EPISODE159:健がまり子へ聞きたいこと
「……お願いします! 僕、強くなりたいんです。だからもっと仕事を!」
「いや、そうは言われても……」
翌週、辰巳達との戦闘で受けた屈辱からすっかり立ち直った健は今日も元気にバイト先で働いていた。少々元気が良すぎたか――いつも以上に速いペースで仕事をこなしていった。しかも正確に。
そのうち与えられた仕事をやりきってしまった為、彼はこうして先輩たちに新しい仕事をもらえるように頼み込んでいるというわけだ。
だが相手は少々困っている様子――。それもそのはず、窓の外は夕方。つまり退勤時間になっている。なのに健は意味もなく残業しようとしているのだ。
「今日あなたにお願いした仕事はほとんど終わりましたし……また水曜日に」
「ですけど、それじゃ僕の気持ちがおさまらない! ここは残業してでも!!」
「き、気持ちはありがたいけど……あなたまたケガしたんでしょ? だったらあんまり無理しちゃダメよ」
金髪碧眼の上品でおっとりした雰囲気の女性――ジェシーと茶髪を結んだ活気そうな女性――浅田が困った表情で健へ告げる。だが健は食い下がらない。それどころかますます食いついてきている。
「そ、そうですよ。それにもう退勤時間来てますし。あとはわたし達でやっておきますから」
「いや、でも今井さん……」
グルグルメガネの女性――今井が言う。彼女の口からそう告げられても、やはり健は帰ろうとする素振りを見せない。なんと面倒な男なのだろう。
「ああ、もう。じれったいネ! シツコイネ!!」
苛立ってヤケクソ気味に唇を噛みしめながら、オフィスの奥の方から英語の教師のような男性が歩いてきた。係長のケニーだ。
「か、係長」
「東條サン! そのケガはなんデス? そしてユーは何故残業しようと思ったンです?」
「残業したら、その分だけバイト代もいつもより多めにもらえるかなぁ……って思いまして」
「何度も言うケド……そんなのダメです。退勤時間が来てもする必要ナイのに残業、ダメ、ゼッタイ! フォビドゥ~~ンッ!!」
三人のOLが手を焼いている中、見かねて入って来た彼は厳しい口調で健を叱咤。元々健に対して辛く当たる彼だが、今日はそれが顕著だった。
「ジェシーさんも浅田さんも、今井さんも……いやみんなの迷惑になりマス。それにユーは怪我人でショウ」
「え? はい、確かに」
ケニーが言うとおりである。元気で真面目に明るく仕事に取り組んでいた健だが、よく見ると額に包帯を巻いていた。傷はほぼ治ってはいたものの、完全には治りきってはいない状態でバイトに来ていたのだ。道理で周囲の者たちが心配するわけである。
「ゆっくり休んで、それからゴハンしっかり食べて、ぐっすり寝て……元気になってからまた来てくらっさ~い。ソレでいいですネ?」
「は、はい、分かりました……」
◆◇◆◇
「ひぇ~っ……、すっかり寒くなったなあ。この前まであんなに暑かったのになあ」
バイト先を出て自宅へ帰る道中で、寒さに震えながら健が呟く。今は秋である。夏に比べたら涼しくなり、逆に言えば肌寒くなって肌の露出が減る季節。これと冬にかけては水着が拝めなくなるため、そういう意味ではある意味もっとも辛いシーズンである。もっとも、寒いからこそ水着を着ようという猛者もいるが。
こういう寒い時期は肉まんやおでん等の暖かいものがおいしく感じられる。なのでホットスナックなどがたくさん売れる。家にいるアルヴィーやまり子も寒がっているだろうし、暖かいものを買って帰ろうと健は考えた。向かった先は――店員ともすっかり顔馴染みとなったいつものコンビニ。
「ただいま~」
「おお、お帰り! 寒くなかったか?」
「お風呂沸いてるよ。先に入ってもいいよ」
「ありがとう~。あ、肉まん買って来たから食べて良いよ」
「はーい♪」
自宅アパートの玄関の扉を開き、靴を脱いでリビングへ上がるとアルヴィーとまり子が笑顔で出迎えてくれた。机の上にコンビニで買ってきたものが入った袋を置くと、健は洗面所へ向かう。きっちり手を洗ってうがいをして着替えもすると、健はリビングへ戻った。
「ねえ、お兄ちゃん何まん食べるの?」
「うーん、そうだねぇ。僕カレーまんで」
