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  作者: 高橋 淳
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優秀な劣等生(前半)

早稲田大学・政治経済学部。その中でも「政治学基礎演習」は成績上位者しか履修できない、いわば“エリートコース”だった。


悠真はそこにいた。数字だけは優秀だったからだ。


初回のゼミ、教授は第一声でこう言った。


「偏差値で勝っても、議論で負けるなら意味がない。君たちは“使える知性”を持っているか、これから証明してもらう」


教室には12人の学生がいた。都内名門校出身の男子、ICU帰りの帰国子女、都立トップ校の女子、そしてひとり、声がよく通る女がいた。


「初めまして〜、中野美月です。都立青南から来ました!高校時代はディベート部とバスケ部かけもちしてました。みんなと話すの楽しみにしてます!」


明るく、感じがよく、堂々としていた。彼女の声が響いた瞬間、空気が一瞬で彼女中心に変わったのがわかった。


——悠真は、黙っていた。


「綾野悠真です。……よろしくお願いします」


たったそれだけ。目を合わせることすらできなかった。議論を交わせるほど、誰かと“対等”な自分を想像できなかった。


授業後、美月は話しかけてきた。


「綾野くんって、なんか頭良さそうな感じするよね。発言とか、もっとすればいいのに」


「……いや、あんまり得意じゃないから」


そう言って会釈し、逃げるように教室を出た。心のどこかで「こいつもどうせ、俺を値踏みしてる」と思っていた。


——“この大学の女は、口ばかり達者で中身がない”


そんなレッテルを、すでに悠真は彼女に貼りつけていた。



五月、GW明けのゼミ。教授が発言のない学生に矢を向ける。


「綾野くん、どう思う?この法案の通過プロセス、どこに民主的正統性があると思う?」


急に指されたが、予習はしていた。だからこそ焦った。


「……プロセス自体に正統性があるとは思えません。与党が、世論調査を無視して……いや、あの……」


言葉が詰まり、しばらく沈黙した。その間、他の学生たちは何も言わない。教授も黙ったままだった。


その空白が、永遠のように長く感じた。


「……以上です」


「なるほど」と教授はだけ言った。


だが、その後に発言した美月がこう言った。


「私は逆で、むしろ正統性は“世論調査”に依存しすぎないところにあると思う。民意と政治判断が常に一致するわけじゃないし、そこを混同したら代表制が成立しないと思うから」


その瞬間、教室の空気が変わった。教授が頷き、周囲がペンを走らせる音が聞こえた。


悠真は、飲み込んだ。


——俺の方が先に言おうとしてた意見だったのに。


なぜ自分が言うと凡庸で、美月が言うと「鋭い」になるのか。なぜ。



その日、帰りの道で偶然、美月とエレベーターが一緒になった。


「さっきの、惜しかったね」


笑顔で言われたが、悠真はその言葉にトゲを感じた。


「……何が?」


「なんか、発言かぶりそうだったでしょ?タイミングって難しいよね。私、ちょっと空気読めなかったかも」


彼女は無邪気だった。たぶん、本気で悪気はない。


だが悠真は、自分が“配慮される側”に立っていることに、腹が立った。


彼女に悪意がないのが、逆にキツかった。無意識のままに、自分の劣等感を照らし出してくる存在。


「……ああ、気にしてないよ」


言葉だけはそう返したが、内心では決めていた。


——もうこの女と関わるのはやめよう。


明るく、堂々としていて、誰からも好かれる女。


早稲田らしい、“陽キャの知性”の象徴。


そして自分は、それに対抗できる自信も、愛される見込みもない。



ゼミ後の教室で、グループワークの分担が話し合われたとき、悠真はそっと端の席に移動した。


誰も、彼に話しかけなかった。


それが、少しだけ楽だった。


孤独は毒だ。でも、関係はもっと毒だった。

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