EPISODE160:嵐の前
外は見事な秋晴れ。風は爽やかで心地よく、太陽の陽射しも暖かい。寒すぎず暑すぎず、程よい気候だった。快い天気のもと、健たちは散歩がてら西大路にある白峯の家へ向かう。
「あっ、こんにちは!」
「みゆき! 来てたんだ……」
白峯の家は相変わらず大きくて威圧感がある。広い庭に地上二階・地下一階建てというとてつもない大きさ。まさに豪邸だ。健が住んでいるアパートとはもはや比べ物にならない。月とすっぽんである。
その豪邸の前で、健たちは藤色の髪を束ねてサイドテールにした少女を見かける。彼女は健もよく知っている顔――というか幼馴染みだ。名前は風月みゆきという。着ていたのはオレンジ色の上着とその下に白い薄手の長袖、ホットパンツにとボーダー模様のニーハイソックスに毛皮のブーツ。まるでこれからよそに遊びに行くような服装だ。
「みゆき殿は今日もなんというか、イケイケ……だの」
「そ、そうかなぁ」
「なによ、つけあがっちゃって。言っとくけどお兄ちゃんは渡さないんだからね」
「む……言ってくれたわね」
まり子がみゆきを煽り、健をめぐってのいがみ合いが始まる。二人ともベクトルは違えど健のことが好きである。
片や小さいときから一緒で好意を寄せており、片や途中で現れたにも関わらず驚くべき早さで健になついて今ではすっかりベタベタしている。そう簡単には譲るまいと――互いに躍起になっているのだ。
「まーまーまーまー、落ち着いて。落ち着いてってば。僕のために争うのはやめてくれ!」
このままいくと醜い争いが始まってしまう。急いで割って入り、健は二人を落ち着かせて仲裁を試みる。一方でアルヴィーは事態を静観していた。
必要以上に干渉するつもりは無いようだ。健が必死で説得した成果もあり、ケンカはスケールがアップする前に無事おさまった。
「ところでさ、みゆき。君も白峯さんに呼ばれたのかい?」
「え? 今日はバイト休みだから遊びに来ただけだよ」
「そっか、まあいいや。とばりさん家に入ろう」
みゆきを加え、四人になった健たちは玄関のインターホンを鳴らす。
「はーい! あっ、みゆきちゃんと一緒なのね」
「はい!」
「それじゃあ、遠慮せずに上がって」
するとすぐに白衣姿の女性が現れ、四人を家の中へと招いた。彼女がこの家の主にして希代の天才科学者である――白峯とばりだ。
IQ160という驚異的な頭脳指数に加え、青みがかった黒いストレートの長髪に黄色い瞳、雪のような白い肌という妖艶な姿。更に陽気で快活な性格。それでいて料理もうまいという理想的な女性だ。なのに彼氏はいないそうだ。まったくもってもったいない話である。
見た目が大きければ中も広い。ゆったりとした雰囲気漂う広いリビングで、四人はソファーに座ってくつろいでいた。健とみゆきは手を膝元に置き、アルヴィーは腕を組んでいた。胸が大きいからか、やはりたくしあげるようにして。
まり子は彼女に寄り添うようにしてくっついていた。端から二人を見ると、年の離れた姉妹を連想させられる。白峯はにっこりと笑いながら座っていた。膝元にはクリップボードが置かれている。更に彼女の後ろには――ホワイトボードがあった。何かの説明に使うのだろうか。
「それで白峯さん、昨日言ってた『風のオーブ』についての話ですけど……」
「あっ、そうだったわね。それじゃあお茶とお菓子を味わいながら、ゆっくり説明しましょうか♪」
白峯がそう宣言して立ち上がり、ホワイトボードの前に陣取る。こうしてテーブルに置かれた茶菓子をゆっくり味わいながらの説明会が始まった。
「――おほん。『風のオーブ』は、私立天宮学園高校というところに眠っています」
「こ、高校!?」
教鞭でホワイトボードに張られた地図を指差す白峯。その位置は東京都と埼玉の間であった。すごく遠いところではないか――と、健とみゆきが驚く。
「そうよ。東京と埼玉県の付近にある、高天原市ってところに建てられているの」
「東京と埼玉のあたり!? と、遠いなぁ」
「帰ってこれるのかなー、そこから……」
驚きを隠しきれない健とみゆき。一方でアルヴィーは「高天原か……」と真剣な表情で呟いていた。隣にいたまり子も最初はきょとんとしていたが、すぐ何かに感付いた表情を浮かべた。何か心当たりがあるというのか?
