EPISODE293:冷たい夜の街で
冷たく寒い冬の季節の中でも都会――とくに夜が訪れた東京の空気は冷たい。この街の人々は野良猫が道ばたで倒れていても手を差し伸べたりはしない。
まれにその野良猫を助けようとするものもいるがそれはメサイア・コンプレックス、誰かが困っていると放っておかずにはいられず救おうとするという自己満足に過ぎない。
様々な欲にまみれ、他人を貶め、互いに首を絞めあう。そんな人類がなぜ今も栄光を謳歌しているというのか。このままならばいずれは破滅を迎えてしまうというのに――。橋の上で人混みが通りすぎる中で、理知的な佇まいの女性・鷹梨はひとり物思いに耽っていた。
(あれだけ組織に忠誠を尽くしてきた辰巳さんの心が揺らいでいる。次から次に仲間を失いつつあるとはいえそれが甲斐崎社長を疑う動機になるとは思えない)
橋から、誰もいない殺風景な公園に移動した鷹梨は、薄明かりの下で書店で自分が興味を抱いて買った本を読みながら以前の出来事を振り返る。
同胞であるヴォルフガングことキングウルフェンがエスパーたちとの激闘の末に命を散らしたのだ。彼は辰巳隆介ことヒュドラワインダーにとって竹馬の友といえる関係にあった。
キングウルフェンの殉職がキッカケとなり、組織に忠実なヒュドラワインダーはヴァニティ・フェアという組織に対して疑念を抱き始めたのだった。
(でもひょっとすれば辰巳さんが言うように甲斐崎社長は……。いや、何を考えているの私は? 社長は私たちシェイドにとって唯一絶対の存在。私たちでさえ単なる捨て駒としか思っていないなんてことはありえないわ)
辰巳だけではなく彼女も揺らぎつつあった。上位のシェイドとしての使命を優先するか、たとえ人間であってもターゲット以外は殺さないという己のポリシーを貫き通すか。それに人間にも興味が沸きつつある。様々な思いが交錯しており、今の彼女の胸中は複雑に入り組んでいた。
「いやあああ!?」
「……悲鳴!?」
耳をつんざく、助けを求める叫び。人間を襲う側である彼女が駆け付けるというのも妙な話ではあるが、悲鳴を放っておいて読書を続けるほど鷹梨は冷淡ではなかった。
「ビビュウウウン!!」
悲鳴が聴こえた方向に向かえば、そこにいたのはエリマキトカゲのような『同胞』……つまり、シェイド。
二足歩行のオレンジ色のエリマキトカゲのような姿をしたシェイドはエリマキの形をした器官を扇風機のごとく回転させて、突風を起こし人々を吹き飛ばしていた。それだけでなく、周辺にはエリマキトカゲにより殺害されたと思われる人々の死体も――。
「やめなさい!」
「ビビュウーン……」
鷹梨に一喝されたエリマキトカゲのシェイドは身がすくみあがり、身動きが取れないところを「こっちに来て!」と拘束され人目につかぬ橋脚へと連れていかれた。
エリマキトカゲは、鷹梨の前でボサボサの髪を黄土色に染めたスーツ姿の、今時の若者の姿へと擬態する。
「な、何だよ。お姉さんもしかしてヴァニティ・フェアの鷹梨さん?」
「そうです。あなた、破壊衝動に駆られてそのまま暴れてなかった?」
エリマキトカゲのシェイドが化けたスーツ姿のチャラチャラした若者は、眉をしかめる鷹梨に問い詰められて苦い顔をする。
「人間どもに俺の力見せつけることの何がいけないんスか!」
「人間はいずれ我々がこの地上を征服した際に奴隷として共存する存在ですよ。衝動に任せて無闇に周囲を破壊し、無益な殺傷を行うのは控えていただけますか」
「うっせーな! 幹部だかなんだか知らねえけど、エラソーにさぁ!!」
「自分の欲望さえ制御できないというのかこのトカゲ野郎!!」
どこまでも反抗的な態度をとる若者に憤った鷹梨は目を見開いた険しい顔で彼を咎め、顔面に蹴りを入れた。――落ち着いた性格の鷹梨もときには口汚く激することもある。
それは相手が不真面目で規律を守らないものだったときだ。品行方正で規律はしっかりと守らなくてはならないものだと考えている鷹梨にとってはそのような輩は不甲斐なく度しがたいのだろう。
「い……いでぇ」
「……失礼しました。ともかく、誰かを殺したいという欲望や何かを破壊したいという衝動を自分で抑えてほしいということです。自制心が無いとこの先でやっていくのは大変ですから」
「何も蹴ることねーじゃんか……」
「……話聞いてます?」
「ひっ」
地面に座り込んで人の話を聞かずにぶつくさと文句を垂れている若者に、鷹梨は睨みを利かせてその場に立たせた。
「他に何か言いたいことは?」
「あ! あの、俺ヴァニティ・フェアに入りたいんスけど」
「入ってどうなさるおつもりですか?」
「はい、邪魔なやつら全員ぶっ殺して幹部になろうと思ってます!!」
「なぜそう思ったんですか?」
「聞きましたよー、いま人手不足なんでしょ。だったら俺が出世して空いた枠を埋めようかなって思いまして」
頭の悪そうな言動にあきれがついた鷹梨はため息をつく。やっちまった! と、チャラい男性は頭を抱えたが、鷹梨はにんまりと口元をつり上げた。
「まあいいでしょう。もし入社する気があるならこちらへお越しください。恐らくご存知かと思われますが念のため」
鷹梨はチャラい男性に名刺を手渡した。――甲斐崎が経営する一流企業の名刺だが、裏には黒地に紫色の文字でヴァニティ・フェア本部の場所がどこにあるか書かれていた。
「ところでお名前は?」
「フリルドストーム改め八木沢鉄平ッス」
「では八木沢さん、また後日……」
トラブルはあったが鷹梨は図らずも新たな人材をスカウトすることが出来た。鷹梨は背中から翼を生やして夜空を翔て、八木沢ことフリルドストームは大はしゃぎで橋脚の隙間に姿を消した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ただいまーっ!!」
翌朝、健とアルヴィーは地獄の特訓から無事に帰還した。神田とはアパートに帰る途中で別れたようだ。
二人ともいい笑顔であり、健は手にドーナツの入った箱をぶら下げている。アルヴィーは手ぶらだ。
「健お兄ちゃんお帰り! シロちゃんも!」
「ただいま、まりちゃん。ドーナツ食おうぜーっ」
家に入ってコタツの上にマスド(※マスタードーナツの略称)で買ってきたドーナツを置き、健とアルヴィーは実にいい笑顔で留守番をしていたまり子に話しかける。
留守中暇だったまり子は服を何着か自作していたらしく、蜘蛛の巣柄の青いコートなりセーターなり、カラーバリエーション豊富なマフラーなりがハンガーに吊るされていた。
「これ全部まりちゃんがひとりで作ったの?」
「フフッ。だって暇だったもん」
「相変わらずお主は器用だの。ハハハッ」
「コートはわたしが着るんだよ。それより……」
三人はドーナツを食べながら思い思いに雑談を楽しむ。が、まり子は途中で何やら言いたそうなもどかしい顔を浮かべた。
「どったの?」
「実は大変なことがあったの。みゆきさんが……」
「みゆき殿に何かあったのか?」
「……実はみゆきさんがわたしの子孫かもしれないのよ。でも、それが原因でどっかに行っちゃって」
「「なにい!?」」




