EPISODE112:血まみれの女
都内のある一件の廃ビルとその周辺が暗雲に覆われている。黒い雲の中では雷鳴も轟いており、風も吹きすさんでいた。まるで嵐の晩のようだ。髪を染めたひとりの男がビルの中に入り、最初に目にしたのは――真っ赤な血の痕と、見るも無惨な姿で倒れていた人々。
言葉も出ないほど凄惨な光景を目にして戦慄を覚える間もなく、血の海の奥から誰かのうめき声が聞こえる――。気になって恐る恐る、ビルの奥に進んでいくとより多くの血痕が見つかった。しかもまだ新しい。冷や汗をかきながら、男は階段を登っていく。二階に登ると、そこはえぐられたソファーや壊されたパーティション、ガラス片などが散らかっていた。もしかしてこれは、誰かと誰かが争った形跡では? 男の背筋に悪寒が走る。
おぼろげに光るライトを頼りに辺りを照らし、惨劇が起きたビルの中を更に進む。やがて誰かがすすり泣く声が聞こえた。若い女性のものだ。道を遮る瓦礫やモノをどかして女性の声が聞こえた方向に向かい進んでいくと――見えた。この血の海の中で泣いていた女性の姿が。
「……君は? 大丈夫か?」
男は女性に声をかけ、立ち上がらせる。唯一の生存者だ、何か知っているかもしれない。一緒に抜け出さねば――。女性は青紫の地面に着きそうな長髪にライトグリーンの瞳で、透き通った白い肌をしていた。服はシックな黒いワンピース。惨劇を物語るように赤い血がこびりついている。泣きじゃくる彼女に声をかけ、笑顔で手を差し伸べる。――儚げで美しい。今は気が沈んでいるが、笑顔になればもっときれいになるはず。だから彼女のためにも、一刻も速くこのビルから出なければ。
――だが、その願いは叶わなかった。気がつくと彼は地面に倒れていた。辺りを見渡すと――そこは血だまりの中。何が起こったのか? さっきまで女性と一緒だったのに、なぜ血だまりの中で気を失って倒れていたのだろうか? 男の頭は混乱する。だが、あるものを見て彼は正気に戻った。それは――
血 を 流 し て 地 面 に 崩 れ て い る 首 が な い 自 分 の 姿
「くすくす……」
――この惨状を前にして、泣いていた女性は平静を保っていた。それどころか首をはねられて死んだ男を見て笑っているではないか。それもそのはず――この惨劇を引き起こしたのは他ならぬ彼女だったからだ。
「――ハッ!」
男が目を覚ますと、そこは――いつもと何も変わらぬ自分が住んでいるマンション。自分の部屋。既にこの世には居ない自分の恋人の写真立て。血も何もついていなければ誰かの死体もないし、泣き叫んでいた女性の姿もない。辺りを見渡した末に両手を見てようやく男は認識した。あれは悪い夢だったのだと、夢で良かったと……。
「ゆ、夢か……」
朝食や身支度を終えた男――不破ライはバイクに乗り込み、ある場所へ全速力で向かっていた。そこは、海を望む小高い丘に立てられた墓地。以前副都心を中心に大量発生していたクモ型シェイドの親玉を討伐した際に散っていった同胞たちの墓参りに立ち寄ったのだ。
あの悲劇が起きてから不破はすっかり元気をなくしていた。散髪屋で前髪を切って全体的に短くしてもらい、金髪に染めていた髪も黄褐色に染め直した。あまりの変わりように同僚たちが心配し出している。
(オレがもっとしっかりしてればこんなことには……みんな、あの時はごめんな)
同胞たちの墓前で祈りを捧げ、次に彼が向かったのは――連続発火事件に巻き込まれて命を落とした恋人の墓。そっと花束を置いて黙祷する。
ここのところ彼はしょっちゅう、亡くなった恋人――倉田美枝の墓参りに行っていた。もう誰も死なせたりはしないと誓っていたのに、また死なせてしまった――という責任感に駆られての事だ。
「……ん?」
天国にいる恋人に祈りを捧げて帰ろうとした矢先、彼は美枝の墓に花束がもうひとつ供えられていたのを発見する。美枝の遺族がお供えしたのか、それとも――。
だが、彼が抱いた疑問はすぐに解決した。もう一人の男がこの墓地を訪れていたのだ。その男は青い短髪で、前髪に赤紫のメッシュを入れていた。彼は不破もよく知る人物――。
「お前……村上!」
「そう不景気なツラするなよ。こっちまで元気なくなっちゃうじゃない」
村上翔一だ。彼は警視庁捜査一課の警部補であり、現在はシェイド対策課の主任も務めている。まだ若いながら、冷静沈着で頭脳も明晰で優秀な司令官であったが、歯に衣着せぬ物言いとシェイド討伐のためなら手段を選ばない過激な思想が上層部から危険視されていた。
「何しに来たんだよ」
「だいたいは君と同じだ。以前の作戦で命を落とした部下たちと、それから――美枝さんの墓参り」
一見クールな彼だが決して非情なわけではなく、リーダーとしての自覚と責任感、そして仲間思いな一面も持っていた。誰にも見せなかったが、以前の掃討作戦で戦闘部隊が戦死したという訃報を聞いたときは、悲しむあまり自宅で泣きじゃくっていたそうだ。
「……まあ、なんだ。美枝さんの件はあまり力になってやれなくてすまなかった。センチネルズ側から警察に圧力かけられてたからさ……」
「いいんだよ。もう過ぎたことだ。そんなに気にすることねえよ」
「そうだよな」
表向きは飄々と振る舞っていたが、どこか後ろめたいものを感じていたのか村上はやや暗くなっていた。自分が身勝手なことをやらかしたせいで戦闘部隊のメンバーを死なせてしまったことを、今もなお悔やんでいるのだろうか――。
「ははっ、なんか暗くなっちゃったな。不破、辛いのはお前だけじゃないぞ。僕らも同じだ。それに今の君は不破らしくない」
「オレらしくないって……どこがだよ」
「今の君には活気がない! あとパワフルさも足りないね」
「どういう意味だよそれ!」と不破が冗談半分で怒る。いつの間にか笑顔が戻ってきていた。
「さて! 君をパワフルにするにはまず英気を養わなきゃな……ラーメンでも食べに行こうぜ」
ガッツリ食らいつくように村上が不破と肩を組む。自分の携帯電話を見せびらかし、「女の子も誘ってさ!」
「あ、ああ!」