EPISODE176:烏丸という教師(おとこ)
――ところ変わって、高天原市の天宮学園高校。今は放課後だ。生徒はみな部活に励んで汗を流しているか、あるいはのんびりと歩いたりしながら帰宅している。葛城やみどりは前者で、後者は健やみゆきだ。
「んー……」
みゆきと一緒に帰路を歩んでいる途中で顎に手を当てて、考え事を始める健。彼には気になっていることがひとつあった。それは先日戦った、死神のような格好をした謎の連続殺人犯――『高天原の死神』の正体についてだ。
「健くん? そんな難しい顔してどうしたの?」
「いやさ……気になってるんだよね」
「何が?」
「実はね……ひそひそ」
みゆきから訊ねられたところで健は立ち止まり、みゆきの耳元に顔を寄せてささやく。もちろん昨晩起きたことに関する話だ。驚いたみゆきは、「えーっ!? こ、校庭に連続殺人犯が!?」と、大声を上げてしまい健から、「しっ、静かに!」と、注意を受ける。
「ごっ、ごめんね」
「とにかく、どこか引っかかるんだよね。生徒には手を出したくないとか言ってたし、いったい何が目的で学校に侵入したのかとか……いろいろと」
「確かにそういわれると気になるなー。その人、何か企んでるのかしら……」
話をしながら歩くのを再開する二人。まだ推測に過ぎないが、可能性はある。『死神』の正体は生徒のうちの誰かか、もしくは――教師ではないかという可能性が。
――翌日――
「も、もれる〜っ。シッコもれる~っ」
休憩時間にて、健は男子トイレに向かっていた。漏らしそうなのか、とても急いでいる様子だ。行くなら授業が始まるまでの間が断然いい。始まってからでは遅いのである。授業中にうっかりパンツを濡らしてしまっても責任は自分にあるのだ。
「……ふぅ」
駆け込んで用を足すときちんと手を洗ってから男子トイレをあとにする。余裕が出来たからか、行きと違ってだいぶ落ち着いており、目元は和らぎ口元がほころんでいた。歩く速さも少しゆっくりだ。
「わわっ」
そうやって浮かれていると、誰かと出会い頭にぶつかってしまった。相手は男性で、床に書類とメガネを落っことした。どうやら先生のようで、髪は黒ずんだ緑色。瞳も緑色だ。下へ向かってツンツンした前髪が特徴的。
「あいたた……君、どこを見て歩いているんだ」
「す、すみません!」
相手の男性が落としてしまった書類をせっせとかき集める健。メガネも拾って男性に手渡し、「ぶつかってしまって、本当にすみませんでした」と頭を下げる。
「まったくー、気を付けてくださいよ……」
「はいっ!」
男性と別れて教室へ向かって健は走る。すぐに男性から、「廊下は走らない!」と注意を受け、仕方なく歩いていった。
「しかし、すがすがしいくらい元気のある子だった」
男性はスーツについたほこりを払うと、職員室に向けて歩き出す。――途中、声にならない声を出して立ち止まり少し屈みながら右足に目を向ける。ケガでもしていたのだろうか?