「じゃあピザまんもらっていいかしら?」
「どうぞどうぞ!」
「では私は肉まんを……」
「オッケー!」
自分たちが食べたい味を選び、紙袋を開けて食べ始める。どれも作りたてでアツアツだ。三人とも少し熱そうに息をしながら食べている。とくに健が食べているカレーまんは鼻からツンと刺激が来るほど辛く、そして濃厚でおいしい。その濃さは黄色がかった皮を見れば一目瞭然だ。
あつあつの肉まんをみんなで食べあったあと、健はテレビを見ながら今日起きた出来事についてアルヴィーとまり子に打ち明けた。強くなりたいからもっと仕事をさせてほしいと頼んだが断られたこと、そのことについて係長から説教を受けたこと――その他諸々を。
「そうか。お主も毎日大変だのう……」
「うん。働くのってラクじゃないからね。先輩や上司に対して遠慮しちゃったりとか、迂闊に変なこと言って相手を傷付けたりしないかとか、そうやって妙に気を遣っちゃったりとかしてさ」
「まあ、そう焦らずとも良い。急には強くなれん。これからじっくりと伸ばしていけばよい」
「シロちゃんの言うとおりだと思うわ。だってお兄ちゃんは十分強いんだもん」
健の話を聞いていたアルヴィーとまり子が笑う。前者はテレビを見ながら、後者は編み物をしながら。蜘蛛であるためか、実はまり子は裁縫や服飾が得意である。
今は来たるべき10月末の大イベント――ハロウィンに向けて少しゴシックでホラーな雰囲気の服を作っている。吸血鬼や魔女の衣装、蜘蛛やおばけをモチーフにした不気味な衣装――どれも実にそれっぽい。更にまり子は元々ハロウィンが好きであるため、なおさら熱が入るというもの。ちなみに素材は健が着なくなった服。捨てずにタンスの中に入れていたのを健が裁縫がしたいまり子の為に取り出し、使わせてあげているのだ。放置するよりもそっちの方がいいと思ったからだろう。
「二人とも……ありがとう! 僕、もっと頑張ろうと思う。強くなくちゃ人は守れないから」
「うむ、いい傾向だ。私も精一杯お主を応援しよう」
「うん!」
腕と腕を交わして改めて誓う健とアルヴィー。言葉や表情の端々からその絆の深さが見て取れる。まり子は二人を見て「二人ともポカポカしてる。いい雰囲気ね~、恋人同士みたい」と呟いた。
その晩――他の二人が静かに寝息を立てている中、どういうわけか健はいまいち寝付けないでいた。何か気になることでもあるのだろうか――。
(……この前、あの蜘蛛のシェイドが言ってたことが気になる。『女王』って誰のことなんだ? それにたぶらかしてはいない……)
――あの二人は、我らが『女王』をたぶらかした忌むべき連中だ――
健は以前倉庫で戦った蜘蛛のシェイド――ツチグモと戦った際に彼が言っていた言葉の意味が気になっていた。見に覚えがないのに自分が『女王』なる人物をたぶらかしたことにされている。まったく意味が分からない。
(待てよ。『女王』ってまさか――!?)
そう推測しながら健はその『女王』かもしれない相手――まり子に視線を向ける。そっと彼女の布団に這い寄ると、健は「まり子ちゃん、起きて」と彼女の耳元で呟いた。
「ふぇ……お兄ちゃん?」
起きたまり子は目を半開きにしていて見るからに眠たそうだ。目をこすり、まり子は健の顔を見つめる。
「こんな時間に何かしら」
「君にちょっと聞きたいことがあるんだ。悪いけど付き合ってくれない」
「え? うん、いいわよ」
アルヴィーがすやすやと心地よく寝ているかたわらで、健とまり子はリビングにいた。これから健が彼女に疑問に思った事を打ち明けようというのだ。机の上には水分補給用のミネラルウォーター(サイズは2リットル)とコップが二つ。
「それで、わたしに聞きたいことって?」
「うん。この前倉庫で戦った僕とアルヴィーを見てシェイドが言ってきたんだ」
「なんて?」
「女王をたぶらかした連中だ、って」
「……!」
健からその言葉を聞いて、まり子の表情が一変。目を丸くした。
「そいつら……どんな奴だったの?」
「蜘蛛みたいな不気味な怪人だった」
「なんですって? まさか、わたしを探して……」
健からそれを聞いた途端、何故かいつも落ち着いているまり子が奇妙なぐらい動揺する。やはり何か関係があるのか?
