EPISODE290:小さな疑念と分かち合う喜び
土のオーブ入手に失敗したヴォルフガングを惨殺し、シャドウマンティスは暗くねじれた異次元空間の果て――。そこにあるヴァニティ・フェア本部へと帰還した。
本部の玉座の間には甲斐崎が座しており、彼の親衛隊である白い甲冑をまとったカブトムシのシェイドと、黒い甲冑をまとったクワガタムシのシェイドが脇を固めている。また、先に帰還していた辰巳と鷹梨の姿もそこにあった。カンにでも障ったのか辰巳は顔に包帯の下で、シャドウマンティスを見て眉をひそめていた。
「シャドウマンティス、貴様どのツラ下げて戻ってきた。警察に潜入していたのではなかったのか?」
「ふん! うるさいヘビだ。あなたたちが甲斐崎様に媚びを売っている間に僕がどれほど苦労してきたと思っている」
「なにい!? この頭でっかちの昆虫野郎が、お前のその鼻につく態度が気に入らないんだよ!」
「黙れザラザラ肌の爬虫類め、僕にえらそうな口を聞くんじゃない! 人間どもよりも先に首を刎ねられたいのか!」
「殺せるもんなら殺してみろ。俺は不死身だぞ!」
「生意気な……!」
「二人とも、ここでは争いは止してください」
きわどいところで鷹梨が口論をはじめた二人を止め、口論を止められた二人はそっぽを向く。
「報告せよ、シャドウマンティス」
玉座にふんぞり返る甲斐崎はシャドウマンティスの名を呼ぶ。振り向いたシャドウマンティスは黒がまじった緑色のオーラに包まれて、モノクルをつけたスーツ姿の若い男性に擬態した。――斬夜燿司だ。
「ハッ。ヴォルフガングが東條健らと戦っていると聞いて至急救援に向かったのですが、駆け付けたときには既に遅く――ワタシの力及ばず、ヴォルフガングは息絶えてしまいました」
真剣な表情で膝を突いて報告している斬夜だが、これは虚偽の報告だ。そもそも斬夜は窮地に陥ったヴォルフガングを助けに向かっておらず、むしろ彼を死に追いやった張本人であることは記憶に新しい。
こともあろうか、大幹部のひとりでありながら組織全体の利益ではなく「こいつは役立たずだから生かしておいても何の意味もない」という個人的な感情を優先したのだ。
「そうか。オーブを手に入れられなかった代わりにヴォルフガングは最期まで戦い抜いて散ったのか……。本当にその通りならばいいのだが」
「報告は以上です。ではワタシは、引き続き警察の内部を探ります」
報告を終えた斬夜ことシャドウマンティスは、持ち場へと戻っていった。自身の左手を見て、竹馬の友も同然だったヴォルフガングのことを思い出した辰巳は、胸のうちに沸き上がるまた仲間を失った無念と哀しみを抑えながら、「ヴォルフガング……」と一言だけ呟いた。
「……社長。少し席を外してもよろしいですか? 少し気分がすぐれないのです」
「好きにしろ」
甲斐崎は辰巳にそっけなく言葉を返し、辰巳は「ははっ、ありがたき幸せ……!」と感謝を示して玉座の間を出た。心配になった鷹梨は「辰巳さんが心配です。私、あとを追います」と言って辰巳を追った。甲斐崎は、ひとり寂しく「そして誰もいなくなった……」と呟いた。傍らには屈強なボディーガードが二人もついているのに、である。
辰巳は休憩室に入って、顔に巻いていた包帯を外してコーヒーを飲みながら考え事をしていた。実はヴォルフガングの死を聞いたとき、辰巳の胸には哀しみや無念だけではなくあるひとつの小さな疑念も生まれていた。
――アンドレや新藤、多良場が死に、クラークも散り、今度はヴォルフガングまでもが命を落とした。この組織の仕事が常に死と隣り合わせであることはわかっている。言ってしまえば仲間の死は何度も見てきた。それこそ数えきれないほどに。だが、見慣れた今でも哀しいことに変わりはない。
社長は、甲斐崎はどうなのだ。彼のほうが俺より仲間の死を目にして来ているはずだ。さっきはヴォルフガングの死を悼んでいるようには見えたが、以前にしたっぱの三谷や大切な部下だった新藤が死んだときは鼻で笑っていなかったか?
