『ずっと僕は君を』モノローグ
ある日。
カン・サランはAI『ダボ』を使って、古い文書ファイルを見つけ出した。
000『ずっと僕は君を』とファイル名に記録されていた。
これは後に、作家ユン・シウの第2作目の小説『ずっと僕は君を』のプロット前の、
ベースとなる原文であった。
この作品は韓国の女性映画監督ユン・ソヒによって、好評価をえる名作なった。
女優のイ・ハニ(コ・ミンジ)とソ・ジ(ナ・ジウ)の出世作になる。
原文は日記風なモノローグ調で綴られていた。
僕が彼女と出会ったのは、
高校の校庭にある水飲み場だった。
水を飲んで口元を拭い、
家に帰ろうとしたときに女の子とぶつかったのだ。
大学に進学してからも、また幾度か彼女とぶつかった。
その都度、僕は謝っていたのだけれど、
あまりにも同じことが何度も起こるので、
今回ばかりはと思って苦言を呈してやった。
彼女の名前はキム・ソヒョン。
僕と同じ高校出身で、同じ大学に通う学生だ。
彼女は謝りもせずに、こう言った。
「あのさ。今度、同窓会があるから一緒に行かない?」
同窓会のお知らせなんて聞いていなかったが、
親友のパク・ドユンとイ・ソジュンも連れて行っていいなら、
と僕は承諾した。
しかし、同窓会とは名ばかりで、
その飲み会はまるで合コンのようなノリで盛り上がった。
同じ高校出身というだけで、見覚えがある気はするものの、
実際には初対面の集まりだったからだ。
ソヒョンはその飲み会で、僕と恋人関係であるかのように振る舞った。
ドユンとソジュンがそれぞれ楽しんでいるようだったので、
その場では特に文句も言わず、そのままお開きとなった。
その後、僕はソヒョンと一緒にいることが多くなった。
一人暮らしを始めた我が家にも、彼女は頻繁にやって来るようになった。
僕は文学部で作家を目指しており、
大学在学中に初めての小説を出版しようと計画していた。
だが、経験がなければ恋愛の執筆は難しい。
デートの詳細も自分で体感しなければ書けないと、
結局、書き進めるのが行き詰まっていたのだ。
だから、彼女が近くをウロウロしているのは、
むしろ好都合だったのかもしれない。
お陰でその後は、辛うじて書き進めることができたからだ。
僕は、ある提案をした。
「一緒に日本へ旅行に行かないか」と、彼女を誘ったのだ。
僕が書いている小説は、
自宅で見つけた古い写真からインスピレーションを得て、
書き続けていたものだった。
複数枚あるその写真は、
すべて北海道の小樽で撮影されたものだった。
こうして、僕と彼女は北海道の小樽へ向かうことになった。
「この人誰? すごい美人だけど、白いワンピースに麦わら帽子って、いかにも『自分は清楚で可憐です』ってアピールしてるみたい」
小樽運河で撮影されたと思われる、まさにその場所で、
ソヒョンは写真の女性に難癖をつけていた。
彼女自身の格好といえば、ショートパンツにサンダル、
Tシャツの上にカッターシャツを羽織ったスタイルだ。
見ようによっては小学生の遠足のようなファッションである。
よくも自分のことを棚に上げて言えるものだ、と思った。
僕は、彼女が貶した写真の女性に、幼い頃から恋をしていた。
その人を「世界で一番美しい人」だと思っていたのだ。
母親の友人らしいのだが、
その女性の名前も、正体も知らないままであった。
僕の母親は物心ついたときから忙しく、
ほとんど家に帰ってこなかった。
古くからいる家政婦が、僕の母親代わりだったくらいだ。
歴史あるレンガ造りの小樽の街並みの中、
僕とソヒョンは足音のリズムが微妙にズレたまま、
並んで歩いていた。それは不協和音と同じで、どこかしっくりこない。
その微妙なズレが気になり、僕はストレスを感じていた。
そうして歩き続け、
僕たちが足を止めたのは「ヴェネチア美術館」の前だった。
イタリア・ヴェネツィアの貴族の館を模した、重厚な建物である。
