EPISODE291:空気は冷たく、息は白く
今日は休日。東條健の幼馴染みである風月みゆきは、両親とともに家の中の掃除と片付けを行っていた。薄紫の髪をサイドテールにしてまとめており、容姿も可憐だ。
「部屋も片付いたし、お布団も干せたし……。これでよし」
二階にあるベランダに布団を干して、自分の部屋も片付けられたみゆきは一階に降りる。掃除を終えた父と母が休憩をとっていた。いかにも二人が好きそうなテレビ番組と、あるひとつの……立派な額縁に納められた絵を見ていた。
「あらみゆき、掃除終わったの?」
「うん! ……お母さん、この人誰?」
額縁がなんなのか母――紗江に訊ねるとすぐに、理知的で落ち着いた雰囲気の父が、「ん、みゆきがそれ見るのは初めてだったか?」
「それはね、うちのご先祖様だ。なんでも手先が器用で医者の家系に嫁いだらしくてね、それがきっかけで風月家ができたってわけなんだよ」
「わ、わたしのご先祖様だったの? すっごいきれいな人だなー」
――美しい。昔の基準で見ても今の基準で見ても、みゆきの先祖はたいへん美しい容姿をしていた。後世に誇れるレベルだ。
「きれいだろ? うちの母さんと並べたらどっちが美人なんだろうなぁ〜」
「やだ、あなた。ご先祖様を私と比べたら、月とスッポンだわー」
先祖について盛り上がる風月家。談笑しているその最中、みゆきは自身の先祖の姿にある女の面影を感じていた。それは――。
◇◆◇◆◇◆◇◆
それから数日後、土のオーブをめぐる戦いで受けた傷が原因で入院していた健はあっという間に傷を治して職場へと復帰した。無論いつもの明るい笑顔は健在だ。
「東條くん、退院おめでとう!」
「退院おめでとうございます!」
「東條さん、退院おめでとう!」
「東條サン、退院オメットー」
「いえいえどういたしましてーッ」
茶髪をまとめた浅田ちあきに、グリグリ眼鏡をかけた今井みはる、金髪碧眼でハーフのジェシーからなるOL三人娘、ジェシーと同じくハーフでユーモアに溢れた係長のケニー藤野、そしていつの間にやら副事務長から事務長に昇進した大杉――。
週に二、三回程度しか顔を出さないバイトという身分である健の退院をわざわざ祝ってくれた上にあの笑顔。それだけ健が心から彼らに信頼されている証だ。健はそんな彼らに感謝の言葉を告げて、業務に取り組みはじめた。
「あなた今度はどこでケガしたの? またまた入院したって聞いたときはあたしら心配してたのよー」
「友達と神威島まで観光に行ってたんですけど、そこでシェイドに襲われちゃって……。なんとか現地にいたエスパーに助けていただけましたけどご覧の有り様です」
「ダカラ、今回は珍しクおミやゲナカッたと。ミー、残念デース」
「まあまあ、係長。あとでお茶淹れますから」
OL三人娘やケニー係長と談話を楽しみながら、健は仕事を進めていく。きついはずの仕事なのに、なんとなく楽しいし捗る。不思議なものである。
「そうだ東條さん、来てくれたばかりで悪いんだけどいろいろお願いしちゃっても大丈夫かしら?」
「はいっ、なんなりと!」
「それではお言葉に甘えて……えいっ♪」
仕事を頼んでくれてもいいと健がOKしたため、ジェシーはにっこりと笑って健にいかにも中身が重たそうな段ボールを渡し更にその上に小包を置く。健は、「おわーーっ!?」と叫びながらガニ股で重たい荷物を支えた。
「それ、東條さんが来る前に届いた荷物なの。経理の浅井さんのところまで運んでもらえませんか?」
「は、はいっ!」
にっこり笑うジェシーから手渡された重荷を持って健は経理課に向かう。
「ジェシーさん、もしかして結構黒いんじゃ……?」と、内心思いながらも彼女の癒される笑顔を思い浮かべて。
業務をすべて終了して、バイト先――市役所から自宅アパートに戻った健は立ち寄ったコンビニで買ってきたおでんをアルヴィーやまり子と食べながらくつろいでいた。いつの間にか引っ張り出したコタツに足を入れて。健の着ている白地のシャツには、水色で『燦然!』――という文字が書かれていた。
「もう十二月。あれからもう一年経つんだなぁ」
「そういえばお主と契約してから一年か。早いものだな、たしか今くらいの時期だったか」
