EPISODE117:海洋博覧会
不破が言ったとおりにすべきか、大切な人との約束を守るべきか――健の心はその間で揺らぎ、なかなか決心がつかなかったがまり子の一言を聞いた健は振り切った。やはり約束は守ったほうがいい、と。そして、ついに遊びに行く約束をしていた休日が訪れた。
「おおっ、ここが海洋博か! でっけえ!」
週末、炎天下の中暑さを堪えて健たちは大阪港付近で開催中の博覧会『海洋博』に来ていた。この博覧会は屋外で開催され、海の科学や海中の生態系などについて展示されている。元々海について造詣が深いものやそうでないものの興味を引く内容となっていた。更にただ見るだけではつまらない児童の為に、展示物の中には遊べるものもあるようだ。
「これだけ広いとはぐれたら大変そうねー。みんな、どこから行く?」
「そうだのー、うーんと……」
辺りを見回したみゆきが一言。彼女への返事は、みな口々に「時計回り」だった。ここに来るのははじめてだったからか、どれもこれも面白くて勉強になるものばかりだった。時には辛いことに耐えながら学んでいくのが勉強というものだが、どうせなら楽しみながら学びたい。
「おや? 水槽の中でボールがプカプカ浮かんでいるぞ。なんでだろうね~」
「わたし、これ知ってるわ! 浮力だったっけ?」
「正解! 軽いものは水面へ浮かび上がって、重いものは逆に沈んでいくんだ」
「えへへ。科学の力ってすごいなー!」
今や社会人の一員である健もみゆきも、今日というこの日は童心に帰って遊んでいた。まるで学生時代に戻ったようだ――。まり子もそれに便乗するように大はしゃぎしていた。見た目は子どもとはいえ、中身は大人だ。だがあまりに楽しいものだから、彼女もこうやって年相応の女の子らしい振る舞いを見せているのだろう。展示物を見て回るだけではなく海の幸を使った食べ物を味わったり、冷たいソフトアイスを食べて体を冷やしたり、飲み物をほしがるみゆきやまり子にジュースを買ってあげたり、4人の中では一番大人っぽく見えたアルヴィーまでもがとうとうはしゃぎ出したり――会場内は楽しい事だらけだった。皆、暑さに負けない活気を見せている。むしろそのまま吹き飛ばしてしまいそうなくらいだ。
「あぢぃ~……」
だが、この祭典を楽しむことが出来ないものもいた。不破だ。一見観客の中に混じってこの催しを楽しんでいるように見えたが、実は違う。彼はパトロール中なのだ。怪しいヤツが観客に紛れ込んでいないか、または会場内で暴動が起きたりしないかを見張っている。シェイドが出た場合は観客に避難するように促す役目も持っていた。彼は決して暇ではない、むしろ忙しいのだ。
(うだるような暑さだな……このクソ暑い中を見回りしろだなんて、村上も正気じゃねえ。オレだってたまには息抜きしたかったのに! 最悪だ!)
心の中で愚痴りながらも、不破はパトロールを続ける。途中でベンチに座ったり、水分補給したり、アイスを食べたり――ちょくちょく休憩も挟んだ。そうでなければやってはいられないからだ。
「ま、今の所は異常なしと……ん?」
そんな彼の目に止まったのは――ゆうゆうと遊びに来ている東條の姿。彼のガールフレンドであるみゆきと同居中のアルヴィーとまり子もいる。――もしや、来てしまったのか。あれほど注意をしておいたというのに。困り顔をしながら健たちに近付き、「おい、お前! 結局来ちまったのか!」
「ふ、不破さん!? こんなところで何をなさっているんですか!?」
「何って、仕事だよ。お前らと違って遊びにきたわけじゃない。こうやって観客に紛れて、怪しいヤツが何かしでかさないかパトロールしてんだ」
突然不破から声をかけられ、健は背筋が震えた。彼だけでなく、他の三人もきょとんとした顔で不破を見つめていた。
「じゃ、じゃあ、お仕事に戻った方が」
「あいにく異常なしなんだ。それより今は……話がしたい」
急に険しい表情になると健を睨みつけ、威圧する。彼の目つきにおびえたみゆきは後ろへ下がっていく。みゆきの前には彼女を守るように、アルヴィーとまり子が立ち並ぶ。
