別
_____8月5日
あの事件から早くも2週間近くも経った。
特に大きな進展はなく、未だに秋斗は見つかっていない。
僕は琴里とも会わず、自室に引き込もり、堕落した夏休みを過ごしている。
何も手につけていないと心が悲しみに犯されていく気がして、僕は秋斗に教えてもらったパソコンを久しぶりに開いてみることにした。
「うわー、何年ぶりだろ。」
ゲームサイトにログインするとフレンド欄に秋斗の名前があった。最終ログイン日、3年前。
秋斗はお父さんが家から居なくなった日からゲームを辞めたらしい。
代わりに外に出て、僕達と遊んでくれた。
返信が帰ってこないと分かっているが、フレンドチャットを開く。
"秋斗、早く帰ってこいよ。みんな待ってるよ。
今まで何も気付いてやれなくて本当にごめんな。"
送信した途端、また涙が溢れてくる。
「俺、いつまで泣いてんだ。」
秋斗が居なくなった日から毎日のように泣いていた。
ベットに置きっぱなしにした携帯電話からメッセージの受信音が鳴る。
『久しぶりに秋斗の家行ってみようよ。
お母さんも来て良いって言ってたし。
秋斗の曲、私聞きたいんだ。』
琴里からのメッセージだった。
二つ返事で承諾した僕は秋斗の家の前で琴里と落ち合う。
ポストには郵便物が溢れるほど溜まっていた。
インターホンを鳴らすとしばらくしてから
あなたたちね、と呟く声が聞こえ、玄関のドアが空いた。
秋斗のお母さんは以前より痩せて、頬もげっそりとしている様子だった。
『1人で寂しかったの。
是非入ってちょうだい。』
細い手首がドアを開く。また秋斗の部屋に迎え入れられた僕達は、お母さんと少し話をした。
「お母さん、ご飯食べてますか?」
『食べなきゃって思ってるんだけど、あんまり…食べてないのよね。
毎日夕方になると秋斗が帰ってきて、リビングで一緒に夕飯を食べるの。
結構無口だけど、いつも美味しそうに食べてくれて。
私それが生きる糧だったんだなって居なくなってから気付いたわ。
2人とも、お腹は空いている?』
僕と琴里が目を合わせ頷くと、お母さんはふふっと弱々しく笑い、キッチンに向かった。
『お母さん、心配だね。』
琴里は眉を下げて僕を見る。
僕は何も言わず頷く。
「秋斗のパソコン、見てみよう。」
電源ボタンを押すと、大きな起動音を立ててパソコンは起動した。
『秋斗、勝手にパソコンとか見られるのすごく嫌がりそう。』
「帰ってきた時は一緒に怒られようね。」
僕達はまだ秋斗が帰ってくると信じている。
父親と会った日の帰り道、秋斗を信じると2人で誓ったのだ。
"パスワードを入力してください"
『あ…。』
適当な数字を打ち込んでみるもロックは解除されない。
「しまった。僕がロックかけてないからパスワードなんてあるの忘れてた。」
思いつく限りの色んな数字を打ち込んでみたが解除される様子はない。
僕が頭を抱えていると、琴里が何か見つけたようだ。机の引き出しの中に、USBメモリが1つだけ入っていた。
『この中に曲、入ってるんじゃない!?』
僕はUSBメモリを手に取り、後で僕のパソコンに差して琴里と一緒に聞くことにした。
ご飯を作り終えたお母さんが廊下から僕らを呼んだ。
リビングに向かうと、エプロンを着たお母さんが待っていて、食卓には筑前煮と焼き魚、ご飯、味噌汁が3人分並べられていた。
『秋斗の大好物だったの。良かったら一緒に食べましょ。』
「すっごく美味しいです。」
『ほんとに美味しい!毎日こんなご飯を食べてた秋斗が羨ましいくらいです。』
照れ笑いするお母さんに秋斗の昔話を聞きながら、僕達は手料理を食べた。
『…ところで、あの人には会えた?』
突然お母さんが切り出す。
「ああ、会えました。
でもやっぱり秋斗の事は何も知らないようでした。」
僕の脳内には、不倫相手であろう女性と腕を組みながら病室を出ていく彼の姿が思い浮かんだ。
そのうち彼は話していた通り、離婚届をお母さんに渡しに来るのではないか。その方が寧ろ幸せなのかもしれない。
しかし今それをお母さんに伝えるのは酷すぎる。
春斗くんの話も、僕は触れるのを辞めておいた。
しばらくして、そう、と諦めたようにお母さんは微笑んだ。
『本当に2人が来てくれてよかった。そして秋斗の友達でよかった。
ありがとうね。』
数時間前とは違う雰囲気で、顔色も心做しか良くなっていた。
「こちらこそです。ご飯ご馳走様でした。」
