追悼 松本零士さん テレビアニメ「銀河鉄道999」よ、永遠なれ
☆はじめに、、、
その昔、、、
テレビアニメは、、子供たちに「人生」を教えてくれた、
すべてとは言わないが、そういう人生アニメ?があったものだった。
そういうアニメで私たちは知らずに?
人生の深みと、
人生の闇と、
人生の懐かしさと、
人生の秘密と
もっと言えば宇宙の神秘と人間存在の意味を
学び取っていたのだった、
が、、今、、そんなアニメがあるだろうか?
はっきり言って「ない」のである。
人生を語るアニメ?なんて今ありませんよね?
やタラどぎついアクションもの、冒険もの、グロ系、、、そんなアニメ全盛です。
かってのようなまったりと人生を語ってくれたり
諭すように、人生の不条理を絵解きしてくれたり
あるいは、遠い宇宙の奥義と人間存在のはかなさをポエジーで現前させてくれたり、、
そんなアニメが昔は確かにあったのです。
そこから子供たちは人生を学び
人生の意味を知り
宇宙のサトリを会得していた珠玉の作品なのです。。
☆銀河鉄道999
そんな珠玉の作品のひとつが
「銀河鉄道999」であろう。
もちろんテレビ版ですよ。
のちに映画化されましたが
映画版のそれは、、いまいちですからね。そして内容も圧縮?されて、浅薄で?単なる宇宙冒険?となってしまっているのですね。
そもそも映画版の主人公の鉄郎が美少年すぎるでしょ?
やはりテレビ版のようなだんごっぱなの不細工な鉄郎でなくっちゃね、このアニメは生きてきませんよね。
このアニメ、各話30分で
「フジテレビ系列で、1978年9月14日 - 1981年3月26日に全113話 + テレビスペシャル3話が放送され、翌1982年に総集編が放送された」(ウイキより)
母を機械男爵に殺された鉄郎は、黒衣の謎の美女メーテルからもらった銀河鉄道乗車券で
星々を各駅停車で旅をして、、機械の体(永遠の命)をもらうために、遠い機械惑星まで旅をして、、その途中の各駅の星々で様々な事件に遭遇しては
試練を受けて成長し人生を学んでゆくというアニメである。
そしてそのナレーションが
あの、まったりした語り(ナレーション)は今も忘れられません。
揺蕩うような、ビロードの語り口で
諭すような、、あの、、サトリを教えてくれるあのナレーション。
特に、、、各話の最後に、、まとめとしての鉄郎がこのエピソードで人生のどんな真理を学んで成長しえたのかを語る
あのナレーションは最高でしたね。
私たちもまた、そこから人生の神秘と意味とサトリを、体感したのだった。
そして主題歌、、はじめと終わりにかかるあの、佐々木功の、メロディ、
特に最後のあのテーマソング。エンディング、
亡くなった母親とそして遠い地球への遥かなる思いをうたた他の歌詞はおそらく私の中でもベストワンの歌詞だと今でも思っています。
今こそむしろ、こうした人生アニメ?がテレビ界に必要なのではないのだろうか?
そもそも、、、、、鉄郎を魂の成長の旅へといざなう謎の黒衣の女性
メーテルとは鉄郎少年の心の中にのみ住んでいる永遠のアニマだったのだろうか?
実在しない、、心の中のエターナル・フィーメイル(永遠の女性)だったのだろうか?
そして銀河鉄道999の旅とは、、実は?鉄郎少年の心の中だけの旅だった?、、幻想旅行だったのだろうか?
佐々木功?の甘くけだるい歌声がエンディングで今もふと口をついてその歌詞が出てきたりします。
毎回毎回の、各話のエンディングでは高木均のまったりとした?最後の教訓めいたナレーションの締めくくりが私は好きでしたね。
諭すような。。
語りかけるような
少年鉄郎への人生の悟り的なお話が好きでした。
だって銀河鉄道999って、、少年の成長過程での様ざまな試練と挑戦と、勇気と、の教訓話が大宇宙で繰り広げられるっておはなしですものね。
それにしてもこのアニメ、、。
今、振り返って思えば非常に、寓意的で
暗喩的で
教訓的なアニメでしたね?
そして肝付寛太のあのユーモラスな道化回しの車掌さんです。
私はテレビシリーズのビデオ10話分だけ持っているのですが、
たまに思いつくとは見ています。池田昌子のメーテル(の声)やっぱりいいですね。
メーテルって、ドイツ語のムッター(母)からきてるんですよね?
