シュレーディンガーの十二通
(猫のポストカード。真っ白な猫があくびをしている写真の余白に書かれたメッセージ)
久しぶり。そっちは元気?
俺は相変わらずかな。葵の方は少しは落ち着いたか?
この間の同窓会では会えなくて残念だった。
はじめはバタバタするだろうから、落ち着いたころにでもまた連絡くれたら嬉しい。どこか手近な店にでも飲みに行こう。次は俺の奢りの約束だったろ。
近いうちにまた。
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葵へ
手紙、届いたみたいでよかった。
メールじゃなくて手紙なんて久しぶりに書くから、なんだか緊張するよ。仕事でも専らパソコンばっかりだから、手書きっていうだけでなんか不思議な感じだ。何回か書けば慣れるものなのかな。
あ、手書きっていっても、宛名はパソコンで打ってみた。宛名シールって便利だな。仕事でやらなきゃいけないって知った時には面倒だって思ったけど、慣れれば手軽でいいかも。これからは、こうしてお前に手紙を書くことが増えるんだろうし。
そうそう、仕事といえば新年度、うちの会社には新入社員が四人きて、なんと俺が教育係の一人になった。まあ、先輩が二人辞めてるから、俺でさえ上から数えて四番目なんだけど。これからますます忙しくなりそう。まじで憂鬱。そっちはどう?今、何してる?また連絡してな。
翔太
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葵へ
誕生日おめでとう!今年は直接祝えなくてごめんな。今度こそ一緒にご飯行こう。
年度初め、やっぱりめちゃくちゃ忙しくて、ようやく手紙を書こうと思ったらもう五月だよ。っていうか、お前の誕生日にギリギリ間に合ってればいいんだけど。うちの会社は今年もゴールデンウィークなし。去年も散々お前に羨ましいって愚痴ったけど今年は一際世間の連休ムードが恨めしい。
お前の今の職場はどう?お前のことだから、忙しいって言ってもうまくやってるんだろうな。そのうち、後輩にも人気の先輩になってたりして。
そういえば、ゴールデンウィークといえばさ、大学二年生の時、一緒にハイキング行ったよな。あの山、実はうちの会社の屋上から遠くに見えるときがある。なんだかんだいって世間って狭いよなあって言ったら先輩に「そういう意味じゃねえだろ」ってツッコまれたけど。
お前の方が落ち着いたらまた誘おうって思ってたんだけど、お互い忙しくしてるうちにいつの間にか忘れてた。不思議だよな、あんなに毎週のように会ってたのに、なんでこんなことを伝えるのすら忘れてたんだろう。話してるうちに、今話してること以外全部頭の中から抜けてどうでもよくなっちゃうんだよな。別にいつもそうってわけじゃない。お前と話してるのが楽しいからだし、お前が聞き上手だから。って別に責任転嫁したいわけじゃないけど。
それこそ、もしまた会えたら、ハイキングなんてのも楽しいんだろうな。大学生の頃より、お互いデスクワークばっかりで体力は落ちてそうだから、もっとのんびり、一日がかりとかで予定を立ててさ。
少し考えてみてよ。じゃあ、また。
翔太
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葵へ
なんだかんだでまた一か月ぶりくらいか。仕事の郵便物は気にしたことなかったけど、手紙となると雨の日にポストまでもっていくのが億劫で、ついつい先延ばしになっちまう。
雨の日続きだと、ちょっとお前が心配になるな。毎年この時期は頭痛いって言ってたし。仕事もずいぶん忙しいみたいだし、無理するなよ。
そうそう、今回は趣向を変えて、アジサイ柄の封筒にしてみた。この間言った店で事務用品を探してたらちょうど目に留まって、お前が好きそうかなって思って買ってみた。
この間ハイキングのことを思い出したからかな。あのハイキングの時も、お前植物の名前とかやたら詳しくて、俺に色々教えてくれたよな。もう全然覚えてないけど、お前のそういうとこはいつもすごいなって思ってた。俺より何倍も頭がいいのに、人の輪の中に入ると縮こまってそれを発揮できないところはもうちょっと何とかした方がいいと思うけど。
いや、そんなお説教がしたかったんじゃなくて。なんでかな、手紙ってラインで話すよりよっぽど脱線しやすい気がする。電話してるときはこれくらいの脱線はいつものことだけど、手紙となるとどこから書き直していいのかわからないから結局このままになる。良くないよな。
うーん、ちょっと何書いてるのかわからなくなってきたからいったんここで。
じゃあ、また。
翔太
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葵へ
やっぱり一か月ぶりだな。ラインの連絡は俺からばっかりだったけど、手紙だとそう頻繁に送るのもハードルが高いみたいだ。
毎日暑くて、職場はエアコンで寒くて、気が狂いそうだ。夏なんて嫌いだ。俺がそういうたびに、お前は涼しい顔で笑ってたっけ。
手紙を書こうと思い立ったはいいものの、暑くて頭が回らない。
今度こそ、暑さに負けない秘訣を教えてくれ。
短くてごめん。こういうときって、白紙の便せんをもう一枚つけるんだっけ?
