EPISODE199:奴の名はオニグモ・血に飢えし野獣!
――雷雲に覆われたどこかの岩山にある、機械仕掛けの古城。そこはシェイドたちが築いた秘密結社――ヴァニティ・フェアの本部だ。
「くそー、なんでバイトの俺まで始末書書かなきゃいけないんだ……めんどくせー」
机の上で山のように積まれた始末書。愚痴混じりにそれと向き合い格闘しているのは――バイトの多良場ことカルキノス。一匹のカニを正面から見たような髪型が実に特徴的だ。
「もっと楽に稼げる方法ないのかよぉ」
くたびれた様子でため息を吐く、多良場。結構な枚数を書いたがそれでもまだ数がある。あきらめかけて突っ伏していると――、「まだまだ青いな」と後ろから声をかけられる。
「! た、辰巳さん」
「バイトくん……それ、ちょっと私に貸してくれ」
多良場のもとにやってきたのは、顔に包帯を巻き異様なまでに厚着をした怪しい格好の男性――ヴァニティ・フェア幹部の辰巳だ。多良場が彼から言われた通りに始末書を渡せば――辰巳は慣れた手つきで瞬く間に書き上げてしまう。しかも、早いだけでなく字も綺麗だ。
「すげえ……」
「いいか? 始末書っていうのは、こう書くんだ」
――幹部として、失敗したことも成功したことも多いであろう辰巳が始末書を書き慣れているのは当然だ。それだけ、血と汗と涙と泥にまみれてきたのだろう。
「あ、ありがとうございますッ!」
「しかしこんなにたくさんの始末書を書かせるとは……鷹梨も酷いことをしてくれる」
多良場は再びペンを取り、山積みの始末書を半分ほど取って書き始める。
「ひとりじゃ書ききれないだろう。私が手伝ってあげよう」
「いいんスか!? これって違反じゃないんですか、こんなことしたら鷹梨さんが……」
「ハハハ! 細かいことは気にするな、どんどん書きなさい」
戸惑う多良場を、包帯の下でほがらかに笑って励ます辰巳。こうして二人で手分けして始末書を書き始めることになった――。
――三十分後、二人で手分けして格闘した結果始末書はすべて書けた。多良場と辰巳は、鷹梨へ始末書を提出しに会議室に向かう。
「鷹梨さーん、始末書全部書けました……」
会議室の扉を開くも――そこはもぬけの殻。ただ円卓が置かれた広々とした空間が広がっているだけだ。
「うわ、誰もいねえ……」
「ここじゃないなら礼拝堂か玉座の間だ。行ってみよう」
「はい!」
会議室にいないなら礼拝堂か玉座のどっちかだ、と、辰巳が多良場へ告げる。言われた通りにそこへ向かう多良場だが――。
「こっちもいない!」
「ありゃ」
礼拝堂には誰もいない。玉座にも行ったが――そこにいつもふんぞり返っている社長こと――甲斐崎の姿もその秘書である甲斐崎の姿も見られなかった。
「どういうことッスか!? どこ行っても誰もいないじゃないですか!」
「城の中ではないなら、恐らく……」
甲斐崎らの行方を訊ねる多良場を前に、顎に手を添えて思考を巡らせる辰巳。しばらくして彼はこう答えた。
「ビルの方かも知れないな」
「……ビル?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
都内某所、高層ビルが建ち並ぶオフィス街。辰巳の話によればそこにヴァニティ・フェアのもうひとつの『拠点』が点在しているのだそうだ。いつも移動しているように隙間から一気にその拠点である高層ビルへ――移動。多良場は何も知らされていないが辰巳は知っている。彼から教えてもらえたので何も心配はいらない。
「すげえ……」
「なにしろ一流企業だからね。さあ、中へ入るぞ」
見上げるほど高く大きなビル。ここがヴァニティ・フェアの地上での『拠点』だ。さらりと一流の企業であることを告げた辰巳と共に辰巳は中へ入る。一流だけあって内装もピカピカだ。清掃のおばちゃん辺りがいつも頑張って清潔にしてくれているのだろう。
「こんなのあったんだなー、全然知らなかった……」
「驚くにはまだ早い。ほら、行くぞバイトくん」
「すんません!」
辰巳に引率され、驚く間もなく多良場は社長室へと連れていかれる。ニコニコ笑っていた受付嬢に社長の関係者であることを話すと何故か笑顔がブラックなものに変わり、カウンターの裏から社長室に直通の秘密のエレベーターへ案内してもらった。このカワイイ受付嬢もシェイドが化けているのかと――そんなことを気にしている場合ではなかった。社長室の場所はこのビルの最上階――60Fだ。そこから上は屋上。辰巳によれば、「眺めはいいが、同時に怖い場所でもある」のだそうだ。
「ヤベェ……緊張してきた」
「そう気にするな。始末書提出しに行くだけじゃないか、な?」
「ですけどー……」
