EPISODE102:スクラムの脅威
翌日の昼――、健は坂道の途中にある『アサガオ公園』の付近にある市村の移動屋台を訪れていた。この公園は健がちょくちょくトレーニングを行っていたり、不破との仲がこじれていた時期に戦場となっていたりした場所だ。
マンションの手前に作られたココは小高い丘の上に作られており、周囲が木々に囲まれていて環境豊かである。噴水もあり、全体的にゆったり雰囲気が漂っているのでリラックスするにはちょうど良いと言えるだろう。
「――んで、お前さんそのコと一緒に住みはじめたんかいな?」
「はい! 最初会ったときは正直怖かったんですけど、いざ付き合い始めたらまり子ちゃんとっても可愛くて! まるで妹が出来たみたいです!」
「そーでっか……」
苦笑いする市村に嬉々とした様子でまり子が自宅アパートに来たことを話す健だったが、それもそのはず――彼には姉や母がいたものの、自分より年下の兄弟は誰もいなかった。そのため少し、肩身が狭い思いをしていたのだ。友人やクラスメートに同じ男子は何人かいたが、友人と兄弟姉妹は違う。
周りを気遣ってあまり表には出さなかったが、彼は姉以外に兄弟がいないことにちょっとしたコンプレックスを抱いていたのだ。幼い頃に一度そのことで母に相談したことがあったが――今思えばこの頃から、いささか好色なきらいがあったのかもしれない。だが今は違う。糸居まり子という、自分を兄のように慕う小さいようで実は大きい同居人ができたのだから。
「でも気ィつけや。あのコは化け物や、それもそこらの三下とは比べモンにならんぐらい強いやっちゃ。いつ本性表してあんたブチ殺しに来よるかわからんで」
「確かにそこは気がかりですけど……今は大丈夫そうです」
前向きというか、人の良いところしか見ていないような健を見て、「ホンマ気楽なやっちゃのう」と市村は苦言を呈した。
「ナニを根拠にあのチビ信じとんねんや? 意外と優しそうやからか? それともいたいけな女の子やからか?」
「両方です! それに近寄りがたい雰囲気なのは最初だけ……アチチッ」
何故糸居まり子のような腹の探りようがない相手のことを信じようとするのか? 健はたこ焼きを食べながら市村の疑問に答えるが、たこ焼きがあまりに熱かったために舌をやけどしてしまう。水分補給のために持ってきた水を飲んで健は舌を冷やした。
「あのなぁ東條はん……人信じるのもエエけどなぁ、少しは疑わなあかんで」
「市村さん! このたこ焼きアツアツでおいしいですね!」
「って全然聞いてへんやないかい!?」
軽く聞き流して健はほっかほかのたこ焼きを食べていたが――市村の言葉に対する答えは出ていた。人の悪いところばかり見るよりは少しでも良いところを見た方がいい、と。200円払って買ったたこ焼きを完食した健が、近くのゴミ箱に容器と串を捨てて一息ついていると――。
「……ッ!?」
「声になっとらんでそれ……ぬっ、出おったな!!」
――鳴った。健と市村、双方が持つレーダーが。健は龍のウロコのようなもので、市村は7つ集めれば願いが叶いそうな球の在りかを示してくれそうな機械だ。形は違えど効能はほぼ同じ――。
「行きましょう!」
「すまん! わし、店のことあるさかい……先行っといてくれや」
「わ……、わかりました」
市村は店を一度畳まないといけないので、先に健だけでシェイド反応が出た場所へ向かう。反応が出たのはどこかの土手だ。草野球やサッカーをするのにはちょうど良さそうな場所だった。だが――
「おかしいな、誰もいないぞ……?」
確かに反応はあった。しかしそこには、シェイドの一匹も襲われている人々も――誰一人としていなかったのである。
勘違いだった、と思い帰ろうとした健だが、油断しきっていたそのときに川の方から何者かが飛び出すッ――!
