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_____7月10日





突然休憩室のドアの開く音がして、僕はイヤホンを外す。




「若奈さん。お疲れ様です。」



『あ、お疲れ様。』


それだけ言うと彼女は椅子に座り、先程までの僕と同じようにイヤホンを耳に付けた。


彼女は同じ職場の2つ年上の先輩、山野若奈やまのわかなさんだ。




"あの事件"から1年近くが経った。



進路調査票を出さなかった僕は、インターネットで近くの正社員募集の職場を探して、適当な事務職についた。

教師には反対されたが、母はあなたの好きなようにしなさい、と言ってくれた。

琴里はやはりエスカレーター式でそのまま女子短大に進んだ。


あの頃から変わったことと言えば、僕は音楽を始めた。


秋斗から電子キーボードやギター、手書きの楽譜を譲り受けた僕は、時間があれば初心者ながらに練習し、それを弾けるようになることを目標にした。


それ以外は、何も変わって居ない。


まだ1年。


もう1年。


僕はあの日から1日たりとも秋斗のことを忘れたことは無い。


淡々と日々を消化している。


身嗜みを整えるため、鏡の前に立つと、

前髪も伸びきり、あの頃より痩せた僕の姿が写っていた。


「…ははっ、秋斗みたいだな。」


長い前髪に、細い体。

あの頃の秋斗の姿を鮮明に覚えている。


「お疲れ様でしたー。」


午後の業務も終えた僕は直ぐに家に帰る。

ご飯を食べて、眠る。

明日も仕事。

こんな毎日がずっと続いている。




何で生きているのか、何度も自問自答したが、不思議と死にたいとかいう感情は出てこなかった。


もし秋斗が帰ってきて、僕が死んでたら悲しむだろう。


秋斗とまた会える日まで。僕は待っていた。






_____7月23日



暑苦しさでいつもより早めに目を覚ました僕は、窓の外を見る。


あの日のような青一色の空だった。


ベットの際に置いたペットボトルの水を飲み干した僕は、もう一度ベットに倒れ込む。

暑さでベタベタとする肌が気持ち悪かった。



「もう1年も、経ったのか。」



あれから1年が経った。

僕達の世界は止まっているようだったが、世間は忙しなく過ぎていく。


秋斗のお母さんには1ヶ月に1度程会いに行っている。


お母さんは以外にも元気にやっていて、玄関には秋斗の写真が挟まれた写真立てがいくつも置かれている。


僕は首元のネックレスを握りしめる。



「仕事、行かなきゃな。」


いつもより重い腰を上げ、僕は仕事に向かう。



職場に着くと、一足先に若奈さんが居た。



「おはようございます。」


『おはよう。なんかいつもより元気ない?』



若奈さんは基本冷静で、何を考えているのか分からない無表情な人だが、人の変化には敏感だった。


そんな事ないですよ。とから笑いした僕は出勤のタイムカードを押して仕事につく。


低月給だが無駄ないざこざも無く、あまり個人の事には踏み込まないような人達のいる職場は、僕にとってすごく快適なものだった。



『今日さ、終わったらご飯でも行かない?