「すごいな……ここだけ本当にヨーロッパみたいだ」
館内に一歩足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のように遠のいた。
ほの暗い館内を照らすのは、
天井から吊り下げられた無数のヴェネチアンガラスのシャンデリア。
職人が息を吹き込み、手作業で形作られたガラスたちは、
温かみのある光を複雑に反射して揺れている。
「綺麗だ……」
シャンデリアの繊細な光が、僕の瞳に映り込んでキラキラと輝く。
「ふぅーん」だが、ソヒョンの声はその場に全くそぐわなかった。
彼女の表情を確認すると、やはり退屈そうにしていた。
ここで何も感じておらず、得るものは何もないといった様子だった。
二人は静かな足取りで、そして不揃いな空気のまま、展示室を巡った。
鮮やかな「ヴェネチアンレッド」のワイングラス、
金箔が繊細に練り込まれた花瓶、
そして緻密なモザイクガラス「ミルフィオーリ(千の花)」。
(――「ねえ、シウくん。これ見て」ガラスケースの前で、ソヒョンが楽しそうに指をさす。そこには、色とりどりの小さなガラスの仮面や、愛らしい動物のミニチュアたちが並んでいる――)
いや、そんな場面は僕たちには訪れない。決定的に感性が違うのだ。
ソヒョンはここに興味がなく、早く次の場所へ移動したいようだった。
二階の吹き抜けからは、実物大のゴンドラが見下ろせた。
水の都ヴェネツィアの風を感じさせるその優雅な佇まいに、
僕たちはしばらく言葉を忘れ、並んで手すりに寄りかかっていた。
「小樽ってガラスの街だけど……ここにあるガラスは、どこか特別な温かさがあるね」
僕がそっと呟く。
「そろそろ次行かない?」
ソヒョンはどこか別の方向を見ながら、そう言った。
ヴェネチアガラスが紡ぎ出す幻想的な光の海の中で、
二人の距離が、
いつもよりほんの少しだけ離れていくのを僕は感じていた。
外に出てまた歩き出すと、彼女が言った。
「ケーキ食べたい。美味しそう」
カフェの前に陳列されたガラスケースに、彼女は目を奪われていた。
朝食のビュッフェで、つい2時間前にケーキを食べたばかりである。
『お一人でどうぞ』と言いかけて言葉を飲み込んだが、
そうこうしているうちに『ガラス館』が見えてきた。
「さっきもガラスで、またガラス? ガラスってガラスでしかないよね?」
『君も君でしかないよな』理性が外れて、
チンピラのように絡んでしまいそうになるのを、僕はグッと堪えた。
旅行中にカップルが喧嘩をする話はよく耳にするが、
それは価値観の不一致が多いからだと僕は思っていた。
だからといって、別れろというわけでもなく、嫌いというわけでもない。
「恋人ではないのか?」と聞かれれば、「恋人でもいい」のである。
他人の動向はさておき、
僕とソヒョンは一緒に旅行に来ているが、僕の中では彼女は恋人ではなかった。
それはまるで、楽譜の中に間違いがある演奏会を聴いているような感覚だった。
ハーモニーもなく、シンフォニーも当然ない。世界が薔薇色に見えるはずもなく、
どんよりとした薄曇りの空のようだった。
自分の小説のために同伴してもらっているが、
本当の感情を正しく伝えてしまえば旅行が成り立たない。
だから僕の心の中では、これはただの「知り合い」との旅行だった。
ソヒョンも一緒に出かけたがるが、それほど好きだとか、
恋だとかいう恋愛感情はないはずだ。
あまりにも不一致が多いし、何より会話が弾まないのだから。
「何買ったの?」
僕はガラス館で選んだペーパーウエイトとグラスセットを彼女に見せた。
「ふぅーん」
ソヒョンはオルゴール館の前にある蒸気時計を一瞥すると、
僕の後ろについて館内へと入っていった。
「見て見て! 寿司だ」
館内には星の数ほど素敵なオルゴールがあるというのに、
彼女が食いついたのは『寿司型のオルゴール』だった。
