EPISODE150:来栖遊海廊
「お~っ! ここが来栖遊海廊か~」
――南来栖島へ旅行に来て3日目。健たちはビーチを散歩したあと、島の北西の半島にある『来栖遊海廊』という水族館へ全員で訪れていた。もちろん、不破や宍戸も一緒だ。普段は忙しくてこういうところにはなかなか来れないので、みんな楽しんでいくつもりをしている。
「いったいどんな魚がいるんだろうな!?」
「早く見たいな~! 入りたいなぁ!」
「楽しみだのぅ!」
「うんうん!」
皆ウキウキしていたが、とくにこの二人――アルヴィーとまり子はまるで子供のように大はしゃぎしていた。二人とも水族館に入るのははじめてである。なのでとても楽しみなのである。
「それじゃあそろそろ入りましょうか♪」
そうと決まれば早速、入場だ。白峯の言葉を合図に、健たちは彼女のあとについていって遊海廊の中へ入っていく。まるで遠足か旅行中の学生のようだった。
「はっ、なんだよあいつら。ガキくせえったらありゃしねェ」
パンフレット片手にため息混じりで、不破。その表情はせっかく宍戸と二人きりなのにいつまであいつらに付き合わされなければならないのだ、という不満に満ち溢れていた。だがもう少しの辛抱だ。あと1日すればこの島から帰ることが出来る。本当はもっと滞在していたかったが――期間が4日間だけなのだから仕方がない。
「とか言っちゃって、そういう不破さんもノリノリじゃないですか」
不破の腕に体を寄せながら、宍戸。
「ち、違う! これはその……」
「せっかくですしみんなで楽しんでいきましょうよ♪ イイ思い出になりますよ」
「お、おい、こらっ!!」
図星だったか不破が照れながら戸惑う。そんな彼の腕を引っ張って宍戸は水族館の中へと入っていった。
国内最大級の水族館、来栖遊海廊――。その内部は広大で、一万種類以上もの様々な魚や海洋生物が展示されている。それだけでなく、水槽ごとに熱帯林や太平洋、深海などテーマが決められているのだ。とくにジンベエザメやマンタなど、大小さまざまな海の生物が縦横無尽かつ優雅に泳ぎ回っているロビーの大水槽は必見だ。
「わあ……すっごい、きれ~」
「まるで海の中に迷い込んじゃったみたいだね」
健たちが今いるのは水中トンネルのようなフロア。水槽の中にあるガラス張りのチューブ状の通路を通り、海の中を歩いている気分になることが出来る。ちょっとドキドキするが神秘的な雰囲気だ。
「ガラス割れちゃったりしないかなー。ちょっと心配……」
天井を見上げながらみゆきが不安そうにつぶやく。こういったところでは誰しも一度はそう思うはず。「大丈夫だって。このガラスは丈夫だから割れたりなんかしないよ」とすかさず健がフォローを入れた。
「そ、そうだよねー」
少しぎこちなくみゆきは笑った。気のせいか少しいい雰囲気に見える――。
◆◇◆◇
「見て見て、イルカさん!」
ある程度進んだところにあるイルカの水槽。健に肩車してもらいながら水中を素早く優雅に泳ぐイルカの姿を指差し、まり子は大はしゃぎ。さながらまだ幼い子供のようである。体を揺さぶったりもして健を少し困らせていた。無邪気な笑顔と仕草もあいまってなかなか愛らしい。
「ねえねえ、あっちにも何かあるよ!」
「『グレートバリアリーフ』だって。行ってみる?」
「行こう行こう!」
次に健たちはグレートバリアリーフをテーマにした水槽へ向かう。そこには天井でも魚が泳いでいる不思議な光景が広がっていた。
「あれ、この子ニモじゃない?」
「ホントだ! かわいい~」
オレンジ色の体に縞模様が入った魚――カクレクマノミを見てまり子とみゆきが目を輝かせながら一言。どちらも女の子らしい反応であり、実にかわいらしい。ちなみにまり子は健に肩車してもらっているままだ。
「おお、これはすごいのぅ。実際のグレートバリアリーフっぽいぞ」
「一度でいいから行ってみたいわねぇ」
健とみゆきとまり子が楽しんでいるうしろで、白峯とアルヴィーはグレートバリアリーフの風景を再現した水槽に見入っていた。青い空と水平線をプリントした壁とサンゴ礁。そしてブラックライト。こちらもうっとりしてしまいそうなほど魅力的だ。
「ねえ、次どこ行く~?」
「そうだねぇ、まり子ちゃんが行きたいところに連れてってあげる!」