まあいいか。
じゃあ、また。
翔太
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葵へ
結局夏の間は手紙書けなかったな。やっと涼しくなってきて、ようやく人心地着いたよ。
仕事の方もようやく落ち着いてきたと思ったら、先輩が一人産休に入るらしい。新人が手が離れて楽になってきたと思った途端にこれだ。万年人手不足だ、本当に勘弁してほしい。
お前がうちを辞める前は、それでもなんとか俺たち二人にそれぞれ教育係をつけて新人教育してくれたんだから、まだありがたかったんだなあってしみじみ思う。辞める人を減らしたいっていう割に新人教育は二人に一人の教育係が一通りマニュアル通りに教えるだけで、ミスがあれば容赦なく怒られるし、そりゃ無理だろって俺でもわかる。むしろ俺も早く辞めるべきなんじゃないかなって思い始めてるくらいだよ。お前が近くにいてくれたら、こういうことも相談できるのにな。
そうそう、相談といえば、大学受験の時もめちゃくちゃ色々話したよな。あれだけ「同じ大学にならなくてもまた遊ぼう」って言ってたのに、蓋を開けてみたら第一志望が同じ大学で、しかも学部は違えどキャンパスは同じだなんて、なんかちょっと笑えた。一緒に受験勉強できたのも、大学入ってからもなんだかんだよく遊びに行ったのも楽しかったから、本当にあそこで進路が分かれなくて良かったって思ってた。俺がお前を追いかけようにも、俺の頭じゃ到底無理な大学だったらどうしようもなかったし。
なんかこう書いてるとお前に頼りっ放しだな。いや、事実そうなんだけど、改めて文字にするとなんかこう、ちょっと気まずいというか……。
まあいいか。
今回はこの辺で。じゃあまた。
翔太
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葵へ
一回間が空くとなかなか次を書くにも勇気がいるな。
でも、次はそんなには待たせないはず。ちょっとしたニュースがあるんだ。それが何かは次回までのお楽しみ。
そうだ、最近うちの近くに来ることがあった?葵のお母さんっぽい人を見かけたんだ。といっても、大学の時ぶりだからあんまり自信はないんだけど。
葵のお母さんには俺もお世話になりまくったから、もし本人なら挨拶しなきゃって思ってたんだけど、声かけそびれちゃった。もし本当にお母さんご本人だったら、葵から一言伝えておいてくれたら嬉しい。
お母さん、お裁縫得意だったんだよな。覚えてる?いつだったか、遊びに行った先でお前が派手に転んで、履いてたジーンズに派手にかぎ裂き作っちゃったとき、なんか銀色の飾りみたいなの?つけて直してくれてたよな。そうそう、あの時はお前が珍しくゴツいブーツなんか履いてくるから、元々身長がそんなに変わらないのに、俺はお前を見上げる羽目になったんだった。まあ、あれはあれで新鮮だったけど。
昔の事を思い出してるとあっという間に時間が過ぎるな。
今度は近いうちに、また。
翔太
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葵へ
今回はあまり間を空けずに書けたな。
同封した写真、見た?前に手紙で言ってた山。俺が教育担当してた新人の子がよく行くから一緒にどうですかって誘ってくれて、この前行ってきたんだ。なるべく早くお前に見せてやろうと思って。
その子、元サッカー部らしいんだけど、さすがに若い子は体力あるな。二十代はまだまだ若いつもりだったけど、全然置いてかれた。なんかちょっと悔しいけど、まあこんなもんかなあ。
久しぶりの山からの景色は、こんなんだったかなって思ったけど、写真にしてみたらなんかいい感じだった。知ってる?今、スマホの写真ってコンビニですぐに印刷してもらえるんだよ。もうずっとアルバムなんて作ってなかったし全然知らなくて、教えてもらいがてらひとしきり後輩から馬鹿にされた気がする。