もしや社長は、表向きは同胞思いでもその本性は同胞でさえも捨て駒としか考えていないのではないのか? 地上をシェイドのシェイドによるシェイドのための王国に変えるためにこの組織に入って今まで尽くしてきたが、用が済めばいずれは我々も――捨てられてしまうのではないか。
「辰巳さん! こんなところにいたんですか!」
「鷹梨……」
顔を曇らせていた辰巳を見つけた鷹梨が声をかける。
「なあ鷹梨、甲斐崎社長が野望を達成して地上を征したとき、俺たちはどうなる? 国を守る将軍か神官にでも取り立ててもらえるのか?」
「それは、私にもわかりかねます」
「聡明で勘の鋭い君ですらもわからないというのか!?」
思い詰めた様子で辰巳は鷹梨に自分の思いを訴える。先がまだ見えない以上、鷹梨からも何も言うことは出来なかった。
「……ヴォルフガングさんを失って辛いのはわかります。でも今は私たちに与えられた任務を遂行しましょう。自ずと前が見えてくるはずです」
「そうするしかないのか……?」
今はただ、この理不尽でもどかしい状況を耐えるしか――辰巳に道は残されていなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「はっ! こ、ここは!? 神主や巫女さんは!? 大地の石は!?」
健が目覚めたとき、そこは神威島ではなく病院の中だった。騒いだ健だったが落ち着いて周りや自分を見て、健は自分は戦いに疲れ果てて眠りに就き、沈んでいたところを誰かが運んでくれたのだと瞬時に理解した。
「目が覚めた? ここ、京都の病院よ」
「そりゃびっくりするわね、目が覚めたらいきなり病院だもん」
「まりちゃん! みゆき、アルヴィー!」
「ダメよ、まだ安静にしてなきゃ」
横からまり子が顔を出して健を驚かせる。病室にはまり子だけではなく、見舞いに来ていたみゆきやアルヴィーの姿もあった。やがてみゆきと共同でリンゴを剥いていたアルヴィーがリンゴを健に手渡した。
「やっと起きたか。お主、もう三日も寝ていたのだぞ。どれだけ心配したことか」
「そっか。それで気が付いたら僕はここで寝てたってわけだ」
ケガ人の健だが、リンゴをかじることぐらいは造作もない。いつものメンツが見ている中であっという間に完食した。
「それより! 神主さんと巫女さんは無事だったの? まだお礼も言えてないのに」
「それなら心配いらん。ほれ」
アルヴィーがそう言って健に手渡したのは、『東條様へ』『東條健様江』――と書かれた二通の封筒。アルヴィーの言う通りお礼状と見て間違いなさそうだ。
「お礼状だ」
「う、うん。……東條様へ、この度は島を救っていただきありがとうございました。大地の石は改めてあなた方に差し上げます。お役に立てていただけたら光栄です。――渋川秋海より」
開封して、健は感謝の気持ちがこめられた手紙を読む。これは岩亀神社の神主である渋川が綴ったものだった。もう片方のピンク色の封筒も開けて、健はそれにも目を通す。
「東條健様へ、島をシェイドから守っていただき本当にありがとうございました。またいつでも神威島に遊びに来てください。おすすめのスポットに皆様を案内したいと思っております。またお会いしましょう。文より」
「神威島でいろいろあったのね〜。でも土のオーブが手に入ってよかった」
文からの手紙も読み終わって健は喜びを噛みしめる。人のためになることをすると、気分が良くなれる。どんなに辛いときでも人々の笑顔を見ていれば自然と元気が沸いてきて、自分も笑顔になれる。その笑顔を――守っていきたい。
「うん。景色もきれいだったからね」
「それでケガ治ってからどうすんの〜?」
「市役所に顔出さなきゃね。あんまり皆さんに心配かけちゃアレだから」
「それでー?」
「それからは、うーん。家でゴロゴロ?」
「ここはひとつ特訓でもしてみんか?」
「えーっ! で、でもやっといたほうがいいか……」
――と、そんな感じに健たちは談話を楽しみ、病室には和気あいあいとした空気が広まっていった。