なんか今日凄く死にそうな顔してるし。』


若奈さんの意外な一言に僕は目を見開いた。


7月23日というこの最悪な日に、1人で抱え込んで過ごすくらいなら、誰かと居た方がいいか。


家族や琴里以外と食事するのなんて久々な僕は少し緊張しながらも是非。と頷いた。



『仕事で何かあった?大丈夫?』


汗をかいたグラスに手をかけながら若菜さんはいつも通りの無表情で問う。


『…まあ話したくない事もあるよね。美味しいご飯食べて忘れよう。』


ボーッとお皿に盛りつけられた料理を見つめて何も言わない僕に彼女はそう続けた。


「…7月23日が、嫌いなんです。ただそれだけです。心配かけてすみません。」


僕は吐き捨てるように言った。

職場の先輩に秋斗の事を話すつもりはない。


『誰しもが人に言えない事って持ってると思うのね。だからそんな申し訳なさそうな顔しないで。


私だって人に言えない事、沢山あるの。


言ったら私の人生が終わっちゃうくらいの秘密もね。』


意味ありげに言う若菜さんをパッと見ると、グラスに残っていたハイボールを飲み干した。


「なんですかそれ、ちょっと気になるな。」


『人生が終わるような秘密、あなたに言うわけないでしょ。』


彼女の口角は少し上がっているように見えた。


若菜さんは呼び出しボタンを押し、ハイボールを2つ頼んだ。


「僕まだ残ってますけど…」

『早く飲み切れば?』


僕は少し笑いそうになる。


若菜さんのことを冷めた人間だと思っていたが、きちんと話してみると意外とそうでも無く、面倒見がいいようだ。


『あたしさ、一人暮らししようか迷ってるんだよね。』


少しお酒が進んだ後、若菜さんはそう切り出した。



「いまはご実家で?」


『うん、今は実家だけど姉と2人暮らしなの。

お父さんは私が生まれた頃から居なくて、お母さんは色んな所転々としてるから。』


「お姉さんとは仲良くないんですか?」


『仲良くない…って程じゃないけど。

姉もお母さんも結構明るいタイプなんだよね。


お母さんは昔から根暗っぽい私と姉を比べてきて、私自身家に居づらいなあって、ずっと思ってたの。』



淡々と話す若奈さんは、少し悲しそうな顔をしていた。


比べられる、という言葉を聞いて僕は秋斗の事を思い出す。

弟と比べられて虐待を受けた秋斗は、きっとこの若菜さんよりもずっと辛かったのだろう。




秋斗の事が頭から離れなくなった僕は、お酒が回っていた事もあり、若菜さんに過去のことを少し話してしまった。


ぼつり。ぽつりと話す僕に、若菜さんはただ頷いてくれた。


『きっと、見つかるよ。』


ただの慰めかもしれないが、その優しさが嬉しかった。


『じゃあ、また明日仕事で。』


「色々とありがとうございました。」


店の前で解散した僕達はそれぞれの帰路についた。



『純人ー』


「あれ?琴里。」

信号待ちをしている僕を呼ぶ声が聞こえ振り向くと、そこには琴里がいた。


『なんか綺麗なお姉さんと呑んでたみたいじゃん?彼女できた?』

にやにやと笑う琴里に否定の意を伝えると、僕達は同じ方向に歩き出す。


『ちょうど、1年だね。』

僕はただ、頷いた。


『ねえ、秋斗、まだ生きてるよね?

私達、秋斗が帰ってくるの、信じてていいんだよね?』


「僕達は待つことしか出来ないよ。」

質問へのまともな回答は僕には出来なかった。


琴里を送り、帰宅した僕は先に眠った母が作ってくれてあった夕飯を温める。


机の上に郵便物を確認していると、僕の名前の書かれた茶色い封筒が置いてあった。


「僕宛て?」

何気なくそれを手に取り差出人を確認する


"斎藤秋斗"