「えーっ、なにそれ。長い付き合いじゃん。わたしまだ半年なんだけど!」
「いやいや、半年だけど結構長く感じたよ!」
「フフッ!」
コンビニで売っていたおでんを食べながら振り返る、これまでの一年間。
あのときの健は平凡な毎日を過ごす、日常の世界……いわば表の住人であった。しかしアルヴィーに迫り来る残忍なシェイドどもの魔の手から救ってもらってからは、スリリングで刺激的だがいつ殺されるかわからない非日常の世界の住人となった。
戦いというのは刺激的だ。だが、自分が成長していくことに感銘を受けることはあってもスポーツやゲームみたいに楽しんだことはない。楽しもうと思わない。
……辛いし、苦しいからだ。シェイドが相手ならばなんの理屈も抜きに倒せる。アルヴィーやまり子のような例外を除けばヤツらは残忍冷酷なものぞろいだ。容赦はいらない。嫌でも倒さなくてはならない。
だが同じエスパーが相手となると別だ。同じ人間だから、相手を咎めたり罪を罰したりすることは出来ても躊躇なく命を奪うようなことは出来ない。これからその非情さが必要になってくるのかもしれないが。
それにバイトと戦いを両立させるのも楽ではない。バイトに行かなければ金は稼げず、戦わなければ生き残れない。今になって彼は思う。一年前に自分が平凡で退屈だと感じていた日常生活こそ、一番幸せで、充実していて、――楽しかった時間なのだと。
「十二月だからクリスマスもそのうちやってくるんだよな。デート、どこにしよう」
「……みゆきさんフって別の女の子に乗り替えないよね?」
「な、なに言ってんのさ。僕は昔からみゆき一筋だぞ」
「もしフったらそのときは呪ってやる。三代まで呪ってやるから……。ひひひひひひひ」
みゆきから違う女には乗り替えるなと、まり子は怖い顔をして健に釘を刺す。ご丁寧にも藁人形まで用意していた。しかも真ん中には太い釘が刺さっている――。
「クリスマスだからって浮気しちゃダメよー、フフッ」
「あ……あうう」
ひどく怯えている健を見てアルヴィーとまり子は大いに笑う。言うまでもなく冗談だが健にはそれが胸に突き刺さるように感じて、堪えていたようだ。
「遊んで楽しむのもいいが、健。たまには特訓したほうが良いかも知れんぞ」
「うん。カイザークロノスにコテンパンにされたからね」
「強かったでしょ。今のお兄ちゃんでもあいつには逆立ちしたってかなわない。返り討ちにされてお兄ちゃんが死んじゃうのが嫌だったから、ヴァニティ・フェアのアジトがどこにあるか教えたくなかったの」
「確かにね。コテンパンにされた挙げ句半殺しだったし」
ヴァニティ・フェアの社長である甲斐崎。その正体であるカイザークロノスは、蒼い体をした甲殻類のキメラのような上級シェイドだ。
冷静沈着な頭脳とバケモノじみた戦闘能力を持ち合わせ、周囲のものがひれ伏せるほどの威厳を放つ。土のオーブをめぐる戦いで健の前に現れ、彼を徹底的に追い詰め完膚なきまでに叩きのめした。結果として冷酷なまでの実力差を健に知らしめたのだ。
「……特訓確定だな。ときに健、ニシキ殿の電話番号知っとるか?」
「神田さんの? 知ってるけど、なんで」
「ほれ」
アルヴィーはニヤリと笑うと以前、健のバイト代をパチってひそかに購入していた携帯電話を取り出す。
「それは!! まだ持ってたんだ……」
「捨てるわけなかろう。できるか、そんなもったいないこと。さあ、ニシキ殿の番号を」
「なにするか知らないけど」と、しぶしぶ健は自分の携帯電話の画面を見せる。アルヴィーは画面に載っていた神田ニシキの電話番号を瞬時に入力して電話帳に登録し、電話をかけた。
――つながった。アルヴィーは神田に健を鍛えるための特訓に協力してほしいと持ちかけ、見事OKをもらった。
「……か、神田おじさん、なんて?」
「喜べ、ニシキ殿が特訓に協力してくれるそうだ!」
「なにい!」
「ねえ、いつやるの?」
「明後日からだな!」
「そんな、アホなぁー!!」
――健を鍛えるためなら、アルヴィーは鬼となる。健に甘えたいまり子もあえて鬼となる。だが、彼女は留守番だ。
とにかく、正義のためなら鬼にでも何にでもなる覚悟が必要、ということだ。これから健を待ち受けているのは、地獄の特訓フルコースである。