EPISODE186:渡り歩く死神
同日深夜、高天原市の町外れ。どこかの山のふもとにある教会の内部では神父のような服装をした壮年の男性がイライラしながら、同じところを行ったり来たりしていた。
――ヴァニティ・フェアの幹部のひとり、クラーク碓氷だ。イライラしているのは、計画が思うように進まないからだと思われる。
「ええい! 烏丸め、何をやっておるのだ!! あれから顔も出さず、一切連絡もよこさず……」
怒鳴るクラーク。今この教会にいるのは、彼ひとりだ。むなしいことに彼の怒号は誰にも聞こえていない。
「まさか、風のオーブを我々に黙って持ち去るつもりか!?」
ひとりで怒ったりして何が楽しいのか。何がスッキリするのか。むなしいことを続けているうちに、教会の中で空気が渦を巻き――烏丸が姿を現した。彼が羽織った黒いコートには深緑が混じっていて、より禍々しさを引き立てている。
「お呼びかな? 神父さん」
「遅かったではないか、烏丸。遊んでいたわけではないだろうな?」
「まさか。先生の言うことを聞かない悪い子に罰を与えていただけさ」
「ほう……だが、そんなことはどうでもよいわ。手に入れたんだろうなぁ!?」
クラークがドスの利いた罵声を浴びせる。対する烏丸はくつくつと笑い、「まだだ」と返す。
「なにぃ……?」
「フッ。急いでは事を仕損じる。人生も同じさ……そんなに慌てる必要なんてないだろう?」
「うぬぬ」
苛立っているクラークとは対照的に、烏丸はクールで余裕たっぷり。器が違う。烏丸のほうが遥かに大物だ。余裕に満ちた態度は強者ゆえのものだろうか? 彼からはカリスマ性も感じられる。
「貴様ぁ……! なめた口を聞きおって!!」
歯ぎしりするクラークは黒い煙を巻き起こし、その姿をぼろ布をまとったガイコツの神官に変化させる。これぞ彼の正体である上級のシェイド――ファンタスマゴリアだ。烏丸は正体を露にしたクラークを前にしてもなお、余裕を崩さない。呆れたような、興味を無くしたような視線をファンタスマゴリアに向けていた。
「キエエエー!!」
異常に発達した左腕を振り上げ、烏丸に突き刺そうとするも――烏丸はそれを見切って瞬間移動でかわし、直後の第二撃も見事に受け止めて見せた。しかも、右手の指二本でだ。
「……ッ!?」
「無い物ねだりは見苦しいぞ? エセ神父」
驚嘆するファンタスマゴリアを冷たく笑う烏丸。
「あなたのやり方は回りくどい。そんなに欲しいのなら、はじめから僕と組まずに自分から手に入れにいけばよかっただけのこと」
「き、貴様……裏切る気か?」
「だと言ったら?」
ファンタスマゴリアの声は震えていた。烏丸に対する恐怖からか、それとも焦りからか――。
「用済みだ。もうあなた方に興味はない」
右の人差し指と中指をファンタスマゴリアの左腕から離し、そう言い放つ。そして――。
「うごおォォォォ!!」
ファンタスマゴリアの腹部を正拳で突き、大きくよろめかせた。口から紫色の血を吐くほどの威力だ。
「あ……が……が……」
「魂を刈られなかっただけありがたく思え。お前の血で刃を汚したくはなかったからな」
ゆっくりと歩き出す烏丸。教会に敷かれた赤い絨毯は、ファンタスマゴリアの周りだけ紫に染まっている。
「ま、待て……烏丸!」
人間体に戻ったファンタスマゴリアが体を揺り起こし、左腕を伸ばしながら離れた位置にいる烏丸へ訊ねる。
「悪いね、待たせている人がいるんだ。帰らせてもらうよ」
「なに!」
「甲斐崎さんに伝えておいてくれ。もうあなた達に興味はないと……ね!」
クラークに甲斐崎への伝言を預け、烏丸は空気の渦の中へと消えた。
「く……くそ……人間め……ゴホッ」
悔しがるあまりに咳き込みながら発したその言葉も、誰も聞いてはいなかった。