「それでその天宮学園までどうやって入るんですか?」
やや心配そうにしながら健が白峯に訊ねる。
「どうやるかって? そうねー……みんなで変装して入るの!」
「へ、変装!?」
白峯以外のその場にいた全員が驚いたあまり、叫ぶ。「な、何にですか……?」と健は白峯へ問う。
「生徒や先生になって潜入するのよ。気分は学生時代♪」
「そうなんですかー! 高校の時を思い出すなぁ」
生徒または教師に変装して天宮学園に潜入する。そう聞いた健は、ふと青春の一ページを思い出していた。あの時はよく友達と一緒にバカをやったり、お互いに勉学に励んだりしたものだ。みゆきも健と同じく、学生時代を振り返って感傷に浸っていた。
「学園か〜! 青春真っ盛りじゃない! いいなあ、わたしも行ってみたい」
「ふふふ、私もだ」
アルヴィーの横ではしゃぐまり子。まだ見ぬ学園へ行くことになって期待で未発達な胸を膨らませ、少し興奮していた。だが白峯がまり子へ、
「あの、まり子ちゃん……喜んでるところ悪いけど」
「な、なに?」
「その天宮学園は高校だから、あなたが入るにはちょっと無理かもしれないわね」
非情にも白峯はそう告げる。まり子に衝撃が走り、顔面が蒼白。目を丸くしていた。
「で、でも社会見学って事で入れてもらえないかな~……白峯さん、おねがーい」
「うーん、いろいろややこしい事になりそうだからそれはちょっと」
「えっ」
「悪いけどそういうことだから、ゴメンしてね~」
申し訳なさそうに笑いながら、白峯。「は~い」と少しヘソを曲げた様子でまり子は返事をした。
「どんまい、まり子ちゃん。……それで天宮学園にはいつ頃行くことになるんでしょうか?」
「明日の7時に京都駅に集合ね。そこから新幹線に乗るわよー!」
「はい! それでどこに泊まるんですか?」
「そうね~。滞在するならホテルが良さそうだけど……あ、そうだ」
健とみゆきから次々に質問を投げつけられ、ひとつひとつ答えていく白峯。どこに宿泊するのかを聞かれて少し悩むも、彼女はすぐに答えを出した。
「不破くんの家に泊まってみない?」
「なるほど……いいアイディアだの。不破殿の家に泊まるとはなかなか」
「知ってた? 不破くんの家はねー、高級マンションなのよ~♪ さすが公務員! さすがリア充!」
「高級マンションだなんて、うらやましいにも程がありますよっ!」
「憎らしい~!」
宿泊先が決まって盛り上がる一行。皆が騒ぐ中、まり子はひとり「でもわたしは置いてけぼりなのよね……」と憂鬱になっていた。
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その翌日――。着替えなどの必要な荷物をカバンにまとめ、健たちは朝早くから京都駅へ向かっていた。健もみゆきも、バイト先には「しばらく休みます」と前もって連絡している。もちろん高天原から帰ってきたら休んだ分だけ働くつもりだ。それは社会人として当然のことである。
「ねえ、行っちゃうの……?」
京都駅の改札口。新幹線のホームへとつながるその場所の前で、悲しそうな表情をしながらまり子が言う。向かいにいるのは――今まさに新幹線へ乗ろうとしている健たち。
「大丈夫だって。そんなに長くは滞在しないから」
「でも心配なの……わたしからどんどん離れていくんじゃないかって」
「心配しないで。すぐ帰ってくるからさ。だからそんなに哀しまないで……ね?」
少し屈んでまり子の頭をなでる健。「うん……」とまり子は返事をした。彼女は、自分にこんなに優しくしてくれる健が自分の近くからしばらく離れるのが不安で仕方なかった。
これからひとりで肌寒く寂しい思いをしなければいけないのだと思うと、涙が出そうだった。でも彼女はこらえている。
仮にも蜘蛛型シェイドの女王である。孤高の女王として、敬愛する健の前で涙を流す恥ずかしい姿を晒すわけには行かない。
「わかったわ。けど……必ず帰ってきてよ!?」
「もちろんさ!」
健が暖かく笑う。まり子も微笑むが、そのとき――アルヴィーが「健、電車が来てしまうぞ!」と告げる。
「あっ、ごめんアルヴィー!」
「まったく。それではまり子、留守番をよろしく頼むぞ」
「またお土産買ってきてあげるから、楽しみに待っててね!」
「寂しくなったら東條くんに遠慮なく電話してみて♪」
まり子へ四人がそれぞれ励ましのメッセージを送る。「それじゃ……行ってきます!」と健が言ったのを合図に四人は改札をくぐった。
「行ってらっしゃ~い! ……けど、やっぱり一人ぼっちはイヤ。わたしも行くわ……!」
手を振って四人を見送るまり子。しかし――思い直したか、彼女は意地でもついていこうとする。改札をくぐろうと試みたが、改札はそれをよしとせずまり子を拒んだ。
「ま、待って、やっぱり置いてかないで……ひとりにしないでよ~~~~ッ!!」
半べそをかきながらまり子が叫ぶ。彼女の緑色の瞳からは涙が溢れ出ていた。これから始まろうとしている。まり子は孤独との戦いが、健たちは――これから来るであろう『嵐』との戦いが。