EPISODE214:ぼっちではない
「……着いたわ。ここよ」
「ここが、まり子ちゃんの!?」
「そうよ〜」
青白い月明かりと夜霧の中にひっそりと佇む、古びた和風の屋敷。そこがかつてまり子が住んでいた屋敷だという。二階建てで大きく、塀に囲まれている。面積の広さから察するに庭もついていると思われる。比較的裕福な家庭だったのか、それとも質素な暮らしをしながらコツコツと積み上げていったのか――。健とみゆきの想像はどんどん膨らむ。
「……あっ、あいつらは……」
健が門の前を見つめると、そこには白い体をした蜘蛛の怪人と黄色い体をした蜘蛛の怪人が立っていた。――まり子の忠臣であるジグモとツチグモだ。
「ジグモ、ツチグモー!!」
まり子は大声を出したり、手を振ったりしながら二体の名を呼ぶ。それに気付くと二体は視線を健たちの方に向けて、駆け寄る。
「来てくださりましたか! ずいぶんとお早いご到着で……」
「フフッ、まあね。話なら中で聞かせて」
「はい、どうぞ中へ……」
ジグモとツチグモに連れられて、健たちは屋敷の玄関へと上がる。外観とは裏腹に中は整備されていて、床も壁も天井も清潔だった。
「すっげー、外と全然違う!」
「ホントだ、きれい!」
きれいに整った内装を見て健とみゆきが感銘を受ける。なにぶん普段はそうそう入らない屋敷の中だ、しっかりと目に焼き付けておかなくてはならない。
「そうじゃろう? まり様がいつ戻ってこられてもいいように、ワレワレの方で屋敷をピカピカにしておいたのだ」
「モップかけて、窓のサンもふすまも掃除して、大変だったぞ」
「つまり毎日大掃除してたってこと?」
「そういうことになりますな……」
「まり子はテリトリーに蜘蛛の巣を張りおるからのぅ、片付けるだけでも大変だったはず」
ツチグモとジグモ、ならびにまり子に従う卷属たちは屋敷の中を清潔にするのに苦労していたようである。これだけ広ければ清潔さを保つのは大変だ。更に細かいところもくまなく探して掃除しなければならない。
「何よ、人を害虫みたいに〜……」
気に障ったか、へそを曲げたまり子が頬を膨らませる。
「す、すまぬ」
「まあいいわ。……それより、話を聞かせてくれない?」
「はい。では、和室で茶でも飲みながら……」
「話か――」
健が顎に指を当てて真剣な顔を浮かべる。
「僕もあなた達に聞きたいことがあるんだけど、ついでに教えてもらっても大丈夫?」
「承知した。では、和室に来てください」
健の願いを聞き入れると、ジグモとツチグモは健たちを和室へ案内する。縁側にある和室は広く、畳が敷かれていてのびのびとした空気が漂っている。まり子の卷属であるアラクノイドの不気味な外見がこの雰囲気の中では少々浮いているが、それさえ気にしなければくつろぐにはピッタリだ。
「まり様! それにお連れの皆様ですね!」
「すっかり変わり果てたお姿になられて……」
「まり様はでかい方がいいな……」
和室にいたアラクノイドたちがあいさつする。小さくなっている自分の姿を見てあんな失礼なことを言ったのだろうが、まり子はとくに気にせず「そんなことよりお茶入ってる?」、と、従者たちに訊ねる。
「はい、すぐに用意いたします!」
アラクノイドたちは茶を淹れに向かう。その間、健たちは座って――話し合うのだ。
「――それで、話っていうのは?」
まり子から訊ねられると、ツチグモとジグモは咳払いをする。
「……ずばり、オニグモ殿の目的にございます。人間の手からまり様を取り戻すためにヴァニティ・フェアと組んだ……というところまでは立派に聞こえるでしょう」
「……えっ? まり子ちゃん、ヴァニティ・フェアにいたの?」
「前に言わなかったかしら、わたしはヴァニティフェアの一員だったって」
――さらりと打ち明けられた事実。それを聞いた健とアルヴィーはしばし沈黙し、みゆきは困惑する。そういえば夏ごろにそんな話を聞いていたような――と、健とアルヴィーは思い返していた。
