EPISODE190:一陣の風
冷たく激しい雨が降る。稲光が轟く。風が吹き荒ぶ。髪が濡れる。肌が濡れる。服も濡れる。靴の中にまで水が入る。そこから土へと水は染み込む。――ずぶ濡れだ。降りしきる雨の中で戦って、あるいは仲間を応援して、見守って――傘を差さなければカッパも着ずに、そんなことをしていればそうなるのは当然のこと。などと悠長なことを考えている場合ではない。今は激闘の最中なのだから。
「……うおおおおおお!!」
目つきを鋭くして健が唸りを上げる。険しい表情で佇む烏丸に狙いを定めて剣を片手に疾走し、風をまとった剣を振りかぶる。烏丸も負けじと大鎌で巧みに攻撃を弾き、斬り合う。このどしゃ降りの雨の中だ。視界は悪く、一度でも相手を見失えばそれが命取りとなる。確実に攻撃を当てることが重要となってくるのだ。
「ハアッ!」
「らあああっ!!」
斬り合う中で健から一撃をもらい仰け反る烏丸。地面に長剣を突き立てそれを軸にしての蹴りも繰り出し、烏丸の顔を蹴っ飛ばす。転倒し、烏丸は水溜まりに直行。泥水が顔についた。口からは血を流している。
「おりゃっ!!」
「ぬぅぅぅああッ!!」
「てっ! てやっ! でりゃああああァ!!」
「うおっ、くっ……どあああああぁ――ッ」
間髪入れずに烏丸を斬りつける健。仰け反るも烏丸はすかさず大鎌を振り上げて反撃し、左手の正拳で腹部を殴って健を転倒させる。しかし健はすぐに起き上がり、風をまとった剣で烏丸を斬る。斜め上に切り下ろし、斜め下から切り上げ、真横に斬って、とどめに脳天から唐竹割り。風の力を宿した斬撃は烏丸を吹き飛ばし上空へと放り出す。
「せいっ……やあああああっ!!」
体勢を立て直した烏丸に健は風の力を宿した剣を振るい、またも吹っ飛ばして地面へ叩き落とす。土ぼこりと水しぶきが同時に大きく立ち上った。
「すごい力ですわ……! 東條さんが烏丸先生を押している!」
「いや、違う……。アレでやっと互角になったんだ。やつは能力自体が健やお主を上回っているからな」
「はじめて互角に? ……風の力があるとはいえ、彼一人だけでは危険ですわ」
立ち上がる葛城。彼女もまた、決意は硬い。それだけ健を信頼していて、彼を放っておけないということだ。その凛々しい瞳が彼女の心情を物語る。
「みゆきさんのこと、お願いします!」
「引き受けた!」
葛城はアルヴィーにみゆきのことを託し、アルヴィーはみゆきを守りに彼女のもとへ走る。
「今のが風のオーブの力か? うくく、やるじゃないか……」
地面に開いたクレーター、その中に立っていた烏丸は跳躍して健の前に出る。頭からは血を流している。それでもまだ余裕の笑みを崩してはいない。――ひょっとすれば虚勢を張っているだけかもしれないが。
「ざあっ!!」
「たっ!」
大鎌で斬りかかる烏丸、健は盾で攻撃を弾いてから踏み込んで反撃。だが烏丸も反撃を受けた直後に切り上げてカウンターを繰り出し、健を宙へ吹っ飛ばす。このまま地面に叩きつけられる――かに見えた。なんと、健が宙を浮いているではないか。これには流石の烏丸も驚く。
「!?」
「とりゃああああァ!!」
「ッ!? ぐはぁぁぁ!」
健は空中を浮遊したまま、その勢いで烏丸に接近して長剣を振り――真空波を放って烏丸を吹っ飛ばす。驚愕の表情で烏丸は吹っ飛び、地を転がった。
「くっ……くははははははッ! 東條健! その力でこの僕を断罪するかぁ!?」
予想外の出来事を前にしても冷静さを保っているのか、それとも遂に気が狂ったのか? 烏丸は高笑いを上げる。風をまとった剣を片手に構え、健は走る。葛城も援護するために彼のあとを追う。視界が悪いこの冷たい雨の中だ、見失えば一気に不利となる。
「ハッ! せやっ! デヤアアアア!!」