僕と琴里はお礼を告げて、秋斗の家を後にした。
秋斗のお母さんは玄関先で見えなくなるまで手を振ってくれた。
「僕んちにパソコンがあるから、秋斗のUSB見てみよう。」
『うん。秋斗の曲、聞けるといいな。』
5分程歩くと、いかにも平凡な僕の家が見えてくる。
『あら、こんにちは。』
『あ、こんにちは。お邪魔します。』
玄関先で花に水やりをしていた母に、琴里はペコッと頭を下げ、家に上がった。
僕と琴里は、早速秋斗のUSBを見てみることにした。
開くと"music"というフォルダが一つだけあり、それを開くと幾つかの音楽ファイルが出てきて、それぞれに名前がついていた。
『これ全部、秋斗が作った曲…?』
ざっと見ただけでも20個位はあった。
1番新しい曲の題名は
"畢生"
『なんて読むんだろ?』
僕は何も言わずそのファイルをクリックした。
ミュージックプレイヤーが起動して、ジーッと音が流れ始める。
ピアノの音から始まり、秋斗の歌声と共に心地よい落ち着いた曲が流れる。
『秋斗の歌声なんて初めて聞いた…綺麗だね。』
「こんな歌うまかったんだ。
カラオケとか行けばよかったね。」
歌詞は、秋斗の人生を語ったような、そうではないような。
暗めの雰囲気だが、芯の通った心を感じるような曲だった。
「僕達、これからどうしたらいいのかな。」
『警察でも見つけられない人、私達が見つけられる訳ないよね。
心苦しいけど、ただ待つことしか出来ないよ。』
「…悔しい。」
『私も、凄く悔しいしやるせないよ。』
琴里は天井を仰ぐ。
僕も目を瞑って秋斗の曲をずっと聞いていた。
いつの間にか全ての曲が流れ終わり、静寂が戻る。
『これさ、携帯に移して欲しい。いつでも聞けるように。』
「いいね。僕のにも移すよ。」
繋げた携帯電話に取り込んだデータを移し、僕たちの携帯には秋斗の曲がダウンロードされた。
これでいつでも心に秋斗を感じられるね、と笑う琴里はあれ以来1番の笑顔を見せた。
僕は琴里を家まで送り、帰路に着いた。
イヤホンから流れる秋斗の声は本当に綺麗だった。
_____8月6日
僕と琴里は、あれ以来初めていつもの海辺に来ていた。
『秋斗さ、ここに寝っ転がってたよね。』
「意外と気持ちよかったよ、あれ。」
僕はあの日と同じ場所に大の字で寝転んだ。
あの日は拒絶していた琴里も自然と横になる。
『ほんとだー、意外と気持ちいね。これ。』
隣で寝転ぶ琴里が携帯からスピーカーで秋斗の曲を流すと、あの日の秋斗のように目を瞑る。
波の音、照りつける日差し。
どれもあの日と同じなのに、秋斗だけが居ない。
僕たちの日常から、秋斗だけがすっぽりと抜けてしまった。
僕達はあれから毎日、秋斗の事ばかり考えて、秋斗の思い出話ばかりしていた。
『秋斗が居ないとさ、夏休みも何していいかわかんないよ。』
琴里は目を瞑ったまま話す。
「僕も。毎日布団にいるだけで何もしてないよ。」
『秋斗が見つかるまで、ずっとこんな気持ちで毎日過ごすの辛いよ。
でも、秋斗の方がもっと辛い思いしてるかもしれないし。私もどんな気持ちで入ればいいのか分からない。』
涙が零れないように目を手で抑える琴里を見て、僕は何も言えなかった。琴里と同じ気持ちだった。
「琴里、そろそろ帰ろう。」
暫くして立ち上がった僕は背中の砂を払い、深呼吸をした。
琴里も立ち上がると、手を高く上げて大きく深呼吸をする。
『強く、生きなきゃね。』
儚げに笑った琴里の背中はいつもよりも小さく見えた。
帰り道。琴里は僕を振り返る。
『純人はさ、卒業したらどうするの?』
僕は元々したいこともなかったので大学に行って決めようと思っていた。
その約束すら秋斗と交していた僕には、もう大学に行く意味も無くなっていた。
「…決めてないよ。
適当に就職でもしようかな。」
『大丈夫なの?』
「別にしたいことも無いしね。琴里は?」
『私はそのままエスカレーター式で大学に行くよ。入学した時から決めてたの。
でも、私だけこんなちゃんとした道歩んでていいのかなって。少し迷ってた。』
琴里はまた、俯いた。
「琴里はしたいようにするべきだよ。その方が秋斗も喜ぶと思うよ。」
『ありがとう、そうするよ。
じゃあ。また連絡するよ。』
_____8月31日
さらに強くなった日差しが窓から差し込み、僕は目を覚ます。
携帯電話は、シャッフル再生していた全ての曲が流れ終え止まっていた。