「あの……続けてもよろしいでしょうか?」
「ごめん、続けて」
「まり様を取り戻したいというのはヴァニティ・フェアとつるんで人間へ攻撃をしかけるための方便……きゃつの狙いは、まり様から一族の長の座を奪い人間を蹂躙することにございました」
「「「!?」」」
――健たちが目を丸くする。まり子は薄々わかっていたのか、何やら複雑な顔をしていた。
「そんな、この前オニグモと戦ったときはそんなことは言ってなかったぞ。あれは建前だったのか!?」
「なに! オニグモ殿に出会ったのか?」
ジグモが驚きながら健に訊ねる。
「ああ、ヴァニティ・フェアのやつらと一緒だった。それだけじゃない、この前みゆきに会いに行ったらそこでもオニグモの手下が襲ってきて……」
「みゆき……とは、そなたの事か」
「はい、あたし風月みゆきって言います」
ツチグモとジグモは、みゆきを見て「なるほど、どことなくまり様と似ておるが――いや、まさかな」と、何やら深い意味を含んでいそうな一言を呟く。咳をすると、ツチグモは「ともかく、わしらが手に入れた情報は先程言った通りです。皆様、聞きたいことがおありなら何なりと」と、健たちに呼びかけた。
「あ、それじゃあ……「お茶が入りましたー」
「ありがとうございます!」
早速訊ねようとしたところで、先程のアラクノイドがお茶を持ってきた。温かい緑茶だ、持ってきたアラクノイドは女性の声でしゃべっており体は紫色。長い髪の毛を生やしていて胸もあるなど、外見も女性的だった。アラクノイドには女もいたのだ、でなければまり子は女王の座を継げなかったわけだが――。
「……おほん! あの、訊いちゃったらまずいこととかない?」
唐突に咳き込むと健は事前に確認をとる。
「はて……別に構わぬが」
「じゃあ、前に次郎吉がどうこうって言ってたよね?」
「ああ、そういえば……あのときはご無礼をかけてしまった、申し訳ない」
「わしからも!」
ジグモとツチグモが、以前勘違いして襲ってきた件について改めて頭を下げる。
「い、いいよそんな気にしなくて」
「それにあのときは私たちも悪かったからのぅ」
「あわわ」と、健とアルヴィーがうろたえる。
「……それで、その次郎吉って人は何者なの?」
「それは……」
「――わたしが好きだった人、わたしの……夫よ」
「「まり様!?」」
躊躇したツチグモとジグモの言葉を遮るように、まり子は表情を曇らせながら言い放つ。みな、動揺を隠せなかった。健もみゆきも、アルヴィーも――。
「まり様、話しなさるおつもりですか!?」
「なりませぬ、嫌な思い出が蘇るだけだ……なりませぬ!」
「お前たちは黙ってて!」
自分を止めようとしたツチグモとジグモをなじると、まり子は健たちに視線を向ける。
「――わたしね、元々は人間だったの。いろいろあってシェイドになっちゃったけど、人としての心を失ったわけじゃなかった。嫌いに――なれなかった」
過去を回想しながら、まり子は語り出す。健とアルヴィーは既に知っているが、みゆきはまだこのことを知らなかった。まり子が元々ヒトであり、そこからシェイドになってしまったと聞けば――誰でも心の底から驚愕する。みゆきは今まさにそういう状態だ。
「ウソ……人間だったの?」
「フフッ、驚いた? ――それでね、もう何百年も前だったかしら。滝で水浴びしてたときに次郎吉さんに会ったの。裸になってるとこ見られて、ちょっとビックリしちゃった。次郎吉さんはわたしのことを好きになって、周囲の反対を押しきってでもわたしと結ばれることを望んでくれたわ。たとえ化け物でも構わない……ってね」
はじまりは水浴びを見られたことであった。当時を懐かしみながら、まり子は次郎吉と出会った経緯を語る。――真面目な性格だった木こりの次郎吉は、ある日滝壺に蜘蛛の化け物が潜んでいるという噂話を耳にした。それが本当なのか確かめてやろうと、怖いもの見たさに滝壺に行ってみれば――そこにいたのは着物を脱いで体を清めていた妖艶で美しい女性だったではないか。
