EPISODE166:この剣にかけて
「よし、これでバッチリだ。あとはマスクを被るだけだよ」
「谷村さんでしたっけ。着方教えてくれて、ありがとうございます!」
一時はどうなることかと皆心配したが、いらぬ心配だった。葛城の命を受けた谷村がユニフォームの着方を教えたところ、健はすぐに着方を覚えて着こなしたからだ。フェンシングの白いユニフォームを着た感覚はタイツに近いものと思われたが、そんなことはない。宇宙服やスズメバチの巣を駆除する際に着る防護服を着ているような感じだ。もっとも、それらに比べたらだいぶ薄手ではあったが。
「あら、案外早かったですね。それではわたくしはこれから着替えてきますから、皆さんとおしゃべりでもしながら待っていてくださいませ」
「はい!」
髪をとかしながら葛城が告げる。彼女は白いユニフォームを持って速やかに更衣室へ入った。
「――ハッ!」
そのとき彼は見た。葛城の胸がぷるん、と揺れる瞬間を。
「東條くん、どうした?」
「もっと早く気付くべきだった……」
「え、何に?」
「葛城さんが巨乳だったってことに!」
興奮した健はマスクを持ちながら叫ぶ。すると周囲に笑い出し、笑いの渦が巻き起こった。
「ずいぶん正直なのね、キミ! そりゃあ確かにうちの部長はスタイル抜群だけど……」
「健全でよろしい。まあ谷村が同じことを言ったら許さないけどね」
「ひ、ひどいよ郷田さん……」
順に赤みがかった茶髪の桐生、金髪で凛々しい出で立ちの郷田、黒髪でやや頼りなそうな谷村が言う。見るからに気さくな雰囲気の桐生はともかく、かなり真面目そうに見える郷田が割と寛容な姿勢を見せたのは意外だった。
「もう。健くんったらほんとスケベなんだから」
「東條くんって普段からああなの?」
「ううん。普段は真面目なんだけど、興奮しちゃうとあーいう面が出ちゃうのよね」
「そっか。でも男の子なら仕方ないよね〜」
だらしない健を見て呆れるみゆき。一方でみどりはそれを受け入れていた。――と、盛り上がっているうちに更衣室のドアを開けて葛城が白いユニフォーム姿で戻ってきた。健の対岸に立って、彼に「盛り上がっていたみたいですが、準備の方はよろしくて?」と彼女は告げる。既にマスクを被っていてヤル気満々だ。
「はいっ、なんとか!」
健がマスクを被りながら答える。これでバッチリだ。そこへ赤みがかった茶髪の桐生が「二人とも、これ持って」と取っ手がついた細い棒を持ってきて二人へ手渡した。――試合に使う『剣』だ。少し触ってみるとグニャリと曲がったことから、硬いながらも柔軟性を持ち合わせていることが分かる。端から見れば遊んでいるようにしか見えないので、「おほん!」と咳をして葛城は鋭い視線を健に向けた。
「……ルールを説明します。フェンシングは剣で突っついたり、剣で相手の攻撃を弾いたりするスポーツですわ。マスクや胴体に突きが当たれば負けですの」
「ふむふむ……そうなんだ」
フェンシングとは何か。素人の健に分かりやすく、丁寧に説明する葛城。
「本当はもっと細かいルールがあるのですが、今回はお試しですからね。軽い気持ちで取り組んでも構いませんわよ」
「はい、また調べておきます!」
ルールを聞いて健は葛城へそう言った。そして――葛城が「行きますよ!」と言ったのを合図に、戦いの火蓋が切って落とされた。利き腕はお互いに右だ。とりあえず突けばいいのだな、と健は何度も葛城をつつくが――効いていない。いや、突く度に往なされていた。やみくもに突いてくる健とは対照的に、葛城は正確な突きを繰り出して――見事顔面に命中させる。
「あれは相手を正確に狙う、部長の鋭い突き!」
「あれ痛いのよねー。東條クン、大丈夫かな」
「……ちゃんと防具つけてるし、大丈夫なんじゃないの?」
部室の端で試合を見ながら話し合う古田、桐生、郷田。三人とも部長の葛城と長い付き合いなだけあって、彼女の実力をよく知っていた。なお、このフェンシング対決はあくまで練習の為か審判はいない。
「あっ、まただ。また部長が突きを炸裂させた」
「東條くん、完全に押されてるわ!」
やや頼りなそうな谷村と小柄な体格の榎本が驚く。試合はどんどん続いていき、まったくの素人とはいえ健は葛城に完全に押されていた。
「葛城さん、すごい……健くんに付け入る隙をまったく与えてない」
「あずみんはインターハイで優勝した実績があるんだよね。だから簡単には勝たせてもらえないかも〜」
みゆきとみどりが話し合う中、健は歯を食い縛っていた。焦ってめちゃくちゃに突きを繰り出したが、やはり葛城には通じない。そして胴体を突かれて――衝撃で健はずっこけた。
「……やめにしましょう。流石に可哀想になってきました」
マスクを外した葛城が練習試合をやめようと、そう宣言する。
「そんな……!」