「そうだね。寿司だね」
僕の声のトーンは、低いままであった。
3年後。
兵役を終えて退官した僕の前には、もうソヒョンの姿はなかった。
彼女は、僕の兄の恋人になっていたからだ。
彼女は気まずさから僕を煙に巻きたくなり、裏で暗躍していた。
そして、僕を恋愛リアリティー番組
『Love Hunt 3』に出演させるよう、策を弄したのだった。
今、ラブハントシャトーには僕を含め、
男性5人と女性5人が集まっている。
そして、何台もの撮影カメラの視界に入る場所で、
腕を組み、壁に寄りかかって僕たちの様子を冷ややかに、
見つめているプロデューサー――それこそが、キム・ソヒョンだった。
僕は、ずっと思っていた。
『ずっと僕は君が好き』だったわけではなくて、
『ずっと僕は君を友達のままにしておけばよかった』と。
そう思っていたんだ。
でも、僕のそんな気持ちは、きっと彼女には届かないのだろう。
なぜなら、僕とキム・ソヒョンの心の間には、
IDもパスワードも存在しないのだから。
つまり、僕たちは最初から、心なんて繋がっていなかったんだ。
ずっと僕は君を友達のままにしておけばよかったんだ。
この作品は『私にキスできますか?』の作中作品です。
単独でご覧になった方は面白くないと思います。
すみません。
本編の付録と思ってご容赦願います。
備考
※カン・サラン
韓国の女優ソン・カナン。代表作『真緑の翡翠』『冬の海と窓際のジウ』
作家ユン・シウの妻
※ユン・シウ
韓国の作家。カン・サランの夫
※キム・ソヒョン
アトリエ・ノア会長室室長。FGS(藤咲化粧品)korea第二営業企画部部長。
ユン・シウの元恋人。総合映像制作会社S.S.I社長ユン・ヒョヌの元恋人。
※イ・ハニ(コ・ミンジ)
カン・サランの親友でバイト仲間。女優デビュー後は大ブレイク中の演技派女優イ・ハニ
※ソ・ジ(ナ・ジウ)
『真緑の翡翠』にてソン・カナンのヌードスタントをした、元『虹の薔薇組』音響アシスタント。
『ずっと僕は君を』にて正式な俳優デビューを果たし、中世的なルックスで、
急速に知名度を上げている俳優。小枝の愛称をそのまま芸名にした。
【更にあとがき】
この作品はユン・シウが自身の日記と独白文を元に、
恋愛リアリティー番組『Love Hunt3』に出演期間中に書き下ろした小説である。
この小説は当初、シウの作家能力がまだ覚醒しておらず、処女作で完全燃焼してしまっている中での大ヒットを受けて大きなプレッシャーの中、生み出された作品だった。結局、シウが考えた苦肉の策は『恋愛推理小説』という突飛なアイデアを採用したのであった。主人公はおろか、登場キャラクターの全員の本音がわからない。行動が不可解だ。作中に盛り込んで読む人を楽しませようと考えた。
主人公は彼女を好きでもないのにずっと付き合っていて、彼女は彼を好きだった筈なのに、浮気して乗り換えた。など他の登場人物も含めて『一体なんなの?』が主題の作品として世に出たのであった。
この作品の映画化にあたって新進の女性映画監督として頭角を現し始めていたユン・ソヒは、
大胆に原作から作り変えて、女性ならではの目線でヒロインにクローズアップした。
恋愛映画として再構築したのであった。主演したイ・ハニ(コ・ミンジ)は空気の読めない屈託のない無垢な女の子から破滅的な妖艶さを持つように大人になっていくヒロインを演じきり、映画賞の新人賞を総なめにするほどのブレイクを果たすことになった。特に大胆に演じたベッドシーンは衝撃的であったが、
本人は「監督に騙されて仕方なく撮影に突入した」との事だったが、体を張った女優魂が世間や業界の賞賛をえる形に繋がったといえる。イ・ハニはその後、『ずっと僕は君を』と同じユン・シウ作の『地平線のコ・ハナ』で『ポテト姫コ・ハナ』を演じて明るい前向きなヒロイン像の代名詞となる女優となった。