「教えてくれ。『女王』が誰のことなのか、君が本当は何者なのかを。何が狙いなのかを!」
「……やっぱり、いつまでも隠しきれないか。いいわ、教えてあげる」
ため息をついてまり子が憂いを帯びた笑みを浮かべる。そしていつもは敵に見せるような表情を――今回は健に見せた。だが冷酷で残忍というよりは――妖艶な大人の女性のそれに近い。それに瞳が優しい。
「わたし、蜘蛛型シェイドの女王なの。他のシェイドはみんな、そのほとんどがわたしの事を恐れて『クイーン』って呼んでる」
「!! そ、そうだったのか」
ツチグモが言っていた『女王』とはまり子のことだった。何となくアルヴィーと同じくらい強力なシェイドなのではとは思っていたが、まさかそれほどにも恐ろしい存在だったとは――。
「……そう言えば、前にも……」
――……最高ね。恐怖におののき逃げ惑うミジメな愚か者の味は――
――何様のつもりだ、『クイーン』……ッ――
――見たらわかるでしょ? わたしが何をしたいのかは――
戦慄を覚えると同時に、健は以前ヴァニティ・フェアの刺客の一人であるサイの怪人――アンドレと戦ったときにまり子に助けてもらった事を思い出していた。あの時もアンドレはまり子を見て『クイーン』と口にしていた。そのときはあまりに冷酷非情なまり子の姿に震えていた為さほど気には留めていなかったが――。
「そんなに驚かなくても、お兄ちゃんの事を食べたりはしないから大丈夫よ」
「う、うん……ねえ、もうひとつイイかな」
「なぁに?」
「君が僕やアルヴィーと一緒に住みたいって言ったのはどうしてだい?」
驚きを隠しきれないまま、健が次の疑問を投げかける。そんなことを聞いても彼女は恐らく、ゴミを見るような目でこう答えるだろう。『最初から肉体を成長させるためだけに近付いて、利用しようと思ったから』だと。だが、まり子は急に黙り込んだ。
「まさか、はじめっから僕を利用して元の姿に戻るために近付いた……とか?」
「……ひどいなあ。たったそれだけのためだって思ってる?」
「え?」
「仮にそうだったら……今頃お兄ちゃんのもとにはいないわ」
「? じゃあ、なんで……」
「……昔、好きだった人に似てたから」
戸惑う健へ対して、目を伏せて儚げにまり子はそう告げた。あの何年生きているかわからないアルヴィーの知り合いだから、彼女も相当長生きなのではとは思っていたが――まさか好きだった人がいたとは思いもしなかった。
「そっか……付き合ってた人、いたんだね」
「お兄ちゃんみたいにお人好しだけど、優しくてあったかい人だったわ。近くにいるだけで温もりを感じられた」
「僕に似てたんだ。それで懐かしくなって――」
「お兄ちゃんが生まれるより、ずっと前の話だけどね」
まり子が見せた幼いながら大人っぽい微笑み。それは敵対するものへ見せるような冷たく残酷なものではなく――純粋に健のことを想う、繊細で複雑な大人の表情。健も少し、心惹かれるものを感じ取っていた。
「いろいろあったんだね……付き合ってくれてありがとう。いろんな話をしてくれて、君の事をもっと知る事が出来たよ」
「え……もう何も聞かなくていいの? わたし、まだ何か隠してるかもしれないのよ? 本当にそれでいいの?」
驚いた様子でまり子が健へ訊ねる。まだ聞きたいことは山ほどあるはずなのに――。
「――いいんだ。君はアルヴィーの古い友達なんでしょ? だったらいい人に決まってる。だから信じてみたいんだ、君の事を」
「お兄ちゃん……」
健がにっこりと微笑みをたたえる。そのうち元気付けられたかまり子にだんだんと笑顔が戻り――。急にまり子は健に抱きついた。突然の出来事に健は驚きを隠しきれず、しかも女性に抱きつかれた為か顔が赤くなった。何故スケベの彼がこんなにも動揺しているのか? それは本気で心から惚れているのはみゆきだけ――だからである。でも他の女性は別枠らしい。
「ありがとう! そう言ってもらえてすごく嬉しい!!」
「そ、そんなに大した事じゃないよ」
「でも嬉しい!」
「う、うん……」
■□■□
まり子から彼女が『女王』である事を聞いた末、熱い抱擁を交わした翌日――。布団に戻って寝ていた健の枕元で携帯電話が着信音を鳴らしながら激しく振動していた。
「っ……こんな朝に誰からだろ」
目を覚ました健は携帯電話のカバーを開き、電話に出る。
「おはよう、東條くん♪」
「し、白峯さん!? おはようございます!」
相手は――白峯とばりだった。彼女はみゆきの知人であり、同時に天才科学者。雷のオーブを作り出し、その後も健が持つエーテルセイバーとヘッダーシールドについて解析を進めたり戦いに役立つツールを開発したりと健を技術面で何かとサポートしてくれている。もっともお世話になっている人物の一人だ。
「それで今日はどのようなご用で?」
「うふふ。実はね……『風のオーブ』のありかがわかったの!」
「な、なんですって!? それは本当ですか!?」
驚愕し大声を上げた健。寝ていたアルヴィーとまり子は驚いて飛び起き、電話中の健を見て目を丸くした。
「詳しい事は私の家で話すわ。それじゃ、また♪」
そう言って白峯は電話を切った。
「……た、健、おはよう」
「お、おはよう。白峯さんから電話があったんだ」
「それで白峯さんはなんて言ってたの?」
「『風のオーブ』っていうのが見つかったらしいんだ」
「なんだと!? それはビッグニュースだ。急いで支度をせねば!!」
アルヴィーのその言葉を合図に急に東條家は慌しくなった。急いで布団を畳み、朝食もすぐにすませ、身支度もさっさと終わらせ――健たちはアパートを出た。