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冷酷と噂の氷帝陛下の心の声が『今日も妃が可愛すぎる』とダダ漏れな件について  作者: 九葉


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第二話 可愛すぎる妃の観察記録

天蓋付きのベッドで目覚めた朝、私が最初に感じたのは、現実感を失わせるほどの静寂だった。


故郷アザレアの王城では、窓を開ければ小鳥のさえずりと、庭師たちが手入れをする花の甘い香りが部屋を満たしたというのに。

ここ、大帝国グラキエスの皇妃のために用意された「月光の離宮」は、どこまでも静かで、清らかで、そして凍てつくように冷たい美しさに満ちていた。

磨き上げられた銀の装飾、雪景色を描いた壮麗なタペストリー、水晶のように透明なシャンデリア。

そのどれもが、私の故郷の城を丸ごと三つは買えてしまうほどの贅沢品なのだろう。けれど、そのどれもが、まるで主の心を映したかのように、ひんやりとした空気を放っていた。


「……夢、じゃなかったのね」


小さく呟き、そっと頬に触れる。

昨日の謁見の間での出来事が、鮮明に蘇る。

氷帝カイゼル・フォン・グラキエスの、氷の彫像のような美貌。私を射抜いた、全てを見透かすかのようなアイスブルーの瞳。そして、私に投げかけられた、刃のように冷たい言葉。


――と、その裏側で嵐のように吹き荒れていた、情熱的すぎる心の声。


**『――(か、可愛い…! なんだこの小動物は!?)』**


**『――(今すぐ抱きしめて、大丈夫だと、もう何も心配いらないのだと、頭を撫で回してやりたい…!!)』**


思い出しただけで、顔に熱が集まるのを感じる。

あれは、本当にカイゼル陛下の心の声だったのだろうか。

あまりの衝撃と緊張で、私が見た都合のいい幻聴だったのではないか。

そうに違いない。そうでなければ、あの氷のような男の内面が、あんなことになっている説明がつかない。


私がベッドの上で葛藤していると、控えめなノックの音と共に、数人の侍女たちが部屋に入ってきた。

昨日、簡単に紹介されただけの、私の世話役たちだ。


「妃殿下、おはようございます。お目覚めはいかがですか」


筆頭侍女のアーデルハイドが、完璧な礼儀作法で頭を下げる。彼女たちの動きには一切の無駄がなく、さすがは大帝国の侍女だと感心する。

けれど、私の呪われた耳は、彼女たちの心の声も拾ってしまう。


(可哀想に、昨夜は眠れなかったのかしら。お顔の色が悪いわ)

(アザレアの姫君か…本当に、花のように儚いお方だ)

(陛下は、この方をどうされるおつもりなのかしら。まさか本当に、ただの飾りとして離宮に置かれるだけ…?)


憐れみと、好奇と、そして少しばかりの侮蔑。

謁見の間で感じたものと同じ種類の感情が、静かな波のように私に押し寄せる。

私はぎゅっとシーツを握りしめ、表情がこわばらないように、必死で微笑みを作った。


「ええ、ありがとう。よく眠れましたわ」


嘘だった。

昨夜は、豪華すぎるベッドの上で、カイゼル陛下の心の声を何度も反芻してしまい、ほとんど一睡もできなかったのだ。


朝食は、見たこともないような豪華な料理が、銀の食器に乗せられてずらりと並んだ。

温かいスープ、焼き立てのパン、新鮮な果物、きらきらと輝く宝石のようなジャム。

けれど、緊張と不安で、喉がうまく食べ物を受け付けない。故郷で食べた、少し硬い黒パンと、母が作ってくれた野菜のスープの素朴な味が、無性に恋しくなった。


「…少し、お庭を散歩してもよろしいかしら」


スープに数口つけただけでフォークを置くと、私は侍女たちにそう告げた。

侍女たちは一瞬顔を見合わせたが、アーデルハイドがすぐに「ご案内いたします」と恭しく頭を下げた。


月光の離宮には、ガラス張りの美しい温室庭園が併設されていた。

外は、雪と氷に閉ざされた白銀の世界が広がっているというのに、この温室の中だけは、春のように暖かく、様々な種類の花々が咲き誇っている。

そのほとんどが、寒冷なグラキエス帝国では育たない、南方の珍しい花だった。私の故郷、アザレアの国花である白いアザレアの花まで咲いているのを見つけた時、思わず胸が締め付けられた。


(故郷を、思い出されているのだろうか…)

(あんなに寂しそうな顔をされて…)