「わーい♪」
健に肩車してもらうまるでまり子と、その隣に並ぶみゆき。まるで親子のようだ。そんな光景を見て白峯が、「三人とも結構いい感じじゃない?」とアルヴィーに問う。
「うむ、悪くない!」
「でしょでしょ~♪」
爽やかに笑うアルヴィー。彼女も白峯も本当はああいう風にまじってはしゃぎたいのだが、こうやって見守るのに徹するのも悪くはない。
「……ねえ、ちょっといいかな」
引き続き、楽しげに水族館の中を見て回る健たち。その途中でみゆきが少し儚げに、真剣に健へ訊ねる。まり子を優しく下ろすと、健は「なんだい?」と返す。
「その、なんていうか……二人きりになりたいな、って」
「ふっ二人きりッ!?」
健とまり子が声をそろえて目を丸くする。まさかデートをしようとでもいうのか? 健は少し困惑し、まり子は眉をしかめる。そのうしろで見ているアルヴィーと白峯は「ついに来たか!」「その調子よー!」とこの状況を楽しんでいる。
「ちょっ、ちょい、ちょい待ちちょい待ち……っ、もしかしてデ……」
「そうよっ! こっから先はデートして欲しいの!」
困惑する健を前にみゆきはそう申し込む。その横でまり子は唇を噛みしめてみゆきを睨んでいる。
「ちょ、ちょっと待ってよみゆきさん。健お兄ちゃんはわたしが……」
「そんなの関係ない! 行きましょ、健くん!」
「み、みゆきっ! なっ何を……!?」
まり子に脇目もふらず、みゆきは健を手をつかんで――強引に引っ張っていく。昔から好意を抱いていた幼馴染みを盗られてたまるか、こんなのにくれてやるわけにはいかない――という思いが強かった。それに先日、まり子が健に抱き付く光景を目撃してしまったのだから余計だ。あまりにみゆきらしくない、大胆な行動であった。
「ちょっ……お兄ちゃん、みゆきさん! 待ってよぉ!!」
二人を追うまり子。だが、二人の姿は人ごみの中に消えていく――。やがてまり子は二人を見失い途方に暮れた。
「……行っちゃった……」
そして彼女もまた、人ごみの中に紛れて姿を消した。ちょっと自分から離れただけなのに、そのまま遠くへ行かれてしまうような――妙な孤独感を感じながら。
「まり子ーっ!」
「まり子ちゃーん! どこぉ!? いたら返事してーっ!!」
一部始終を見守っていたアルヴィーと白峯は、大声を出してまではぐれてしまったまり子を探す。まだそんな遠くへは行っていないはずだが――。
◇◆◇◆◇
まり子を引き離したあと、みゆきは健と一緒に館内を歩き回っていた。幼い頃より健へ好意を寄せていた彼女としては辛抱ならなかったのだ。まり子が健にベタベタとくっついているのを見るのが。愛する人を奪われたくはなかった。自分の立場を奪われたくはなかった。だからあのような行動に出たのだ。それまで抑えていた感情を爆発させて。
「ねぇ、あそこまですることなかったんじゃない……?」
「だってああでもしないと、健くんがわたしから離れちゃう気がして……」
誰のものでもない。だが、だからといって誰かにとられてしまうのを見過ごすわけには行かない。他人に奪われるぐらいなら先にとって独占してみせる。――そんなみゆきの気持ちを、もう少し真剣に受け止めるべきだったと健は悔やんでいた。
「だけど……あれじゃまり子ちゃんが可哀想だよ」
だが、彼はいささか判断力に欠ける。優柔不断というやつだ。いざというとき、すぐには決められない。そのせいで余計に苦労してしまうタイプなのだ。
「私とあの子とどっちが大事なの!?」
「うっ……それは」
「どうなの!?」
いつもより強気で健に迫るみゆき。あまりに凄まじい剣幕で問い詰められたものだから彼も少し怯えてしまうというもの。「ど、どっちもかな」と気弱に彼は答えを出した。あまりに頼りない彼を見て「もうッ」とみゆきは頬を膨らませた。
「……あっ。見て、でっかい水槽だ」
「ホントだ、すごーい……」
それからしばらく歩いた後、二人の目にあるものが留まる。それは一面に広がる巨大な水槽――その中ではロビーにあった大水槽と同じように大小様々な姿形の魚たちがゆるやかに、ときに激しく泳ぎまわっていた。圧倒的なスケールを前に二人は感銘を受ける。
「今ならあんまり人いないね」
「えっ? た、確かにそうだけど」