そう書かれた封筒だった。


すぐに息が詰まる思いで破るように封筒を開けるとジャラジャラと音を立てるそれはテーブルの上に落ちた。

あの日のピンキーリングが付いたネックレスだった。


僕は自分の首元に手を当てる。

ネックレスのチェーンは紛れもなくそれと同じもので、秋斗のものだと確信した。


「…っはあ、はあ、はあ」


何故か上がる息と震える手で僕は琴里に電話をかけた。


直ぐに僕の家に向うと行った琴里は数分後、僕の家に息を切らして入ってきた。


『これ、秋斗のだよね!?なんで、純人宛に?もう意味わかんないよ!』


混乱したまま僕達は、秋斗のお母さんに連絡を入れ、交番に向かった。


でも、この封筒が送られてきた先を調べてもらえれば誰が送ったのか分かるはずだ。


秋斗は生きている。

秋斗を助けられる。

再び僕の心に希望が宿った。


交番に着いた僕達は、警察官の言葉を聞いて絶望することになる。


『これ、直接投函されているね。

郵便局の印鑑が押されていない。』


『じゃあ、誰が送ってきたか分からないってことですか?』


勢いの無くなった声の琴里は、警察官に問う。

頷く彼は、何故か申し訳なさそうな顔をしていた。


目撃情報や監視カメラを捜査するという警察官達に茶封筒とネックレスを渡して、その日は帰ることになった。


「また、何も得られなかった。

わざわざ純人にあのネックレスを送るなんて、僕達のことを相当知ってる人じゃないと無理だよね」


そういった途端、急に嫌な予感がして僕は生唾を飲み込んだ。



「…こ、とり。」


僕の声に、ん?と顔を向けた琴里。


口を開きかけて、辞めた。


親友を疑うなんてどうかしてる。

でもこんなこと僕達以外知りえないことなんじゃないのか。ピンキーリングを買ったのだって、居なくなった数時間前の話だぞ。



あんなに秋斗を想って泣いていた琴里が、事件に関わっているはずがない。


僕は深呼吸をして、はっ、とから笑いをした。


「ううん、なんでもない。」


疑心暗鬼になっているんだ。僕は。

秋斗がずっと見つからなくて精神がおかしくなってしまったんだ。




_____9月20日



夏も終わりに近付く9月。


結局秋斗のピンキーリングは警察から秋斗のお母さんに返され、今は玄関に大事に飾られている。



日々は進展もないまま淡々と過ぎ、僕いつもの如く仕事に来ていた。


若菜さんとはそれまでより仲良くなり、職場でもよく話すようになった。

若菜さんとは温度感が似ているようで、話すと心が楽になる気がした。


『私、一人暮らしすることにした。』


そう言う若奈さんの顔は無表情の中にも少し嬉しそうな感じがする。


「よかったですね。」


『だからお祝いパーティしてよ。』


発言と表情の差に僕は笑ってしまう。

最近知ったこと。若菜さんには意外と可愛い所がある。


「じゃあ、今日は僕の奢りで。」

『奢りはいいよ。』


先に仕事が終わった若奈さんは、近くのカフェで待っていた。

窓の外の僕に気付くとイヤホンを外し立ち上がる。


僕達は予約していたお店に入り、適当に注文を済ませる。


「若菜さんっていつも何の曲聞いてるんですか?」


『うーん、なんでも聞くよ。幅広く色々って感じ。

橘くんこそいつもずっとイヤホンつけてるけど。』


「僕はあの親友の曲を聴いてます。」


『曲作ってたの?凄いね。』


聞きます?と言うと頷く彼女に片方のイヤホンを渡し、僕も片耳にそれをつけた。




『すっごくいい曲だった。』


目を瞑り曲を聴いた後、彼女は微笑んだ。

初めて見る彼女の笑顔だった。



若菜さんと別れた僕は、帰宅してパソコンの電源をつける。

秋斗の曲を色んな人に聞いてもらいたい。

僕は秋斗の曲をインターネットに投稿することを決めた。


秋斗の声、そのまま載せるのは駄目かな。

そう思った僕はそれなりに音楽の知識がついていたので、DAWソフトを立ち上げ、秋斗の曲を元に曲を作った。


流行りのボーカロイドエディターに入力し、チューニングするも、初めて僕が作ったその歌声は歪なものだった。


僕は何度も繰り返しチューニングを試みる。



1時間、2時間、3時間。

時間は一瞬で過ぎていった。



「出来た…。」


納得のいく曲ができる頃には、空は明るくなっていた。


僕は動画投稿サイトにその曲を載せた。

MVは当然作れないので、3人で撮ったピンキーリングの写真を静止画で載せた。


"僕の親友が作った曲です

僕は彼のことを永遠に忘れません"


