落ちた空 2
第一章:落ちた空(続き)
高校三年の秋。悠真は、順調だった。
全統模試の判定はA、共通テスト予想得点も9割を超えていた。特に英語と国語は安定していたし、数学も「時間さえあれば解ける」実力はあった。自習室にこもる毎日。誰とも深く関わらず、ただひたすら参考書と赤本を回転させる。
「綾野は受かるだろ」
そう言ったのは担任の進路指導教員だった。もちろん、その期待を裏切る気などなかった。香月里奈と同じく、悠真もまた、東大文一を第一志望としていた。
——だが、共通テストで最初のほころびが生じた。
試験当日、国語で見たことのない形式の設問が出た。記述ではなく選択式のはずなのに、問いの趣旨が曖昧で、どれも正解に見えた。数学I・Aでは焦って数値をミスし、理科基礎で時間が足りず大問を丸ごと落とした。
試験が終わった夜、自宅で自己採点をしたとき、静かに顔が歪んだ。
——870点。配点共通900点中の数字としては悪くない。だが、東大志望にしては物足りない。
「これで足切りは回避できるけど……厳しいな」
言葉にしなければ、崩れそうだった。
香月里奈は、「共通テスト、まあまあだったよ」とだけ言った。その簡潔な報告が、逆に完璧さを物語っていた。
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二次試験当日。東京大学本郷キャンパス。
悠真は、会場の門をくぐるとき、自分が映画の主人公になったような錯覚を覚えた。緊張と誇りが同居する、不思議な高揚感。ここに来られただけで、何かを達成したような気になった。
——けれど、それはただの幻想だった。
数学の第2問で、初見の誘導に詰まり、30分が消えた。英語の和訳は見慣れない語彙が混ざり、自信が持てなかった。最後の日本史で、設問の論点がずれたまま論述を書ききってしまった。
それでも、試験終了後、彼は笑った。
「……まあ、全力は出したよな」
出し切ったという手応えではない。ただ、自分にそう言い聞かせなければ、心が持たなかった。
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そして、合格発表の日。
彼は、午前10時きっかりに東京大学のWebサイトを開いた。
数字が並んでいた。桜色の背景。規則正しいフォント。検索ボックスに自分の受験番号を打ち込み、Enterキーを押す。
——該当する番号は、ありません。
瞬間、視界がぼやけた。
目を凝らし、何度も数字を見直した。ミスタイプかもしれない、ページが更新されていないのかもしれない。F5キーを押す。もう一度、番号を入れる。
——該当する番号は、ありません。
背中から、寒さが這い上がってきた。手のひらがじっとりと汗ばみ、椅子に座ったまま立ち上がれなくなった。
台所から、母親の食器を洗う音が聞こえる。やがて、気配に気づいたのか、背中越しに尋ねられた。
「どうだった?」
声が震えそうになった。
「……ダメだった」
その一言に、あらゆるものが詰まっていた。
母は数秒沈黙し、それから小さく言った。
「そっか……じゃあ、早稲田にするしかないね」
その言葉に、悠真は頷いた。心の中では、全身を殴られたような痛みを感じながら。
——“しかない”という響きが、敗者の烙印だった。