EPISODE208:和やかなひととき
翌日十時、大津駅――。アルヴィーとまり子と一緒にやってきた健は改札で待っていたみゆきと合流し、コンビニでお茶を買ったあとにそのまま実家を目指して歩き出した。服装はそれぞれ、健がデニムの上着に『天火星』と書かれたTシャツとベージュのカーゴパンツ、みゆきがゆったりとした薄手の長袖のシャツとその上にブラウスを着ており、下はロングスカートでブーツを履いている。
アルヴィーはグレーのセーターを着ていてその下にはジーンズを穿いている。真ん中に一房だけちょろっと出ている前髪が邪魔なのでヘアピンで留めている。が、何よりも先に目立つのはその豊かな胸だろう。たとえるならば、そう――爆弾よりも危険な凶器。まり子は昨晩夜なべして作ったゴシックなワンピースを着ている。襟が蜘蛛の巣を彷彿させるデザインになっており、ほどよくアレンジを利かせている。なお、近頃不憫(?)なみゆきのことを考慮してか子供の姿である。
「健くん、おばさんにあげるお土産持ってきた?」
「タカちゃんクッキーと饅頭があるよ! あとはおしゃべりかなっ」
みゆきからの問いに健が清々しく笑いながらそう答える。裏表が無く信頼できる、若干頼りないが優しい。そんな雰囲気を漂わせていた。
「わたしもあるよ〜」
「まり子、お主も土産を持ってきたのか?」
「フフッ……エプロンよ。留守番してる間に縫ったの」
まり子が手にぶら下げているイギリス国旗柄のトートバッグの中には、東條家への土産である一着のエプロンが入っていた。留守番している間にいつの間にか作っていたようだ。
「ホントはわたしが着る予定だったんだけど、お料理できないからやめた」
「ふーん。じゃあ、あたしからまり子ちゃんに教えてあげてもいいけど」
みゆきがまり子に料理を教えてやろうかと持ちかける。ファミレスでバイトをしており、更に料理好き。この中で一番料理が上手な彼女から教わればきっと上手くなるだろう。
「フフッ、上達したらみゆきさんより上手くなっちゃうかもね?」
「何よ!」
「何よって何よ!」
眉と目尻を吊り上げ歯ぎしりしながらにらみ合う二人。そのくらい仲が良いのだろう、本気でケンカするような仲であったら双方とも今頃血まみれだ。
「まあまあ二人とも、ここは穏便に……」
仲裁しようと二人をなだめてかかる健だが、振り向いた二人は形容できないほど恐ろしい表情をしており――健は怖じ気づいて、「お、お見それしました……」とだけ告げて引いた。――途中でそのようなトラブルはあったものの、なんとか住宅街の中にある実家にたどり着いた。住居にしている駅前のアパートに比べたら比較的広く、モダンで裕福な感じでもある。
「ここに来るのも久方ぶりだの」
「お母さんいるかな〜」
玄関の前で、健がインターホンを鳴らす。「はーい」と、中から女性の声が聴こえてきた。
「母さん、僕や! 開けて!」
「そんなん言わんでも開いてるで〜」
玄関のドアは閉まっておらず、ドアを開けて中から髪を腰まで伸ばした女性が現れた。髪がきれいで肌の張りも良く、その胸は大きい。母性的でエプロンが良く似合っているその女性は――他ならぬ健の母だ。
「あらー、みゆきちゃんに白石さんと、まり子ちゃん……みなさんおそろいやね」
「おばさん、お久しぶりです!」
「わたしのこと覚えてますかー? お義母さん!」
「どうぞ、上がって〜」
家に上がらせてもらう四人。順番に手を洗うとリビングに行ってくつろぐ。健は楽な姿勢になって机の近くに座り、まり子はソファーに座って足を交互にブラブラと揺らし、アルヴィーは机で頬杖を突きながらテレビを観ている。みゆきはまり子の近くで一緒に座って両手を組んでいた。健やその母であるさとみの人柄が影響しているからかもしれないが、アットホームな雰囲気がそこかしこに漂っている。
「ジュース入れたよ〜」
「おーっ! ありがとう!」
そこにさとみがオレンジジュースとそれを入れるコップを人数分持ってきた。ビスケットやポテトチップスも皿に盛られていて、空いた小腹を満足させるにはピッタリだ。久々に帰ってきた実家でテレビを観ながらおやつを食べて、寝たいものはすやすやと寝息を立てて寝る。休日らしい一幕だ。
「せや、お土産持ってきたんやった」
「お土産? またどっか行ってきたん?」
「ちょっと待っててなー」
土産のことを口にして、健はカバンの中から家族に買ってきたお土産である――タカちゃんクッキーが入った箱と饅頭が入った箱を取り出した。
「この前高天原行ってきてん、そこで買うたクッキーとお饅頭や」
「高天原まで行ってきたんや? わざわざそんな遠いとこまで行って買うてきてくれてありがとうな〜」
健から渡されたお土産を和やかに微笑みながら受けとるさとみ。一瞬表情を曇らせたように見えたが――気のせいだろう。
「そのクッキーとお饅頭おいしいんですよー、しかも高天原のお土産の定番らしくて!」
「へぇ〜、そうなんや。せやったら早めに食べなあかんな〜」
「わたしも健お兄ちゃんからもらったけど、甘くておいしかったよー」
タカちゃんクッキーと、たかまのはら饅頭の味についてみゆきとまり子が語る。「お饅頭の中身はつぶあんでした」、と、アルヴィーも輪の中に入る。
「あ、ちょっとまり子ちゃん!」
「なあに?」
「あんた、前より大きなったんちゃう?」
「え、そうかなぁ〜」