海に住んでいる魚類の一種である、オニオコゼのような姿をしたそれは空を飛んで、いや――泳いでいた。ホームグラウンドである水中を泳ぐように。
「くそっ! 気配を隠していたのか!」
噛みつこうと急接近してきたオニオコゼ型のシェイドを切り裂き、霧散させる。だが相手は一匹だけではなく――いっぺんにおびただしい数で健に迫ってきていた。
「せいっ! ヤァー!」
何十匹もの大群で迫るオニオコゼ型シェイドを、健はちぎっては投げてちぎっては投げる勢いで叩っ斬っていく。どうにか一掃して静寂を取り戻した――かに見えたが。
「……まだまだいるのか!?」
敵はまだ全滅していなかった。オニオコゼ型シェイドは先程よりも多い数で健を圧倒し、気がつけば健を取り囲んでいた。
まるで自分より体が大きくて凶暴な魚の群れの中に放り込まれた、一匹の弱くて小さな魚のようだ……。この世は弱肉強食である、強ければ生き弱ければ死ぬ。威圧感を与える数の暴力を前に、健は何もできず――いや、何かできるはずだ。
「こいつらっ! 寄ってくるな!」
その場で回転しながらオニオコゼ型シェイドを切り払い、少しでも多く数を減らしていく。一匹一匹は弱いが、これだけの数だ。こいつらを全滅させようとなると、少々骨が折れる。
「くっ……キリがない」
それからも自分を踊り食いしようとするオニオコゼ型を何匹も叩き斬った健だったが、未だに敵の勢いは止まるところを知らない。状況は健にとって有利になるどころか、ますます不利なものになっていく。だからといってこのままおとなしく食われるつもりなど彼にはなかった。
何とかして逆境を切り抜け、生き延びなければならないからだ。人々のためなら自らを犠牲にする覚悟はあったが、まだ死ぬわけにはいかない――家族の知らぬところで儚く散った父や、怪物に脅かされ苦しむ人々の為にも!
――息を荒くしながらも必死で戦い続ける健。そんな彼を救うかのように、天から降り注ぐ青い炎が魚の大群を焼き尽くしていく。いったい誰が、と、思うまでもない――彼には心当たりがあった。楽しい同居人にして自分にとってかけがえのないパートナー、そう――『彼女』だ。
「アルヴィー!」
「今は話しておる場合ではない。一気に片付けるぞ!」
「オッケー!!」
白い龍の姿をした彼女がいれば百人力だ。次々に沸いて出てくるオニオコゼなど相手にもならない、今度はこっちの番だ。
「健、相手は魚だ。炎で焼いたり雷でしびれさせたりしてやれ! あと冷凍するのもいいぞ」
「了解! とにかく数を減らさなきゃね……」
今持っている炎や氷、雷の力。それぞれを宿したオーブを駆使して群がるオニオコゼ型シェイドを蹴散らしていく。ほぼ全滅する寸前までに追い込んだが、そのとき――ひときわ巨大なオニオコゼが現れた。体長は2.5メートルほどで、恐らく群れのボスだろう。
「シャゲエエエエエェェェ!!」
大きく口を開け、巨大オニオコゼは火の玉を吐き出す。だが今更そんなものでは二人は止められない。高く跳躍して火の玉をかわして健はそのままアルヴィーの吐いた炎の後押しを受け、赤と青の炎をまとって突撃!