「明日から新学期…。」
僕は学校に行くのが憂鬱だった。
こんな暑さの中、外に出るのも躊躇するくらいだった。
「僕ってなんで夏が好きだったんだろう。」
あの頃僕を包んでくれるようだった夏の暑さは、今となっては鬱陶しく感じるほどに僕を攻撃してくるように感じた。
秋斗がいない学校なんて行く価値がない。
秋斗の件はもう1ヶ月以上も進展がなく、警察も手掛かりが掴めていないそうだ。
秋斗はまだ生きている。
そう、信じたいのだが。
僕は1度起きたものの、クーラーの温度を下げ、また布団に潜り込んだ。
何もすることがない。
何をしてもつまらないし、何もしたいと思わない。
内心秋斗のことを心の底から信じきれていない僕の心は荒んでいった。
することも無く、何となく外出することにした。
玄関先には母が僕の為にと、先日植えてくれたアヤメの花から芽が出ていた。
母曰く、花言葉は"希望"らしい。
この花が咲く頃、秋斗が帰ってきますように。
通学路を通り、海方面の小さな橋を渡ると河川敷があり、僕はそこを歩く。
河川敷に作られた小さな野球場の方で、小学生くらいの男の子達が野球の試合をしている。
僕は自販機で缶ジュースを買い、階段に座り込み試合を見ることにした。
あんなに小さな体でボールを投げ、大きなバットを振って、必死に戦っている。
それでも何故か皆笑顔で、楽しそうだ。
点を入れて嬉しそうな顔でハイタッチする少年達を見て、僕は長らく笑っていない事を思い出した。
僕にもあんな風に心からの楽しさで笑える日は来るのだろうか。
野球の試合を終えた少年達に拍手を送る数名の観戦者に混ざって拍手をすると、僕は来た道を帰る。
「試合、良かったなー。」
野球なんて未経験ながらに、一試合に感動してしまった。無意識にそう言ってしまった自分におっさん味を感じて口元が緩んだ。
帰宅すると母がソファでテレビを見ていた。
テレビの音なんて久しぶりに聞いた。
僕もしばらく見ていると、秋斗の事が誘拐事件としてニュースで取り上げられていた。
「…早く見つかるといいね。」
あれ以降、堕落した僕をずっと傍で何も言わず見てくれていた母はそう呟いた。
肩を震わせる僕の手を握ってくれた。
久しぶりに人の愛情を感じた気がして、暖かかった。
_____9月3日
"進路調査票"
ホームルームの時間、前の人から配られたそれを手にした僕は、ぐしゃぐしゃに丸めた。
新学期が始まると、学校中がざわめいていた。
理由は秋斗の件だ。
今まではたまにしか話さなかったクラスメイト達は仲の良かった僕を慰めようと沢山話しかけてきたが、僕は何一つ応えなかった。
こいつらになにが分かる?
秋斗の何を知っている?
心の中で問いかけて、僕も秋斗の事を全然知らないよな。と自己完結してしまった。
僕は目を閉じて机に伏せた。
ザワザワとクラスの人達が談笑する声が耳障りだ。
.....
『純人は、大学行く?それとも就職?』
高校3年生になって初めて配られた進路調査票を手にした秋斗は隣の僕の肩を叩く。
「やりたいことって特にないんだよなー。とりあえず大学に行ってから考えようかなー。」
僕もそうする!と秋斗はペンを握った。
「秋斗はしたいことないの?」
秋斗はうーん、と考え込むと無いかも?とあどけなく笑った。
『でも音楽はずっとしていたいなあ。』
.....
半年近く前の何気ない会話を思い出して、僕はイヤホンを耳につけた。
流すのはもちろん秋斗の曲だ。
秋斗の歌詞は、題名に沿って秋斗の想いが詰められている。
最初に聞いた"畢生"の意味を僕は調べた。
「…畢生、生を終える時までの間。終生。一生。」
それは文字通り秋斗の人生を語った曲だった。
その後も僕は分からない題名の意味を調べ続けた。
中には弟春斗くんに向けたような曲。
僕達の事の歌だってあった。
秋斗は春斗くんが居なくなったって、彼のことを想って愛していたと思う。
春斗くんが言っていたような、嫌われている。なんて事は絶対に無い。
もし、秋斗が帰ってきたら、春斗くんにすぐに会いに行ってほしい。
そう思いつつ、秋斗が生きている望みが薄いことは感じていた。
僕はもう諦めるしかない。
秋斗への想いは胸に秘めて、歩いていかないといけない。
辛い。苦しい。秋斗居ない未来を生きたくない。
気鬱なまま、これからも大人になっていく。
高校生のまま取り残された秋斗を置いて。