「フッ! ハアアアアッ!!」
風の力を宿した剣で健が滅多切りをしかけ、葛城が己の誇りと信念を懸けてレイピアによる連続突きを繰り出す。対する烏丸は最初は弾き返すが、徐々に防ぎきれなくなり怒濤の連続攻撃を受けて大きく仰け反った。
「ボウヤ達、これならどうだ!」
烏丸は、目にも留まらぬスピードで動き二人を翻弄。この場にはいないが、その速度は不破の高速移動を遥かに上回る。健も葛城も烏丸には追い付けないであろう。何か打つ手はないのか? ――いや、ある。
「――行けるッ!」
「きゃっ」
目を閉じ腰を深く落として身構え、目を見開いて健は叫んで走り出す。――目視できない。風のような、いや、風そのものとも言えるほどの速さだ。
「ハハハ! 誰にも僕を止めることは――」
「止めてやる!」
「なに!?」
激しく降り続ける雨でさえ静かに感じるほどの速さ。韋駄天とも言うべき超スピードで疾走する烏丸に追い付いた健は烏丸を斬り、斬って、斬って、斬りまくる。
「見えない……速すぎて、何も」
レイピアと盾を構え、激しい雨の中佇んで辺りを見渡す葛城。健と烏丸の姿は見えない。ただ声と金属音が聴こえてくるだけ。
「空中を浮遊して、しかもあのスピード……あれも風のオーブの力なのか?」
「いいえ、あれは東條さんの力よ! オーブが彼の思いと引き合ったんですわ!」
アルヴィーさえも驚愕した風のオーブが健にもたらした力。空を舞う力と、疾風のごときあの速さは、健と風のオーブがお互いに共鳴した証なのでは――と、葛城は確信を得る。
「うらうらうらうらァ――――ッ!!」
大鎌をボウガンを変形させ、天へ向かって圧縮した空気の矢を乱れ撃つ烏丸。葛城が盾を構えて防ごうとする傍ら――健は超スピードで走って矢の雨を掻い潜る。
「食らえ!」
「ぬがあああぁッ」
あっという間に烏丸の背後に回り込んで背面から刃を叩きつけ、横に薙ぎ払って烏丸を吹っ飛ばす。体勢を立て直し瞬間移動して背後をとる烏丸だが、振りかぶった瞬間に健の姿は消える。
「こっちだ!」
「ぬぅ!」
――あろうことか、瞬間移動が健にも出来た。なぜ出来たのか? 単純なことだ、烏丸も健もスピードを上げた状態で更に加速して光のごとき速さで移動していたのだ。だから瞬間的に移動しているように見えたのだ。何度も瞬間移動しながら斬りあった末、健は烏丸に渾身の一撃を浴びせ吹っ飛ばす。
「葛城さん!」
「はいっ!」
吹っ飛んできた烏丸を切り上げ、突いて突いて突きまくる葛城。突き飛ばされた烏丸は宙に放り出されるが、すぐに体勢を立て直して着地。「やってくれるねぇ!!」と、目を丸くして雄叫びを上げる。ボウガンを大鎌に変形させて身構えると、大鎌を右手に構えて左手の指を鳴らし――暗雲の隙間から鳳凰のシェイド・シルフィードを呼び出す。――またあの必殺技を、『サイクロンディザスター』を繰り出そうというのだ。
「終わりだ、東條健! 葛城あずみッ!!」
羽ばたいて強風を吹かせるシルフィード。元々雨風が強い中でやっているため、風の強さは先ほどとは比べ物にならない。盾を構えて風から身を守る葛城だが、健は――強風に逆らって突っ走る。
「あがいても無駄だ! 君たちは死ぬ。大切な人の前でね!!」
「無駄じゃ……ないッ!!」
笑う烏丸をよそに走り続ける。すっ転んで頭から水溜まりに突っ込もうが、岩に叩きつけられようが――そのたびに立ち上がって脇目も振らず突っ走る。やがて――疾走する健が五人に分身。
「――ッ!? 分身だと!?」
「あれは!?」
「東條さんが分身した!」
「いったい何が起こってるの……?」
烏丸が、アルヴィーが、葛城が、みゆきがそれぞれ驚愕する。五人に分身した健はそれぞれ烏丸をすれ違いざまに斬り、シルフィードにも斬りかかる。烏丸もこれには対応しきれずに押されるばかりだ。