「……クソッタレめ。まだあのチビと一緒にいたのか。別れろって言ったろうが!」
「ご忠告ありがとうございます。でも、何度言われようと考えを変えるつもりはありません」
「ヘッ、何がそうやってお前を意固地にさせるのかねェ……」
呆れるように不破が言う。彼が言うチビとは言わずもがな、まり子のことだ。不破は以前、彼女に似た女性に惨殺される夢を見た。その翌日立ち寄った中華料理屋でまり子を見た途端、夢に出た女性と彼女を重ねてしまい――。彼女と同居している健の身が危ないと思った彼は、こうやって何度も健に忠告をしているわけだ。このままだといずれ食い殺されてしまう、だから本性を表さないうちに別れろと――同じような内容を何度も繰り返して言っていた。
「僕も不破さんと話をしに来たわけじゃない。みゆき達と一緒に遊びに来たんです。不破さんもこんなことしてないで、お仕事に戻ってください」
「チッ……これだけ言ってもわからんとはな。見下げたヤロウだ!」
不破が至極不機嫌そうに舌打ちする。急に健の胸倉をつかんだかと思えばそのまま地面に叩きつけ、まり子に近寄ると彼女の手を無理矢理掴み取る。「ちょっ、離してよ!」とまり子は不破の腕を振り解こうともがく。
「ふ、不破さん! 何を……」
「今回話をしてみてわかったことがある。お前とはいくら話をしてもムダだってことだ!」
「離してよ、離しなさいよ!」
不破は制止も聞かず、嫌がるまり子の頬をはたき、無理矢理にでも引っ張って健たちから引き離そうとする。そこへアルヴィーが、「待たれよ!」と止めに入る。不破の手を払いのけてまり子を解放する。まるで悪党から幼い娘を守ろうとする母親か、あるいは妹を守ろうとする姉のようだ。
「まり子はお主が思っているような邪悪な輩ではない。少しだけでもいい、まり子を信じてやってくれ」
「かばい立てする気かよ? あんた、こいつの知り合いか何かか?」
「ああ、そうとも。まり子とは古い付き合いでの。彼女の事は大体知っておる」
「それだけじゃ信じていい理由にはならねェ。根拠はあるのか?」
「まり子は人を襲わぬし、食いもせぬ」
本当なのか、と言いたげに不破が眉をしかめる。そもそも彼はまり子のように底が知れない、つかみ所のない人物を嫌う傾向がある。彼女がバケモノだからというのもあるが――。
「これでもまだ信じぬか?」
「わ、わかったよ……あんたにそう言われたんじゃ仕方がねえ」
「それは良かった。さ、手を差し出せ」
アルヴィーに言われるがまま、不破は手を差し出す。「な、何のマネだ?」と不破はアルヴィーに問うが、「仲直りの握手だ」という返答が帰ってきた。対するまり子もつられて手を差し出す。
「わ、悪かったな。疑ったりなんかして……」
「……ふん」
不本意ながらも、握手を交わした。ヘソを曲げた様子でまり子は「もう顔も見たくないわ。帰って、ゴミ野郎」
「ご、ゴミだと!? 貴様ァ! 日夜市民を守り続ける国家公務員がゴミだというのか!?」
「わたしは事実を言ったまでなんですけど? あなたの職業は関係ない。中身が問題なのよ。そんなにわたしのこと嫌いなの? どうしてそこまでわたしのことを極端に恐れてるの?」
「っ……お前が目ェ離した隙に東條や、周りの人々を殺すかもしれねえからだよ。それ以外に何がある!?」
「わたしが健のお兄ちゃんを殺すってなんで言い切れるの? 証拠はあるの?」
「うっ……」
まり子が冷たく不破をなじる。その見下すような姿勢はきわめて傲慢、微笑みは健に見せているようなあどけなく明るいものではなく――冷酷な女王のような笑み。
「見たところ、おじさんがわたしを嫌がるのには他に理由もありそうねぇ。教えてもらえないかしら?」
「!? お前、まさか……」
戸惑う不破。彼とは対照的に、まり子はほくそ笑む。このとき、不破は薄々感付いていた。このチビはもしや、以前の掃討作戦で倒されたシェイドではないか、と――。