「あなたにやる気があるのなら、続行しても構いませんが」
「……」
健が難しい顔をして考え始める。一体どうするんだ、と、みゆきや部員たちは深刻な雰囲気になっていた。やがて健が出した答えは――。
「……棄権します!」
練習試合の棄権だった。負けを認めたのだ。ややカッコ悪いが、ここでしつこく食い下がるようなタマではない。
「……まあ、ずいぶん潔いことで。うちのフェンシング部で活動するのは、帰宅部の東條さんには荷が重かったようね」
葛城が鼻で笑いながら健を見下ろす。やはりキツい女だ。
「うっ……!」
容赦ない一言を浴びせられて、健は少し悔しくなった。みゆきと周りの部員たちには気まずい空気が漂っていた――。
◆◇◆◇◆◇◆
「そうか……そんなことがあったんだな」
「はい。ひたすらに自分が情けなくて……葛城さんも容赦なさすぎるし」
その晩、健は不破の家で仮入部した際のことについて愚痴っていた。愚痴を聞いていたのは不破だけでなく、みゆきやアルヴィーに白峯も一緒だ。みんな制服やスーツから私服に着替えていてラフな雰囲気を漂わせている。
「あの人がいけないんだ……くっそー! 葛城さんのアホおおおおおおおおお!!」
「ちょっ、おま!?」
何を血迷ったか白目を向いて健は立ち上がり雄叫びを上げた。彼は怒りに震えている。不甲斐ない自分と、尊大な葛城の態度にだ。らしくない――というか、子供っぽい。
「この恨み晴らさずにおくものか! いつかカッコいいとこ見せて見返してやる!! キーッ!!」
「お、お、お、おい! 落ち着けって!」
怒りに震える健を不破がなだめながら取り押さえる。だが「うるせー!」と健は振り払い、更にグーで叩いた。日頃から鍛えている不破でも今のは痛かったらしく、「いてぇよ、おかーちゃーん」と泣き言を言いながらしばらく頭を抱えていた。
「まあまあ、落ち着いて東條くん。カッコいいとこ見せたいんでしょ?」
「そ、それはそうですけど……」
「あなた――潜入捜査始めてからちょっと浮かれてたみたいだし、明日から真面目にしてみれば?」
白峯が健に優しく語りかける。「そうするだけでも、だいぶ印象が変わると思うよ」と白峯は笑顔を浮かべながら付け加えた。やはり彼女には笑顔が似合う。
「うむ。遊びすぎはよくないからの。少しずつその葛城殿に認めてもらえる努力をしていけばいいと思うぞ」
「ほら、笑顔笑顔♪ あんまり怒ったり、暗い顔しちゃダメだよ」
励ましの言葉を送るアルヴィーとみゆき。ややぎこちなく笑いながら健は「そ、そうだよね」と答える。
「困ったことがあったら何でも言ってくれ。いつでも相談に乗るぜ?」
「不破さんまで! ありがとうございます……ってか、立ち直るの早いな」
さっきまで頭を抱えていた不破が立ち直り清々しい笑顔を浮かべて右手の親指を上に突きだし――サムズアップ。健は思わずツッコんだ。なんやかんやでゆっくり過ごしていた健たちだったが、そのとき――健のカバンの中にあったシェイドサーチャーがシェイド反応を感知し音を鳴らし始めた。
「……サーチャーが鳴ってる!」
カバンを開けてサーチャーを手にとった健が言う。いつになく真剣だ。こうしているうちにも人々はシェイドに襲われて蹂躙されている――急いで助けに向かわねば。
「なんですって! 東條くん、場所は?」
「高天原市……みたいです!」
「ちょっと遠いわよ。行ける?」
「アルヴィーと一緒なら行けますって!」
白峯と会話を交わす健。なぜアルヴィーと一緒なら行けると彼は言ったのかというと――。エスパーはシェイドを媒介にして陰や隙間に入って行きたい場所へ瞬時に移動することが出来るからだ。以前もセンチネルズとの決戦に向かう際などにその方法を使った。もっとも普通は危険なので、不破ら他のエスパーはあまり使用しない傾向にあるようだが。
「うむ、では参ろうぞ!」
アルヴィーが立ち上がり、ワイシャツの袖をまくる。戦う準備は既に出来ていた。「それじゃ、行ってきます!」と健は残った三人へ告げて玄関へ。
「気をつけてね、健くん!」
「あんまり無茶しないでね!」
見送りに来たみゆきと白峯に振り向いて笑顔を送る健とアルヴィー。「よかったらオレも行くぞ!」
と不破は加勢しようとするが、「大丈夫です!」「心配せずとも私達なら大丈夫だ」とキッパリ断られてしまった。そして、二人はマンションを飛び出て近くの適当な隙間へと潜った。その先にあったは――極彩色のもやもやが広がる異次元空間。
「たしかシェイドが出たのは高天原市だったな――」
「うん。アルヴィー、急いで!」
「あいわかった。しっかり掴まっとれよ!」
本来の姿――巨大な白き龍となったアルヴィーの背に乗って、健は夜の高天原市へと向かった。ジェットコースターが一気に宙を突き抜けるような感覚を味わいながら。果たして何が待ち受けているのか――?