別だったのだ。それなのになぜ、俺を裏切ったというのだ?)
苛立つ自分を静めるかのようにうつむきながら手を組んで、甲斐崎は考え込む。
「鷹梨……」
背後の巨大な窓から大都会の景色を見下ろして、彼は静かに最も信頼していた秘書の名を呟いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その頃――。モノクルを付けた男が宿泊していたホテルを出て、スマートフォンらしきデバイスを覗き込んだ。メッセージやメールを確認しているようだ。
「鷹梨が辞めたか。まったく、甲斐崎様もまだまだ手腕が甘い。あんな女さっさとクビにすれば良かったんだ。あいつの代わりこそいくらでもいるっていうのに」
彼は同僚である鷹梨が上司の甲斐崎と壮絶な口論を繰り広げた末に組織から追放されたことを哀れむどころか鼻で笑った。
しかも鷹梨が甲斐崎にとってかけがえのない大切な存在であり、唯一から心から信頼していたということなど知らずに。
それは他者を信用せず利用することしか考えないゲスで悪辣な彼には一生かかっても理解できない感情だろう。
甲斐崎様はこの斬夜だけを心から信用しており、他は都合のいい道具程度にしか思っていない。甲斐崎様に最も忠実な部下である自分は甲斐崎様のためなら何をしても許される。そう、自分は常に正しい、間違ってなどいない。――斬夜はそんな風にものを考えているような男だ。
それらに加えて極めて自己中心的なエゴイストかつ勝利のためなら卑劣な手段も厭わないリアリストであり、残虐で悪逆非道な性分から余計な犠牲も出したがる。はっきり言って同情の余地などない。本人は自分がリアリストであるからにして、甲斐崎のことも実力主義のリアリストだと思い込んでいるのだ。
「その辺のOLなりモデルなり連れてくれば済む話だよ。まー、あのやかましい鳥女がいなくなってせいせいしたね。ようやく僕の時代が来たってところだな」
鷹梨をまたも嘲り、斬夜燿司はしたり顔を浮かべて空を見上げる。ほくそ笑む彼の向かう先は、オフィス街のとある喫茶店だ。
「待たせて申し訳ない」
「斬夜さん!」
喫茶店の2Fに上がって待ち人が座っていた席に腰かける。その相手は黒いショートヘアーにくりくりの赤い瞳をした若い女性――宍戸小梅だ。このとき斬夜は先程とはうって変わって紳士的な態度をとっている。NY市警から派遣されてきた捜査官――という名目で警察に潜入しているのだ。
「あたしに話したいことってなんですか?」
「実はニューヨーク市警の局長から重要な任務を任されてね」
斬夜はそう言って宍戸の耳元に顔を寄せる。宍戸も斬夜に耳を貸した。
「あんまり大きな声じゃ言えないんだが警視庁の最高機密――『Y』というのを知っているかい?」
「『Y』? いえ、はじめて聞きました」
「その『Y』について調べたんだが、自分でもわからないことが多くてね。現地の人間である君なら知ってると思ったんだが」
「あたしに聞くよりは村上主任に聞いたほうがいいと思いますよー」
宍戸の返答を聞いた斬夜は眉をしかめ、近付けていた顔を離す。
「そういうわけにはいかないんだよ。これは極秘任務だ、彼に知られてはならない。それに……」
「それに?」
「今回の任務には僕の首がかかっているんだ。他の誰にも言ってはいけないし失敗は出来ない……。協力を頼めるのは君しかいないんだ」
「ですけど……」
「僕か村上警部補か、どちらを信用するんだ? いつまであんな頭でっかちで嫌なヤツの言いなりになってるつもりなんだ? 僕だって栄えあるNY市警をやめたくはないんだ。わかってくれ宍戸さん!」
斬夜は辛辣な口調で戸惑う宍戸を責め立てる。自分のことは完全に棚に上げて村上を非難しているが
「……わ、わかりました。あなたに協力します」
「協力してくれる気になったのかい! それじゃあ、くれぐれも内密に頼む」
「はい」
「僕はもう少しくつろいでくから、また今度」
覚悟を決めた宍戸は喫茶店から去っていく。しばしの間紳士的な表情をしていたが、すぐに悪鬼めいた腹黒そうな顔になった。
「くっくっくっ、バカめ。あとは手を汚さずに甘い蜜を吸うだけだ」
計画通り。テレビならば放送禁止モノの歪んだ顔をしていた。彼がすするのはブラックコーヒーだけではなく、花の蜜のように甘い他人の不幸だというのだろうか。