突然そう言い出すみゆき。次に彼女は戸惑う健に――なんと抱きついた。しかもギュッと抱き締めていて手を離そうとしない。
「!?」
「――誰も見てない、よね?」
「う、うん」
激しく動揺する健。お互い好意を抱いていたわけではあるが、ここまでしたのは今日が初めてだ。当然心拍数は高まる。胸の鼓動もだんだんと激しくなる。
「……さっきはごめんね。別にまり子ちゃんのことが嫌いってわけじゃなかったの。でも、健くんをとられそうな気がしたから……それが嫌だったの」
「……」
「私、健くんから離れたくないの。今だけでもいい、私のそばにいて……」
いつも元気いっぱいな彼女がこうして儚い雰囲気を出している。不思議な光景だ。思わずうっとりするような息遣いと、恍惚を帯びた表情。そして一点の曇りもないきれいな瞳――。今日の彼女はいつにも増して『大人』だ。
「ねえ……おねがい」
「う……うん」
健の緊張が止まらない。心臓が鳴り止まない。呼吸はさんだん激しくなっていく。緊張のし過ぎで顔は真っ赤だ。更にみゆきは健に顔を近づけて唇を寄せてきた。これはつまり、「チューして」ということだろう。この想いを蔑ろにしては男がすたるというもの。ここは勇気を出して――やるしかない! 緊張冷めやらぬ中みゆきの程よく潤った唇とすれ違い、お互いに接吻を交わそうとしたそのとき――予期せぬ出来事が起きた。
「……毎度ご入場いただきありがとうございます。迷子のお知らせを申し上げます。蜘蛛の巣柄の黒いワンピースを着た女の子がお兄さんとお姉さんを探して迷子になっています。お心当たりのある方は1階のインフォメーションまでお越し下さい」
「え!? なんで!? せっかくいい雰囲気だったのに……」
「そりゃないよ! でもまり子ちゃんを放っておくわけにもいかない。行こう!」
――それは迷子のお知らせだった。そして迷子になっている黒いワンピースの女の子というのは――間違いない、まり子だ。彼女しか考えられない。早く行かねば! キスを寸止めされてお預けになったことを惜しむ暇もなく、健とみゆきは1階のインフォメーションへ向かう。
「ひどいよぅ。お兄ちゃんもみゆきさんも……」
そこには案の定まり子がいた。彼女だけでなく、白峯とアルヴィーの姿もそこにあった。
「ご、ごめん……」
「お主がみゆき殿とイチャイチャしていた間、私ととばり殿とで必死で探したんだぞ?」
「そうだったんだ。本当にごめん」
大変申し訳なさそうに健が頭を下げる。隣にいたみゆきもまり子を探し続けていたアルヴィーと白峯に頭を下げた。事の発端はすべて彼女にある。ちゃんと謝っておかなければ。
「まあ、でもそんなことはいいんだ。それより二人きりの時間を楽しんできたか?」
「え? まあ、とりあえずは」
「そうか。それは良かった」
にこっ、とアルヴィーが暖かく微笑む。それを見て沈んでいた健とみゆきに笑顔が戻った。ひとまず落ち着いたところで白峯は全員に「だいたい回れたし、そろそろおみやげとか見てみない?」と呼びかける。すると全員、「賛成!」と大きな声で叫んだ。
その頃、健たちを追ってこの島まで来ていた辰巳とカルキノスは――。
「いやぁ辰巳さん! この島なかなかおもしろいッスねぇ!」
「おおっ、そうかぁ? 気に入ってもらえて嬉しいぞ多良場くん!」
人間の姿で島の中をブラブラしていた。三十代半ばで黄色がかった茶髪の男性が辰巳で、カニを正面から見たような髪型で少しちゃらんぽらんな印象のある若い男性が多良場こと――カルキノスだ。
「メシはうまいし、景色はきれいだし、水着のねえちゃん多いし! 家建てるならココしかないッスね」
「ははは、お前なー。そんなこと言ったら社長から大目玉だぞ? 採用してもらえないかもしれんぞー?」
「えーっ」
「だがイイ心意気だ。気に入った!」
急に多良場の肩を持ったかと思えば、辰巳はにやつきながら顔を多良場へ近づける。――念のため言っておくが、これからキスをしようというわけではない。断じて。
「もっとリゾートを満喫しようじゃないの!」
「はっ、はい! 喜んで!」
何を血迷ったか、肩を組んで二人は大はしゃぎ。社長――甲斐崎に怒られる事を承知で、だ。彼らはこれでもシェイドである。人間に害をなす怪物である。だがこれでは――その辺にいるナンパな男たちとほとんど変わらない。