EPISODE219:慟哭
「クッククク……いい眺めだ。そうだ、死ね! 殺し合え!!」
健たちがカルキノスと戦っている間に、オニグモはオフィスビルの屋上まで逃げ込んでいた。ここから地上を見下ろして、自身の能力で凶暴化した人々が殺し合うさまをじっくりと見物しているようだ。誠に悪趣味で、残忍極まりない。
「この地獄を支配するのは某だ! 誰にも邪魔はできぬ! ガハハハハハハッ!!」
金棒を持ち出したオニグモはそれをビルの外壁や地面に何度も叩きつけて破壊し始める。人々を殺し合わせた上で更に破壊を行うなど、ますます正気ではない。
「そこまでだ!」
「ヌウッ!」
彼の蛮行を止めようと言わんばかりに駆けつけた健が剣を振って突風を巻き起こし、オニグモを転倒させる。もちろんまり子やアルヴィーも一緒だ。
「また貴様らか。性懲りも無く邪魔しにきおって!!」
「オニグモ、今すぐ街のみんなを元に戻しなさい」
「はっ! 言ったはずだ。某が死なない限り殺し合いを続けるとな」
「っ……」
――オニグモは非道に非道を重ねて暴れまわっている。何としてでも止めなくてはならない。だが奴は自分と同じクモ族である。この期に及んで何も出来ないというのか? 同族を殺された無念と、ためらいがせめぎあい、手元が震えている。今まで何体もの同じシェイドを殺して喰らってきたのに、今更になって同族に対して非情になりきれないことに唇を噛みしめることしか今の彼女には出来なかった。
「威勢がいいのは口だけか! そんなことでは先代に顔向け出来んな!」
やはり貴様は一族の長にふさわしくないと、オニグモはまり子を嘲る。相手はのぼせ上がっているだけだ。倒すことくらいわけはない。だが、それが出来ない。いつもなら健もアルヴィーも容赦しないだろうに、彼らも動けない。あんな奴でもまり子の同族だから――という理由で手を出せずにいる。
「貴様のような小娘には歴史あるクモ族の長など務まらぬ! やはり某こそがクモ族を統治し、世界を手に入れるのにふさわしいのだ」
「っ、オニグモ……!」
「わかったらおとなしく不老不死の力を渡せ」
向こうは完全に殺る気だ。まり子が右手をぷるぷると震わせ手前に構える。
「死ねいッ!!」
「くッ!」
オニグモの四股に生えた突起が触手となり、覚悟を決めた顔をするまり子に突き刺さ――
――らなかった。
「!」
まり子の、健やアルヴィーの瞳孔が開く。彼女らの目の前には両腕を広げて立っている――ツチグモの姿があった。
「ツチグモ!?」
「貴様ァ……何の真似だあ!!」
両者ともに驚きを隠せない。主君の為に身を張り、血を流すことも厭わないその姿はまさに忠臣そのものだ。
「図に乗るなオニグモ! まり様には……指一本触れさせん!」
「ぐぬぬッ」
突起をツチグモから抜き、オニグモは顔を歪める。その手には蛮刀が握られていた。
「愚かな! そこの小娘の為に命を懸けるというのか!」
「相棒が死んだというのにわしだけが生き延びるなど許されぬ! それにわしはまり様に忠誠を誓った身……まり様の為に死ねるのなら、むしろ本望じゃあ!!」
「虫ケラがァ!!」
雄叫びを上げて、ツチグモはオニグモに殴りかかる。しかし抵抗むなしく片手で受け止められ、爪状の武器がついた左手で首を掴まれてへし折られる。だがそれでもツチグモは立ち上がる。
「ツチグモ、やめて! お願い、もうやめてッ!!」
「まり様、何をためらっておられる。こやつは敵じゃ、もはや同族ではない……」
「でも……」
「お願いです、戦ってくだされ! すべてを終わらせるにはそれしか、方法はございません!」
ためらう必要は無いと、手負いのツチグモが必死に主へ呼びかける。全身から紫の血を流しながら、痛々しく。
「うっとうしい虫ケラめが! くたばれ!!」
「ぬがあああああああああああああぁ!!」
首を折られてもなおしぶとく立ち上がるツチグモにいきり立ったオニグモは、口から火の玉を吐いてツチグモを焼き尽くす。爆風で吹っ飛ばされて、ツチグモは壁に叩きつけられる。
「ツチグモっ!」
まり子が血にまみれたツチグモに近寄り彼を介抱する。何もしようとしなかった自分を責めるような、複雑な表情を浮かべていた。健とアルヴィーもやるせない様子でいる。
「まり様……これがわしの最後の御奉公にございます。タケル殿、アルヴィー殿、まり様をよろしく頼みまする……」
――そう言い残してツチグモは消滅した。黄色い粒子は、二度と元の姿に戻ることはない。陰りが見えていた空には、暗雲が本格的に立ち込んだ。太陽の輝きを完全に遮ってもはや一筋の光さえも見えない。
「ツチグモおおおおおおおぉっ!!」
慟哭するまり子。自分が不甲斐ないばかりに、ずっと昔から身の回りの世話をしてくれた忠臣二人を失ってしまった。ツチグモは、自ら殉職を望んだのか? それが人間を襲ってしまったことへの償いだと悟ったのか? どちらにしても――彼の死を無駄には出来ない。
「ふん、ようやく往生しおったか……徒労だったな。守るだけ無駄だというのに」
――最期まで主君への忠義を貫いたツチグモやジグモの死を嘲るものが一人。傲慢で、残虐で、優しさを持たぬオニグモには到底理解できない感情だったのだろう。
「……無駄なんかじゃない」
目元を暗くしながら、まり子。
「では、なんだというのだ? 無駄死に以外の何物でもなかろう」
「あの子達は、最期までわたしの身を案じてくれた。芯まで身を捧げてくれた。お前なんかに……お前なんかにツチグモとジグモを笑う資格は無いッ!!」
鬼気迫る表情で語るまり子。その手は、義憤で震えていた。忘れかけていたものを思い出して、心の中では正義の血をたぎらせていた。
「うおおおおおおおおおおおぉぉぉ――――ッ!!」
天に向かってまり子は怒りの咆哮を上げる。抑えきれないほどの力が溢れだし、青紫色のオーラとなって天を衝いた。
「な、なんだ……この力は!? ぐわあああああぁぁぁ」
有り余るほどの力を前にオニグモの体は吹っ飛ばされる。健とアルヴィーも例外ではなく、塀にしがみついて必死に耐えていた。
「これが……クモ族の女王の力なのか!?」
「それだけではない、感情が極限まで昂ったことで元々強かった力が加減できないところまで膨れ上がったんだ!!」
――健は初めてまり子と出会った段階から、薄々感付いていた。彼女はあの小さな体に凄まじいまでの力を秘めていて、それでも完全なものではないと。そして今――激情したことで更に膨張した彼女の本来の力を、冷酷なまでの力の差を肌で感じ取っていた。
「殺してやる――お前だけは、絶対に許さないッ!!」
紫に輝く瞳。額に表れた蜘蛛の複眼を彷彿させる紋様。左目には扇形の蜘蛛の巣の紋様が表れている。据わった目付きは何者をも恐怖させるほど冷徹で、力強かった。壮絶な戦いが今、始まろうとしている!