概要欄にそう書き込み、投稿した。


深呼吸をして、パソコンを閉じると僕は布団に倒れ込みそのまま眠りに落ちた。






_____9月21日




目が覚めると、時計は昼の2時を指していた。



今日は仕事が休みだったので、僕は布団から出ずにクーラーの温度を下げて携帯を開く。


携帯で昨日の動画投稿サイトを開くと、昨日の動画は100回程再生されていた。

コメントは付いていなかったが、5つのグッドボタンに僕は嬉しくなった。


大きな欠伸をすると、することも無かった僕は何の気なしに外に出た。




「早く夏終わんないかなー」



僕は夏が嫌いだ。


肌にジリジリと焼け付くような日差しも、蝉の声も、空の色も、匂いも。



そして、僕から全てを奪った夏が。



僕は海辺まで歩くと、3人で居た砂浜を歩く。



以前と変わらないかき氷の屋台がある。


「レモン味、ひとつ下さい。」


はいよー。とかき氷を作り始めたのは日に焼けた短髪のお兄さんで、あの時とアクセサリーはもう売っていなかった。



かき氷を受け取った僕は砂浜に座り込む。


シロップの味は変わらないはずなのに、レモン味のかき氷は何故か甘酸っぱく感じた。



『こんにちは!』


背後からの声に振り向くと、茶髪に巻き髪の女性が立っていた。


「えっと…?」


何故か見た事のあるような顔の女性は、あははっと笑い、覚えてないかー。と呟き、膝を砂浜に立てる。


『去年の夏かき氷とアクセサリー、買いに来てくれたよね?』


その女性があの時の屋台のお姉さんと重なる。

1年も前のお客さんの顔を覚えてるなんて凄い人だなあ。なんてぼんやり考えていると。


『あのアクセサリー、買ってくれたのあなた達だけだったから。』


僕は首元のチェーンを引っ張り、貝殻のピンキーリングを見せた。

嬉しい。と笑ったお姉さんは、立ち上がり膝の砂を振り払う。


『ここは私にとって思い出の大切な場所だから、たまにここの景色を見に来るの。』


「もうあのかき氷屋さんでは働いていないんですか?」

頷く彼女は自身の左手をこちらに向ける。

彼女の左手の薬指には、指輪が付いていた。


『大切な人が出来てね。』

幸せそうな笑顔で笑う彼女は絵に描いたような幸せそうな人だな、と思った。


また会おうね。と、手を振って歩き出す彼女に軽く会釈をして、僕も立ち上がった。





家に帰る道中、琴里から急に着信が入った。


焦った様子の琴里が、急いで秋斗の家に来るように言ったので、僕は走って向かう。


秋斗に何かあったのか?帰ってきた?

走る僕の脳内にはそんな考えがグルグル渦巻いていた。


「琴里!」


秋斗の家の近くの電柱に隠れるように玄関を見つめる琴里に声をかけた。


『近くで秋斗のお父さんが居たから、こっそり後付けてたの。そしたら秋斗の家に入っていって…。』


慌てふためく琴里の手を引き、僕は玄関へ向かう。


インターホンに手をかけたその時、

開いたドアから、あの時と同じスーツの男性が出てくる。


僕達を見るも冷静な彼は、


『あぁ、ちょうど良かった。離婚届を書いてもらって、今から提出しにいくんだ。

これでもう本当に赤の他人だから、君たちも金輪際私に関わらないでくれ。』

そう淡々と告げた。


秋斗を失い、精神的に酷く傷付いているはずのお母さんにそれを告げるのはどれだけ残酷な事か。

僕と琴里は彼に何も言わず、直ぐに家に入る。



リビングで泣き崩れるお母さんを見つけると、琴里はそっと抱きしめる。


『…ありがとう、大丈夫よ。大丈夫。』


そう言いながらも彼女の涙が止まることは無かった。


『ごめんね。こんなに若い君達に慰められるなんて。』


数十分して、落ち着いた様子のお母さんは少し恥ずかしそうにそう言った。


琴里が彼女の細い指をぎゅっと握りしめながら、日が暮れるまで3人で話した。


そもそも初めから父親の行動がなければ、秋斗だってここに居たはずなんだ。

あの父親を、僕達は絶対に許さない。



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