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次に烏丸が向かった先は、どこかの廃ビルの中。入って階段を上がり、立て付けの悪いドアを開けて部屋の中に入り、明かりを点ける。広々としていて、椅子がいくつかとベッドがあるだけの簡素な部屋だ。ベッドの上で寝ていたのは――みゆき。
「もう寝たみたいだね」
起こさないように小さな声で呟く、烏丸。――彼女は大事な人質だ。だが、傷つけたりする気は微塵もない。生かしておかねば、敵が、健や葛城が悲しむだろうと思っての配慮だ。風のオーブと引き換えに返してやろうと思っている。もちろん、もらった風のオーブは返さない。
「綺麗な顔だ、穢れも何一つない。しかも友達想いの優しい子ときた。――彼らが必死になるのもわかる」
椅子に座った烏丸は、うっとりした様子で起こさないように、みゆきの顔をそっとなでまわす。そのあとしばらく、頬杖を突きながらみゆきの寝顔を眺め続けた。
「……さて、そろそろ来る頃かな」
誰かと待ち合わせをしていたのか、急に思い出したように烏丸が立ち上がる。みゆきを起こさないようにそっと部屋を出ると、静かにドアを閉めた。そして、階段を登った。行き先は――この廃ビルの屋上。
この廃ビルは五階建て。位置は高天原市のはずれ。見てくれはあまり美しくないが、屋上からは周囲を山々に囲まれた高天原の街を一望できる。今はもう夜更け。暗い夜空と街の明かりが組み合わさり――絶景を作り出していた。
「烏丸」
背後から何者かが、街を見下ろしていた烏丸に声をかける。低音で渋い男性の声だ。何者かに気付いてきょとんとした顔で振り向いた烏丸は膝を突く。
「――お待ちしておりました。我が主よ」
膝を突いたままで烏丸が何者かを『主』と呼ぶ。その者は黒い外套を身にまとい、顔には目玉を模していていくつものスリットが入った仮面を被り、肩には目玉を模したプロテクターを着けていた。手には幾何学的な模様が入った手甲を着けており、足には金属製の黒いブーツ。
「この地に眠る風のオーブ……手に入れたか?」
「申し訳ございません。あともう少しだったのですが、思わぬ邪魔が入ってしまいました。ベストは尽くしたつもりです」
「そうか」
冷徹な口調で烏丸の報告に返事をする、仮面の男。
「まあよい……時間はまだたっぷりあるのだ。その代わり――必ずや手に入れろ。これ以上、ヤツをのさばらせてはならぬ」
「はっ!」
頭を下げる烏丸。次に彼は、「ところで……我が主よ。明後日、東條健らと決着を着けに行ってもよろしいですか?」と、仮面の男に訊ねた。
「――良かろう」
「ははっ、ありがたき幸せ……!」
「期待しているぞ? 『ストームブリンガー』よ」
「はい」
烏丸の主である仮面の男は、烏丸の願いを聞き入れて承諾した。心の底から喜んだような、すみわたる笑みを浮かべた烏丸は感謝の言葉を告げ、屋上を去った。
「――フフフフフ、おめでたいヤツよな」
烏丸がいなくなったあと、仮面の下で男は笑った。そして指をパチンと鳴らすと――地面の隙間から何者かが姿を現す。暗くてよく見えないが、それは全身にコードを張り巡らされた機械仕掛けの不気味な怪人。頭部はガイコツを彷彿させ、目は不気味に黄色く光っている。装甲に覆われたそのどこか機械的な姿は、人工的な雰囲気を漂わせる。そう、誰かに作られたような――。
「我がしもべよ、試運転といこうか。もし烏丸がしくじることがあれば――そのときは構わず処刑しろ。よいな?」
「……御意」
低く重々しい、エコーのかかった声で機械仕掛けの怪人が答える。機械仕掛けの怪人は地面へと溶けるように消えていった。
「フフフフフ……」
あとを追うように仮面の男も闇の中に姿を消した。果たして、仮面の男のしもべであるあの機械仕掛けの怪人はシェイドか、それとも――。そして、烏丸に捕らえられたみゆきの運命は?
決戦は明後日――神宮司高原にて開かれる。