楽しかったけど、やっぱりなんだか物足りなかった気もする。
だからってわけじゃないけど、実はもうひとつサプライズを用意してるんだ。
それは次の手紙で。
じゃあ、また。
翔太
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葵へ
なんだか急に仕事が忙しくなって、また間が空いちまった。
サプライズは次の手紙で、なんて言ってたけど、全然準備が間に合わなかったから、それはまだお預けな。
その代わりじゃないけど、今回は紅葉の封筒。お前のじいちゃん家の近くだっけ、はるばる広島まで紅葉狩りに行ったよな。あれは確か大学に入った年か。お前が地元の隠れた名所とか言うから期待したけど、行ってみたら人混みだらけでなかなか大変だったよな。でも、屋台で食べ物買って食べ歩くなんて久しぶりだったし、結局誘ってくれたお前よりも俺の方が満喫してたんじゃないかと思う。紅葉狩りなんて言ったのはあれっきりだったか。いや、違うか。お前はずっと誘ってくれてたけど、俺が断ってたんだ。今になって思えば、もっといろんなところに行けばよかった。お前とただ一緒にうだうだ過ごすのが一番心地よかったけど、それだけじゃなくってもきっとよかったのに、なんであの時はそんなことがわからなかったんだろう。もっと、お前が誘ってくれるままに、色々なところに行ってみればよかった。
なんだか辛気臭くなっちまったな。
いったんこの辺で。また。
翔太
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葵へ
葉書、届いたか?
なんと今年二回目の同窓会。っていうのも、結局諸々重なって遠方から出席できなかったって話をあちこちから聞いたらしい岩本(覚えてるか?前回の同窓会の幹事だよ)から、オンラインで開催できないかって話が来てさ。俺が職場の関係だの新人教育だのでリモートワークからの脱却つらいって愚痴ったのを覚えてたらしくて、ミーティングの立ち上げから幹事まで、俺にお鉢が回ってきたって感じかな。
もしかしたら、葵もオンラインなら参加できたりする?
前回の同窓会は欠席の返事が返ってきたって岩本が言ってたけど。
この手紙が着くころにはもう出欠の返事を出した後かな。
もし会えたら(オンラインでも会えたら、でいいよな?)嬉しい。
じゃあ、また。
翔太
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葵へ
やっぱり、同窓会は参加できなかったんだな。
今の職場、もしかして土日休みじゃないとか?まあ、仕事以外にも色々忙しいとは思うけどさ。
長らくお前と会ってないのがなんだか変な感じな気もするし、慣れてきてずっと公だったようにも思える。
でもやっぱりちょっとへこんでるのかな、うまく言葉が出てこないや。こうしていられるのもあとちょっとかもしれないのに、どうにも筆が進まない。
また書く。
翔太
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葵へ
これがタイムリミット前最後の手紙だな。
この手紙は本当にお前に届いているんだろうか。
何の前触れもなくお前が俺の目の前からいなくなってもう一年なんだな。長かったのか短かったのか、今思うと全然わからない。
お前の姿を見るのが当たり前の毎日だったのに。
最初はショックだったよ。どうして、って思ってた。ずっと。何も言わずに引っ越すなんて、きっと何かあったんだ、そのうちに連絡が来るはずだ、って。
でもお前からの連絡はなかった。