「行くぞッ!」
五人いっせいに叫んで跳躍し、斜め下に剣を構えて急降下。
「トリックディバイド!!」
「ぐはああああァ!!」
五人の健の急降下しながらの突きを浴びて、烏丸はシルフィードごと吹っ飛ばされる。歯を食い縛った顔で立ち上がった彼は右手に大鎌を握って身構える。対して、健は少し息を切らしている。慣れない力を使いすぎて疲労が溜まったのだろうか。
「葛城さん、今だ!」
「ええ、一気に参りましょう!」
健の掛け声に応じ、葛城は走って健のもとへ駆けつける。「クリスタローズ!」と叫んで己のパートナーである、バラの意匠がある女性騎士の姿をしたシェイド――クリスタローズを呼び出し、周囲に花びらを拡散させる。ひらひらと舞う花びらは烏丸を幻惑し、風に乗って烏丸を切り裂く。
「剣劇――」
そこへ葛城は連続で突きと斬りを浴びせて、更に烏丸を切り上げる。地面に落として、とどめに――狙いを研ぎ澄ませた突きをすばやく一閃。
「百花繚乱!!」
「うあああああッ!!」
宙へ放り出され地面へと叩きつけられる烏丸。起き上がって大鎌を構えるが、眼前には――長剣を片手に走ってくる健の姿。
「ストライド――」
長剣で切り上げると同時に竜巻が発生し、烏丸とシルフィードを上空へと吹き上げる。更に空高くジャンプ。今度は唐竹割りだ。
「ハリケェェェェェェーンッ!!」
振り下ろされる寸前、烏丸は鳩が豆鉄砲を食らったような表情だった。そしてそのまま急降下しながらの唐竹割りでシルフィードごと叩っ斬られて――爆発し、地面に落下。落下の衝撃で、周りに巨大な真空波が発生する。この技、名付けて――ストライドハリケーンとする。
「バカな……これが、風のオーブの力……いや、彼らの力なのか? のああああああああぁ―――!!」
降りしきる雨の中で上がる断末魔の叫びと、爆炎。シルフィードも烏丸も――大爆発。シルフィードは跡形もなく消えた。
「やったぁ! 健くんが勝ったぁ!! 烏丸先生に勝った!!」
沸き上がる喜びを押さえきれず、みゆきがはしゃぐ。雨で視界が悪くともみゆきにはわかっていた。健と葛城が烏丸に打ち勝ったことぐらい。
「どうです……烏丸先生。僕らの勝ちだ」
残り火の中に横たわる烏丸に声をかける健。風のオーブの力を使った反動か著しい疲労に襲われ――地面に膝を突いた。苦し紛れに笑っているのがかえって清々しい。
「み……見事、だ……ふたりとも……」
息を荒く、烏丸。流石の彼も満身創痍。さっきまで敵だったのに、何故か葛城とアルヴィー、みゆきは彼に駆け寄る。「あなたも敵ながらあっぱれでした」、と、葛城は声をかける。アルヴィーとみゆきは健を介抱しつつ烏丸を笑顔で見ていた。
「……ま、まだ、僕を先生と仰ぐのかい……」
もはや戦う力は残っていない。そんな烏丸に何故か葛城は左手をかざし、辺りに花の香りを漂わせて――傷を癒す。
「何故だ。何故僕を癒す? 敵を癒して何の意味があるんだ? それに僕は人殺しだぞ」
「――真っ当に生きて罪をつぐなってほしいからです。契約していたシェイドは死んだ。あなたはもう、エスパーではないし高天原の死神でもない。それに……わたくし達、あなたのことを尊敬していましたから」
「……そう、思ったからか……」
険しい表情で葛城を見上げる烏丸に彼女はそう語りかけ、烏丸を諭す。しばし間を空けてから、烏丸はしたり顔を浮かべる。
「――本当に君たちはお人好しだな。けど、参ったよ。僕の完敗だ」
烏丸は微笑む四人に対して、自身も笑顔で返した。空は曇ったままだが、そのとき――あれだけ降り注いでいた雨もすっかり止んだ。
「……」
――その光景は見られていた。物陰から、機械仕掛けの不気味な怪人に。