「そうよ、わたしはあのときあなたに倒された――」
「や、やめろ。もう何も言うな!」
「じゃ、言わない」
「そうそう、あなたにやられた事はそんなに気にしてないから」と付け加え、まり子は健に寄り添った。その視線は不破への敵意がこもっていた。
「す、すみません。この子、自分が嫌いなものには冷たくて……」
「いいんだ。そいつからもう聞いたかもしれんが、オレは以前そいつと戦って倒したことがある。そのときに大勢仲間を失った」
「そういえば――」
表情を曇らせた不破が語る。確かに彼が言うように、健はまり子が以前警察のシェイド対策課に倒されたことがあるという話を聞いていた。一度聞いて知っていたことだとはいえ、改めて知ると過酷だ。それでは不破がまり子を恐れて警戒するのも、まり子が不破を嫌うのも無理はない。どちらも辛かったはず。
「……そのチビに復讐してやろうなんて思っちゃいない。復讐が虚しくて何の意味もないものだってことは、浪岡の件で思い知ったからな」
「不破さん……」
「だが、勘違いするなよ。オレはそのチビのこと、まだ完全に認めたわけじゃねえからな!!」
そう吐き捨てて不破はズカズカと歩き出し、健たちの前から失せた。この一件はどちらが悪いともいえないし、どちらも責める事は出来ない。どちらも必死だった。片方は我が子と巣を守るために、もう片方はシェイドによる被害におびえる人々を一刻も早く救うために戦っていたのだから――。
「……行っちゃった。お兄ちゃん、それにみんな……さっきはゴメンね」
「いや、いいんだ。不破さんも少しだけだけど分かってくれたみたいだし」
「まだ行ってないところあったよね。今度はそういうところを見て回りましょ♪」
申し訳なさそうに頭を下げて謝るまり子を、健もみゆきも笑って許した。いつまでもくよくよするよりは、前を向いて歩いた方がいい。それで前向きに楽しんだ方がいい。まだ行っていないところがあったのを思い出し、4人は再び会場内を回る。今は楽しまなければ――だが、楽しい事は長くは続かなかった。
「……っ!?」
突然、どこかで爆発が起きる音が聞こえた。「な、何があったんだ? とにかく行かなきゃ!」と健はアルヴィーと共に走り出す。二人を追うようにみゆきとまり子も走り出した。爆発音がした方向を辿ると、そこには驚きの光景が! タコのような姿をした不気味な怪人が、その触手をうねうねと動かしながら人々を襲っているではないか。
「ヘッヘッヘ~! ウマそうな人間どもがウヨウヨしてやがるぜ!! おい、そこのネエちゃんよ!」
「い、いやあああああぁ!」
タコのようなシェイドは触手を近くにいた女性に巻きつけ、緊縛。その柔らかな肢体をしめつけて苦しめる。
「俺はいい女のホネがきしむ音が好きなんでなぁ! オメーにはたっぷり、悲鳴上げてもらうでタコ! タッコォォォォ~!!」
更に力を入れてタコのシェイドは女性を締め付ける。締め付ける。締め付けるッ! 触手で若く美しい女性を緊縛して苦しめようとは、女好きもここまで来ると卑猥というか性悪というか――とにかく、悪趣味である。そんなタコのシェイドに人々は恐れをなし、逃げ惑う。だが、こいつの蛮行も長くは続かなかった。現場に駆けつけた健が、「やめろ!」と叫びながらタコの触手を叩き切ったのだ。
「お、お前! 何しやがるタコ! ぐえっ!?」
不謹慎なタコを払いのけ、健は女性の手をとって「大丈夫ですか?」と優しく声をかけ、「速く逃げて!」と逃走を促す。次に健はタコのシェイドに切っ先を向け、威嚇する。その背後には、腕を組んだアルヴィーが立っていた。眉をしかめて睨むみゆきとまり子の姿もあった。
「みんな海洋博を楽しんでたのに、それを邪魔するなんて! 許さん!」
「う、うるせえ! 俺様の侵略を邪魔するヤツは、痛い目にあわせてやるタコ!」
茶色かったタコのシェイドが怒りのあまり真っ赤になり、全身から湯気を噴出す。その触手もあらぶっていた。
「死ねぇぇぇぇ!!」
さあ、戦いだ!