周囲がテレビを観たりおやつを食べたりしてくつろいでいる中、さとみがまり子に声をかける。おっとりした性格のさとみだが、実は鋭い洞察力を持っていてまり子の秘密に気付いているのでは――と、そう思わせる節が見られる。
女の勘とは鋭いものだが、果たしてさとみはどこまで気付いていてどこまで気付いていないのだろう? 仮に気付いていたのなら――最愛の夫がエスパーであることも、八年前に神宮司高原で起きた戦いで彼が死んだこともとっくに知っているはずだ。
「せやねーん、まり子ちゃんったらしばらく見んうちに急に大きくなるし、かと思ったらまた背ぇ縮むし大変やねん!」
「あらら〜、それは大変やったね。あんたも気がついたら急に私越すくらい大きくなっとったけど、覚えとる〜?」
「うんうん。あれは自分でも驚いたわ!」
「みゆきちゃんとか他の子と並んだら親子みたいやったもんな〜、懐かしいわぁ」
「健くん、学年で一番おっきいって良く言われてたよねー!」
まり子の身長の話から健の思い出話に発展し、場は一気に盛り上がる。まり子とはまたベクトルが異なるものの、彼も幼い頃に身長が急激に大きくなっていた。中学に上がる前からはそれが顕著だった。だからといっていじめられていたわけではないし苦しんでいたわけでもない。
「健さんってなんでそんなに大きくなっちゃったんだろう」
「さあ……わたしにもわかんないなぁ。健くんだって男の子だもん、そういうものなんじゃないの」
白石として健に疑問を投げかけるアルヴィー。彼女もやたらと背が高くてしかも乳房がはち切れんばかりに豊かなのだが、人のことが言えるのだろうか。現にみゆきからはうらやましがられて、まり子からは――熟れた体に対して恍惚を帯びた視線を向けられている。まり子は、同じように健の母にも目を向けている。そう、この際だからハッキリと言っておこう。まり子は両性愛者――つまりバイセクシャルなのである。
(待ってよ、確かお姉さんいたよね。ってことは……お義母さんとあわせて親子丼!!)
まり子の脳裏に互いを求めあいあられもない姿を晒す健の母と姉の姿が浮かぶ。公には見せられないほど過激で情熱的な光景を――まり子は妄想していた。
(これは……濡れるッ!)
まり子は恍惚を帯びた表情でヨダレを出していた。他人に見られたら一番まずくて恥ずかしい光景である。「あわわ!」「はわわわ……」と、他の三人は慌ててまり子を取り抑えて落ち着かせた。
「? なんかあった?」
さとみには何が何なのかさっぱりわからず、きょとんとした顔でそれを見ていた。
実家に帰ってからしばらくして、健はある疑問を抱く。――姉の綾子がいない。まさか綾子の身に何か起こったのではないだろうか――少し心配になった。
「お母さーん、姉さん今日仕事?」
「綾子か? 綾子やったら今日は休みやけど、部屋にいるんちゃうか」
「部屋かー、ありがとう! 姉さん呼びに行ってくるわ」
「はぁい。もう、綾子ったらせっかくタケちゃん帰ってきたっちゅうのに」
せっかく健が帰ってきたというのに、二階の部屋から降りてこない綾子にさとみが腹を立てて頬を膨らませる。綾子がいることがわかったので健は二階に上がり、「ねえさん! ねえさーーん!! 僕やで、健帰ってきたで! ねえさーーん!!」と叫びながら綾子を呼ぶ。だが反応はない。
「ねえさーーん! 健が帰ってきた言うてるやろがーーッ!!」
どうせ部屋にいるんだから……と、健は綾子の部屋の前でドアを叩きながら綾子を呼ぶ。しかし返事は聴こえずむなしい空気が辺りに漂う。
「……寝てるんかな……」
万策尽きたか? 健は顎に指を当てて難しい表情を浮かべる。外出はしていないようだが反応はなかった。まさか首を吊ったのだろうか? いや、あの快活で気が強い綾子に限ってそれはありえない話だ。健やさとみが見ていないところで苦労をしてきた綾子であるが、そこまでやるほど追い詰められてはいないはずだ。そう信じながら健は自分の部屋に入る。
「どういうこっちゃ、僕の部屋にもいない……」
――てっきりイタズラをしようと部屋に待ち構えているものかと思った健だが、綾子の姿はそこにはなかった。
「……あれ?」
だが、机の上には何かが置かれていた。気になって見てみれば――水着姿のセクシーな女性が写った本ではないか。しかも一冊だけでなく何冊も置かれている。
「ぼ、僕のお宝が! 宇宙最大のお宝本がッ!! 何故だ、誰が掘り起こしたッ!? 隠し場所は僕しか知らないのにッ!」
誰かが勝手に自分の秘蔵のコレクションを掘り出した! 犯人が家族であることは明らかだが、それでも健は動揺せざるを得なかった。
「ふっふっふっ、ふ……誰が見つけたか知りたくないか〜?」
「ッ……誰だ!?」
背後から誰かの笑い声が聞こえる。その声に聞き覚えがあった健が振り向くと、そこにいたのは髪をうしろで結んでいる女性。見た目や雰囲気から、健より少し年上だろう。
「姉さん!」
「クローゼットに隠すんはやめとき、ここ見つかりやすいからさぁ」
してやったり、と、健の姉・綾子がにやつく。そう、健のお宝を見つけたのは彼女だ。健がいない間にこっそり発掘していたのだ。
「お見通しだったか……くそぅ」
「あんたもアホやなあ、バレバレやっちゅうねん。ウチやなくても見つけられるわ」
「ひどいわ姉さん、ウボァー!!」
綾子から望んでもいない追い討ちをかけられ、健は、目の前が真っ暗になった。