――!? 誰かいるの?――
――……なんと美しいおなごだ。幻か? いや、違う……これは、現実だ――
幻だと思って目をこするが、女性の姿は消えていない。つまり現実だ。次郎吉の目の前にいる絶世の美女は幻などではなく――確かにそこに存在していたのだ。洗いざらしの髪は美しい青紫色で、透き通るような肌に青みを帯びた緑色の瞳、その豊満な体――。文句のつけどころなどない、次郎吉は彼女に一目惚れした。
「そう――だったのか。まり子ちゃんが次郎吉さんと結婚するとき、ツチグモさんたちは反対しなかったの?」
「そりゃあ――わしも最初は反対したが……なにせ、禁忌を犯すようなことだったからな」
「だがまり様が幸せになれるのなら、俺たちはそれで良かった。一部の連中はそうじゃなかったがな」
「それがオニグモ一派。そういう解釈で良かったかの?」
健やアルヴィーの問いに、ツチグモは「そうなりますな」と、答えた。
「激しく反対されたけど、最後にはみんな認めてくれたわ。ただ一体――オニグモを除いてね」
――人間の男と生涯を共にする……ですと? 何をバカな! 人ならざるものが人と交わろうとするなど正気の沙汰ではない!!――
――わたしは、わたしが好きなように生きる。わたしは先代の遺言を守るわ……お前に邪魔をする権利は無い!――
――女王様、某はあなたのことを思って言ったのでございます。どうか今一度お考えを……――
――何度も言わせないで! 好きなように生きたら何が悪いの? やりたいことをやることの何がいけないの? わたしに命令していいのは、わたしと……わたしが認めたヤツだけなの!! お前の言いなりにはならない!!――
ツチグモやジグモを始めとした周囲のものたちはまり子の結婚を最終的に認めたが、オニグモだけは頑なに反対を続けた。まり子のことを思って言ったのではない、人間を極度に憎悪していたゆえの反対だった。――そのときから既にオニグモは人間を忌み嫌っていたのだ。まり子の考えもほとんど当時からぶれてはいない。彼女の決意は何よりも堅く、誰にも断ち切ることは出来なかったのだ。紆余曲折を経てようやく次郎吉とまり子は結ばれ質素ながらも平穏な暮らしを送ったが、やがて次郎吉は年老いて亡くなった。迫害されることを恐れたまり子は、彼との間にもうけた子供を遠方の親戚に預けると――忽然と姿を消した。
「次郎吉さんと無事に結ばれたし、子供も生まれたわ。けど、わたしは死ねないし年もとれない。次郎吉さんは……わたしと子供を遺して先に逝っちゃった」
「……」
――不幸に次ぐ不幸。やっとつかめた幸せは手元から離れていった。まり子の凄惨な過去を知った一行は、表情を曇らせる。健とアルヴィーは悲しみをこらえ、みゆきは涙を流し――。
「ちょっと、やめてよ。遠い昔のことなのよ。何も泣かなくたって……」
「何言ってんのさ、そんな辛いことがあったなんて知ったら……」
「そうだ。いまさら水臭いことを言うでないぞ」
自分を必要以上に気遣ってくれている健たちを見て、まり子は戸惑う。同時に彼らから優しさと温もりを感じていた。――とくに人の温もりを感じたのはもう、何年ぶりなのだろうか。
「……まり様、いいご友人を作りなさいましたな。どうか、お大事になさってください」
「ワレワレも嬉しく思っておりまする……」
「みんな……」
――長い間、孤独だった。両親を奪われ、自分からすべてを奪った張本人は償いとばかりに寵愛を注ぎ、元は人間だったものとして平穏な家庭を築きたいと望むも生涯の伴侶を亡くし――傲慢で、わがままで、気まぐれで、非情で冷酷な女王に変わり果てた彼女は、それでも心の中で望んでいた。自分に優しくして、ときに叱咤して、ときには一緒に笑ってくれる――『仲間』が欲しいと。
「……ありがとう」
ごくありふれた一言。だが、その一言には――ひとつだけでは言い表せないほどの感情や思いが詰まっていた。