お前がいなくなってしばらく経った頃だったよな、同窓会。お前に会えなかったのは残念だった。お前がいなくなってショックだった中で届いた同窓会の出欠葉書。初めて同窓会なんて行く気になったのは、葵が来るかもしれないって思ったからだったのに。でも、収穫はあった。同窓会の連絡の葉書、お前のところにも届いたんだよな?欠席の連絡が来てるって、岩本が言ってたんだから。ていうか、「え、お前知らないの?」って逆に俺が聞かれたけど。
あの出欠の葉書の送り先は、お前の前の住所だった。岩本に確認したから確かだ。届くわけがないんだ、お前に。
でも届いた。
と、いうことは、旧住所にあてればお前のところに郵便は届くんだ。初めて知ったよ、そんな制度があるなんて。
小さな賭けだった。
俺から最初に送った葉書。気づいただろう?あれだけだよ、リターンアドレスをちゃんと書いたのは。でも戻ってこなかった。三週間待ったんだ。あの葉書は戻ってこなかった。誰かが、あの葉書を受け取れたってことだ。俺の名前を見て、お前はあの葉書をすぐに捨てたかもしれない。でも葉書なら、もしかしたら少しくらい、メッセージが目に入ったかもしれない。そう思ったときの俺の気持ちが、お前にはわからないだろう。
2通目からは封書にした。俺の名前も住所も、きっとお前は覚えている。いや、もしかしたら宛名の文字だけでも、俺からだってわかるかもしれない。だからわざわざ、パソコンで宛名シールなんてものを作ったんだ。シールも封筒も何種類も用意して、もしかしたら一回くらいは開けて読んでくれないかと思って。それが功を奏したのか、結局俺にはわからず仕舞いだったけど。
お前のところに手紙が届けられるのは一年。この手紙を書いている時点で、その期限はおそらく五日後だ。この手紙が最後だと思うと、書き終わるのさえ名残惜しい気がするよ。きっと、この手紙がお前の手元に届いたとしても、お前は読んでいないんだろう。そう思いながら手紙を書くのをやめられないのはなんでなんだろうな。完全に自己満足でしかない手紙だけど、だからこそ、なんでもここにだったら書ける。
高校からだから、もう十年以上の付き合いだったんだよな、俺たち。そう考えるとなんだか不思議だ。あのブカブカの制服を来てたお前のことも、スーツに着られてるお前のことも、休みの日、「そればっかじゃん」っていつも言ってたパーカー(あれって俺が買ったやつだったよな?)もたくさん見てきたはずなのに、思い出すのはあの日の、ボロボロになってるお前、あの、俺にすがるような必死の目ばっかりだ。
ごめん、って言ったらお前は怒るかな。
あれから一年以上経ったけど、それでも、俺はやっぱりあの日、お前を傷つけずにはいられなかったと思うよ。
ずっと一緒に居た。いつの間にか、もう一人の自分くらいに思ってたのかもしれない。お前は俺の考えも気持ちも全部わかってくれてるって、そう思ってた。だから、お前の言葉が、行動が、俺と違っていくのにイライラしてた。なんでそんなことするんだろうって。
あの時――俺に怒鳴られて、わけがわからないって顔してたよな、それがだんだん必死に何かを訴えるような――いや実際そうだった、「なんかおかしいよ」ってずっと言ってくれてたんだ――あの必死の目。なんで俺はあの時の事ばっかり思い出してるんだろう。お前がこの手紙を読んでないって、そう思っているからなのかな。もし読んでいたら――いや、そんなことは万に一つもないってわかってる。それなのに――ああ、もう何を書こうとしていたのかもわからなくなってきた。楽しかったことだけ書こうって、この手紙を書き始めたときには思ってたはずなのに。お前にもらったボールペン、書き心地が良いから止まらなくなるんだよって責任転嫁でもしてしまおうか。
返事、結局一度もくれなかったな。
違う、お前からの返事を期待してたわけじゃない。でも、どこかで生きててほしいって思ってる。今、確かなのはそれだけだ。手紙なんて読んでくれてなくてもいいから。なんだろう、なんか矛盾してるな。俺にもよくわからないけど。
葵、生きてて。
あの事件の記事、お前じゃないよな?