社長室前の、静寂が広がる薄暗い廊下。肩が震えてきた多良場をなだめながら辰巳は廊下を歩いていく。――この廊下は無意味なほど長く、ゲームで言うならまるで最後のボスの手前にある無駄に長い通路のようだ。その長い長い通路の先には社長室の扉があった。
「ここが……?」
「ああそうだよ。準備はいいか?」
「はい、まあ」
「じゃあ……入るぞ」
辰巳が社長室のドアをノックする。叩き方にコツがあるらしく、一定のリズムを刻むように叩かなくては入れさせてもらえないそうだ。辰巳が教えたように多良場がノックをすると、「入っていいぞ」と若い男性の声が聴こえてきた。――甲斐崎だ。「失礼します」と、一言呟いて二人は社長室に入る。
「辰巳か。バイトの多良場もいるな……改めてようこそ、わが社へ」
甲斐崎が二人に挨拶する。彼の近くには秘書であるメガネをかけた女性・鷹梨と、他には何やら攻撃的な外見の怪人がソファーに座っている。これまた広々とした空間が広がる社長室。来客用のソファーと机があり、コーヒーメーカーや茶を入れる給湯器も置いてある。隅には植木鉢やショーケースも置いてあり、部屋の奥には――社長だけが座ることを許される豪華な席。うしろにはオフィス街を一望できるほど巨大な窓。この部屋自体が小綺麗で居心地も良さそうだ。
「あー、だから社長さんだったんスね……」
納得が行った多良場が呟く。何故会社でも何でもないような組織なのに甲斐崎が周囲から『社長』と呼ばれているのか――かねてから疑問に思っていたようだ。それが解決したからか腫れ物がとれたような表情をしている。
「それでお前たち、何をしに来た?」
「多良場くんが始末書を書き終わったので提出しようとしたところ、城に社長も鷹梨もいなかったので私が……」
「そうか、だいたいわかった」
事情を聞いてそう答える甲斐崎。本当にわかっているのか曖昧な返答だったが、恐らくわかっているものと思われる。
「鷹梨さん、これ始末書です」
「書けたんですね。どれどれ……よし、いいでしょう」
「よかった〜」
多良場はカバンから大量の始末書を取り出して鷹梨に渡した。一枚一枚念入りにチェックして鷹梨は多良場にOKのサインを出す。これで多良場は溜飲が下がったはずだ。
「……ところで……」
多良場がソファーの方を見て呟く。そこに座っていたのは、頭から二本の角を生やした攻撃的な外見で筋骨隆々とした体格の怪人。赤黒い体色で獣の頭蓋骨を仮面として顔に被っており、目は鋭く大きい。他にも体の各所に蜘蛛の足のような節がついていて、見るからに荒々しい。威圧感も遺憾なく発揮されている。まるで地獄の鬼だ。
「……ん?」
「あッ、あの人……どちら様ですか?」
角を生やした鬼のような怪人が多良場の方を向く。たじろぎながら多良場は辰巳らに、この怪人が何者かを訊ねた。冷や汗をかいていて、目は怯えた子犬のようである。
「はじめて見る顔だな。某はオニグモと申すものだ」
鬼のような怪人が多良場の前へ行き名乗りを上げる。身長は二メートルをゆうに超えており、攻撃的な外見も相まってかなり威圧的だ。
「お、オニグモ?」
「そういえば君はまだ面識が無かったな。彼は――クモ族の過激派なんだ」
辰巳によれば、あの鬼のようなオニグモはクモ族の過激派なのだそうだ。
「つい先月のことだ、彼が我々に接触してきた。同じ人間を憎むもの同士手を組まないか、とね」
「利害が一致したので手を取り合ったということになりますね。多良場さん」
甲斐崎と鷹梨が事の経緯を話す。おおらかな態度の甲斐崎とは対照的に、鷹梨は若干懐疑的な様子。グロテスクな見た目の蜘蛛――というか、糸居まり子を嫌っているからだろうか。彼女は、同じシェイドを平然と殺すまり子のことを快く思っていないのだ。辰巳も表面上は穏やかにしつつ、内面では鷹梨と同じく難色を示していた。
「前にクモ族のやつと組んだことがあったろう?」
「あー! ツチグモとジグモでしたっけ。確かそいつらと……」
「そうそう」
辰巳からそう言われ、多良場は以前クモ族のものと共同で東條健らを襲撃したことを思い出す。残念ながらそのときは倒し損ねたのだが――。
「ワレワレは、まり様を連れ戻したい。貴殿方はヴァニティ・フェアの幹部であったまり様を連れ戻したい。ベクトルは違えど目的は一緒だ」
「だから組んだんだったな……だが、余計なことは考えないでいただきたい」
甲斐崎の前で手を組んだ理由をおさらいするオニグモ、腕を組んで余裕たっぷりに振る舞う甲斐崎。どちらも腹を探りあっているように見える。
「甲斐崎殿、滅相もない。余計なことなど、考えてもおりませぬ」
「もし我々を出し抜くような真似をすればどうなるか、あなたはわかっているだろう? オニグモ」
一ヶ月前に利害が一致して手を取り合ったクモ族過激派の『御大将』オニグモとヴァニティ・フェアの『社長』甲斐崎。互いに利用しあう関係だが――果たして、最後に笑うのはどっちだろうか。




