前世の記憶
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
ある病院の一室。新しい命が誕生し、赤ちゃんが産声を上げ———なかった。
「どうも初めまして、この度は、私を産んでいただきまして誠にありがとうございます。今世ではまだ名前がございませんが、前世ではしがないサラリーマンを………」
「ギャァァァァァ」
「赤ちゃんが喋った!?」
声を上げたのは周りの大人の方だった。
産後間もない赤ちゃんが慇懃に自己紹介を始めたのだ。その異様さに思わず叫びを上げても責められまい。
「驚かせてしまったようで申し訳ありません。実は、私は特例第一号という事でございまして、このように前世の記憶を持って生まれて参った次第なのです、はい」
「い、イタズラじゃなくて本当に赤ちゃん、赤さん?が喋ってますか?」
「ええ。本当は、産んでいただいた母とご助力いただいた医療スタッフの方々にお礼を申し上げた上で、詳しい事情を説明したいのですが、何分、体力が………」
そこまで述べると、赤ちゃんはすやすやと寝息を立て始めた。
一同は顔を見合わせる。
「幻覚ではないですよね?」
「私もはっきり見ました。喋ってましたよ」
「一体どうなって……。こんなことは初めてです」
※※※
「はい、もしもし。赤ちゃんが喋った?うちは精神科じゃなくて、研究室ですよ。冗談はよしてください」
ここは、胎児や乳幼児の脳機能を研究している研究室。
博士は、掛かって来た電話をイタズラ電話だと思い、通話を切った。
しかし、直ぐにまた次の電話が鳴る。
「まったく、忙しいというのに。……はい!………だから、うちは精神科じゃないと。え!?本当に喋ってる?冗談は休み休み言いたまえ」
最初のうち、嫌がらせか何かだと思っていた博士だが、赤ちゃんが喋り始めたという電話は方々から掛かって来ており、一向に止む気配がなかった。
「今日はおかしな日だ。何か大変な事が起こっているに違いない」
博士は適当な病院に連絡を取り、喋る赤ちゃんの調査に乗り出す。
※※※
同じ頃、警察も赤ちゃんが一斉に喋り始めた件で対応に追われていた。
「警察です。事故ですか事件ですか?」
「殺人事件です、私が殺されました!場所を言いますから直ぐに向かってください」
「それはどういう……?」
「いいから、早く向かってください。死体があるはずです」
そういう通報が何件も寄せられた。
殺された人間が話すわけがないと指摘すると、一様に死んだ後で生まれ変わったのだと言う。冗談のような話だが通報者の声はどれも真剣だった。
警察官が首を傾げながら、念のため現場に向かうと実際に殺人現場が広がっていた。
似たような通報が何件も入ったので、警察現場では殺人事件被害者が生まれ変わって告発を始めたと大騒ぎになった。
中には密室殺人や完全犯罪と言われた迷宮入り事件の被害者が犯人を告発する電話もあり、次々と事件が解決に向かった。
※※※
さて、前世の記憶を持って生まれた赤ちゃんが誕生し始めると、今まで隠されていた社会の闇が徐々に明るみに出た。
中には口封じに殺された者が生まれ変わり、涙ながらにその悪逆非道を糾弾するといった事件も起こった。
こうなると、悪い事というのは随分やりにくくなる。今までは、墓場まで持っていけばよかったものが、人々が墓場から記憶を持って帰ってくる時代になったのだから。
困ったのは法律家だった。
法律によれば、人間の一生は出生に始まって死亡に終わる事になっている。しかし、同一の魂であり記憶が連続している以上、この定義を変えるべきと主張する者も出てくる。遺産を残して亡くなり、生まれ変わった赤ちゃんの一部が遺産の所有権を主張し始めると、一生というものの定義問題が深刻化した。
他にも、年齢的には幼くとも生前の経験により十分な判断能力を備えている赤ちゃんは成人として扱うべきではないかという議論や、生まれ変わりを考慮した死刑廃止論なども盛んになる。
赤ちゃんは生前の記憶を持って生まれてくるという新たな常識は、社会のあり方を急速に変化させていった。
※※※
「どうやら、下界は新たな変化に適応し始めたようです」
「大混乱が予想されたが、心配したほどのパニックが起こらなくてよかった」
天界で、神さまと天使が地上の様子を窺っていた。
「異世界転生が増え、地上に回す魂が足りなくなったときにはヒヤヒヤしたが、リユース作戦が上手くいってよかった。これでしばらくは大丈夫だろう」
「天国へ行く代わりにもう一度現世に入って貰えばその分、魂の数を稼げますからね。天国の方も、魂達には申し訳ないのですが、滞在時間三十年までという事で回転率を上げて対応しています」
天国への入り口には、「魂不足につき、時間制となっております。三十年までの滞在をお願いします」という真新しい掲示がある。
その掲示の前では、魂達が、もう一度そのまま生まれるか天国へ行くか思案している。もう一度生まれると次の死後天国に滞在できる時間が伸びるという特典があるのだ。
「しかし神さま、異世界転生はどんどん増え続けています。いずれまた限界が来てしまったらどうしましょう?」
「そのときは、私達も異世界からの魂流入を受け入れるしかないな」
「異世界の魂は魔法を使いますから、受け入れるとなるとその時こそ下界は大混乱ですね」
「これ以上、異世界転生が増えないよう祈るばかりだ———」
転生させ過ぎは良くない( ^ω^ )