侍女たちの同情的な心の声が、また私の心をちくりと刺す。

私は、彼女たちから少しでも離れたくて、温室の奥へと一人で歩みを進めた。

ガラスの壁に近づき、外の雪景色をぼんやりと眺める。これから先、私はこの美しい鳥かごの中で、故郷を思いながら、ただ静かに生きていくのだろうか。

そう思った時、ふと、視線を感じた。


はっとして顔を上げると、温室を繋ぐ長い渡り廊下の向こう側。その窓辺に、人影が見えた。

白銀の髪。黒を基調とした、豪奢な刺繍の施された皇帝の執務服。

カイゼル陛下だった。


彼は、腕を組んで、ただじっと、無表情でこちらを見ている。

まただ。

あの、全てを見透かすような、冷たいアイスブルーの瞳。

その視線に射抜かれて、私の心臓が、とくん、と大きく跳ねた。

彼は、私がここにいることに気づいている。そして、私を見ている。

どうしよう。挨拶をするべき? でも、遠すぎる。

私が戸惑っていると、私の呪われた耳が、再び、ありえないはずの彼の「声」を拾った。


**『――(庭に出てきた! よかった、少しは元気になったのだろうか? 朝食をほとんど口にしなかったと報告があったから心配していたんだ。やはり、ここの食事は口に合わなかったか…)』**


「……!」


私は息を呑んだ。

幻聴じゃない。

昨日と同じ。いや、昨日よりももっと鮮明に、彼の心の声が聞こえる。


**『――(それにしても、なんだあの服装は! 侍女たちは何をしているんだ! この帝国の朝の冷え込みを甘く見るな! あのドレスは室内用だろう、薄すぎる! 今すぐ風邪をひいてしまうぞ! 誰か、誰か早く、あの子に上着を持って行ってやれ!)』**


内心で、ものすごい剣幕で怒鳴っている。

私は思わず自分の服装を見下ろした。侍女たちが用意してくれた、淡い水色の室内用のドレス。確かに、この温室の中は暖かいけれど、ガラス越しに伝わる外の冷気を考えると、少し肌寒く感じなくもない。


**『――(ああ、花を見ている。アザレアの花か…故郷の花なのだろうな。どんな気持ちで見ているんだろう。寂しいのか? 帰りたいのか? …そうだよな。無理やり連れてこられたのだから、当然だ。だが、俺は…お前を手放すことなど、できない)』**


彼の心の声のトーンが、少しだけ切ないものに変わる。

私は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

彼は、あんなに遠くにいるのに。彼の表情は、完璧な無表情のままなのに。

その心の中では、私の食事の心配をして、服装に気を揉んで、そして、私の故郷への想いにまで心を寄せている。


**『――(いかん、見すぎた。不審に思われる前に執務室に戻らなければ。だが、もう少しだけ…あと少しだけ、見ていたい。陽の光を浴びて、花を眺める姿が、まるで絵画のようだ。…ああ、本当に、綺麗だ…)』**


その心の声が聞こえた直後、カイゼル陛下はふいと踵を返し、窓辺から姿を消した。

後に残されたのは、嵐が過ぎ去ったかのような静寂と、私の胸の中で鳴り響く、早鐘のような鼓動だけ。


しばらくの間、呆然と立ち尽くしていた私が離宮の自室に戻ると、侍女たちが何やら慌ただしく動いていた。

そして、私の部屋の中央のソファの上には、純白の、驚くほど美しい毛皮のショールが置かれていた。

雪狐の毛皮だろうか。触れるのも躊躇われるほど、柔らかく、気品のある光を放っている。


「妃殿下、こちらを…」


アーデルハイドが、そのショールをそっと私の肩にかけてくれる。

驚くほど暖かく、そして、ふわりと優しい香りがした。


「これは…?」

「陛下からでございます。『妃は寒さに慣れていないだろうから』と…」


侍女の言葉と、先ほどのカイゼル陛下の心の声が、頭の中で完全に一致した。


**『――(誰か早く、あの子に上着を持って行ってやれ!)』**


これが、彼の答え。

これが、彼のやり方。

言葉にはしない。表情にも出さない。けれど、その不器用な行動で、そっと優しさを差し出す。

それが、氷帝カイゼル・フォン・グラキエスという人の、本当の姿なのかもしれない。


私は、肩にかけられた純白のショールを、ぎゅっと握りしめた。

その温もりが、凍てついていた私の心の奥にまで、じんわりと染み込んでくるようだった。


憐れみと侮蔑に晒され、生贄としてこの国に来たと思っていた。

このまま、美しい鳥かごの中で、孤独に朽ちていくだけなのだと、諦めていた。

けれど、もしかしたら。

ほんの少しだけ、違うのかもしれない。


あの、冷たい仮面の下に隠された、温かくて、少しだけ不器用で、そして、驚くほど情熱的な心。

今まで呪いでしかないと思っていたこの力は、もしかしたら、その心に触れることを許された、唯一の鍵なのかもしれない。


「アーデルハイド」

「はい、妃殿下」


私は、小さな、けれど確かな決意を胸に、侍女に向き直った。


「明日、陛下にご挨拶に伺いたいのです。このお礼を、直接お伝えしたいわ。…お時間は、取っていただけるかしら?」


私の言葉に、アーデルハイドがわずかに目を見開く。彼女の心の声が、驚きと共に聞こえてきた。

(…妃殿下が、自ら陛下に…?)


きっと、誰もが驚くのだろう。

生贄の姫が、氷の皇帝に自ら近づこうとしているのだから。


けれど、私の心は、不思議と穏やかだった。

知りたい、と思った。

あの、冷たい仮面の奥にある、本当のあなたを。

氷の皇帝と、可愛すぎる妃の観察記録。

その記録のページは、今、静かに、けれど確かに、次の章へとめくられようとしていた。

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