「食らえーーーーッ!!」
激しく燃え盛る炎をまとった突進で貫かれ、巨大オニオコゼは爆散した。着地した健は、残り火がくすぶる川べりにたたずむ。少し格好つけてエーテルセイバーを風車のようにクルクル回し、剣を仕舞った。アルヴィーも人の姿に戻り、地上に降り立つ。
「ほう、噂通りの実力だな。東條健……そしてアルビノドラグーン!」
――土手の上から若い男性の声が聴こえる。爽やかだが腹黒い策謀を秘めたような口調だ。再び剣を抜いて身構え、坂を上がった先には包帯を顔に巻きコートやマフラーをいくつも重ね着した男がいた。
「私たちのことを知っているのか……お主、何者だ!?」
「くっくっく……よくぞ聞いてくれました。私は辰巳隆介! 泣く子もだまるブラック会社、『ヴァニティ・フェア』の幹部がひとりッ!」
若干大袈裟な身振り手振りで、包帯の男――辰巳は名乗りを上げた。妙に高いテンションについていけず、健とアルヴィーは少し難色を示していた。
「ば……なんだって? ヴァニラアイス?」
「……ちがぁぁぁぁう! バニラじゃない、ヴァニティ・フェアだ! 我らシェイドのためのシェイドによるシェイドのための企業組織ですっ!!」
健に組織名を間違えられた辰巳が激しく憤慨する。が、憤るあまりうっかり正体をバラしてしまった。咳払いして話題を戻そうとする辰巳をよそに、何か心当たりがあったのかアルヴィーは難しそうな顔をしていた。
「ヴァニティ・フェアか……聞いたことはあるぞ。辰巳とやら、お主らの組織に三谷や花形とかいう奴はいなかったか?」
「……ええ、いましたよ。そういえば、あなた方に倒されたんでしたっけねぇ。まったく不甲斐ないヤツらだ」
「仲間がやられたのに、あんたらは何とも思わないのか!?」
「知ったことか。連中のような役立たずは我が社には必要ないのでね」
ニタァ――と、辰巳が不気味に笑って聞き流す。顔の包帯の隙間からのぞく鋭く大きな眼光もまた、おぞましい。この辰巳という男、口調は一見丁寧だがさりげなく相手に対して無礼な口を聞いていた。慇懃無礼というやつだ、丁寧が過ぎてかえって失礼になっているのだ。
「そんなことより、街の方に行かなくていいんですか? みなさん今頃、悲鳴を上げてお二方に助けをお求めになられているはずだ」
「なにッ!? どういうことだ!」
「クカカカ! 行ってみれば、すぐにでも分かりますよ……では、また」
電柱の影に潜って辰巳はいずこへと消えた。ドライで終始自分たちを嘲笑うような態度に健は怒りを覚えるが、今はそれよりも街の人々が気がかりだ。
健は全力で疾走し、市街地へと向かう。そこでは多くの人々が逃げ惑っていた。「いったい何が……?」と目を丸くする二人のもとに、シェイドに襲われたと思われる一人の中年オヤジが現れた。
「あっ、あんたたち! 早く逃げた方がいいぞ! でなきゃ石にされちまう!」
「石……? 何故ですか?」
「ば、バケモノがいきなり広場に現れたと思ったらみんなを石に……うぎゃああああ」
サラリーマンの中年オヤジが最後まで言葉を言おうとしたとき、生々しい音が響いた。何者かが背後からサラリーマンを切り裂いたのだ。
血のしぶきを上げたサラリーマンは、うめきながらゆっくりとその場に崩れ落ちる――。サラリーマンを斬った何者かは手に持った剣についた血をなめずりまわすと、次は健たちに狙いを定めた。
「ヘッ……さっさと逃げりゃあ助かったものを」
「お前か! お前がみんなを!」
「おうよ! 俺様はアイアンガーゴイル! テメーらがあまりに遅いもんだから、イライラしてここの人間どもをみーんな石にしてやったのさ!」
悪魔の彫像のような姿のシェイド――アイアンガーゴイルが下品に笑った。彼が自分から話したように、周囲の人々は灰色の物言わぬ石と化していた。あまり卑劣で外道なそのやり口に、健は慟哭する。
「辰巳さんの命令だ。貴様らの首……切り落としてやらァ!」
「ふざけるなクソ野郎! お前を倒してみんなを元に戻すッ!」
一触即発――激闘がまた、始まろうとしていた。
◆レギオンフィッシュ
オニオコゼのシェイド。小型で一匹一匹は非力だが、集団で行動する習性を持つ。
大きな口に生えそろったキバには毒が含まれており、噛み付かれたものは体内から焼かれるような苦痛に喘ぐこととなる。
3メートル弱もある巨大な個体が群れのボスとなり、ボスとなった個体は口から火を吐くなど他のものより遥かに強い。