「まだ痛むな、だがこのくらい……」
だが痛みをこらえ、男性教師(知的なイケメン)は歩き出す。その鋭い瞳の奥で熱い何かを燃やしながら――。
「――それにしても彼、いい目をしていたなぁ」
彼はそう呟いたとき、爽やかな笑顔から一転して険しい顔を浮かべていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふうん……途中の廊下で、そのメガネをかけたカッコいい先生にぶつかったと」
「そーなんだよ! 悔しいぐらいイケメンで、頭も良さそうでした。キーッ!」
「うふふ、それは災難でしたね」
「そういうこともあるよ。気にしない、気にしない♪」
昼休み、健はいつものようにみゆきや葛城、みどりと一緒に弁当を食べていた。トイレからの帰りでメガネのイケメン教師とぶつかったことも話した。あまりのかっこよさに嫉妬でもしたのか、やや興奮気味で弁当を食べている。案の定すぐに葛城から「ゆっくり噛んで! 体に毒ですよ」と注意を受けてしまった。
「ん? んー!?」
健の話を聞いていた男子生徒が立ち上がり、健の席へと近づく。彼に釣られて女子生徒もひとり、いやふたり追加でやってきた。
「き、君!」
「わっ!? な、なにさ?」
「食事中悪いけど、さっき言ってたイケメンの先生ってどんなんだった?」
「教えて、教えて!」
「え、えーとね……」
他の男子生徒や女子生徒からすごい勢いで訊ねられたので、健はおかずを箸でつまむのをいったんやめて廊下でぶつかった教師の姿を思い出す。
「髪と眼は緑色でスーツはグレー……だったっけなー、うーん」
「な、なんだってーっ!!」
「うっそー!!」
「マジでぇ!?」
健が思い出した教師の姿を聞いて男子ひとりと女子ふたりが大声を出して驚く。クラス中が、「何事だ!」と、言わんばかりに声がした方角に振り向いた。当然近くにいた健や葛城たちは肩がすくんだ。
「へ……? み、みんなどうしたの? そんな驚いちゃって……」
「すっげえじゃん、その人烏丸先生だよ! 烏丸元基先生!」
「そうそう! 烏丸先生に会えるなんてうらやましいなぁ、東條さん!」
「ねーねー、サインは? サインはー?」
「えっ、え? ああ、う、うんと、そんなにすごい人だったんだ……」
三人の男女が騒ぐ。やがて周りもエキサイトし始め、てんやわんやの大騒ぎだ。どうやらその烏丸という教師は先生たちからたいへん人気があるようだ。まるでヒーローかスターのような扱い。
買いかぶりのような気もするが――。そんな烏丸のことをまったく知らなかった健に、「そりゃそうよ! あなたは烏丸先生がどれだけすごくてカッコいいのか知らないのね。失礼しちゃうっ!」と言い放って、女子のうちのひとりが席に戻っていく。
「え、や……やっぱりすごい人なの? その烏丸先生は」
「うん。男女の両方が憧れを抱くような人だからね! よくわかんないなら葛城さんに聞いてごらん、そんじゃ!」
「あとでサインもらいにいこっかなあ! ウェヒヒヒヒ!」
やがて、男子ひとりと女子ひとりも席に戻っていた。あれだけ盛り上がっていた周囲はしっかり静まり返り、「烏丸先生を知らなかったなんて、ある意味もったいないよな」「言えてるー!」「でもあいつ来たばっかりだし、知らねーのもしゃーないわな」「それより放課後にティータイムしようよ」「賛成!」と、言った風に会話が繰り広げられていた。
「――か、葛城さん。ひとついいですか」
「何かしら。もしかして、烏丸先生のこと?」
「そうなんです!」
昼食を食べ終わったあと、葛城に烏丸がどのような人物かを聞く。すると葛城はいつものすました笑みを浮かべて、
「――では、教えて差し上げますわ。烏丸先生は二年D組の担任でして、担当教科は数学だとか」
「ふんふん――数学教師なんだ」
「更にテニス部の顧問でもあるんです。運動も得意で頭も冴えているお方でして……わたくしたち生徒からの人気も高いの」
「そ、そうだったのか! すごいなあ……」
葛城が知りたがっていた健へ烏丸についてどんどん語る。「まさしく文武両道、だねっ!」と、みどりも会話に入ってきた。
「葛城さんやみどりちゃんは、会ったことあるの?」
「ええ。たまにお会いしますが、噂通りきっちりした方でした」
「あたしもたまに会うんだよね〜。本当にかっこよくて、飾らない感じの人なの〜」
「みんな、いいなあ。わたしも烏丸先生に会ってみたいわー」
葛城やみどりから話を聞いている途中で、みゆきが何やらうらやましげにつぶやく。まさか、自分を捨てて烏丸を選ぶつもりなのでは――と、健はその時危惧した。