確かに機械人間に撃ち殺された鉄郎の母に声も似てますよね?
そして何処からと来なく現れたメーテルはなにやら得たいの知れない謎の女性です。
時折、本部?から指令をうけたりしています。
そしてある意味?選ばれた?存在である鉄郎は、銀河鉄道のパス(乗車券)をただでもらい、
メーテルと遥かアンドロメダまで機械の
体を(つまり永遠の生命)もらいに旅立つのでした。
1978年代、このアニメにはまった私は毎週見てましたね。
そのころ私はもう、、、いい大人でしたけどね。
大学を出て、、就職難で
50社も受けて全部不採用で、
其の後やっと入れた会社は
何の因果か?、うまれ育った県からは遠く隔たった、遠方のとある田舎の県で
やっと就職できた仕事帰りに安食堂で定食をたべて
私は汚い下宿に帰り
仕事から疲れて帰り
アノ歌詞いまでも全部覚えています
一人ぼっちでこのアニメを見ていたんですね。
特にあの佐々木功のエンディングソングにはジーンときましたね。
郷愁を誘うあのメロディ。故郷地球、母さんの思い出、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
あれには参りました。
甘く切なく、郷愁に満ちた曲でした。
ちなみに最初にも書いたように、、劇場版よりテレビ版の方が面白いです。
これは脚本に藤川桂介、(あの宇宙皇子の)が入っているのも原因でしょうね?
劇場版は宇宙活劇として圧縮されすぎていてテレビアニメのように100話という長尺での内容に深みがなくて、それと、劇場版は鉄郎がいい男、美少年すぎますね。
テレビ版のおとこおいどんタイプのだんごっぱな鉄郎がやっぱりいいですね。
美女メーテルとぶ男の鉄郎、こういう取り合わせだからこそいいのです。
美少年鉄郎ではいけません。
結局、メーテルって、、、、、、、、、、、、、、、
機械惑星のマザーコンピューターのまわしもの?だったんですよね。
そしてあらたに人間をそこに補給するために?地球から若い男をかどわかして連れてくるって役目ですよね?
それがそのマザーコンピューターをぶっ壊して、鉄郎を救い、、諭して生身の人間として、
短い人間人生を必死に生き抜いたほうが、機械になって漫然と1000年生きるより
良いんだとと教えたんですよね?
最後のメーテルとの別れと、あのまったりとした高木均のナレーション泣かせましたよね。
そこでは少年鉄朗は、、その少年期を卒業して?
メーテルとともに旅するという一種の
通過儀礼を経て、、これからは大人として旅立っていくんですね。
もしかしたら?メーテルって
鉄郎の心の中だけに存在するアニマ的存在(地母神?)だったのではないでしょうか?
そして
実は?
鉄郎は、、心象旅行として、幻想旅行として、、、
最初からたった一人で広大な宇宙を銀河鉄道で旅していたのではないでしょうか?
そしてその少年を導いてくれたのが
メーテルという,,,鉄郎の心の中だけにいる、永遠の女性像だったのではないでしょうか?
そして彼女との旅でさまざまな試練の経験が、、少年だった鉄郎を成長させて、、
少年の心の旅も終わり、、すなわち、、、少年期も終わるころ、、、、、
少年期のイニシエーター(先導者)?たるメーテルはその役目を終わって去っていくのでしょうね?
これからはもう青年鉄郎はメーテルの導きなしに一人で生きていかなくては、なりません。
鉄郎にとっての少年期はメーテルとの別れのその時終わったのです。
そういう、、、、とても意味深な?アニメ
それが銀河鉄道999なのだと、、、私はおもいます。
こんなにも
寓意的で
象徴的で
暗喩的で
教訓的なアニメって今ないでしょ?
少年が魂の先導者たるメーテルと「心の旅」(心象旅行)をして
そこでいろいろな体験をして成長していくってドラマ。
こんな、アニメって、、今あるでしょうか??
グロや
暴力や
悪の主人公や
そういう漫画や
アニメ全盛の、、、、、、、、、、、、、、、、
今、現代こそ、こんなテーゼのアニメがもう一度、必要なのではないでしょうか?
付記
以上の私の、、「銀河鉄道999」への見解は。あえて言うまでもなく
わたしの「私的見解」であり、それが正当(妥当)かどうかは保障できません。
公式
https://www.youtube.com/watch?v=d0iwi6sZ5LE